今日のコラム

暴動へ向かう香港

香港

香港で市民のデモが暴動の様相を呈し始めているようです

権力側に 徹底的に叩く口実を与えているようにしか見えません

中国最大の風水文化圏と言われている地ですが

住人に与えるパワーも強力ということでしょうか

その点 我が日本国は 大学入試を「売り物」にし

この国の未来を担うべき子供たちで銭勘定をした

文科省の大臣 官僚 天下り先の 企業に対しても

当人も関係者たちも 大人しく 梨の礫です

流れに抗う強さや 権力に対する反骨心というのは

見られません 

国家を一つの肉体に例えれば 免疫機能が低下している

明らかな証拠です 

「仕方ないね」の時代が来てしまうのかもしれません

残念ですが かつて大陸にあった「支那」が

この国の未来の姿になるかもしれません

本当に危ない 

大人たちが真剣に未来を考え 備えなければ

飢えて 渇えて 「生きるために奪う」人々の「活力」は

理屈や 議論の枠を超えています

結婚を望む人へ

 
結婚で幸せになりたい

よく聞く言葉なのですが

社会的な地位のある お金持ちで

頼り甲斐のある男性を もし 

その対象としているのであれば

少し 考えた方がいいかもしれません

それは 彼らが抱えている「リスク」の

大きさです

所謂 一流企業であればあるほど、競争は苛烈で

そのストレスは家庭に持ち込まれます

温かい家庭 休みの日には公園デートなんていうのは

相性が良い夫婦にはリフレッシュになりますが

そうでない場合 彼らにとっては

妻や家族のための強制労働になります

(ひどいことを書いてごめんなさいね。)

知性的な夫ほど頭ではわかっているので

頑張りますが、仕事のきつさに比例して

キレ始めます 

だんだんと家に帰ってこなくなり 

家族と顔を合わせる時間を避け

外に逃げるのです。

一般的に言えば

夫の置かれた環境を理解できているかた達は 

賢い女性であればあるほど

相手を「いたわる」ことをしています

(一見矛盾するように見えますが 

温かい温もりを保ちながら 干渉しない 

彼だけの時間を保証する 

日常の必要な世話以外は臨機応変に対応し 

夫への相談事は極力 必要以外は避け 

自分で決済しています。)

それが できない、したくない、甘えたい

なんでも相談して二人で決めたい

優しい言葉が欲しい それが愛だ

と言うのであれば よく考えて欲しいのですが

それは彼が望んでいることではなく 

自分が望んでいることなのではないのでしょうか

疲れ果てたその人は今のあなたと同じことを

望んでいるのかどうか考えてみてください

どこかで恋愛気分を捨てないと結婚は暗礁に乗り上げます

(男性側にも女性側にも同じことが言えます。)

私は思うのですが、お金も地位も学歴も

多少劣っていても 気楽に付き合える、

自分の身の丈にあう相手が一番楽だと思うのです

相手を「いたわる生き方」を自然にできる人は

それが自分の「身の丈」に合っているということです


人それぞれ 自分に合っている生き方をすれば良い

好きな相手と一緒になれたら

時々は優しくしてあげて、時々噛み付き

泣いたり笑ったりし しがみついたり

しがみつかれたりし 

裏切ってしまったら もし それを後悔するなら

口を閉ざし墓場まで持っていけばいい

そして 「いつか」

親友のように信頼し合える関係になれれば

いいのではないでしょうか

元々が生まれも育ちも違う他人です

けれど間違いなく「宿縁」によって

結ばれた間柄です 多少の忍耐さえ養えば、

よそ見さえしなければ最後までいける

但し 命の危険を感じた時は逃げることです

「逆縁」もまた「宿縁」の一つなのです


 

依存症

薬物依存

ゲーム依存

依存症というのは難しい病気で

死に至る病だと私は思っています

脳で快楽物質を分泌され始めてしまうと

自分でブレーキをかけることができなくなってしまう

初手の処置がどれだけ想像に難くありません

ここまでくると 占い師や 鑑定士の守備範囲を超えています

もし、これを標榜する、この類の方がいたら

罪つくりなことになります 

お金のために誠意を捨ててはいけません

自分を戒めることです

既婚者の恋愛

パートナー以外との恋愛話のブログが

たまたま目につき

ちょろっと覗いてみたのですが

既婚者が恋愛して何が悪い とか

彼の体が大好き とか 

亭主とレスだから とか

その理由を一生懸命書き綴り 

なんとなくの罪の意識が行間ににじみ出ていて

セルフルポタージュとして興味深いものがありました

自称〇〇カウンセラー兼占い師さんのサイトと

抱き合わせで掲載されていて、サクラかなとも思うのですが

延々とか書かれているので そうでもないようです

彼女達にとっては必然で 当たり前の欲求を満たすのに 

文句があるのかとも読める肉声ですね

自分に正直でありたいという真摯な気持ちが

それを書かせている動機なのでしょう

自分が与える喜びに素直に応えてくれるお相手 

ただ、快楽と反応に癒されているはずなのに

暗いものが文章を覆い尽くし

罪の意識が行間から溢れ出している 

だから自分の物語を世間に知らせているのかもしれません

もしかしたら、救いを求めるサインなのかも知れません


彼女たちの心情に共感する作業はこのくらいにして

もし 身近な知人にこのような方がいたとしたら

まず相談すべきは心療内科で「性依存症」の疑いを

相談するよう勧めてください 結構 これが多いのです

夫婦生活に関してもここに問題がある場合があり

自分を罰したり 相手を罵ったりと理由のない

諍いの元にもなっている

多くは、現状の意識では消されている過去の

何らかの性的な体験の記憶に起因していている

(これ以上は医者の領分ですね)

自分の物語を綴ることを少し休んで

ちゃんとした お医者さんに相談してみるよう

勧めてください。

もしかしたら現状のその人は本来の自分とは

違うのかもしれません

生きる覚悟

生きる覚悟

近代日本の黎明と言われている明治維新に活躍した人達を

調べて感じるのですが いわゆる貴格や、

良命式はほとんどありません

時間までわかる 絶対に間違いないと

生徒さんが持ってきた、憧れの維新の英雄には

忌べき星がついていました。

今であれば世情をにぎわす方達に

時々見かけられる星です

元勲と呼ばれる方達も似たり寄ったりです

我々と何が違うのかといえば、一つは時代

そして彼等が持った「覚悟」なのだと思います

あの時代に強いられた「危機感」が

覚悟を揺るがすことを許さなかった

西洋列強によって国が滅ぶかもしれないという

危機感の上での覚悟

目的のために払うであろう努力を受け入れる覚悟

そうゆう時代でしたね

「緩(ぬるい)危機感」のままの生き方には

「覚悟」は必要ありません。

実はこれが 持って生まれた運勢のままの生き方

になります

しかし運勢のママならいいのですが、社会に出、

揉まれたとき、持って生まれた星は変化するのです。

(運勢の勉強をしている人には初耳でしょうね。)

刹那的な犯罪

刹那的な犯罪が増えていますね

困ったものです

自分の将来が目先の欲望に汚れてしまうことに

気付けない人が多くなっている

最後の歯止めが効かない。

大丈夫と耳元で何かが囁くのかもしれませんね。


70過ぎの大学教授がストーカーになる時代です

心が乾いてしまっているのかもしれません

老も若きも男女問わず犯罪に傾いている

他人を利用しようとする連中

騙される方が悪いんだとシラを切る連中

「すみません」の一言がないばかりに争いが起きる

世の中です 最低の礼儀は他人に尽くしましょう。

でも、相手には求めないこと。

公権力はとりあえず大人しいので他国と比べれば

住みやすいですが、個々の犯罪が増えれば

きっと動き出すことになります。

嫌な時代になってきました。

先祖供養

某占い所で霊の障りだ先祖供養をしろと言われた、

どうすればいいのかとの質問があったとき、

それはお坊さんに相談するのが一番ですと答えています。

我々の仕事の範疇ではありません。

それでも「自我偈」をホームページにあげてあるのは

頼りのおぼう様が非道の方で、法外な

金品を請求された場合の緊急避難としての提案です。

運の落ちている時は、良いお坊さんとも

出会えないことが多い。

あがくだけ傷口が広がってしまう。

私にお経の話を教えてくださった先生は

亡者が原因の場合「自我偈」を推奨してくださいました。

生きている誰かを助けたいのであれば

私は「観音経」を推薦します。

知り合いの霊能者は少し徳の高い霊は「般若心経」を

聞きたがるとも言っていました。そうなのかもしれません。

合わせて勤行するのが良いと思います。

推命学では「霊」に関しては「論語」にある孔子の

「怪力乱心を語らず」が基本的な態度です。

根拠もなく霊の障りを言ってはいけません。

棲み分け

どこかの高校の先生が1年生の女子に校内でキスをしたとの報道があり、

あ、そうなのかと合点した事があります。

それは、この人が課せられた職責を二の次にして

彼女の未来や自分の未来よりも欲求を満たすことを

優先させたということです。

「その先の自分」への関心がない。

この辺りが最近の痛ましい犯罪の傾向かもしれません。


鑑定の現場に居ると

結局、誰もが幸せになりたいと思いながらも、

他人に傷つけられ、自分も傷つけ、お互いの傷の痛みを

相手や、他の誰かになすりつけあい、

傷が深いほど、似たような傷を持つ人たちと波長が合い、

出会ってしまう。

吉運が巡ってきても、一時的に開いた明るい扉を

自ら閉めてしまう人たちもいる。



それなら、今いる世界をいかに快適にするかなのですが、

まずは、

「自分たちには未来がある」ことを思い出すことです。

未来は今が基盤になりますが、取り返しがつくものと

つかないものがあることを真っ直ぐに見て

その上で、次に、居心地の良い居場所を見つけることです

好きな仕事、やってみたかった仕事、続けてみたい何か。

自分が好きだったことを思い出してみてください。

(ただ、もし「人」が好きと心が呟いた時は自分の中の何かを誤魔化している証です。大抵は、こんな素敵な自分を大事にして頂戴という願望で、新人政治家先生方の言い草です。他人を支配したいだけ、楽をしたいだけ。キツイ言い方ですが事実だと思います。)

次に、他人との関係に関するストレスを減らすことです。

自分の傷を一旦離れて夢中になって仕事をすることです。

他人に指摘されるような下手を打たない努力をすること。

これしかありません。

学歴も時頭の良さも心療内科の先生方がつけてくださる

素晴らしい病名とも関係がありません。

生きる場所を棲み分け、生きること。

他人や誰かと自分を比べさえしなければ、

心が安定し良い人生が始まります。

吉運

最近生徒さんによく話すのですが、

吉運の人には運が良ければ良い程、

人生に「おごる」ことに注意が必要であり、

他人を見下すことをさせないこと、

謙虚であることを忘れないこと。

もし、これができなければ、この時に撒いた慢心の種が

凶運時に芽吹いて来ると確りと伝えてください。

また、どんなに運がよく見えても嫉妬の心は

誰の心の奥深くにも存在し、恵まれている人ほどこの傾向が強い。

結局、楽しい人生を送ろうと思うのであれば

運の良し悪しは、自分の心の調教次第となり、

足る事を知ることが肝要になる。だから、

元命式だけで人を判断してはいけない、今、目の前にいる

その人の生き方をしっかり見た上でアドバイスしてくださいと

伝えています。

もちろん、元命式を正確に読み込むことができた上での

ことです。

その理由は、私は性善説も性悪説も取りません。

言いづらいのですが、人は、何度も他人に傷つけられたり、

傷つけてしまった時、間違いなく常では無い苦しみに苛まれ、

表情に表さないだけで、普通ではいられなくなる。

硬い装いに表面を固め内なる心を守ろうとする。

(合理的な理由で自分を納得させ心が麻痺していく。)

そこを見極めることができて初めて、運命鑑定士と

名乗れるのだと思っています。

高い理想かもしれませんが、目指すべき姿なのではないのでしょうか。

地雷物件

最近は問題ありの男女を「地雷物件」と称しているとのこと。

うまいことを言う。

なんなんでしょうか、これもSNSの発展で、

皆が事件を起こしたり問題あり男女の詳細な情報を

共有した結果生み出された造語なんでしょうね。

それでも、自分ところは違うと思い込んでいる人が

まだまだ多い。知っていても考えたくないというのが

本音でしょう。でも、これは今に始まったことではなく、

神話時代からの不変的な男女の話です。

極端は回避しなければなりませんが程々ならば諦めたほうが

「楽な話」になります。

人生、時に楽しくもあり、苦しくもあり、

総じて良い人生を送るためには自立していることが

何よりも大事です。

誰かに期待しなくても良い人生は誰かを傷つけなくても

過ごせます。

そして「自分には何も無い」ではなく、

他人に喜んでもらえる何かを身につけることができれば

楽しみが増えるし、自立にもつながります。

でも、その何かは「若さ」のような枯れて消える一時的なものでは頼りない。

確固とした何か。それは何か?

なんでしょうね。

神戸東須磨小学校 教師いじめ事件について

デイリー新潮

私が教えている運勢鑑定の基本に通じる記事です。

星が読めてもそれをどう活かすかは千差万別で、

先生方の個性によりそれが決まります。

この辺りが当たる当たらないの「占い」とは

カテゴリーを異にする点だと言えます。

時代に取り残される日本

重ねて起きた台風の残した傷は深刻です。

海面温度が1度上昇したことが巨大台風の原因になるならば

来年以降も同じ規模の台風と災害が起きるというのが自明の理なのですが.....。

現代ビジネス

私は基本的に環境団体も、怒りをあらわにする人間も嫌いです。

しかし、世界の金融界が彼女の恫喝で動き始めたことは

この記事を読むと事実のようです。

この動きを軽く見ていると、マスコミも政府も、

特に野党はこれを取り上げなければ無能の謗りを免れないでしょう。

せっかくラグビーWCで上がった「日本人」の株も

一気に落ちる可能性があるように思われるのです。

難しい問題です。実体経済とは違い、

金融経済は雰囲気で動くもので言い方を変えれば

投資家の「心のおもむくまま」数字(金)が動く。

環境問題に努力もしない国に、お金注ぎ込んでもねー。

こんなところでしょうか。

それを言うならPM2.5の中国はどうかといえば、

そりゃ酷いけど、もうしばらくは儲かる投資先だ。

ということで彼らには絶対悪も絶対善もないのです。

(断種までして民族弾圧をしいる政府は絶対悪だと思うのですが

関係はない。お金に善悪はないということですね。)

それもどうなることかわかりません。

猛スピードで時代が変化し、最先端だとされた技術が

数える間に過去のものになっていっている。

さらに混沌とした時代に令和はなりそうです。

台風一過

2019年 10月13日

昨日はどうなるものかと思いましたが、

とりあえず無事です。

風がいくらか残り、朝から飛行機の爆音が上空を騒がし

ていますが、よく晴れています。



治水はやはり国のやるべき仕事です。

「想定外」の言い訳は

命を失ったものへの言い訳にはなりません。

一日も早い復旧を祈るばかりです。

木を見て森を見ず3

昨日書いたものを読んでいて思うのですが、

これ、恋愛も一緒ですね。

それも若い時の恋愛に似ている。

我々の青春時代は、背の高い男子がモテる条件でした。

顔も学力も運動神経も関係なくとにかくデカイやつが持てていました。

クラスメートの某女子に、なんであんな奴と

仲良いのと問うと「だって、彼、背が高いんだもの」

と答えていました。何故か、いまだに覚えています。

彼女の中の素敵な恋人の条件の

「自分より背が高く175センチ以上」で

ヒットした相手ということなんでしょう。

当時は三高が女性目線からの恋人の条件で、

それに嵌ったお相手と言うだけですが、

今も昔もこの辺りの事情は変わりません。

恋愛がファンタジーだと気づくまでは誰にでも

起きる現象です。

間違いなく恋人選びはそれでいいと思う。

夢見る時代に幻想を追うことを誰が咎められるのでしょうか。

皆が通ってきた道です。

いつぞや、

「恋愛は酒の要らない酔である」

と書いたことがありますが

他人がとやかく言うことではありません。

楽しめばいいのです。

問題はその先で、酔いは覚めるものであり、

男女は恋愛だけでは終われないのです。

笑顔が素敵な彼でも、彼女でも、やがて、

無表情な素っ気のない、夢みの時代には

想像すらできなかった姿に変わってしまうこともある。

それを回避するためには、やはりお互いの努力が必要なのです。

恋愛から安定した結婚に進めれば、これ以上なことはありません。

ただ、安定した結婚に関してはやや難が起きやすい。それは

お互いの生活力と信用力に関して選択要綱になかったことが

原因かもしれません。

(夫婦、恋人関係のトラブルの主なる原因がここにあります。)

笑顔だけでは生活はできません。

お相手の美醜や肩書きのスペックを見て、その人を判断をするようなこと

をしているうちは子供の恋愛で、ほぼ確実に夢は破れます。

この点、女性は現実主義ですから少ないと思うのですが、

男性は一時の情にほだされて一生を棒に振る可能性が女子よりも

はるかに「大」です。気をつけてください。

この辺りの事情に怯え結婚できない男性が増えているようにも思える。

女性を信用できない男性のなんと多いことか。

とても難しい問題です。

木を見て森を見ず2

滅多に「推命なんかやめちまえ」と叫ぶことはないのですが、

少し、言い足りなかったので補足しておきます。

「木を見て森を見ず」

私的に言うならば、

「命式を見て人物を見ず」となります。

(私の言う命式は大運を含めたものです)

たまに、教科書通りの吉星が揃った命式の

人を見かけることがあるのですが、中には、

とんでもないのがいる。

理由は簡単、運の良さが生み出した「慢心」によるもので、

本人は楽しくてしょうがない。

これが「素晴らしい運」といわれる運勢の実際の一面です。

何よりも、今ある本人の姿を見極めることが

鑑定ための大事なポイントとなります。

キツイことも言いますが良い鑑定士になるために

また、本当の自分自身を知るために

是非とも日々精進してください。

お知らせ

お知らせです

現役の生徒さんには直接お知らせし快諾していただきましたが、

講座の性質上こちらからのご連絡は差し控えさせていただいており、

この場を借りてのご連絡となります。突然で大変申し訳ありません。


諸般の事情を鑑み、本日10月1日より

講座の料金に関し、現行の料金体系に統一いたします。

初期の生徒さんには月2回の月謝のみの

対応でしたが、今回より月謝の制度を廃止し

月1回は1万5千円、2回は2万3千円、

3回以上は3万円とかなり思い切った現行の

料金体系に改めます。(3回以上は一コマ1万円となります。)

ご了承ください。





洗心庵 今野喜心


追記

今まではっきりと書いてきませんでしたが、

テキストを終了せず途中下車してしまった生徒さん。

お休みが1年以上の方。

とりあえずこちらのクラスは退会となります。

ただし純米酒一升で講義を再開します。

途中下車は、する方も、される方も嫌なものです。

それでもお酒で水に流せれば、それで良いのではないでしょか。

途中下車でもクラスで学ばれた方ならば

かなりの鑑定力がついているはずです。

だからこそ、中途半端な鑑定では人を傷つけます。

これだけは肝に命じてください。

木を見て森を見ず 1

時々生徒さんからこの「午」の人との相性を教えてください。

というような質問されることがあります。

その度に困ったものだと内心思いなが、

年支にしても、何にしても、命式の全体を見ずには

答えられないと答えています。

一般的な運勢鑑定では、生年月日の四つの干支の柱の、

年の柱または生日の柱の干支の納音の解釈で

その人の性格を断定することが多いように見受けられます。

それでは、残りの柱をどう解釈するのか?

気学を習いたての人が生まれ年の九星の五行の相克で

相性の良し悪しを判断し出口のない迷路に落ちた姿を

何度も見てきましたが、これと同じです。

もちろん統計学的な判断に意味がないとは思わないのですが、

それを鑑定の核心として用いたとしたら、とんでもありません。

たとえは悪いのですが、この鑑定法は個人の鼻の形で

その人の人生全てを判断しようとするようなものなのです。

遊びの範囲でだけしか許されません。


ただ、同じようなことをうちの生徒さんも言っていて、

自分は金の性で相手は木の性だから相性は悪い。

そんなことを言う人がたまにいるのです。

それに対する私の答えは、かなり辛辣で、

あなたは星の本質をちゃんと理解しているのだろうか?

入門編で教えた、命式の基本構造はどこにいった?

力量論はどこに行った?

それ以前に、人として、どうなんだ?

誠実に相手と向かい合ってきたか?

これまで相手に対し敬意を持って接してきたのか?

もしかしたら最初から、自分は金で相手に勝てるからと

相手を見下し、その結果相手の反撃にあって、

慌てているのではないのか?

もしそうなら、推命学などやる価値はない。

やめちまえ。と、かなり厳しく答えています。

お客商売として講義をしているのなら、

適当にごまかすところでしょうが、

如何せん、相手に刺さった棘を一本抜けば、

自分に刺さったトゲも一本抜けると師匠から教わり、

それを実践し、今に至るので、結果的に他人を

傷つける道具としてこの推命を使うことは絶対に

許せないのです。

でも、人とはそんなもので、自分の優位性に、

少しでも気づいてしまうと、

相手を弄びたくなるもなのです。

運勢という特別な知識を知ることによって

推命学に限らず、気学であっても、西洋でも

その学びを根拠に他人を見下すようなことは

絶対にしてはいけません。

「元命式の研究」について

すでにご承知だとも思いますが、

「元命式の研究」を研究科のテキストとして使用します。

今までは、実力向上の一助とも考え、

希望する教室の生徒さん誰にでもサイトを公開してきましたが、

初心者が見てしまうと多少の弊害があることに気づき、

研究科の生徒さんのみの閲覧とさせていただきます。

結婚したい人へ

昨夜、久しぶりに風邪をひいたらしく熱が出て、

寝込んだ。

あまりにも久しぶりだったので弱気になったのか。

昔のことを思い出す。

そういえば、結婚しようと思い立ったのも、こんな時だった。

当時、仲の良かった友達同士が結婚し、

よくご飯を食べさせてもらったりしていたのだが、

二人を見るたびに、結婚も悪くないと思ったものである。

その流れから、自分もそろそろと思い立ち、

熱にうなされるたびに、絶対結婚すると決心し、

元に戻ると、めんどさいと悪態をつき、その

繰り返しから数年が経ち、ご縁があった方となんとか

一緒になったのだが、当時の鑑定力は「占い」方面の腕は

結構あったのだが、運勢鑑定についてはレベルに達しておらず、

今の力で考えると縁とは恐ろしいものだと感じている。

もちろん結婚も占ったのだが、彼女を主にして占うと、

過去、現在、未来、全てが大吉であり、それまでの占い人生の中で

最も特異な卦を得、今度は自分を主として見た場合、

凶と大凶が重なる形で、わりと一般的な卦が出たのである。

それでも、大吉の卦の人生を見てみたいという

好奇心と、そろそろ結婚しないと、子供の成人式

ヤバイなという、年齢的な圧力から結婚に踏み切ったのだが、

やはり、人生は紙飛行機、風のまにまに、

泣いたり、泣かしたりの繰り返しで、

鑑定の腕が上がる度に、「こういうことなんだ」と納得し、

嘆息しつつ諦め、諦観と共に過ごしてきた時間の記憶が

糊になり二人をいまだに繋ぎ止めている。

こんな道楽者の自分と一緒にいてくれるのだから

実にありがたいことだと感謝している。

だからかもしれないが、

「根性のある女性」をとても尊敬している自分がいる。

もし、自分の幸せを求めて結婚していたとしたら、

とっくに別れていたとも思う。

やはり人は「誰かのために生きる」ことが、

忍耐力でも、突破力でも、それを支える底力として

働くようにできているのだと思う。もう一つ、

自分の人生を笑っちゃえる俯瞰感覚も大切かもしれない。


プロとして働いている生徒さんの話を聞くと

「結婚したい」お嬢さんの相談が一番多いとのこと、

一年を通じてこればかりは変わらないそうである。

もし私のところで相談されれば

結婚に耐える根性があなたにはありますかと、

まずは問うと思う。ましてや連れ子がいるならば、

命をかけて、その子を守れますかと問う。

結婚で幸せになれる人は、正直、今の世では

少ないと思う。

なぜかというと、やはり、自分が幸せになるために

相手を選ぶからだ。高学歴な人ほどその傾向がある。

結婚の動機が「利己心」からではどうにもならないと

言う意味でである。

男性の価値を「スペック」と表現している限り、

無理だと思う。

標準的な良い夫婦などないのだが、

男性側が素朴にその人を好きになり、

生活を共にしたいと願う単純明快なあり方が

一番長く持つように思う。

女性側が、ああでもないこうでもないと言っている場合、

結婚できる確率は極めて低い。


結婚相手に対し、なにがしかの情報を求めるのであれば、

鑑定士を訪ねるのが一番早い。

「お付き合い」なんてのは

長くなればなるほど鮮度が落ちていくものである。




出会いの場がないという人も多いそうだが、

世の中に参加しなければ、出会いなんてないに決まっている。

露骨なお見合いパーティーも悪くはないが、

よっぽど自身があるか、直接的な異性を求める男性以外は、

まず、参加しない。

婚活パーティーや合コンで成立しているカップルは、

大抵、代打で参加しているか、友達に誘われて

不本意ながらのメンバーになってしまった人達である。

「下心のない人たち」と言い換えればいいだろうか。

釣りの話で恐縮だが、釣り堀で試して欲しいのだが

釣る気満々の人の針には絶対魚は掛からない。

じゃあ、どうすればいいのかといえば、

日頃の生き方です。

男性は、結局は、そうゆうところを見ているのです。

男性もまた、相手に裏切られないか、信用できる人か、

金遣いは荒くないか、家庭を保つだけの根性があるか。

健康か、時には、長生きするか、まで考えるものです。

これはそれぞれ、その人が、

それまでの人生で失ってきたものであったり、

心の底から求めているものを提供してくれる人という意味です。

親がヒステリーで嫌な思いをしたら、

ヒステリーな女性は最初から問題外です。

そう考えてもらえば、相手を知ることがどれだけ大事かが

わかるかもしれません。本気で結婚を望むなら、

より本質的に相手を知ること、そして逃げずにやり遂げる決心です。

だから、利己心を優先させた「自分は結婚して幸せになりたい。」という考えは

相手にしてみれば受け入れ難い条件であり、

「結婚」とは一番遠い位置にあるのです。

もし、この辺りの事情が理解できれば、すでに相手がいたり、

条件が整っているのなら、すぐに結果は出てきます。

「あなたのために、結婚したい。」と言えるかどうかです。

早い人で2週間ぐらいでしょうか。

結婚を望むのであれば、女性に一番大切なのは根性です。

人生楽に生きるには

人生楽に生きるには

人生楽に生きるにはどうすればいいのでしょうか?

どう転んでも人生は辛い。

満点の解決策が思いつかないので

妥協案を提案します。

それは

「誰かを」「何かを」大切だと思うことです。

こんな、あまりにも単純な事柄ですが、

「自分は誰かを愛しているだろうか?」と

理由もなく不安になって、こう呟くことが私にはあります。

そのくらい日常に慣れてしまっている。

失ってしか気づけない大事なものがあることを、

災害が起きるたびに何度も何度も我々は思い出すのですが、

日々の安定とともに、また忘れてしまう。



話を戻しますが、他人を大事に思うことを、

「他人に尽くして生きた人」と言えば

近づきにくい人のように聞こえますが

子供のため、会社のため、一家のため、

一生懸命誰かのために生きるという意味です。

人生は誰にとっても辛いものです。

傷つかない人はいません。

自分が傷つくことで他人の痛みを知り、

忍耐を学び、親しい人の苦痛を、見て見ぬふりをせず、

どうすれば苦しみが消えるのか一生懸命考えることから

知恵が生まれ、優しく賢い人に変わっていきます。

このような人は「自分限定」ということがなく、

自分が苦しい時でも、他人のことを思い、

それを思っている間は自分の苦しみが止まります。

すると「苦しみ」というのは、一度止まると、

少しづつ薄れて行くものなのです。

もちろん記憶には残りますが、他人への思いが、

自分の苦しみを客観視するキッカケとなり、

その結果、様々な人生の苦しみを

受けとめる器量が増し次のステップに移るための

人生の知恵が自然に生まれてくる。

「情けは人のためならず」という言葉には

こんな意味もあると思うのです。




一方、この辺りがそうでもない人というのは、

どこまでも、自分が主役なので、どんなに親しくとも

利害で動き、誰かのためにという行動には

普段から消極的です。

一見賢い生き方に見えますが、誰にでも起き得る

時々の不幸や事故にあった時、

他人の痛みに関心を示さなかった分、

痛みに対しての耐性が弱く、さらに

自分だけが唯一の被害者として現れてくる。

こんな人は利害のあることに対しては、

実に粘り強く忍耐しますが、それ以外には

感情的で、キレやすく、相手は傷つけられて当然だと

合理的な理論に身を固め、他人を攻撃し、

他人の痛みを拒否します。

だから、なんでもしてしまう。

中には、争い事の多い環境の中で過ごし他人に対する

共感力を自ら削り自分を守ることだけで精一杯だった

人達もいますが、それはそれ、これはこれです。

自分を磨くことは、この一瞬からでも始められます。

よりよい人生を望むのであれば、それは、

他の人を思うこと。

この一点です。



(より良い人生と書いたのには訳があり、「自立している」

という条件があることをお断りしておきます。人生は甘くありません、

まず自分の人生に根を持つことから始めるしかありません。

他人頼りの人生は孤立の入り口でしかないように私には思えます。)

言葉

言葉の大事さを意識している人は幸せのタネを

大事にしている人です。なんでかというと

「言葉は心をリードするから」ですね。

心が動き、行動が始まる。

一般的には、この順番を考えるとき、心が言葉をリードし

その次に行動に移ると考えられていますが、

心が言葉を喚起した瞬間は、心は言葉を観察している状態で、

行動自体を規定する力はありません。

実際はそのとき生み出された言葉に対し、

そうだ、その通りだと自分の心を再確認した後から、

行動が開始されます。

つまり、もし、この時点で、「そのまま行動するとマズイな。」と

初発の自分の心を客観視し、損得が判断できれば

自ずと行動は変わってくる。

あまりにも当たり前のことを書いていますが、逆に言えば

これが「自分に正直に生きること」の危うさであり、

同時にそこから解放されるヒントでもあるのです。

このことを「自制心」と呼びますが、

自制心は、こんなカラクリからでできているんだと

知ると知らぬとでは大きな違いがあるのです。

意識すれば自制心は間違いなく動くのです。


積年の恨みから誰かを傷つけるしかないと、決心した時、

そこには別の選択肢がないわけではないことを知って欲しいのです。

前にも書きましたが人は、その時の気分で動く動物です。

そして、大抵、その気分というのは持って生まれた星を

拠り所とし、本質的な自分の利害とは別のところにある。

そこに気付ければ世の中の犯罪は半分以上は無くなる。

だから、

自分にはそうするしかないと決めつけるのは絶対に間違いです。

一歩退いて考えることを諦めないでください。



ついでに書いておきますが、人が本質的に求めているものは

誰かを大事にしたいと思い、その相手に、受け入れられ、

相手からも大事にされ、それが実感でき、誰かに傷つけられることなく、

安全で、衣食住が足り、出来るだけ楽をして健康に毎日を過ごせること。

こんなところでしょう。

このことは、「家族」という単位にこだわらなくとも実現できるのです。

世の中には幸福論が山ほどありますが、その基盤になっているものは

やはりこの範疇を出ないと思います。

その上での名誉であり、財だと思うのですが、いかがでしょうか。



多くの人が幸せになりたいと口では言い、結局は違う選択をしてしまう。

その理由は、どうしても、持って生まれた本人の「気分の傾向」が

ああでもない、こうでもないと心の中で囁いているからであり、

それに気づくことが、

終わりのない旅の終着点に気づく事なのかもしれません。

人生は辛いものです。

不都合な真実

どの世界にも不都合な真実があり、

見たくもないし、聞きたくもないのが

正直なところす。でも、知ると知らぬとでは

大きな違いがある。

運命の構造がわかれば、運を変えることも、

そのまま流れに乗ることも自分の意思で

選択できるようになります。ただ世の中はどう転んでも

運否天賦」を超えることは稀だと

最近、心境が変化してきました。

その理由は、一つには人の「ご縁」を見ていると、そこには

必ず結び付くべくして結びつく理由があり、

それぞれが吉凶の現象を背負っています。

「ご縁」なくして結婚している夫婦はいないのです。

(これも不都合な真実の一つかもしれません。)

親子もまたそうだと言えば、多発している不幸な事件も

必然だという愚劣な運命論者が出てくるかもしれませんが、

それは違い、

親にとっての子供は鏡であり、希望であり、夢であり、

怪獣であり、親たち次第で善悪が決まると誤解されている

厄介な隣人です。

もう一つの理由としては、やはり、持って生まれた心の癖に

変化を与えるためには、

確固とした動機とある程度の覚悟が必要であり、

漠然と良くなりたいでは、よくならないのです。

もしかしたら、そのために「天」は人に大きな苦しみを

与えるのかもしれません。

嗚呼。


余計な話ですが、

年齢的には大人でも精神的には幼い親が山ほどいて、

小中学校の先生方も実際の所、親の教育が先かもしれないと

聞き及んでいます。そのくらい親に社会性が無く、

一般的な常識が欠けている。特にSNSを介した問題は

「個人情報」というややこしい権利の主張により

本当にバカらしいことが事件として親から学校に申告され、

現れなくても良いはずのモンペが増えているとのこと。

大変な教育現場の状況です。

世の中

最近、戦争をしたがる若い政治家がいるようです。

元々が官僚出身なので、知ってはいると思うのですが

国連憲章に敵国条項というのがあり、

第二次世界大戦の敗戦国である日本は

もし戦争を仕掛けるようなことをした場合、

安保理の許可なく戦勝国であるソ連、中国等は

日本を攻撃して良いことになっているのです。

ロシアのクリミア攻撃以来戦争の形が大きく変わり

日本なども多分2日ほどのミサイル攻撃で主要な設備と

機能は崩壊すると思います。

その上で休戦協定を結び彼らの意に沿う政治家を選び

直接統治せず自治権を保証し、賠償金を請求してくるのが

これからの戦争です。

それに、戦争は本当に簡単に起こせるのです。

例えば戦勝国Aが本気で戦争を仕掛けようと考えたなら、

戦闘機でも偵察機でも防空圏ギリギリで飛び、

スクランブルで接近した自衛隊機の目の前で

自爆したら、必ず自分たちは被害者だと主張し、

問答無用で戦争は始まります。

最近これに近いことを隣国がやりましたね。

「戦争のできる国」なんて言っている共産党も

なんちゃら政党も、お隣の国も

日本が戦争を仕掛ける国家であるかのような印象を国民に

植え付けようとしていますが、絶対にできません。

万が一でもやったら終わるのです。

知ってかしらずか。

それに乗っている一部の日本人も、左の人たちも

いったい何と戦っているのでしょうか。

平和ボケの極みにしか見えません。


ただ、米国が許可する戦争と、米国の後ろ盾がある

自衛のための戦いはできる。

しかし、これは国の体裁を保つための便宜上の

権利でしかありません。

この意味では北朝鮮が言うように

日本は自主独立した国家ではありません。

「平和憲法」にはこのような意味があり、

その代償として戦後経済の復興発展の果実を

得ました。

これは綺麗事ですが、それで良かったのだと思います。

少なくとも、隣国達のように軍隊が国民に銃を向けることは

戦後一度もありませんでした。

これからもそうであって欲しいものです。

きれいごと

「きれいごと」という言葉が最近私の周りで踊っています。

そもそものキッカケは

A,「なんであんなこと言ったの?」との

セリフが都内某所でコーヒーを飲んでいた私の耳に飛び込み、

振り返ると「女子旅」最中らしき学生の集団が食事をしていて

そこから発せられたものでした。

B,「だって、倫社なんて所詮、綺麗事でしょ。」と。

私, [倫社か〜、そうかもしれんな〜。]と

自分の学生時代の倫社の先生を思い出し妙に

納得してしまったのが事の始まりです。



実は、私も「用神の使い方」の説明をするとき、

生徒さん側から見ると綺麗事を言ってもね〜。

という顔をする生徒さんがいることに気づいていて、

そんな表情が見えた時は必ず、

「言うは易く行うは難しで理論上は、

このように使えば必ず運を拓くことができるのですが、

実際の話は、それを実行に移し、やり続けられるかが

最も難しい課題です。」と、さらに解説します。

頭ではわかっていても実行できない。

最近は、この辺りのことを自己啓発セミナーなどで

脳科学が教える習慣の身につけ方等々の謳い文句で

ダイエット、英語習得の効果絶大なノウハウとして

喧伝しています。

(変なセミナーに引っかからないでくださいね。)




人の心の底にある

「気分」の動きというのは常識では計り知れません。

自分でも、どうしようもない部分が多々あります。

極端な例ですが、頭の中ではわかっていたし、

起きるであろうことも想像できていたにも関わらず、

それがまだ起きていないので、子供の世話より、

男との逢瀬を選び悲惨な事件を起こしてしまった母親...等々

人の持つ「気分」というのは「感情」を優先さえ「常識」

を破綻させてしまうほどの力があるのです。

一時が万事。

だから「きれいごと」が必要なのです。

「綺麗事」を「理想」と

言い換えるとわかりやすいかもしれません。

「人は美しいものだ」と誰かが言った。

「そんなの綺麗事よ。他人を踏みつけて面白がり、

私がいじめにあったとき誰も助けてくれなかった。」

「それじゃ、今のあなたはどうなの?」

「人は残酷なもの、弱い相手からはむしり取り。強い相手にはへつらう。

自分は絶対そうなりたくない。」

「でも、それも綺麗事じゃないの?」と。

我々の世界は普段は見えませんが間違いなく「権力」の

支配の中にあり、大きな括りでは国、会社、家族、友人、ママ友

クラスメート等々個々の力関係のハザマの中にあり、揺られています。

どこであっても人が集まれば小さな権力闘争が行なわれている。

そして、

「きれいごと」がグループの潤滑剤になっていく。

「みんな仲良くしようよ。」とか、

「子供のことを最優先に考えましょ。」とか、

「世界平和」なんてのもこの類です。


どこかで我々は自分たち人間は「動物」とは違うと

思っているかもしれませんが、肉体に備わった生物としての欲求は

一般の動物となんら変わりません。

綺麗事を無くしてしまえば弱肉強食の世界になってしまう。

大林宣彦監督

この記事を見るまで大林監督が

ガンであることを知りませんでした。

文春オンライン

この監督の作品には思い出があり、

当時の友人に吉祥寺の小さな映画館に連れて行かれ

「廃市」とい作品を見た記憶があるのです。

青春の1ページです。

そんなご縁で記事を読んだのですが、

死と向き合うこと。生を見つめること。達観すること。

なかなかできることではありません。

日本人の二人に一人が癌にかかり三人に一人が癌で亡くなる時代。

人生悔いなく50を過ぎたならば元気な時間を

大事に使わなければいけませんね。

どうせ私なんて......。

面白い記事を見つけたので貼っておきます。

メンヘラ、コミュ症を自称することの、知られざるリスク

学者の先生らしく難しく書いてあります。

要約すれば、第二次世界大戦下ユダヤ人収容所内で

絶望としか言えない過度のストレスの状況下であっても、

精神の健康を保つことができる人たちがいて、

なぜ彼らは心の健康を保てたのかを研究した学者がいた。

その理由を考えると、3つの要因があり

1、何に自分は苦しめられているのかを知っていた。

2、その問題に対処することを諦めなかった。

3、その問題に対処していくことに、やりがいがいと意味を
  見出していた

となり、その前提として、ストレスは生きていく上であって当然で

あり、そもそも生きていくことは苦しいことなんだと

腹の底から認識していた(これは私の表現です。)

この能力が高ければ高いほど心の健康が保たれる。

自分を知り、置かれた立場を受け入れ、その問題に対処することに

意味とやりがいを見つけ事柄に寄り添う。こんなところでしょうか。

これが我々の心の健康を保つ秘訣ということでしょう。

問題はネガティブな言葉を日頃から使っていると、

この3つの要点を、「どうせ、ダメ。」の一言で、一瞬で

潰してしまい、最悪の場合、この言葉に食われ、絡まれ、

この言葉から抜け出せない中毒症状を起こしてしまう。

ということが書かれています。




生きていくことは辛(つら)い。

だから人に優しくしたい自分がいるし優しくされたい自分もいる。

現実の苦しみから逃避し

幻想や空想なる理想の世界の中で夢を見ているから

自分の痛みばかりを主張し、他人(親や兄弟や友達も含まれます)の

痛みに気づかない大人が増えてしまうのです。

相談を受ける人へのアドバイス

人はどうすれば幸せになれるのでしょうか?

難しい問題です。しかし、その

理由がわからないというわけでもありません。

幸せになりたいと口では言うのですが、

その言葉の裏に隠れているものは

多種多様で、最低でも10種類の

基本的な欲望が隠されています。

これを見切ることが鑑定家としての第一歩になるのですが、

この点に気づけず、いたずらに常識を持ち出し、

相談者をいじめるエセ鑑定士になってはいけません。

教室では人の行動原理は

一概に幸福を求めているものではないことを

最初から教えているのですが、鑑定の現場では、

どうしても依頼者のストーリを優先させてしまいます。

これは一般的なコミュニケーションの問題になります。

これはこれで良いのですが、問題は、

相手の命式をしっかりと読み込んだ上での

依頼者との言葉のやりとりなのか、

素人と変わらない鸚鵡返し的な言葉なのか

しっかりと自覚していなければなりません。

その如何によっては、通常の会話が最上の鑑定となり

会話が終わった時には依頼者が落ち着き

問題解決の糸口が明確になる場合もあるのです。

しっかりと学び、

依頼者が語るストーリーに飲まれないこと。

現状に満足し楽をしていては一流にはなれません。












入門講座受付中 メールでお尋ねください 

初級終了後について

洗心庵の初級教室を終了した生徒さんは

緒方先生の中級教室に参加することができます。

中級教室は毎月土曜、週2回のコースになります。

泰山流の資格も取れるコースです。

泰山流四柱推命学会とは別になりますが、

洗心庵では初級を終了し中級への日程が合わない方達には

研究科を設け、実力養成を主にした指導もしております。

テキストは生徒さんが持ってくる命式の解説を主にしておりましたが、

現時点で256の命式の解析が終わり、これを

テキストとして使うことにいたします。

全てネットに掲載され、ある程度の人と成りが分かっている

人たちで関係者を含めると3倍の数になります。

従来通り、命式を持って来ていただいてもよし、

テキストを使ってもよしといたします。

これからさらに資料の数を増やし、科目ごとに

整理したいとも思いますが現状でも、それなりに充実したものと

なっております。

安心してご参加ください。

元気を出して

時々応答がなしのつぶてのメールがあります。

それはそれで、その人の人生です。

それでも自分を大事にしてほしい。

私も若い頃は約束が守れず何度も落ち込み自分を責めました。

そんなものです。

お金がなければ、働くしかありません。

自分にできる仕事を選べばいいのです。

でも、遅刻や、病欠を繰り返せば職場の皆の顔色が変わってくる。

これはこれで当たり前のことです。

甘えていると言われます。

我々のような凡人は頑張るしかないんですよ。



エールを送ります。

Superfly「Gifts 」

頑張れ。

あぶり出し

韓国も日本も、時が経つにつれて

色々な隠れていたものが現れ、色分けがされてきたようです。

これは「あぶり出し」ですね。

追い詰めらえるとその人の本当の心情が現れてくる。

わかりやすい話です。

韓国は学生運動上がりの親北セクトが権力を

握り、それに同調する一部の国民が同じデザインのプラカードで

気勢を揚げ嬉々として反日運動に勤しむ反面

その多少は報道されていませんが水面下で反親北、

現状維持を望む人たちが動き始めている。

そんな彩に分かれ始めているようです。

朝鮮戦争で北朝鮮に親族を殺されたもの、

大韓航空機墜落で身内を殺されたもの、

拉致されたもの等々。個人の恨みというのは

南北統一の大義があろうが、絶対に忘れられません。

少しづつ反撃に移ると思われます。そんな記事も

現れ始めましたね。ここ2、3ヶ月が見ものです。


一方我々日本人は、

愛国心を強要するなと大声で言っていた、

自由平等が大好きな国民気質が

ムラムラと愛国心的な方向に目覚めかけ、自戒をかねて、

これ以上俺たちを刺激するなと思い始めています。

さすがのマスコミも一時に比べると擁護の口が重くなり

彼の国の理解しがたい精神性と頑なさに辟易し始めているようです。

それでも安倍憎し、韓国可哀想、日本が妥協するべきだとの

論調を変える気がない人達もいる。本当の意味での多様性と

許容力が育ったんだなと感慨深いものがあります。


彼の国は儒者の国、彼らの一番重んじるものは「メンツ」です。

「儒学」なんてのは、生まれながらに、この世の

上下関係は天に決められていて頂上(王)にあるものを

下の者が支えることこそ天の意思である正しい道だとするものです。

そこに「天」から与えられた身分という誇りとメンツさらに

見栄が生まれてくる。

家の「格」とかなんとかも、こんなところから来ています。

王がどんな酷い奴でも、この自然の法則に従えというのが

基本的な考え方です。





天地自然の法則を根拠とし、どんなに、その正当性を主張しても

天地自然の法則と、人間の持つ本質的な性質には大きな違いがあり

その違いとは人の持つ「欲=自由意志」だと私は思っています。

環境に順応することも、夢や希望のために努力することも、

また、自らが望まない「社会全体」からの強制に対しても、

断固として戦い、挑むこともできる。

これが人の持つ自由意志の力です。






個人的な見解を言えば、

メンツのために嘘をつく人達とのおつきあいは

行くべきところまで行き、白黒をつけなければ、

永遠に同じことを繰り返します。

あおり運転

茨城のあおり運転の犯人が捕まりましたが、

彼の残した犯罪の映像は、テレビやネットを

通じて日本中に流れてしまいました。

私もそれを見た一人です。

恐怖、それも理不尽な恐怖でしょうか。

京都アニメーション事件にも通じる事ですが、

当人には理由がわからない。

悪い表現ですが、狩猟の対象にされる恐ろしさです。

「狩られる側の心理」といえば、より、

わかりやすいかもしれません。

そして、ここに

狩られる側の恐怖が生み出す行為が生まれてきます。



自己防衛とか正当防衛という行為と当事者は考えますが、

時により残虐な結果が生み出されることは歴史により証明されています。

日本ではかつての関東大震災の時の朝鮮人狩、朝鮮戦争時代の

保導連盟事件

済州島事件

ベトナム戦争時の米軍、韓国軍の異常性もこの辺りから来ていると

私には思われます。特にこの当時の韓国軍はほぼ、大日本帝国の

陸軍と同質です、当時の大統領は朴正煕で彼は日本陸軍大学出身であり

こんな資料を見れば一目瞭然なのですが大韓民国陸軍

ベトナム戦争での彼らの行為は帝国陸軍のコピーであると

考えるのが自然です。

(ナショナリズムを標榜するのなら絶対に自国に対する歴史認識が必要です。)

学生時代、知人の親がジャーナリストでベトナム戦争の取材に

渡越した際、韓国軍の中でだけは安心して眠れたと言っていました。

規律正しく正規軍として立派だったとのこと。

しかし今思うとベトコンも、

彼らの異常な復讐の酷さに攻撃してこなかったのだと思います。

今ある資料から察すると人間のする行為では無かったようです。

恐怖は人を鬼に変えます。

(人は鬼に変わると私に教えてくれたのは帝国陸軍の元少佐の方でした。

彼もまた自分が鬼であったとのこと........。)


平和時の現代,「恐怖の質」は様々な形に姿を変え、

存在し続けています。

「自分が部下にナメらるかもしれない恐怖」であったり、

「家から追い出される恐怖」「結婚できない恐怖」

「計画を邪魔される恐怖」「生活ができなくなる恐怖」

 等々数え切れません。

自分が傷つけられることがなく生命が守られる保証が

あり帰る家のある人とは違うのです。


今回の事件で、ほんの1分にも満たない映像が我々の

「恐怖」を喚起した事実はニュースのコメントを読んでいると、

実にわかりやすく、そこに証明されています。彼らを

「世間から消し去りたい。隔離してほしい。」コメントで溢れている。

人は「恐怖」に対して実に弱い生き物です。

人類はこの恐怖を回避するため法律を作ってきました。

しかし、いろいろな法律が現代には合わなくなっています。

自然に、安心して生きられるルール作り、

犯罪抑止力としての罪と罰を見つめ直すこと。

識者の方々はとっくに取り組んでいるとは思うのですが、

法律だけでは人の心は変わりません。

難しい問題です。

自ら摂取した覚せい剤で起こした殺人も刑法39条の心神喪失、

耗弱による犯罪で片付けてしまう現行の司法体制では、

大事な人を殺された家族も亡くなった方も浮ばれません。

覚せい剤に対する罰、服用時の罰が軽すぎます。

服用時の罪に関しては厳罰であるべきだと思うのですが。

今のままでは国が荒れる。

ナショナリズム

何をもって日本人というか?

某国の言いがかりに腹の虫が治らない多くの日本人がいるのは事実だし、

私も、間違いなくその一人です。

けれど、

ナショナリズムはナショナリズムで良いと思うのですが、

ちょっと変なナショナリズムになりかけている人達も

いるようです。

大和民族との呼称を使う人たちについてなのですが、

大和民族とは、大陸系弥生人と縄文系の先住民との混血により

(弥生人を中国江南地方の部族と考える方たちもいます。)

今に至る我々のことですが、もう一度書きますが、

我々一般の日本人は混血種です。

もし、その民族性を誇るのであるならば、

四季の移ろいの中に、ものの「あわれ」を感じ

「自然」への畏敬の念を「神」とし精神性と、

代々それを培ってきた美意識の伝統だと私は考えます。

(これが本居宣長の考える大和心(やまとごころ)

大和魂(やまとだましい)だと私は思うのです。)

その繊細さと精神性が技術大国と言われている今を

支え、生み出してきた精神構造だと思うのですが、

如何せん、物の哀れよりも銭勘定を至上とする昨今、

この国の大和魂は年々減退しているように感じられてしまう。

昨今の短絡的な犯罪傾向を見ても、

血統は日本人でも、卑しい外道(げどう)の類です。

この国に生まれたことを誇りたいのなら、

日本人の血統を誇るのではなく、

日本人としての行き方を誇るべきです。

共同体の一人として共に生きる相手への

敬意と優しさを持ち、人であることの哀しみと

喜びを素直に受け入れる生き方こそ、大和心でしょ。

(ちなみに、これは私が自分で勝手に決めたものです。)

面白くないことに暴力で反応しているようでは

「心はガキ、体だけは立派な大人」の類のものです。

(これを盾に人権派の方達は戦っていますが、

罪は罪、罰は罰としなければ、法の意味が無くなります。)

もし、この手の人々がナショナリズを言うのであれば、

目くそが鼻くそを笑う類のものであり、

それこそ、その他の国から見ると双子同士の争いと

揶揄される、似た者同士の醜い姿です。

自分たちの独自性を磨くことこそ、

ナショナリズムの理想を体現する近道です。

日頃の不満の腹いせに、他民族を卑下するのは

大和魂を持つもののすることではありません。



ナショナリズムの名の下に血の純潔を望む人たちが

世界中にいますが、よろしくございません。

一つには同血統内での婚姻の繰り返しは遺伝学的に

生物としての基本的な能力が劣化していくことが証明されている。

もう一つは、

ナショナリズムはある種の宗教と、とても似ています。

教団に逆らうものは、排除され、皆が嬉々として魔女狩りをし始める。

今の、お隣の国みたいなものです。

彼の国の新聞の見出しを見てごらんなさい。

「○旗」や「○教新聞」の記事の見出しにそっくりです。

気持ち悪くて怖気が走る。






日々の生活の中から、物の哀れを育み、静寂の中に自分を見つけ、

生き方を考える時間を、もう少し持つことが必要かもしれません。

もう少し涼しくなったら、ゲームのコントローラーと携帯を置いて

ぶらっと外に出て、消えかけている、何気ない「自然」を

見つけに出歩くのも悪くありません。

老婆心ながら、ちょっとした注意で申し訳ないのですが、

何も、自然というのは樹木だけを言うのではなく、

手を繋ぐ親子の会話、お年寄りの笑顔、

孤独にヒリヒリこわばっている道ゆく人、

無表情な高級車の運転手。日陰に佇む猫。

ゼーゼー舌を出し、散歩に連れ回されるワンちゃん。

これもまた自然の姿です。

どんな喧騒がそこにあっても、

静かに彼等をみつめることができれば音は自然に消え、

なにがしかの感覚が湧いてくるものです。

「旅」によく似ています。

風水

新空路につい調べていて、ふと思ったのですが、

風水の先生方はどうお感じなんだろう?と

調べたのですが、あまり見当たりませんでした。

しょうがないので自分で見てみることにしました。

しっかりと皇居の上は外れているのですが、

都内皇居を中心としたみた場合

北西からの北に抜けています。

易卦で言えば乾から坎に抜けるルートです。

皇居の真上を通って南に抜けていれば

坎から離と動く、

大袈裟な表現をすれば暗黒から光り輝く太陽と

考えられるのですが、西北からのルートでは

争いが(乾)、別れと(離)、炎上に繋がるとなります。

陰陽道 天門

乾には王の意味合いもあり、今の世ではギャングのボスと

考えるのが妥当です。外国からの賓客とも考えられますが、

そうであることを願います。


入管の人材不足はだいぶ前から言われていることだし、

24時間空港の管理、維持が現状の労働者でまかなえるのか、

本当に大丈夫でしょうか。管理者は現場に圧をかけるだけで、

結局マンパワーに限界がきて、人材が消えていくというのが、

多くの現場の実際の姿です。真面目な人ほど壊れていきます。

働き方改革は人が育たなければ左翼の「夢」と同じこと。

エリート官僚の方々であれば、もっと良い案をお持ちだと

思うのですが。

現状の政治家指導体制では無理かもしれません。

愚かな政治家を国の中枢に送ることだけは

避けなければなりません。

でも、個人への意趣返しをパフォーマンスとして堂々とやる

政治家がいるわけだから、これからの日本はどうなることやら。





代々木公園や明治神宮、新宿御苑の静寂が消えていきます。

寂しい話です。

援助希求

援助希求という言葉をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。

今朝読んだ記事にあった言葉です。

デイリー新潮

なんとも言えない記事です。

この記事とは直接の関係はないかもしれませんが、

都市型の家族関係が結局、心の病を

増産させているようにも感じられます。

孤立している親との相性が悪ければ、子供達は

どこで母性や、父性を学べばいいのでしょうか。

誰もが必ず通らなければならない思春期、

異性への「愛」の形がド・ストレートになるか、

2.5次元に逃げるか、拒否するか、同性に向かうか。

本人もどうしていいのかわからない。

「愛」を表現するためのお手本として安心できる基準がないのです。

そして世の中は安易に手に入る情報がネットの中に

溢れています。結局、軽薄で粗悪な代替品に頼ってしまう。



戦後、家族のめんどくささ、不条理さばかりが文学でも

映像の世界でも取りざたされてきましたが、

上手に利用し合えば「サザエさん」一家にもなれることを

誰も言ってきませんでした。

あらゆるものには二面性があり、善悪では判じられません。

使いようで吉にも凶にもなるのです。

ニューファミリーとか核家族とか、欧米型とか

言っても、所詮、我々は伝統ある農耕民族であり、

平和を何よりも愛する縄文人の血とも

混在しているのです。聞こえは良くありませんが、

人肌の温もりがなければ、寂しくて泣いてしまうのが

我々の宿命です。

この我々の「本性」の部分がかけ始めると苦しくなる。

そんなもんなんです。

「仲良きことは美しきかな」と武者小路先生は書いています。

最近は「おもしろきことは良きことなり」とのこと。

(残念ですが森見先生の本は手に取ることはするのですが、

読み進めません。不思議な話です。)






「頭でっかち。」こんな言葉も最近死語になってきていますね。

情報社会がここまでくると「頭でっかち」が我々の

「常態」になっている証拠なのかもしれません。

お盆

全国的にお盆に入りました。毎年書いていますが、

今年も書きます。

お盆と仏教の関係については実に面白い論文を見つけたので

暇なときに読んでみてください。

駒澤大学「文化」32号


ところで仏教のことばかり書いてきましたが、

神道について少し書いてみます。

一般的な神道は実にわかりやすく、

大祓の祝詞に明確に書かれていますが

神の前での罪穢れの払いによる身と心の清浄さを

とても大切に考えています。また、祖霊のお力を頼む、

過去に想いを馳せるというより

「永久の子孫繁栄の願い」がその祈りの中心になっています。

(個人の幸福を追求する仏教とはベクトルが真逆です。)

お伊勢さんもそうですが、良い神社さんには必ず

御神木と呼ばれる大木があるものです。

千年杉で知られるように樹木には永遠の命が宿るとされ

「枯れることのない常緑樹」を神籬(ひもろぎ)、

常盤木(ときわぎ)とし、祈りの象徴とし、神殿の中にも飾られています。

面白いもので、普通の神社さんにも真榊(まさかき)というものがあり

五色の幟(のぼり)の付いています。

職業柄五色は五行と反応する癖があり、さらに、

これは鹿島神宮で気付いたのですが、

御神木、湧泉、磐座、鏡、これ、木、水、土、金、の

五行に当てはまるのです。残りの火の五行ですが 

その当時は太陽の道だと考えていたのですが。ただ

最近は祈る者の火の出るような努力を伴う

信仰心だと思うようになってきました。

そんな目でお伊勢さんや出雲の神様を見ると

実にわかりやすいのです。

五行がバランスよく調和すれば万事円満であり、

萬事如意ということでしょう。

とこしえの弥栄はこれなくしては成し得ないという

神様の教えなのかもしれません。


火の五行を太陽とみるのも間違いではないと思います。

ただ、これでは「人」の存在する意味が無くなってしまう。

人が神とともに生きることを望むのならば

火は人の持つ「理想」「希望」「夢」「誰かを愛する思い」

「幸福を希求す意思」「まごころ」だと読み解くべきだと思います。



本来の神道は魅力的です。

明治維新でだいぶ汚されましたが、まだ健在です。

山川草木がそれを保っているのだと思います。

岩が割れ、水が干上がり、神木が倒れかけたら

危険信号です。神のお告げは明確なのです。

そして、ここ数年あちこちの有名な八幡さまの御神木が倒れている。

これが問題なのです。

八幡様は皇室の守護神ですね。羽田の新航路のことを知った時

本当に平和ボケだと思ったのですが、

ちょっと外れれば皇居や中央官庁街です、

私などの年代は「機長、逆噴射です」の記憶がまだあり、

飛行機によるテロは3、11以来消えることはありません。

搭載荷物に時限装置をかけられ首都上空でボカンとなったら、

それが生物兵器だったらと、なんせ、絶対安全と数十年も国が

宣言していた原発があの状態です。これを杞憂と言えるのでしょうか。

アメリカでもヨーロッパでも日本でも、

大した理由もなく人を殺したい人が溢れ始めています。

平和の祭典を平和ボケの祭典にだけはしてはいけません。

警備、警察関係者の方達の御苦労は想像もつきません。

頭の下がる思いです。






先日、なんやかんやで羽田に行ってきました。

到着便の滑走路の方だったのですが、この音かと

思う反面、はるか遠くから機影が現れ、少しづつ大きくなる姿に

どれだけの時間を費やし、どんな気持ちで、この国に

降り立とうとしているのかの思いが湧き出してきてしまい、

まずいことになってしまいました。

期待に胸膨らませ飛び立つ人々、この地に足をつける人々、

多少は我慢してもいいかなと我ながら、自分のお人好しに辟易した

飛行場見学の顛末です。問題は飛行ルートです。

米軍が横田防空圏を解かないのには理由があるからで

同様に首都上空も防空圏として守るべきでしょう。




行政にとって運動団体は「1つの個体」です。

人で言えば「一人分の影響力」しかありません。

運動をするのなら数万の個人でやるのが一番行政には効きます。

21世紀の市民運動はリーダーのいない全体の意思の共有が

成否の鍵になります。

(お国の平和ボケに腹が立ってしょうがないので気休めに危ないことを書いていますが、

真に受けないでください。)

羽田空港

やるとは聞いていたのですが、本格的に羽田の新ルートが

始まるようです。2分に1便とのこと。

今は静かですが、この辺りも騒音に悩まされそうです。

訳もなくイラつく刹那的な怒りの心に、

引っ切り無しに頭の上から油を注がれるわけですから、

しばらくは嫌なことが起きやすいかもしれません。


その昔、伊丹空港付近を何日か歩いたことがあるのですが、

そりゃ、ひどいもんでした。今も変わらないと思います。

当時訪ねた知り合いは騒音でノイローゼを起こしていました。

努力しても、どうにもならない騒音が、

個人のストレスと混ざってしまうと

心が壊れて行きます。騒音には慣れるという人もいますが、

どんなものでしょうか。結構な時間がかかると思うのですが。

基地の町、沖縄の苦しみのほんの一端をこの辺りの住民は

身にしみて感じなければならないのかもしれません。

令和の時代の、刹那的な犯罪の要因がまた一つ揃いそうです。




日韓問題も結局は、

金正恩さんに徳川慶喜公になっていただくのが

もっとも平和的な解決方だと思うのですが.......。

安全な亡命先と一族の衣食住と命の保証を引き換えに

国の経営を世界に委ねてしまう。

高麗連合よりはるかに現実的です。

高麗維新とでも後の世に呼ばれるかもしれません。

親たちを凌ぐ本物の英雄になれると思うのですが。

いかがでしょうか。

日本政府も、この線で動いたとしたら、

大したものです。50数年間止まったいた

極東の時間は動き始めると思います。

そのように易神の語る物を解釈しているのですが

時に占いは人智を超えて不自然に面白いものです。

自由

凄惨なニュースがあちこちで続き、

京都の事件がきっかけなのでしょうか、今までは、

よそ事だった外国の事件にまで共感し始めている自分を

昨日あたりから感じています。

大事なものを突然喪失する恐怖、亡くした人達への共感、

それで納得できても胸が苦しくなります。

この感覚は、多分、日本中の大勢の方達も感じ始めているものだと

思うのですが、

ある意味での平和についての大きな運動が

日本から生まれる、きっかけになるかもしれません。

たくさんの人が目覚めるといいですね。

学生時代から人権団体、政党関係の人達にご縁があり、

近くで彼らを見てきましたが、

「運動」を起こすんだといって事務局を構え、専従の職員を

置くような市民団体形式では、結局、群がるハイエナに

食われ、利用されていくのがオチです。

有象無象が自然に寄ってきます。

平和運動、非暴力というのは実に難しく、

イベントを打って拡声器でスローガンを叫んでも

無理なのです。

自分自身と他人との本質的な対話の中からしか

これは生まれません。

そして、人は自分流の自由を求める生き物で、

それに干渉された時自分の感情を暴力で表現することに

慣れてしまっている人がいるのも事実なのです。

彼等をどう制圧するかを考えた時非暴力の選択は

困難を伴います。

隔離や疎外なども暴力の一種だと思っていますが

説得と教育を持って更生できるのは、

それを受け入れるだけの器がある人達だけです。

人の器は、持って生まれた本人だけしか

手をつけられない実に貴重で、価値あるものであるが故に、

子供の頃からそれを自覚させ、自省の習慣と

誰もが生まれながらに必ず持つ父性と母性を育てることが

倫理観の確立につながります。



ゲームに多くの時間を費やす方達が多いとのことですが、

社会というのはゲームと同じで人生のステージを段階を追って

クリアーしていくとポイントが上がるシステムなのです。

人生とは、そうゆうものなのです。

夏休みの学生さんも多いと思います、暇なときにでも

深く深くダイブしてみてください。

政治家にも我々にも、精神的な支柱としての哲学が必要な時代です。


最大多数の最大幸福

ジュレミ・ベンサム

ミル


自分勝手で甘い香りのする思想ですが、キッカケにはなると思います。




極性化した大衆というのは面白いもので

魯迅などはこの手の小説ばかりを書いていました。

魯迅がどんな人かというと

溺れる犬は石もて打て」と言っていた人です。

自分の頭で考え、行動することです。

どこかのデモのように、どこから金が出ているのかもわからない

お揃いの(結構、趣味の良いデザインの)反対ポスターを掲げるような、

正体の見えないものに先導される愚を侵してはいけません。


国内のヘイトも同じで、「気に入らない」感情の

何が自分の「気」に触れたのかを精査することです。

自分たちより優遇されているからなのか、

自分たちに、いちゃもんをつける国の人だからか。

それとも、もしかしたら、誰かを見下すことで

満足感が欲しいのか、大衆を扇動してみたい欲求からか、

それがどこから来ているのかをよく考えることです。

自由 愛

大人への階段

「愛」というのは厄介です。

それを楽しみに毎日を生きるというのも

ロマンチックですが、芽生えた愛を唯一の生きる寄る辺だと

決めてしまったら愛に縛られ自由が消え失せます。


どこかに書きましたが、人の幸福感はあらゆる規定や束縛から

自由であることが基盤にあり、なにがしかの制約が生じると

「苦しい。」と感じ反発し始めます。

(好きな時に食べて、好きな時に寝て、好きなものを食べて、

この「好きな時」というのが、ここで言う「自由」の意味です。)

恋愛が深くなるほど苦しくなる理由はここにあります。

相手を思えば自分が妥協しなければならない場面が

必ずでてくるものです。

人の感情は肉体的なタイミングにも大きく作用され、

もっとわかりやすく言うと「今、会いたい。」

でも、今は会えない。そんな時、

頭ではわかっていても感情が激することがありますね。

人は思っている以上に動物的で肉体は生命力に溢れている。

実に自然なことです。何も否定すべきものではありません。

男女の仲とはこのような理由で、

自己主張ができなければ喜びは生じず、

相手への妥協なくしての関係は成り立ちません。

この辺りのことを理解し自己修養を学ぶというのが

大人になるということですね。

良い大人になってください。

極性化

8月2日 テレビをつけるとコメンテーターの女性が

韓国の日本製品不買運動に対し、コメントの中で

「極性化」という単語を使っていました。

社会心理学の言葉らしいのですが、調べてみると

すでに定説として認識されている学説のようです。

集団極性化現象

けれども理論が実証されているとしても、それをどう応用し

社会に生かすかがわからなければ、

なんちゃって占い師さんと大して変わりません。



本来であれば現政権から独立しているはずの

第三の権力と言われるマスコミが、

客観的に状況を解説し、この理論を広く一般に知らせ、

大衆を落ち着かせるのがその用法でしょうが、

現状は、国民を煽る側に回っているようです。

自ら首を国家に差し出す愛国報道は、国を滅ぼします。


この点日本のマスコミは、大衆に迎合することなく、脇目も振らず、

自己正義を振りかざし続けている分、わかりやすく、

まだ、健康なのかもしれません。

正論バカ

世界中にSNSが張り巡らされ、

ニュースサイトのコメント欄は大にぎわいです。

最近気付いたのですが、コメントの内容を見ていると

結構50代から60台のかたの書き込みが多いようです。

(同年代ゆえコメントの背景の景色が大体読めるのです)

荒れる中高年はネットの世界でも荒らしているようです。

(ちなみに私は臆病なので他人のサイトに書き込みをしたことはありません。)

その内容は自己主張、罵声、思った通りだ等の賑やかしの内容から、

現場に近い人のような具体的な記述まで玉石混沌です。

物言えば、腹ふくるる想いをしなくて済みますから、

良い時代ではあります。

しかし、一歩間違えると、やりすぎて、退けなくなります。

自分の意見が「盗人にも三分の理」と言われないか自問することです。


闇雲に突っ込むと正論バカと言われます。

以下の記事を参考にしてください。

正論バカ 現代ビジネス

2014年の記事ですが、今も状況は変わりません。





今更ですが、クレーム処理は総合的な人間力が問われます

一番優秀なかたを担当させてください。

京都アニメーション事件

7月30日

今日の講義で生徒さんから京都アニメーションの事件についての

質問がありました。

私の気持ちも生徒さんと同様モヤモヤしている状態であり、

自分の気持ちを整理する意味でも、とても良い機会を

与えてもらったと感謝しています。



この事件を思うとき、被害にあった方々とそのご家族、

京都アニメーションのファンの方達の無念の思いと

巨大な喪失感が伝わってくるようで、私の中では

未だ狂おしいままです。







衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。


 洗心庵 今野喜心







犯人の命式は元命式の研究(生徒専用の非公開サイト)に

載せてあります。

縁起法頌

このような言葉をご存知でしょうか。

「あらゆる物事には原因があり、私の師は、その原因を説き、

 その消滅の道を教えています。」

実は、後に釈迦十大弟子の一人になる舎利弗が

お釈迦様の教えを知るきっかけになった言葉で

縁起法頌(えんぎほうじゅ)として

知られています。

八正道を知っていても、この言葉を知っている人は少ないかもしれません。

なんせ、弟子の入門のきっかけになった言葉なので、

日本では、あまり馴染みがないようです。

この当時、舎利弗はサンジャヤという方のお弟子さんだったのですが、

この言葉でそれまでの師を裏切り、有力な弟子仲間を引き連れ

釈尊の元に走ったのです。(こう書くと、悪人に聞こえますね。)

そのくらい、衝撃的な言葉だったということです。

なぜか?

人の運命も社会も神に意志で決定されているとされた

時代の常識を覆す教えだったからでしょう。

「苦しみの原因を解決すれば、苦しみは解かれる。

幸せになりたければ、幸せになる原因を積み上げていけばいい。」

ただそれだけです。

そして、ここからが大変なのですが、

楽に幸せになれる人と、そうでない人がいる。なぜか?

自分は生まれた時から不幸だ。なぜ?

努力しても報われない、なぜ?

そうなんです。皆、こんなこと知っているんです。

でも、知っていると、知った知識を利用することとは

別物で、持って生まれた自分の星の傾向を知らぬ上に、

「幸福の形」を知っている人は稀だからです。


余計な話ですが最近、やっと、皇族の方は幸せで羨ましい

という声が途絶え、生まれながらに特別な人間なんて

いないことが一般に知られ、なんとも複雑な気持ちです。

私も彼女の幸せを願います。

我々のような庶民は1度や2度や3度や4度、

コテンパンに恋愛に破れているのが普通なのです。

初恋でどうのこうのなんてのは、

小娘のファンタジーです。

(ごめんなさい。投げキスはハシタナイからやめときましょうね。)



人にとっての幸福は、

「言葉も、身分も、肉体も自分の自由であること。」

この3つの自由の基盤の上に成立し、その上にお金や名誉、

自他の関係上での優越感や自尊心が幸福度の拡大を促進し、

副作用として、支配欲が増加していきます。

逆に言えば、お金があっても基本の3つが不自由であれば、

「金持ちの憂鬱」状態です。



幸福を得ることは本人の心に整理がつき、家族の理解が得られれば、

特別難しい課題ではありません。


我々は会社に勤め、働き報酬を得て生活しています。

会社の方針や嫌な上司、理不尽な命令等々

腹が立つことが多々あるのが現実です。

コンプライアンスにしても、こんなクレーマーに

コンプライアンスはいらんだろと学校の先生や

クレーム担当の方たちは日々腹を立てているはずです。

やめられれば、やめたいと、皆が皆思っていると思います。

その意味では本質的な自由はありません。

でも、しょうがない、これが娑婆世界なのですよ。

そして、もし、幸福な人生を求めるのであれば、

今いる世界での自由度を少しづつでも広げていくことです。

そのためには、それを言うだけの努力をし職能の練度を上げ

客観的に評価されるだけの実績をあげる事が最短の近道です。

年功序列で先輩ヅラをしていれば、

後輩が言うことを聞いた時代は終わっています。

人を使えない上司では、部下に許してもらえません。

今の世は

「それなりの力」がなければ生き難いというのが現実です。

このようなことを書くと、真面目な方は落ち込みやすいので

もう少し書いておきます。個人の実力なんてたかが知れている。

だからチームを組んで仕事をする。ムチを入れることも必要ですが

潤滑剤の役割も管理者には求められます。

そのためのバランスとコミュニケーション能力が

問われます。もちろん、ペチャクチャ喋る事ではなく、

総合的な「人間力」です。

人間力とは知性と愛情の総合力です。

学校では教わらないものですね。だから、

マニュアルは自分で作るしかありません。

障害

東洋経済オンライン

子供が支援学級を勧められると

平等教育を主張する親が多いとききますが、

このような記事を読むと、

普通学級であれば親のメンツは立つと思うのですが、

子供たちにとっては、それが吉なのか凶なのか疑わしくなってきます。

早いうちから教育により、親さえ気づかなかった点を

改善できれば、世の中に自分の居場所を見つけられたかもしれません。


なぜ教育者では無く、宗教家と言ったことに疑問を持った方も

いると思うのですが、

私の拙い経験上からも、忍耐強く、無私であり、慈悲があり、

本人の心の拠り所、エネルギーの源としての神や仏への

信仰がなければ、このような子達をお世話し続けるのは無理です。

普通の精神状態の人では、自然に人間が腐り潰れ、終いには、

彼らを世の中から排除することを考え始めるのがオチなのです。

選挙の票集めをしない、お布施を強要しない、

脅さない、邪婬を行わない、嘘を言わない、見下さない、

勉強熱心な誠実な宗教家が世の中に100人現れれば、

再犯率は減り、世の中少しは良くなるのではと思うのです。



葬式仏教は基本、

死者と生者の関係を完了させる儀式として大変重要なものですが、

仏教の本旨ではありません。仏教は魂を磨く修行です。

ある小説家が親鸞さんについて書いていましたが、

深い自省と思考の後、彼が仏の教えの代表のような書き方でした。

(しかし極楽往生のもとに戦さ場に駆り出し、殺戮を繰り返させた宗派であり

天国への免罪符をカタにしたカトリック協会と、よく似ています。)



テーラワーダ仏教(根本仏教、小乗仏教)

チベット仏教(大乗仏教)

仏教の二つの源流そのものに近い教えが日本に紹介され

根付こうとしています。

お坊さまたち、恥をかかないようにしてください。

世の流れ2 

令和の御代

伝統宗教の方達が長い時間をかけて練磨してきた

心を磨く技の真価を発揮する時です。

あまりにも悲しく、言葉にすることさえ憚れる事件が

起きてしまいました。

怒りに支配されいちばん自分を傷つけていることを知らず、

他人を傷つけ、ときには命まで奪ってしまう。

こんなこと理屈では皆それなりに理解しています。

けれども生理的に頭に血が上り、体が震え、

敵しか見えなくなった時、常識は飛びます。

感情が体を支配した時(これは恋愛も同じです。)

誰がこの「感情の暴走」を止められるのでしょうか。

「感情のコントロール」こそ

本来の宗教家が主題としてきたものです。

(この意味では「嫉妬する神」は私の言う意味では不合格です。)



天台宗や禅宗で修行されている座禅(摩訶止観、坐禅)として

この手法は確立されています。

テレビに出て蘊蓄をひけらかす前に坐禅による

心の変化の科学的データを世の中に知ってもらう方が

よっぽど宗教離れの世の中に一石を投じるのではないでしょうか。

その本筋である修行を一般にも受け入れられような形で

アピールし、イベントを行い、

そして、積極的に教誨師の役割や禅の指導を

刑務所や小学校で講義するべきです。

勉強はできるけれど、繊細でキレやすく親に甘やかされ

社会に出てから毒になってしまう子を一人でも

減らす努力をすること。

それには小学生の低学年レベルから粘り強く

始めていけば自然に身に付けられるでしょう。

(本来は親が家庭でなすべきことですが、時代の流れを考えると無理です。)

思春期を過ぎてしまうと、そのための努力が

けっこう必要になります。


教誨師の仕事はお坊さまの修行が試される最高の場です。

犯罪を犯し収監され、お坊さまが彼らと

面接を繰り返すことで、お互いの人格が磨かれ、

心の更生がなされたとしたら、社会に出ても苦労はしますが、

確実に再犯率は下がるとはずです。GPSをつける必要もなくなる。


公共機関が特定宗教と協力し合うのを

信教の自由を盾に如何の斯うのを言う親や

人権派の人々が必ず現れると思いますが、

日本の将来に関することです。真剣に話し合うべきです。

実際の話、

お坊さんたちは、今の世の中をどう思っているのでしょうか。

人生は無常だとか言って、自分だけは神仏の加護で

日々の安寧を貪っているのでしょうか。

少なくともこれは大乗仏教ではありません。

大乗の名を借りた小乗の徒以外のものではありません。

葬式仏教のままで、坊主丸儲けだから

自分の子供たちに跡を継げと誇りを持って

言えますか。

だいぶまえの話ですが、

TM瞑想で有名なマハリシスクールが

テレビ番組で取り上げられていたことがありましたが、

日本では専門のお坊さんたちは、

このあたりの研究を始めているのでしょうか?

新潟のどこかでこの種の動きが始まっていると

聞いたことがあるのですが、

海外からの輸入物よりはるかに実績がある伝統宗教の

先達方が、なぜこの瞑想教育にチャレンジしないのか、

わかりません。

伝統は保守であり改革を望まず、組織の顔色を伺うことも

当たり前のこととして、そして、この辺りのノウハウを

外国から学ぶことも必要なのかもしれません。それもせずに、

伝統が培ったきた修行体系という最大の武器を捨てて、

安易に喫茶店を営業し仏教を知ってもらおうなどと

発想する気が知れません。

人類にとっての最上の発明をドブに捨てています。

伝統宗教を専門に修行する若者達は

日本の将来のために誇りを持って今こそ立ち上がる時です。

多分、

それがあなた達が仏様から負わされている課題です。

(仏様とはブッダ釈尊その人であり、仏教で社会に貢献したいと願ってきた、あなた方のご先祖様たち)



不幸な事件が起きた時、「なぜ」と問うことと、

犯人を憎むことしかできない。

でも、それでは、きっと、また何処かで事件が起きるのです。

子供の頃から

「感情のコントロール」をしっかりと学ぶこと。

 性別に関係なく「母性」を育てること。

この二つさえ、しっかりと身につければ世の中は

落ち着いてくると思うのですが。



最後に大事なことを忘れていました。

まず、それに気づいた大人から始めることです。

むき出しの感情は「正直」とは違うものです。



京都の放火事件で亡くなった方達のご冥福を合掌し衷心から祈念いたします。

仮想通貨

仮想通貨の名称がいつの間にか暗号通貨と呼ばれるようになり

北朝鮮が約600億円相当のピットコインをここ2年ほどで

盗んだと国連で報告されているにも関わらず、今度は

フェイスブックによる暗号通貨(仮想通貨)の「リブラ」が運営されるようです。

世界に20億人の利用者がいると言われる会社です。

普通、動き始めれば止まらない。

10年、20年先には暗号通貨で給与が支払われ、

暗号通貨でしか物が買えなくなるかもしれません。

もうすでに中国あたりは携帯端末でしか物が買えない状況です。

携帯端末に個人情報の全てが保管され、身分証になり、

知らぬ間に端末に管理される社会が普通になるのかもしれません。

マイナンバー制などよりはるかに安易で受け入れられやすい、

国家管理の仕組みです。

ガラケーが自然消滅したあたりから本格的始動でしょうか。

実は携帯端末の利便性に、人としての大事なものを盗られている

とも思うのです。

大人も子供も親も含めた他の人と関係すると、必ず、

何がしかの摩擦が起きるものです。

そのストレスを晴らすために、その感情を

端末に打ち込み文字にしてしまうと、

その一瞬の感情が切り取られ形になって残っていきます。

(時に拡散され収集がつかなくなりますね。)

けれども人の心は時とともにコロコロと変わるものですね。

昔の人は、日記でその作業をし、

書いたものを見返すことによって、

その時の自分を客観化し反省し、改善法を

思案し人間としての成長の糧にしてきたのだと

思うのです。

幾つになっても人は成長できるものです。

魅力的な大人になってください。




川崎事件以降生徒さんと引きこもりの問題を話す機会が

なんどもあり。考えさせられています。

「子離れ」「親離れ」の個人の話で括れば簡単なのでしょうが、

問題は複雑で実際の原因がわからない場合が多いのです。

だから苦しい。

もし、この文章を読んでいる引きこもりの方がいたとしたら、

一つだけアドバイスがあります。

かつて外で体験した「怖かったこと」が、もしかしたら、

今のあなたを、そこに縛り付けている原因かもしれません。

それを見つけてください。

いじめられた経験があるのならば、いじめた奴より、

助けなかった親や友達への憎しみがあったと思うのです。

そして、時間が経つとともにはっきりと状況が理解され、

心底人を憎み始めた時、普通の人は自分が怖くなるものなのです。


もし、考えて、考えて結局、

親が生んだからだと考えついたとき、

親の顔をよく見てください。

あなたと同じくらい苦悩し、老い、衰え、醜いはずです。

それで十分ではないでしょうか。

さっさと自分の人生を探し始めることです。

昔の引きこもりは、暇を持て余し、本を読んだものですが、

今の引きこもりは、ゲームにうつつを抜かしているようですね。

本を読んでみてください。

キンドルや青空文庫等々、図書館に行かなくても

本が読める時代です。


スリッパを引っ掛け、空が青いことを見に行きませんか。

電子音もいいですが、たまには生歌もいいですよ。

肉体を持つものの声でしか感じられないものもあるのではないでしょうか。

オススメの洋楽

占い

プロの先生として活躍している生徒さんから、

先日、当たりますか?という女性のお客さんが回ってきて、

ことごとく違うと言われ、このようなお客さんには

どう対処したらいいのですか?

と質問を受けました。

このかたは私が推命を教え鑑定力も確りしている先生で

実力は間違いありません。

問題は当たる当たらないの次元の話に推命学を

使ったところにあります。

(他の先生方の参考にもなると思うので書いておきます。)

実際の話、このような依頼者の多くは「占い師」さんに

いじめられてきた人が多いのです。

占いに頼り始めた最初の頃は素直に自分の事情を話し、

相談していたのに、自己否定されるやら、当たらないやら、

空亡だから何をやってもダメだと言われる。

当たり前ですが抱えた問題は解決しません。

不安が晴れる事がない。

もう二度と占いなんて行くもんかと言いつつ、

不安が続くと取り憑かれたようにふっと、占い館に引き込まれる。

お前らに言われることなど最初からわかっている。

でも、未来を知りたい。占ってもらいたい。

違うことを言ってもらえるかもしれない。と、

実に矛盾していますが、

人の心は色々なパーツが複合して成り立っていて、

ここが大事なところなのです。

占われることに磨耗した依頼者は

占い師の腹のなかを見透かしています。

そんなものなのです。

ではどう対処するかといえば、

「占って」というのであれば、占術を使い、

その通りを相手に告げればいいのです。

(忖度は絶対にしてはいけません。タロットであろうと易であろうと神さんのお告げです。あなたが神様以上ならこの意見は無視してください。)

その上で、

「問題を解決するための相談」をしてみない?と

提案し、承諾されたら真っ当な運命学を使えば問題は

起きません。

(これが「当たる当たらない」を主題にした占いと、

「人生」を主題にした運勢鑑定の違いです。

私の言う「占い」と「運勢鑑定」は別物であることを知ってください。)



何でもかんでも推命術で解決するというのは、なかなか

難しいもので、それができれば達人の領域です。

そして、この教室で教えている四柱推命は正しく身につければ

相手の人生に間違いなく良い意味でも悪い意味でも

干渉してしまうだけの力のある鑑定法なのです。

それゆえに、

鑑定者の意思が卑しければ、ろくなことになりません。

なかなか難しいところがあります。



なんども繰り返しますが、

「占い」というのは現状分析力の精度の優劣により良し悪しが決まり、

運勢鑑定の良し悪しというのは、「個々の人生」

への干渉力の優劣で決まると思っています。

その場限りの勝ち負けににこだわる術は如何なものでしょうか。

相変わらず皮肉たっぷりに描いていますが、

この業界に携わるかたたちが被害者にも

加害者にもならないためにと老婆心ながらのものです。

失礼があればお許しください。

恥について

国会で「野党は恥を知りなさい」との答弁がなされたとのこと。

かの先生方の答弁はどうでもいいのですが、

わたし的には、

これ、恥ずかしくないんだ。と思われるようなことが

堂々とまかり通っている昨今。恥の感覚って何なんでしょう。


散々遊んできた親が子を持つと、子供には自分の

やんちゃ時代の話は、なかなかしません。

この点は男親も、女親も同じです。

この辺りを知り合いに聞いたことがあるのですが、

だって、自分の子が不良になったら困るじゃないですか。と

言っていました。

多少は自分の過去を恥じているのかとも思うのですが.....。

「恥」について面白い論文があったので紹介しておきます。

恥を知れということ

大局的に二極に分かれ一つは自律的なもの、もう一つは他律的なものと

難しく書かれていますが、

A「自分が自分を恥じる事」

B「世間的な目で見ると恥となる」

この二つの意味だと思われます。

その始原の感情を考えると

Aは「自尊心に依拠するもの」

Bは「世間体に依拠するもの」となると思うのですが、

最近、

芸能人はダメだけど、不倫はしょうがない。世間的には

普通にあることと、

うら若き女性が言っていたので驚いたのですが、

昨今の男女の仲は

自分の思いを最優先させて当然、世間は二の次ということなのでしょう。

しかし不倫は愛情問題の前に信用問題だと私などは思うのですが、

もし、それがバレて二人の間に子供がいる場合、

子供は自分が誰の子かわからなくなる。

DNA鑑定をしたとしても感情は複雑です。

母親と関係していた相手との精神的なつながりが

生じる場合があり、自分は本当はこの人の子(実父)

として生まれてくるはずではなかったかと、

自身のアイデンティティが崩壊する場合があるのです。

(子供達の実の父親まで精神的に奪ってしまう場合があるということです。)

自分が大人になって親と同じ立場になって初めて

素直に親を受け入れらる可能性では子が可哀想すぎます。

これを利己主義といってもいいと思うのですが、

ご本人は

「自分らしく生きているだけ。お前に言われる筋合いはない。」

と述べられる思います。他人は関係ないということです。

利己主義の成れの果ての、お手本のような事件が最近あり

彼女は子供に犯罪の手伝いをさせていました。

子供の将来など一顧だにしていません。

利己的な生き方というのは自分の欲のため

また追い詰められれば血を分けた肉親まで

自分のための生贄にしてしまうのです。

(繰り返し報道される痛ましい児童の事件の一因もここにあります。)

家族を裏切るということは、なかなか大変なことなのですよ。

もし揺らいでいるのであれば晩年の孤独、孤立を覚悟することが必要です。



世間体に対し自尊心を恥の依拠とする場合、

時々見かける、引越しや、店じまいする居酒屋さんの軒先に

「自由にお持ちください」と

食器などが置いてあることがありますが、

潔癖症の方は別として、手にさえ取らない人たちがいます。

もっといいものを買うお金がある、

お金がなくとも自分は乞食ではない。

とプライドが許さないのです。

他人から笑われることも、ましては指を指された場合

相手を許しません。

昔から「武士は食わねど高楊枝」「武士の沽券にかかわる」等

己の自尊心、プライドに最大の価値観を置くタイプです。

明治 大正 昭和までは、「家(出自)」や、肩書き、

資産等格付けなどの世間的な評価が、このプライドの

根拠になっていましたが平成の御世、経済と共に、

この自尊心まで崩壊し今に至るというところでしょうか。

肩書きでごちゃごち言われない良い時代とも言えるのでしょうが、

せっかく令和に代替わりしたのですから

恥知らずとおぼしき国会議員の先生方の

顔を見るに耐えない現状は、どうにかならないものでしょうか。

希望

今月も相変わらず暗い話ばかり書いてきましたが、

「時代」に希望がないわけではありません。

あと3、4年くらい

現状が続き少しづつ落ち着いてくると思います。

もちろん、こう言うだけの根拠はありますが内緒です。

今は身を引き締める時です。

来年に迫った五輪でさえ浮き足立っているのは

一部の中のさらに一部です。

どんなことにも共通しますが、物事が落ち着く時は

その前に、皆が一緒に考えさせられるような事柄が

起きやすいものです。

できれば巻き込まれないようにしたいものです。

参議院選挙が来月ありますが、今回の東京都の都議選で

NHKの如何の斯うのという政党の議員さんが

誕生しました。驚きでした。

世の中が面白くないからといって、刺激を求める

選択をすれば、世界が荒れます。

トランプを選んだアメリカ、朴氏を引きずり落とした

韓国。

卑近な例を忘れてはいけません。

世の流れ

世の流れを見ていると、どうも「令和」の時代は

意趣返し」と「仕返し」がキーワードの時代になりそうです。

嫌な世の中です。

最近NHKで「デジタルタトウー」というドラマをやっていたんですが、

子供のイジメの場面があり、対象の子をマウンテイングする場面で、

わざと自分の教科書を落とし拾わせるという場面がありました。

拾ってくれる子が優しい子だというのを

誰に教わるわけでもなく、知っているんですね。

子供達は。

そして、優しい子は弱い子、反撃しない子と

心の声が囁くのでしょう。

驚きました。

そして、ドラマでは、いじめた子が

大人になって、被害者の子からいじめ返されるという

わかりやすいストーリーでしたが、

いじめで引きこもろうが、引っ越そうが、

相手が大人になって自由意志を持った時、

加害者が仕返しされても当たり前だと

なぜ、いじめた本人たちは気づかないのでしょう。

周りの大人もそれを教えなければ、いけません。

親は自分の子が安全でいて欲しいのなら他人を傷つけることを

させてはいけません。理由は復讐されるからです。

母親たちのマウンテイングも同様です。

大人の恨みはさらに強いことを知らなければなりません。

「恨みが凝る」という言葉をご存知でしょうか。

いわゆる生き霊のことです。運が落ちます。

もし、日々のストレスで子供を叩いている親がいたとしたら、

彼や彼女が大人になった時、あなたが何倍もの苦しみを

彼等から与えられることに気づかなければいけません。

なんでこんな単純なことがわからないのか。





追記(2019年6月29日)

もし占い師さんや、人の相談を受ける立場にいる人で

この文章を読んでいる人がいて、

OLさんでも、同僚でも、親子でも、学生でも

憎い、どうにかしたい等恨み言の相談の場合、

ここで書いたことを思い出して

「みじかな人に悪意を感じるのは世の中の流れみたい。

時代の流れね、あなたはそれにはまってるのかもしれない。

少し冷静になってみてとクールダウンさせてあげてください。

一瞬でも怒りから距離を置くことができれば、

最悪の事態は避けられるかもしれません。

もしかしたら、ひどいわねーと言って

一緒になって頭にきている人もいるかもしれません。

この方法もないことはないですが

運勢の深奥が読めていない場合裏目に出て

相談された側に帰ってくることを警告しておきます。



再追記(2019年6月30日)

本当に安易に人が人を傷つけ命を奪う時代です。

あまい鑑定は取り返しのつかないことになります。

亭主殺し

命式研究に移動しました。

夫婦

親と子も難しいですが、夫婦も難しい。

一般的には夫が悪、妻が善という構造です。

この先入観を捨てきれずに鑑定している方が、

多々ある。なかなか治りません。

夫婦の星の両方を見ていても、この先入観が邪魔して、

大事なことを見落としてしまう。

(夫婦問題は片方の命式だけで判断すれば必ず片手落ちになります。)

もちろん、暴力を振るう等、夫からの実質的な被害が

あるのならば、問題外ですが、

「亭主の〇〇が気に食わない。」ではお話になりません。

大抵は、亭主が自分の言うことを聞かない、

別な言い方をすれば、

自分が夫を「実質的に支配できない。」ことに

気づいたあたりから難癖をつけ始めます。

自分の意見を支持してくれない。話したいときに家にいなかった等々

難癖以外になんと呼んだらいいのかわかりません。

この癖が持って生まれた星に起因する場合は

なかなか結婚を相手から望まれません。

また大運の影響やパートナーとの相性でそうなる場合もあり

運の巡りで手のひら返しが起き

亭主にすれば「なんで?」となります。

一般的な推命書に書いてあるような

妻財と印綬の現象も起きることがあります。

そのような状況に陥った時それに対し男の方にも

抵抗パターンがあり、(女性側からすれば、

すべての自分を受け入れてとなるのですが......。)

「逃げる」こと「戦う」ことですね。

面白いもので、女性側がこのことを誰かに相談する場合

大抵、悪いのは奴であり自分ではないというのが

大方の姿です。

10年、20年の長期戦をしている場合は、元々の原因が

自分が反抗された時のショックにすり替わり、

本質的な原因がわからなくなっていることさえある。

どちらにしても、

自分の悪さを自覚し、全てを相手のせいにせず、

小さな会話から縺れた糸を解く作業を始めれば、

それなりになんとかなります。

運勢というのは面白いもので、気づかなければ、

おおかた、その通りになっている。

ですから、それぞれの本質的な癖や、

忘れてしまった過去については

割と明確に指摘できるものなのです。

過去のもつれた糸を解くというのも

我々の仕事の一つなのですが..........。


教室でも説明しているのですが、持って生まれた

星の構造が理解できるようになると、

あらゆる夫婦は、間違いなく「縁(えにし)」によって

夫婦になっているとの確信が芽生えてきます。

そこには例外はありません。

縁があるというのは意味があるということですね。

少なくともそれが理解できるくらい星を読み込める立場に

いる先生ならば、ご縁を結んだ意味を知り、

その課題を果たした上での別れを勧めるべきだと思うのですが

いかがでしょうか。


是非さらに精進してください。

親子3

誰でもそうなのですが子供(幼児)時代、

親は世界(宇宙)の全てです。

命あるものはそれを守るために、あらゆる手段を尽くします。

体が感じる不快さは、あきらかに、危険信号として

本人に、それを回避することを命じ。

蟻も猫も犬も鳥も人も同じです。

手足が自由に効くなら、逃げ、戦い、吠え、威嚇し

身を守ろうとしますが、それができなければ、

声が出せれば泣き叫び、誰とも言えぬ助けを

呼び続ける。

子供の時は、それが唯一自分を守る

抵抗手段になります。

大人は、そのことをよく知っています。

自分も、その経験者だからですね。

けれども、それに気づいていても、

気づかないふりをします。

なぜか?

自分も苦しいからです。

大人なのに苦しい。

そして、実に不思議なのですが、

疲れているんだ、お前より、自分の方が苦しいんだ。と

心のどこかで嘯(うそぶ)く。

こんなところから、いろいろな「種」が生じてきます。

ストロベリーナイト

ドラマの話で恐縮なのですが、先日、

フジテレビの「ストロベリーナイト」が最終回を迎えました。

木曜日は、「緊急取調室」と「ストロベリーナイト」の

二本立てを楽しみに、生活していたのですが、

(子供の頃から身についてしまった、週間少年マガジンとジャンプとサンデー発刊日の立ち読みと、毎週のテレビ番組が唯一の楽しみの、ごくありふれた少年時代の習慣が身につき、立ち読みが出来なくなった昨今、なかなか面白い番組もなく、新しいドラマに期待しつつ、日々を送っています。)

通称「緊取」も最終回だったのですが、なぜ、あんな臭い一人芝居を

させるのかと。最後はもんどり打って叫んでしまい、

蜷川劇場じゃん。長さん風に言うと「ダメだこりゃ」と

がっかりです。

このドラマは、ほぼ犯人役のゲストへの脚本家のアテガキだと

思って見ていたのですが、良いときは実に良いのです。

役者さん達が、本当に生き生きと芝居で踊っているのです。

そんな場で蜷川劇団の芝居(文字通りの舞台上の演技という意味です。)

をされては映像世界の役者さんたちがかわいそうです。

番組の演出家がゲストに任せてしまったのかもしれません。

(大舞台の演出もやっているゲストさんにビビったんでしょうね。)

舞台上で、より映えるための厚化粧をハイビジョンで

写したら興ざめもいいところなのですが、

何気にテレビの演出の力関係が見え怖気が走りました。

そういえば「JIN」の最終回もこんな感じで、あれ以来、

あの役者さんの芸の底が知れたようで嫌いになりました。

ただ、「緊取班」のチームワークに気圧されて、

ゲストが一番手慣れている芝居に「逃げた」とも考えられます。

これは良い意味でも悪い意味でも人対人である限り起きうる可能性です。



本題のストロベリーナイトですが、

姫川のセリフがやはり、良かったですね。

初回は竹内結子と色々比べて、なんとも言えませんでしたが、

見慣れてくると、やはり主人公役の女優さんは良い役者さんです。

最後の見せ場で、

「自分が嫌いで..........。許せなかった。でも居場所ができて、

仲間ができた。そんな自分を許していいと思った。」

というセリフがあったのですが、良い台詞だと思いました。

私自身の過去を振り返っても、どうにもならず、落ちて、転がって、

這いずり回り、将来の不安に苛(さいな)まれ、眠れぬ夜は

深酒をして無理やり眠り、また朝が来て不安に満ち満ちた

日常の繰り返しの中、生きるために学び、学び、

学び始めた時「人の苦しみの棘を一つ抜けば、

自分の苦しみのトゲも一つ抜ける」と教わり、

この一点を信じ学び続け、自分の居場所ができ、

今に至るというところです。

推命術のおかげで来る未来の映像がある程度わかり、

日々の苦しみは多々ありますが、無い物は無く、

こない未来は、まだ来ないと区別し始め、

来たる未来のために「今やるべきことをやる」

これだけを考えるようになってから

「今ない苦しみに悩むこと」をせずに済んでいるようです。





それで良いのだと最近は確信しています。

そして、良い先生でありたいと思っています。

親子2

頭でわかっていても、わからないことが多々あるので、

具体的に書いておきます。

もし、子供が大事にしている、何かを壊してしまった時、

「代わりのものを買ってあげるから。許して。」ではなく、

「ごめんね、直してみるから。」と、できれば子供と一緒に

修理に挑戦してみてください。

多分、楽しい時間が過ごせます。


子供から何かもらったら、大事にとっておくか、

家族が見えるところに飾ってください。

そして、時々褒めることです。


ネチネチとたくさんの言葉で子供を怒らないでください。

子供のへそが曲がります。

(学校の先生がこれをやっているのを目撃したことがあり、不登校の原因にもなっていると、私などは思っています。)

悪さをしたら、ダメでしょ。と小さいゲンコツで軽く、

頭に触れてください。泣きますが、

痛くて泣くのではありません。これで完了してしまうこと。


幼児、児童期は、いかに子供と信頼関係が築けるかが勝負です。

どこかに書きましたが、彼等が大人になり、

悪の道に落ちそうになった時、親の愛情、大事にしてくれた人の顔が頭に浮かぶことだけが錨となりのその先に行くことを引き留めます。

思春期、反抗期では余計な干渉をせず、

見守り、子離れをし始め、独立することを促し、

一人の個人として扱うことをし始めれば、あとは

なんとかなるものです。

人は誰かに大事にされて初めて、誰かを大事にすることを学ぶものであり、

子供の時期にこれがないと「愛」に対し、過敏になったり怖れたりし

誰かに深い愛が生じたとき、その行為はストーカーと表現されたり、

一人の人を愛することが怖くなったりするものなのです。



そして、この過去を引きづり続けている大人の数の

なんと多いことか。

もし幼少期に問題があるのであれば、この辺りを完了することが、

先決かもしれません。過去は過去です。

もし、現在が過去の記憶に支配されて生きているのかも知れないと

気づいたなら、未来は書き換えられます。

親子1

ここ最近、川崎の殺傷事件以来、親子の関係について

考えているのですが、なんとも言いようがありません。

答えるのが難しいのではなく、答えが多すぎるから難しいのです。

その一部はコラムにも書き、起きるであろうことは、

年初から予想もでき、警鐘として書いたつもりです。ただ、

その流れが予測できても、個々人の問題に関しては、

どうにもしようがない。

かつて、仏典の中に子に捨てられた親の嘆きに、お釈迦様が

子供のところに行っって、赤子の時に泣きわめく子に乳をやり、

汚れたオムツを替えたのは誰か、子供に尽くした親の

無償の行為を彼に告げよと、述べられ、その通りにすると

子は親を受け入れたという物語を読んだ記憶があるのですが

(その出典が蔵書を調べても、いまだにわかりません。私の幻想だったかもしれません。)

これが今の世の中で通じるとは思えないのです。

(正確に言えば、通じる子もいれば、通じない子もいる。)

過去の親子の歴史がその要因となるのは当然ですが、

それにも増して、やはり、そこに至るまでの、それぞれの生き方が

関係性に現れてくると思われます。

親として、なすべきことを成したとしても、

子に自立心がなく、依存心ばかり強く

そのための自己主張だけするのであれば、

親の苦しみの「種」に子供はなってしまう。

お釈迦様が言うように、「人は、ないものを求め、

ないものが手に入ると、それを持ったことに喜び、

持ったことによって苦しむ。」

あらゆる現象に当てはまる言葉ですが、これでは、

「だから、諦めろ。」の意味になってしまいます。

なんども書いてきた、カルマを受け入れることの馬鹿らしさです。

苦しいままでいい人などいない。苦しければ、もがくのが我々の

自然な性(サガ)です。もがき」を苦しみの表現とした時、

これの最短の表現を「暴力」にしてしまっているというのが

多くの悲劇の原因だと私は思います。

どうすれば、この負のスパンから離れられるのか。

文字通り、その表現から離れることからしか始まりません。

怒って、手をあげていたのなら、怒っても手をあげることを

自制する事。怒鳴ることをやめること。言い争わないこと。

気づいた方からそれをやるしかありません。

なんども書きますが、自分を変えようと思う人しか、

自分を変えられないのです。他人を変えるなど

絶対にできません。ただ、自分が変わることで、

相手も変わってくることがある。ただ、それだけです。

子にとっての親というのは、利害関係とは一番かけ離れたもので

例えば、親からもらった100円が嬉しいのではなく、

100円をくれた親の気持ちが嬉しいのです。

わかるでしょうか?

色々な場面で、どうせ、金だろというのは大人の論理なのです。

お金で感情的な色々なものを我慢してほしい、

その代価を換算するとこんなもんだろ、というのが慰謝料の意味です。

人類が生み出した、物事を一旦完了するための叡智です。

けれども、子供時代の、子供の求めているものは、愛情です。

安心であり、安全であり、逃げ場であり、最後に帰る場所です。

実は、年齢をいくら重ねようが本当に我々の求めているものは

ここなのではないのかと思うのですが、オアシスであるべき

場所で勢力争いや、主導権争いが、責任の押し付け合い、罵声や

怒声があふれているのは辛いものです。

入門講座2

前回のものを読み返して思ったのですが、

こんなに怖がらせて、どうすんの?と

まどろっこしい表現じゃわからないかもしれませんね。

さらに本音で言うと、

ここで学んだ生徒さんの中には

一家心中を止めたり、プロとして認められ

沢山のリピーターさん達に毎日のように

感謝されている方達がいるのです。

また、自分を知ることをきっかけに、

少しづつ、より良い方向へ軌道修正をしている方たちも

いる。

その方達を私は、ものすごく誇りに思い尊敬しています。

実に勇敢に自分の人生に立ち向かっている。

そんな貴重な技術を教えているんだもの、

怖がった人には、ごめんなさいですが、

理由を知れば、多少は許されるでしょ。

たまには厳しいことも言わなきゃね。




基礎の基礎から推命術は教える先生の個性で決まります。

同門でもご本人が命定論(宿命論)をお持ちの方であれば、

教え方も最初から固定された、がんじがらめの五行論に

なるし、造命論(運を創造する)であるなら五行を

循環し条件によって変化するものと捉えるのです。

宿命だ、運命だ、運勢だなんて考えても意味がない、

教わったことを教わったように教え、

それで人気がでなけりゃ新名称で売り出す

真実の追求より生活の安定優先という経営第一主義者。

五術の世界は、なんだかんだ、なんだかんだの

玉石混沌の世界です。本当に色々な先生方がいます。

よく、その先生の書いたものを読み、

ご自分の好みの考え方の先生を選ベば、それでいいのではないでしょうか。

先生につくというのは実はこうゆうことで、

その先生の色を学ぶということなのです。

四柱推命は難しい、よくわからないというのも

実は、この辺りに原因があります。

つまり、使う道具は大体皆同じですが、使い方が全く違う。

道具の説明はどの先生方も似たりよったりで、

秘伝、奥殿と謳っている書籍のほとんどが実は

この道具の説明だけなのです。

だから、道具の説明だけならば市販の本で十分なのですよ。

そして、本だけで学ぶというのは実に難解な道程なのです。

良い先生について学ぶのがいちばんの早道です。

ぶっちゃけて書きますが、基礎=その先生が練り上げた秘伝です。

その秘伝がネットを何日かけて探しても見つからないのは

当然です。

入門講座

入門コースについてのお問い合わせがあるのですが、

教室の欄をこちらで少し補足しておきます。

基礎を学びたい。他の教室とどこが違うか?との問いについてです。

入門編は他の教室とは、まったくの別物になります。

一般的な基礎編は洗心庵のホームページの「四柱推命教室選び」の

欄の後半にある「初めの一歩」「二歩」を終了し

万年歴で原命式が出せ、大運を出すところまでが入門編となります。

しかし、この入門の段階から各先生方によって、

それぞれの四柱の解釈、通変星の解釈が異なり、

例えば、A先生が吉とする星も私などが解釈すると

凶の原因になる場合が多々あり、その理由は、

星の性状の理解度の深浅と大運を含めた全体からの

解釈があまいのが一番の理由だと思います。

解説では吉のはずの星が、ご本人が持っているにも関わらず

実情にそぐわないでは話になりません。

生徒さんにしてみれば、

入門で教わった解釈と実情が合わないけど

きっと中級で本当のことを教えてもらえるに違いない、

中級の時は上級になったらわかるはずだ、そして

奥義に入っても同じ星の解釈だったと笑い話のような

ことが実際にあるのです。

このように基礎の基礎の段階からの、幾つもの次元から見た

星の解釈の積み重ねこそ正しい鑑定の判断に繋がるのです。

そして、こちらの教室では最初から

四柱推命の奥義とされる「力量」の解釈、

原命式の構造、通変星について解説し、

入門編が終了した段階で自分自身の持つ基本的な情報が理解でき、

持って生まれた運勢上の自分と直面するという、

類稀なことを目指して学んでいただいています。

このような意味で一般的な教室とはかなり内容の重みが違っており、

怖いと言う感想を漏らされた方もいらっしゃいます。

(運勢の上での自分であっても、見たくない自分が見えるのは嫌なものです。

この意味では、全く遊びの要素はありません。)

要約するなら、入門段階で自分自身(人の本質)に迫る

四柱推命を学べる、リアルな人間研究の手段としては、

かなりのレベルだと自負していますが、

趣味やレクレーションとしての推命術をお望みならば、

まったく相応しくない教室かもしれません。



さらに言うなら、

こちらで学んだものは、絶対に趣味やレクレーションで使ってはいけません。

命定論

六朝の命定論考察を通じて 愛知大学

面白い論文を見つけたので貼っておきます。

古代中国人の運命に対する態度がわかりやすく書かれていて

同時に足りないものが見えてくると思います。

六朝文化とは

中国における現代に至る文芸、芸術、精神世界の基礎が確立された時代です。

そして、多くの死生観、幸福論もこの時期に確立したと

いって良いと思います。






作者の亀田氏は道教にも詳しく興味のある方は

こちらの論文もどうぞ。

六朝の道教における人間の研究 京都大学

運を変えること

現状がどんなに悪く悲惨であっても、

それは変わるものなのです。

こう書くと、じゃあ、変えてみろよ。と

言われるかもしれませんが、なんども書きますが、

自分の人生は自分で描くしかないのです。

他人には変えられない。

苦しみを抱える多くの人達は、子供の頃の親との

関係に問題を抱えています。

そして大人になってからも、その時の時間に縛り付けられ

心の中の一部の時間が停止しています。それは

大抵「恐怖」「自己否定」「諦め」などの言葉で

代表されるものです。

だから自分を認められません。これにより自分には

人生に根を張る価値がないと決めてしまっている人達もいる。

それでも、寂しくて、人になついてみたくなったり、

人恋しくなったりする。ただ安心したい。

人にとっての一番の安心は人の中にいることですものね。

そして、自分と同じ傷を持つ相手に対し異常なほどの親近感と

安心を抱きやすい。波長が合うのだから仕方がありません。

けれど、お互いが安定した生き方がわからない。

だって、

親が最悪の見本であり安定した人生を送っている大人たちと、

まともに出会ったことがないのだから。

そして時間ばかりが過ぎ、年ばかりとっていく。

自分の絶望をわかってくれる人は誰もいない。

最悪の場合、

他人を傷つけて自分の絶望を他人にも味合わせようとする。

もし心の中に閉じた「時間」があるのなら、

ほつれた糸を解くように、そこに光を当て、

目を逸らさずに、ほどく努力を少しづつでも続けることです。

新しいカルマを生み出す努力をすることです。

心が動けば、あなたが信じる「宿命」も動き始めます。

法話

大きなお世話かもしれませんが

「釈迦族の最後」は

精神世界ファンの方への警鐘の意味で書いたものです。

(貼ったものですというのが正しいですね。)

真理とか、なんとかとか、信仰とかも大事ですが、

本当のことを知ると知らないとでは大違いです。

お釈迦様の偉大さに隠れた、彼の一族の姿の末路の隔絶の大きさに

気づくことが現実世界と信仰世界のバランスを測る

良いバロメーターだと私などは思うのですが如何でしょうか。



ここ数回の締めくくりにちょうど良いサイトを見つけたので

例によって貼っていきます。

ダライ・ラマ法王講義テキスト

ダライ・ラマ猊下の法話のテキストです。

youtubeに大体の講義のビデオがアップされているので,

最高の先生による最高の無料仏教講座になると思います。

本物の先生の講義です。

般若心教

ことのついでに般若心経についての解説書を紹介しておきます。

戦後すぐに書かれたもので若々しく希望に溢れている文体が

読むだけで元気にしてくれる名分であり、

ウイットに満ち安易にして実に内容の深い解説です。

一読してみてはいかがでしょうか。

般若心経講義

釈迦族

仏教的な話を書いたので、本当のことを書かなければと思い

書いておきます。

釈迦族というのは、いうまでもなく、お釈迦様の出身部族です。

そして、お釈迦様が生きて活躍されていた同時期に

滅んでいます。詳しくはこちらを読んでください。

釈迦族の最後

驚く方もいると思いますが、深くブッダの教えに帰依し、

他人を傷つけることを恐れ、

戦うべき時に戦うことを放棄し、自衛することを諦めた結末です。

なぜ、こんなことを書くのかというと、

目の前に起きてくる全てをカルマのせいにし、

それを回避すること、戦うこと(努力すること)を放棄している方、

そのカルマを受け入れる教えを垂れる方々を時々見かけるからなのです。

カルマは自身を移す鏡ではありますが、

鏡とは、自身を映し、鑑みるためのものです。

もし、鏡を見て顔に汚れがついていたら、貴方ならどうしますか?

「カルマだ。しょうがない」といってそのままにしますか?

もし、そうなら、

貴方の未来は「過去」から来る「未来」でしかありません。

万物の霊長の名が泣きます。



お経にある因果応報ストーリーに惑わされず、

起きた事実をだけを拾っていけば、現代に通じる

あまりにも悲惨な出来事が起きていたのかが

見えてくると思います。








現代の仏教国ブータンの事例です。

考えさせられるものがあります。

ブータン 2003年 アッサムゲリラとの戦い

自性と縁起2

なんで、小難しいことを性懲りも無くなんども書くのか?

その理由は単純です。

「悪夢から目覚めたい。」

ただこれだけです。

我々日本人は、四季のある国に生まれ、

春の次に夏がきて秋がきて冬が必ずくることを

誰に教えられるわけでもなく身に沁みています。

さらに小学校でお米は八十八回の世話をして

我々の食卓に上るのです。

大事にしましょうね。と教育され、

蒔いた種がお米になるんだと、なんとなく縁起や因果の法則を

肌で感じトラブルが起きれば自業自得だと罵られ、

その苦しみが積み重なると「どうせやっても無駄」とか

「自分には無理」とかの諦観が育っていく。

そして、四季が巡ってくるように、トラブルも必ず

巡ってくると、どこかで確信し、負の轍に

はまり抜けられなくなっていく。

これが多かれ少なかれ災難が多い人の心の構造です。

そして、その対抗反応とでもいいましょうか。

各地の占い館は盛況で、お悩み相談の列が絶えません。

「今度こそ目の前の幸せを逃したくない。」

「幸せになりたい。」「普通に生きたい」。

苦しみのルーティンから抜け出す意思を立ち上げ、

勇気を奮い立たせている人もいる。

けれども、

多くの方が、その原因が自分にあることを

表面的には認めても、心の底では認めていません。

絶対に認めたくない。もちろん前にも書いたように

社会は相互依存で成り立っているので、相手にも

責任があるのは間違いないのですが、

それに乗っかっている自分の姿が見えていません。

プライドの高い人ほど、自分の非を認めない。

自尊心が許さないし、認めれば、

作り上げてきた自分の存在意義さえ疑わしくなる。

禅の言葉に脚下照顧という言葉がありますが

もちろん自分で気づき、改善することができれば、

最上の解決につながるのですが、その根拠となり

自分の背中を押してくれるものがあれば、

さらに行動しやすくなるはずです。

そのための理屈を「仏さんの教え」として

前回述べたのです。

悪夢もまた「空」なのですよ。

良くしたけれど、良い縁を積み続ければ良果と成り、

悪夢から覚めたければ、その「種」を潰す努力を

すればいいだけです。

さらに真言宗などでは行動には3種の形があり

心、言葉、身体に分類されるとされています。

その中でも大事なのは心の行動となり、前回

こころの中での会話と表現しましたが、自分自身との

対話から見直すこと。習慣となっているワードを

点検してみること。そこから始めてみてください。

必ず、解決のヒントがその会話の中にあります。

自性と縁起

洗心庵ではどのように推命学を解釈しているのかを

書いておきたいと思います。

実は私の推命学の解釈は「縁起 空」が基礎になっており、

「自性」に対する否定、相互依存における変化、

「縁起」が核心になっています。

生まれ持った星を自性とするとき、

生(産まれる)、住(時とともに生きる)、

異(時とともに老いる)、滅(老い衰え死に至る)の

誰も逃れられない変化の中で、生まれもった星もまた、

変化するという考え方です。

(本来の推命では、その変化を大運年運月運で捉え

運勢は変化すると解釈すべきところですが、現命式に拘泥し

断見に落ちているかたが多いのも事実です)



これを真面目に突き詰めていくと

それじゃ「自分」て無いじゃん。となるのですが、

その人の持つ今ある「肉体、感覚、意識」の

他一切に対する執着が「自分」というものを成立させているというのが

「縁起空」の考え方です。

どこかに書きましたが、それが相互依存というもので、

目の前にいる親の子としての自分。

教室の中にいる集団の中の自分。等々。

「他」との関係性によって善人なのか悪人なのか、

自分てっ何?を多くの人は決めています。

これがいわゆる社会の在り方なのですが、

どこまで言っても「他」との関係性から見た「自」であり

(自分が評価している自分、他と比較しての自分についても

同じことが言えるのです。)

自にとっての「他」も同様なあり方をしています。

このことから、「自」が変化すれば

「他」との関係に変化が現れるのは自明の理ですね。

そして、幸いなことに我々は常に「時間」の中に在り、

変化を許容されている生き物です。別な言い方をすれば、

時間という「縁」を利用すれば少しづつでも変化は可能なのです。

かわろうとする意思を起こせさえすればなんとかなる理屈です。

そして、この、自分に変化を起こそうとする時

「自性」である、持って生まれた星が必ず影響してくる。

時には既存の知識(特に心理学と哲学宗教)で

重武装して抵抗する場合もあり実に厄介です。

自分で自分を枠に嵌め込み、閉じこもってしまう.........。

たとえ苦しくとも変化を好まない人も、間違いなくいるのです。

しかし刺さったトゲは抜こうとしなければ抜けません。

(心理学の先生方はその時の状況を心理的に再現し

過去と現在を区別させ、完了させることを療法としていますが、

受ける側が「縁起」の考え方を受け入れることができれば

より大きな効果が得られるかもしれません。)



五行思想というのは循環とそれに伴う質の変化と、

その相対性についての哲学で、実に深いものがあり、

他思想の解釈を拒むようことはありません。そして、

円満な人間関係、納得できる自分自身に至る鍵がここにあるのです。

「縁起」と言われているものは実に誰にでも利用できる、

すでに当たり前に利用している法則で、

現代風に言えば究極の時間の有効活用法ということになるのです。

ここまで読んだ方であれば概念はわかった、

どう使おう?となると思うのですが。

円満な人間関係を気づきたいのであれば、

心の使い方から始めるのが常道です。

心の会話で悪態をつかない。相手の心中を斟酌する。

できれば同情し、誰に対しても優しい心を起こす努力をする。

他人を利用しない。バカにしない。等々、

(詳細は十善行で解説しています。)


結果として、

多少かもしれませんが優しい言葉、態度、同情を

相手に示せるかもしれません。0,001の変化もしれませんが

時の流れが自然に形にしてくれ、早ければ2、3ヶ月で

あの人変わったねと言ってもらえるようになります。

最後に誤解のないよう書いておきますが、

DV夫婦が子供を死に至らしめる報道が後を絶ちません。

このように世の中にはどうにもならない人も

間違いなくいます。相手を選ぶことも大事なことです。

デザイン

現状がどんなに苦しくとも、過去を誰かのせい、

努力しなかった自分のせい、

親のせい、いじめた同級生や先輩や先生のせい、

裏切った彼氏や彼女や友達のせい、

会社の上司のせい、嫌いな同僚のせいにせず、

過去は過去、今は今だと自分に言い聞かせ、

過去の自分と今の自分を区別し、時々、

湧いてくる悪夢や、お前なんかやってもダメさ

と言う、心の中で時々起きる自分の中にある

陰険な自分自身のつぶやきに対し、

「過去は過去、未来は未来、今の生き方が未来を変えるのさ。」

と応答し、さあ、コーヒーでも飲んで

リッラックスして、またやるか。と心の罵声をスルーし、

未来の夢や計画を出来るだけ可能な範囲で夢想しながら、

それについての情報を集め、少しづつ実行していく。

それが楽しくなった頃には、

心の滓(おり かす=濁り)は、かなり落ち着いているはずです。

もし、自分が嫌いだ、好きになりたいと思うのであれば、

とやかく言い訳をせず、過去からの流れを手放し、

たった「今」から、どんな行動をするのかを

考えれば、どうにかなります。これが因果の法則というやつです。

自分の未来はデザインできるのです。

頑張れ。



我々の実社会には

捨てられないもの、切れない縁、自由を許されない環境

があること、すべて承知した上で、こういうことを書いています。

どんな「縛り」でも、時とともに緩み、

「時間」を味方につけ、諦めなければ、叶います。

これもまた因果の法則です。

善と悪

私の教える推命学を学んだおり、最も悩ましくなるのは、

命式の善悪を問わないことだと思います。

もっと具体的に言うなら、

悪い命式、良い命式と決めつけることをしません。

なぜかといえば、あらゆる人が持って生まれた星に

支配されているのに違いはないのですが、

その支配の構造を認識し、星の動きを把握できれば

その星から解放されることができると確信しているからです。

ただ、この作業には結構な忍耐と自分自身を分析し

観察し続ける「知性」が必要になります。

現在、もし、社会規範から見て悪いことをしているならば、

それは間違いなく悪いことです。けれども、それは

命式に関係するのではなく、その人の人生の選択の問題であり、

子供の頃から培ってきた環境と習慣に依るものです。

けれども、本人がそれを恥、慚愧の念を持った時

人生の選択肢は間違いなく変わってきます。

ですから本質的な意味では命式には善悪はありません。

ただ、そちらに傾く傾向が強い人と、そうでない人がいて、

さらに(既にその分析もできているのですが)そちらに傾く

スイッチには「形」があり、それを回避できれば、なんとかなるものなのです。

そして、そのための最も具体的な行動が「他人を傷つけないこと」に尽きるのです。

結局、幸せに生きようと思うならば七佛通解偈に尽きてしまうのです。

そして、ここから導かれる非常に厳しい答えなのですが、

人は「自分の人生」は努力次第で変えることができるが

「他人(肉親であっても自分以外の人)の人生を自分の

思い通りすることはできない」と

何千年も前から仏と呼ばれた最高の智慧者達は

我々凡人に教えていたのです。

ただし、個人が変われば、その周りへの影響は決して少なくなく、

自然に、その人を取り巻く環境が善化していく。

これが私の目指す所でもあるのです。

人は何を選択するかで、あらゆる姿に変わっていきます。

良縁を積めば良果が生じ悪縁を積めば悪果が生じる。

けれども、その「良」「悪」を分析し徹底的に検証する作業も

実に大切なこととなります。

そして、自分の人生の選択を他人任せにしてはいけません。





最後に、こんな難しいことばかり書いて申し訳ないのですが、

ずーと書いてきたことの「まとめ」のようなものです。

入門者募集中です。

推命について(改)

ここ数日(数年)推命学が正しいのかどうなのか

再検証をしているのですが、少々煮詰まってきました。

確証が得られたものと、そうでないものがあり、困ったものです。

ただ、いろいろな事実を知るにつけ、

五行五気の相生相克理論を見直すと、

あらゆる人間関係について理解ができるようになり

同時に、残念なことですが、

人は、皆が皆いい人ではないということが

再確認できました。

(このことに関しては、多分書いてはダメなことなので、これからも書きません。)

さらに、一考していただきたいのですが

学びとしての推命学について、

教える(学ぶ)順番を間違えてしまうと

極端に判断が安易に流れてしまい、

鑑定が差別や優劣の基準になってしまうことです。

具体的に言えば力量を理解できず通変星の解釈が浅く

実際に合致しない場合、運が悪いのは

空亡だ天中殺だと連呼し、神殺が如何の斯うの、

さらには霊障だ風水が悪いだのと、訳のわからないこと告げ、

この人には悪星が付いているから下の部類、

この人は貴星があるから上の部類、この人は普通の人等々。

さらに大運を読めない(使わない)方達は

運勢を宿命論とし固定したものと捉え、努力など

意味がないと言う運命論者、

厭世主義者を生み出す温床になり下がっている。


私は霊障も家相も怨恨も神殺も否定しません。

実際にその影響はあると思っています。

けれども、やはり持って生まれ持った星の運勢が

その人の価値の基準であり人生の基盤として働いていることは

否定のしようがありません。

そして、この構造を紐解くことができずに、

神殺の有無で判断することは浅薄の極みです。

身なりの良し悪しで病を判断するヤブ医者のようなものです。



何がしかのトラブルの多くは個人の運勢と

その人と共存する他の人との運の相互干渉によって起き、

そこに問題がなければ風水=環境からの影響によって

起きています。

実際は、当たり前のことが起きているだけなのですが、

誰か(何か)のせいにしたがるのが我々の本性です。

責任転嫁とかいろいろな言い方がありますが、

その原因を見ないふりにしているうちは、

なかなか前に進めません。

人は、本当に面白いもので、そんな自分をよく知っていて、

そんな自分を許せず、結局進む力が自然に萎え、

事あるごとに1ポイントづつ勇気が減っていきます。

物心ついた頃から人はこれをやり、人生が積算され、

今に至っているというのが普通の大人たちです。

いつも考えさせられるのですが

人生は自分の足でしか立てないし、

誰かが歩かせてくれるものでもありません。

人生を変えたいのであれば、過去は変えられませんが

変える努力をすれば変わります。

しかし、これには大きな問題があり、それは多くの人が

「変えられない過去を変えようとしている。」と言うことです。

あの時こうすれば、あの時自分が違う選択をしていたら......。

過去は変わらない。諦める勇気を持ってください。

そして「時間」はこの瞬間にも消えていっている。

無常です。



考えていてもしょうがない。決めて、動き、生きる。

新年度に考えること

「人はなぜ苦しむのか?」

その原因を無常、原罪、業等、宗教的な教理に原因を求めると

結局、その宗教的な教理を理解し、苦しみと救いの定義を学び

救いの定義に沿う生き方をすることでしか救いは得られません。

さらに言えば、現代の宗教原理主義者や

カトリックの生え抜きの神父たちの現状を見ると

教理に沿って生きているはずのその生き方が

本質的な救いの道であるのかでさえ疑問です。

仏教も然り、お釈迦様在世の時代から、

最高の阿羅漢果を得たとされる人々が、おだてられ、

地に落ちている。

(ご存知ない方が多いと思うのですが「ブッダの悟り」でさえ

無常であり、これが「一切皆空」の思想です。)

宗教は「信仰の程度」によって毒にも薬にもなる、

拘束具のようなもので必要な人には不可欠で

不要な人には全く意味のない現代天文学の

観測データのようなもです。

それじゃ、あなたの言う「苦しみ」って何?

と問われると思うのですが、それは簡単い言えば、

「頭の中から離れない、イヤなこと。いつまでも追いかけてくる悩み。」

のことです。

教育程度の高い人であればあるほど、この悩みの程度が詳細で、

訓練し続けてきた頭脳を、これを生み出すために駆使し

実に合理的に多方面に渡り自分をいじめています。

時には宗教的な教理をそこに被せ、さらに悪いことに、

「あなたの国には原罪がある。あなたが救世主様のお使いになるのよ」

とたぶらかす連中までいる。

(「たぶらかす」と書きましたが、申し訳ありません。先に謝ります。その勧誘を受け入れ教団に搾り取られた人達の自己責任かもしれません。ですが、意図的に洗脳したとしたら、相手の自由意志を強制するわけですから、それは罪だと私は考えます。)

「悩み」は尽きません。

家族の悩み、学校、進学、就職から始まり

結婚、育児、子供の教育、親たち等々が

性欲、物欲、名誉欲とごちゃ混ぜに絡まり合い、

社会生活が安定してくると、自分に足りなかったものを

探し始め、「愛」が欲しいとか、「若さ」とか、

見果てぬ夢で悩み始めます。

「愛燦燦」という歌がありますが、歌詞の中に

「人は可愛いものですね」とありますが、

可愛いとしか、表現のしようがないほど、

人は常識や安全を、時に逸脱してしまう。

頭ではわかっていても心が「イヤだ、あっちに行きたい。」

と主張し、頭(知性、常識、倫理)と心(夢=欲望)が綱引きをする。

そして、心が勝った時、実に清々しく満足し、満たされる。

これの繰り返しが人生です。

人の満足度は頭(知性、常識)よりも心(夢、欲望)の方がはるかに優っている。

これは否定し難い事実ですが、多くの人が見逃している。

けれど、ご承知のように、無理なことをすれば

大きな代償を払わせるように、この世の中はなっていて、

実際の法律もそのようにできています。

世の中はゆるい相互依存で成立しています。しかし、

その前提が「自立した者同士」であることを忘れてはなりません。

他人に頼る生き方をすれば見捨てられるか、

自ら集団から退くことになります。

苦しみは、一生続きます。

まずは集団の中に自分の居場所を探すこと、

次に根を張ること。そして自立している仲間を見つけることです。

ここまで出来れば(安定した衣食住を確保すること)

人生の苦しみの半分は自然消滅していきます。

さらにパートナーがその「仲間」であれば、ラッキーな人生と

言えるかもしれません。

苦しみを解決する方法は必ずあります。

「時が来るのを待つ」のもその方法です。

「宿命」の言葉に甘んじ、

運を変える=悩みを解決する努力を放棄さえしなければ、

自分の器に相応しい、満足が得られるように

人生はなっているようです。



最後に

自分を責める人の特徴として、

「できない自分がダメなんだ」「他人に甘えちゃダメなんだ」

と、事あるごとに自分に言い聞かせている人がいます。

相談することと、他人に甘えることは違います。区別してください。

多分、自分を守る最後の砦は自尊心でだと私などは思います。

でも、それが邪魔することも多々ある。前に進みたいのならば

プライド=恥ずかしさを捨てて、自分のどこがどうなのかを

他人に聞くことからしか始まりません。

自分でわかっていれば、とっくに直せているはずです.......。

怖いことですよ。これは。勇気が必要です。

そして忍耐強く粘りつよく仕事を覚え、やり抜くこと。

自分を奮い立たせてください。

一番苦手な課題かもしれませんが、

やらない限りは「空(から)」のまんまです。



「私は仕事ができるのに、受け入れられない」

「バカばっかり」男女問わず、こう言う人も多々います。

これはこれでいいのではないでしょうか。

このような方には、とやかく言う必要はありません。

上手に世の中を渡っていきます。

ただ、

特定の人から、心の底から愛されたい場合

本人の人間力が問題になります。

人間力とは総合的な、その人の評価のようなものです。

ビジネスの世界であれば、社内であっても、ある程度の

緊張空間なので皆が皆、潜在的には個々の人の良し悪しに

気づいています。社内の人間関係の悩みも、

実はこうゆうところからくるものなのです。

高学歴で頭が良いのに、幸せになれない人の、なんと多いことか。

高い知性は人としての自分を見えなくしてしまう場合もあるようです。

あったかい人情、愛情を忘れてはいけませんね。

新年度

年度始めに新元号も発表され、

社会全体が、なんとなく、新しい時代に向けて

進み出した雰囲気が感じられます。

どんな時代になるのでしょうか。

どの時代でも勝ち負けの勝負があり、本物であろうが、

模造品であろうが、大衆に支持されなければ、

自然消滅していくのがこの世のルールです。

生き難いところがあります。

精神世界

厳しい苦しみや不幸、トラブルに見舞われたことが切っ掛けで

自分を変えたい、変わりたいと精神世界に興味を持ち

纏わりつくような「漠然とした苦しみ」を癒してくれる

「何か」を探し始める人達がたくさんいます。

それでは、そちらの方向に舵を切った人たちが

幸せになれたかと言うと、ちょっと疑問符が打たれますね。

なぜかというと、

運勢上の不運以外は、たいていの場合

その人の精神性とは関係ないところに原因があります。

仕事のトラブルの多くは準備不足や職能が未熟だったことが

原因であり、夫婦間のトラブルは一緒に暮らし始めたら、

お互い、または一方が、

敬意を持てない相手であったことに気づいてしまったこと。

また、専業主婦の場合であればプロ主婦としての

職能についての問題です。

解決法は、仕事であれば、最低でも3年間、忍耐強く仕事を覚え、

お客を覚え、仲間を作る。そして3年目、それでも仕事が面白く無いのなら

転職を考えることです

夫婦であれば、時間を切ってお腹にためたことを全て話し合い、

その上でお互いが自立するのか、努力し合うのか結論を出せば一旦は

お互いの人生は完了します。



ところがある種の人たちは様々な問題が起きた時、

問題の本質を解決する努力を二の次にし、

精神世界に行ってしまう。「自分を変える」と仰る。

これは皮肉です。(私自身の自虐でもあります)

なぜ、こんなキツイことを書くのかというと、

このての宗教や啓蒙セミナーの食い物にされている

人たちをたくさん見ているからなのです。

人生は食べなければ終わる。生きるために働き

食べるために代価を得ているのです。

だから優先順位で言えば、生きる努力を第一とし、

良い人になる努力は第二で十分です。

是非、この辺りの区別をしてください。

目の前のなすべきこと、日常の義務と努力を放棄してはいけません。

それが生きることであり一人前の大人になることです。

その努力こそが結局は自分の精神性を向上させることにつながる。


もっというなら、

そのてのお商売をしている方に怒られるかもしれませんが、

あなたの心の中に、すでに、神も仏も住んでいる。

目先の困難から逃げているから、それに気づけないだけです。

信じられませんか?

具体的な現象で説明します。

与えられた仕事をやり通してください。それが成された時、

自分の内側から、時には、そばにいる誰かが、「やり遂げた。」

「頑張ったね」と声をかけてくれるはずです。

すると、なぜだか、

胸の中に暖かく、優しい気持ち、感謝の気持ちが湧き出してくる。

こんな体験をした人は多いと思うのですが。

それが、あなたの中にある仏さんの心です。

私はそう信じています。

(屁理屈が好きな皮肉屋の人は長期の緊張が解ける事による

ホルモン物質の如何の斯うのと説明をつけるかもしれません。

これは恋愛を科学で解釈しようとするモテない人のヤボです。)

でも、こう考えてみてください。

いたるところに仏や神がいるのであれば、

この世の中も捨てたものではないと。


平成の世、未曾有の災害がなんどもこの国を襲いましたが、

その度に災害ボランティアの人たちが立ち上がってくれました。

現地の人にとっては彼等は神であり、仏の救いだったはずです。

(仏の使いとか神の使いとか言っていません、

まさに神であり仏そのものと言っているのです)

宗派仏教の方達は仏を超能力者のように定義していますが、

この点をオウムのような連中が超能力で射幸心を煽り、

本来の仏教を汚し、濁らせてしまった。そうゆう意味では

私の言う仏さんは、もしかしたら、知性的な人には

「偽善者」として見えるかもしれません。

これにも一理あり、もし、その行為を自分宣伝に使ったとしたら

唾棄すべき偽善者です。しかし、多くの人は、

ただ、助けたい、力になりたい一心で活動していました。

それをできる可能性を我々の誰もが持っています。

それを「仏心」と名ずけたら専門のお坊さんに

怒られるかもしれませんが、それでいいのだと思います。

是非、現実から逃避せずに自分の中にある仏心を見つけてください。





これから社会人として巣立つ学生さん達、

世の中は甘くありません。

学歴や、容姿の良し悪しでは評価してもらえません。

仕事ができなければ、「使えないやつ。」としか言われない。

かえって学歴や容姿がいじめのネタにさえされてしまう。

まずは戦うべき相手は甘えることに慣れた自分自身になります。

満身創痍になるまで戦い疲れ果てた時は洗心庵をお訪ねください。

歓迎いたします。

改定 入門講座

入門講座に最近、遠方からの問い合わせがあり、

日程について考えることにしました。

要は4時間の講座で私が教えている四柱推命の

基本概念を学んでもらおうという意図であり、

個人講義に限定しているので、希望する方には、

一日4時間一括コースでも二日2時間コースでも

いいのでは無いかと思い始めたのです。

(交通費もバカになりません。)

申し込まれる方には

ただ一つ条件があり、十干、十二支が書けて、読めること。

ホームページ教室選びの中にある

推命教室「はじめの一歩」から「三歩」までを、できれば憶えておいてください。

これさえ記憶していただければ、講義は円滑に進みます。

申し込む際、4回コース、3回コース(2時間、1時間の2回)

2回コース、1回コースとご記入の上お申し込みください。

その他は、従来の申し込み要件に準じます。

運の掴み方

アパホテルの社長さんの記事です。

ホテルのことを生徒さんから教えていただき、

命式の説明と実際が符合するのか検証のために調べてみました。

その通りにの人のようです。

 ’’運を掴む。強い自分を作る’’

そのための良い例示が書かれています。

インタビュアーに

「私なんてと......。とクヨクヨする自分が馬鹿らしく思える。」と

言わしめた人物です。

本谷芙美子

命式自体は「命式研究」にご主人のものと合わせて掲載しています。


(現役の生徒さんで解除キーを希望する方は申し出てください。)

占い師と鑑定師

占い師と運勢鑑定師の明確な違いについて書いておきます。

四柱推命を標榜する先生がもしも命式の中に官星を見つけ

「素晴らしい星の一つの官星がついています。出世しますよ」と言ったら、

これは占い師の先生です。

「良い形で官星がついています。もし、真面目に一生懸命勉強し、

就職しても動かず、真面目に会社に努めれば出世する可能性が

あるのですが、〇〇と〇〇には注意してください。

これをしてしまうと星を生かすことができません。

また、この時期に、そのことが起きやすいので注意してください。」

最低でもこのくらいの鑑定ができるのが鑑定士です。

鑑定は当てものではなく、その人の生まれ持つ長所短所を

正確に測り、さらにそれが動き出す条件を割り出し、

相手が理解できる言葉で伝えることが務めなのです。

そして鑑定が正確ならば、個人に関しては外れません。

そうゆうものなのです。

これが運勢鑑定師と占い師との明確な違いです。


ついでに書いておきます

実は仏教は占いを禁じております。

スッタニパータ926「わが徒は、アタルヴァーダの呪法と

夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、

懐妊術や医術を行ったりしてはならない。」とあります。

占術と相術は間違いなく禁止されておりますが、

推命術は禁止されていません。

(これを言うと梅花心易も易も人相、地相、家相もダメ

となりますね。占いと推命術を混同している人にとっては

屁理屈かもしれないとの認識はしています。

ところが、某神社の神主さんたちは某占いを習い、

某伝統仏教教団のお坊さんたちは四柱推命を習っていると

教えてくれた人がいるのです。不思議な話です。)

土地の話2

コラムは重い話ばかりでやんなっちゃいますね。

土地の話など、本当は書きたくないのですが、

公にできる絶好の機会なので書いておきました。

風水的な、どうのこうのは間違いなくあると思うのですが、

現地を見ていないので何とも言えませんが、

風水先生や霊能者の方達は古戦場や、

過去に色々あった場所に住むことを禁忌としています。

私は土地にまつわる様々な現象はその土地に刻まれた記憶の

影響だと思っています。

どの国もそうだと思うのですが農業を主なる生活の糧としてきた

土地では村の掟の上に、皆が共同体として依存し合いながら

助け合うことで人生が成立していました。

(その掟に従えないものには、村八分のルールが適用され共同体から除外され、

時には排除されました。楢山節考にもその表現がありましたね。)

また、農作業に不可欠な「水」の分配のための、文字通りの血で血を洗う

村同士の抗争も歴史として残されています。水争い

農耕民族の、よそ者に対する閉鎖性は自明の理です。

(日本全国例外はないと思います。)

そのような先祖の記憶が刻まれている土地の上で生まれ育って

我々は今、生きているわけですから、

生まれた地域によってに個々に独特の思考の傾向があるのは

仕方のないことです。

まあ、何で、つらつらこんなことを書いているのかというと、

結婚相手にピンとこないという人の、「ピン」の理由が

この辺りにある場合があるからなのです。

また職業の選択なども同様の場合がある。

結局、人はロマンスだけで相手や仕事を選んでいるわけでは

ないということなのです。

縁は異なもの味なものとはよく言ったものなのです。

実に根深いものがあり、特に男性側には母親の育った土地の

傾向で伴侶を選ぶ場合があります。

将(しょう)を射んと欲(ほっ)すれば先(ま)ず馬を射よです。

親子関係が良い男性であれば、その母親を真似る(学ぶ)ことです。

また、自らの出自を嫌い、見栄を張り、

出会うべき、ご縁のある相手を捨てている場合もあるのです。

結婚したいけど、相手と出会わないと言っている人は

この辺りを再検討してみてください。

出会うべきご縁などと書くと、「強いご縁」のように聞こえますが、

そのご縁とは、運命の風に吹かれて目の前に一瞬現れる

一枚の鳥の羽のようなものなのです。

(35億分の1を考えればわかり易いですね。)



ここで言う「強いご縁」というのは、お互いの業の磁力に

引き寄せられた腐れ縁のようなもので、

たいていは苦しめ合う現象が起きています。

それもまた人生であり良し悪しはありません。

ただ、苦楽がだいぶ違うだけです。

業の話

土地の持つ業

デイリー新潮

土地にまつわる因習の話が書かれています。

教室で聞からた時は「土地に関わる業」の話をしますが、

良い実例だと思います。

「因習」というのは人の魂にまで刻まれるものなのかもしれません。

理由のない不安、絶望感、厭世感、諦めの原因が、

もし、ここにあるのだとしたら、

身に覚えのない過去を完了する必要があります。

そのためには、

自分で自分を縛っているこだわり、思い込み、自分ルールを見直すことです。

固定してしまっている自分のものの考え方や、

自分のかけている色眼鏡の色にまずは気付くことことです。

(色眼鏡、たくさんありますね。〜は〜でなければダメだ。というやつです)

そして、平凡でも幸せな人生を実現するための努力をすることです。

自分の心の何処かにある、時々鎌首をもたげる、

理由のないネガテイブな感情と「幸せに生きたい」と願う

今ある自分の意志を「区別」することから始めることです。

記事には「奴隷」と書かれていますね。

その時代は終わっています奴隷でいる必要はありません。

キナ臭さ

なんとも、朝鮮半島からキナ臭い匂いが漂ってきています。

次は脅しでは済まなくなるのかもしれません。

多分、日本はオリンピックを控え、19、20年は

待ってくれと同盟国に伝えていると思うのですが、

この合意も..、始まれば止まりません。

六合卦の六冲卦はそのあたりの事情かもしれません。

(2月27日のブログに得卦をのせてあります)

外れることを祈ります。



万葉集に「やまとは言霊の幸(さき)はふ国」とあります。

(万葉集894 神代より 言ひ伝(つ)て来らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめがみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり。言の葉のタネより引用)


もうちょっとわかりやすく書くと

「神代よりの言い伝えでは、空の果てまで広がるこの国は、

神威優れ言霊に加護された国であると語り継がれてきました。」

ヤマトタケルも奢った言挙げをし、致命傷を負いました。

何に対しても粛々と準備を進めることです。

そして、ものは言いようです。

日頃から日本の神様のご加護を受けられるような言葉を使わないとですね。

大人の恋

恋する相手がいるのは幸せですね。

その人のことを思っていれば、胸が暖かく、

そのことだけで満たされます。


そして、あれから40年.......。と、あまり書くと

「きみまろ漫談」になってしまいますね。


先日某米国ドラマを見ていたのですが、

その中で、不倫を誘う男に所帯持ちの彼女が、

「もう私には子供もいるし、社会的な立場もある。

ロマンスでは動かない。あなたにはプランがあるの?」

と問うていました。

「あなたのことは嫌いじゃない、でも責任取れるの?」

との「返し」です。

なんとも粋な台詞ですね。

相手を焦らす相聞歌のような見事さ。あっぱれです。

大人の恋に悩んでいる女性の方は、このセリフ一度試して見てはいかがでしょうか。



まともな男なら諦めます。

不誠実な男ならノリで責任を取ると言って

思いを遂げてから裏切ります。

大人の恋は相手を見極めることが大切です。

現代病

「十分恵まれているのに、なぜ、その程度で苦しいと言うのか?

甘ったれるな。」昔も今もよく聞く言葉です。

その昔「一杯のかけそば」が一世を風靡した頃、

うちの母親は上品に、この話に悪態をついていました。

戦争中に生まれ、大勢の兄弟の中で生きてきた人です。

蕎麦屋に行く金があるなら、自分で作れと言うところでしょう。


生きることに、本当に必死な人は生まれた時から備わっている、

お金のかからない、使えば使うほど良くなる「考える力」

「自分の頭」を使い様々な選択肢を想定し試し、

ボロボロになってでも苦境を打開しようとしています。

「生きようとする意志の強さ」の現れです。

現代の多くの問題の根にあるものは、

思考の多様性を放棄し自分の考えに拘泥し、その中に引きこもり、

そこから他人を判定し、自分を取り巻く未来には

責任を持とうとしないことだと私などは思います。

また、必死に生きようとする意志を見せることが

かっこ悪いと思っているようにも見受けられる。


「衣食足りて礼節を知る」と格言にありますが、

衣食が足りれば、自尊心を満たそうとするのが人の業であり、

時代は「飢えの苦しみ」から「自尊心の渇き」に移行し、

「自立」と「依存」の間で揺らぎながら生きているのが

現代人です。

実体経済と資産経済みたいなもので、だからと言っては変ですが、

資産経済の苦しみの額面は天井知らずとなり、

自分に引きこもれば引きこもるほど苦しみの終わりが見えなくなる。


しかし現代は、いわゆる「弱者」には本当に恵まれた時代です。

最低限の生活は、国や自治体により保証され、

最後に困ったときは国を頼れば生きていける。

「悪用」さえしなければ、とても素晴らしい制度です。

しかし国庫は借金ばかりが膨らみ、

これを理由に税の徴収をしようとしているのも事実です。

私の知り合いにも、この制度のお世話になっている人がいて、

医療費明細を見せてもらったことがあるのですが、

普通のサラリーマンの年収を超える数字が

書いてありました。

彼の家族にしてみればこれ以上無い有難い制度です。

社会が理想を追求した成果です。

そして、理想を追求すると必ず、どこかに皺寄せや

矛盾が出てくると言う実例でもあります。


小手先の「癒し」では根本的な問題は解決しません。

小さな自分から脱皮すること。

その最初の一歩が自分の足で世の中に立つことです。

そのためには、まずは、知らぬ間にこんがらがった自分の心を整理し、

柔軟にすることです。



(うちの入門コースなんか最適ですよ。五月二十日あたりから新規募集します)

入門、自知コース

「自知コース」

受けた人には評判が良いのですが、

なんせ、人が集まらないもので、少し宣伝しておきます。

(私の不徳の至りです。時々書くことは過激で怪しいとも思いますが、

(多分)人当たりも良いし、そんなに怖くもないんですけどね。)

(昼間の講座は日、月曜以外はガラガラなので、確実に空いています。)



四柱推命教室からの抜粋です。料金等はこちらで確認してください


2019年 

入門クラスー自分を知るための四柱推命入門講座ー

「自分を知ることが大事なことです。」と

あちこちで書いているのですが、

どうやれば自分を知ることができるのか?

「信用の置ける運勢鑑定を受けること」

でも、この「信用」というのも問題で、

人は、どうしても、「評判」を優先させるところがあり、

さらに、運があまり良くない人は、

あまり良くない人を選びやすいのです。

また、運勢鑑定を受ける機会にしても、

.....ウ〜ン.......。

この「機会」というのがなかなか難しく厄介で、

大抵は思いがけないトラブル、不運、

縁の破局など、よほどのことが無ければ

自分と向き合い、さらに誰かに相談しようなどとは

思いません。

「転ばぬ先の杖」とはよく言いますが、

こんな風に転ばないと、機会が生まれないのでは

ショウガナイですよね。

ずっと考えていたんですが、現在開いている入門コースとは別に

「自分を知るための四柱推命入門講座」を

併設したいと思います。

「自分を知ること」をメインテーマした講座です。

全4回の講義になり従来通り基礎理論から

大運の出し方まで学んでもらい、

鑑定の根拠を明らかにし、自分で

自身の運勢を理解できるようにするのが目標になります。

(簡単に言うと、4回に分けて、鑑定の理論を学びながら、ご自身の命式の解説を受ける講座になります。)

料金も全て同じです。

修了者は引き続き「本科生」として、

さらに「人」をより深く理解するための

学習を継続することができます。

いつから始めるかは希望者次第(随時受付)なので、

いつでもお申し込みください。

式神

昨日、面白い体験談を聞いたので書いておきます。

昔からの友人なのですが、ある先生について方術を

学び始めたとのこと。最初はいい感じだったのですが、

急に音信不通になり、気がついたら、

羅盤の針が動かなくなっていて、

どうしたものかと易をたてたら、どうも式神を放たれたらしい。

どうしよう。という相談でした。

何か起きた?と聞いたら、実は家族に病人が出て、

身近な人にもトラブルが........。とのこと。

私にも、かつてある方の相談を受けていた時

方位磁石の針が目の前で、ゆっくり、くるーっと回った経験があり

例のアレかと合点がいったのですが、

彼が持ってきた羅盤をバコンと叩くと、

小さな白い雲のようなものがヒュッと現れ、消えて行きました。

彼にも見えていたので、気のせいではないと思います。

すると、面白いもので羅盤の針は元に戻ったのです。

その先生に何かしたの?と聞くと思い当たる事はないとのこと。

式神は?と彼が聞くものですから、そんなもの無いと

とりあえずは言ったのですが、困ったものです。

この類の呪詛は放った人に戻る。観音教にある通りです。

何かを誤解されたか、

こちらにはわからない「失礼」があったのだと思います。

本当の実力者は表の世界には現れません。

まして私のようにおしゃべりでもありません。

そして、その力は想像を超えるものがあります。

彼には縁を切られたのだから、おとなしくしていたらと

答えておきました。

方術の世界は怖い世界だと改めて思いました。

(方術の世界と書きましたが、そんなものを使わなくとも、人の意識は意図せず対象に届くもので、理性では割り切れない人の感情をより複雑にする要因になっています。ダースベーダーになってはいけませんね。)



私も昨年暮れから風水の研究を始めたのですが、

学んで良かったと思います。(これも方術の部類ですね。)

河図落書の実際の使い方を知ることができました。

まだまだ表面的かもしれませんが、その内容が深淵で

かつ単純であることだけは理解できます。

そして伝統的な推命術の多くが、やはり同じ原理で

解釈されていることにも当然ですが、行き当たり、

実に新鮮な思いです。五術の先生方の考え方がよくわかります。

そして同時に正しくない情報の元に生まれてしまったものに

対する、なんとも言えない思いを持ちました。

まあ、昔から実際にこの手の占術を使う罰当たりな

人達をたくさん見てきていて、

まっすぐなものを、自分流にひん曲げたのか、

理解できない部分を捨てたのかどうかわかりませんが、

今の世の中、実績を積んだ海外の権威と呼ばれている人たちの情報が

たくさん出版されています。素直に現実を受け入れ

切磋琢磨する気概を持つことが大事なのではないでしょうか。

生兵法

相変わらず、きついことを書きます。

運命学や占いを学んでいる方に起こるトラブルの原因についてです。

内緒で相手の生年月日を調べ鑑定し本人に告げる方達がいます。

気学なども、本命卦がすぐわかるので、これに陥りやすい。

バカとしか言いようがありません。

笑える程度のものであればいいのですが、

離婚の星だ、色情の星だと人の尊厳を貶める

さも宿命のように告げる方たちがいる。

本命卦(生まれ年の九星)にしても、

まともな風水や遁甲を学んでいる人に

言わせれば、男性と女性の本命卦はそもそも違うのです。

男性の九星が一白であっても女性の九星は違う。

この基本情報が違うということが九星を使う伝統派の

情報が多数出版されたおかげで白日のもとに晒されています。

多くの方は良かれと思い相手に何がしを告げるのですが、

誰が、自分以外の者に自分の運命を指摘されたいと思いますか。

相手は、なんの権利があって自分の運命を

他人に言われなければならないのか。

さらに、なんで、そんなことがわかるんだ、

その根拠を言ってみろと言われたら、答えられますか?

身内や子供だったら余計怒り出すか、落ち込むでしょう。

これは宗教をやっている人にも共通することですが、

自分は素晴らしい神仏の教えを知っている、

教祖さんを知っている。団体と出会った。だから、

知らない人には教えてあげなきゃという

使命感と、その時は思っているのでしょうが、

その底には相手に対する優越感が間違いなくあります。

はっきり書いておきますが、本質的な宗教の救済は、

真剣にそれ求める「個人」にしか効果はありません。

聞く耳を持たない人には無力です。

この辺りは仏教もキリスト教も同じで

使徒たちは、大衆の前で信仰のために自らの命を賭し、

その強さと気高さを示し、重ねて、何人もの殉教者によって

初めて人々に聞く耳を持たせてきたのです。

ご存知ないかもしれませんが、大乗仏教の行者さん達も

疑う者の目の前で自ら死んで自分の信仰を証明してるのです。


現代、多くの方はその宗教を信仰すれば、人間関係が楽になる、

夫が優しくなる、お金が儲かる、子供が素直になる

等々の謳い文句の上に、苦しみを共有する場を提供されることにより

苦しみの緩和効果という「おかげ」を教団からいただいています。

一種のコミューン(価値観を共有する団体)としてのあり方です。

しかし、その価値観を共有できない者たちにとっては自分とは異質の

集団となることも事実です。それに対し嫌悪感が伴う場合も多々ある。

そして、我々の世界も同様なのです。これを絶対に忘れてはいけません。

「秘すれば花」の言葉があるでしょ。秘することです。

じゃあ、いつ使うの?

その前に使う実力があるかを自らに問うことですね。

たとえば、

あなたは、一般的に言われている離婚の星を、

自分の大事な人に見つけた時なんと説明しますか?

「離婚の星があるよ、気をつけな。」でしょうか?

10人中9人までがこれをやります。

(プロの先生方も同様です)

相手はどう思いますか、あなたが言われたらどうでしょう?

占いや、鑑定法を実践で使うためには

まずは、

自分が学んだことが正しいのか違うのかを

精査することから始めなければなりません。

その段階を経れば、自分の言葉で星の解説ができるようになります。

次に、他人のお話を聞く態度を学ぶことです。

その上で、他人に寄り添いながら普通の生活をし、

もしも、知り合いの誰かの表情に苦しみをを見つけてしまった時、

どうしたの?と声をかけることから始めてください。




ちなみに、占いでモテたいとか、稼ぎたい、偉くなりたいとかいう人は

そうゆう方達とご縁を結ぶことをお勧めいたします。

色々な先生方がいます。世の中は住み分けです。

それぞれがそれぞれの生きやすいい場所で、学び、

生きればいいだけです。


もし先生についたならば

師匠の言葉を鵜呑みにしてはいけません。

自分で検証し確かめることです。

再現性のない理論は迷信です。迷信に迷わされないでください。

そして、他人を傷つけないでください。

長い目で見れば、必ず自分に返ってきます。

自分だけならいいですが、大切な人ができた時に

その人でやられることがあるのです。だから、

たとえ、そこに正義があったとしても、一時の怒りで

他人を傷つけてはいけません。

DV

家庭内暴力による痛ましい事件がまた起きてしまいました。

今回は恫喝に怯えた大人たちの責任です。

子供を守るよりも自分を守ることを優先させてしまった。

どこの自治体も、組織も、基本、恫喝には弱いものです。

例外は恫喝慣れしている厚生省関係と警察、

検察関係くらいのものでしょうか。

恐怖というのは個人ではどうにもできません。

制度として言葉の暴力と戦わないと、多分これからも勝てないでしょう。

我々は平和慣れ(ボケ)してしまっているのです。

この公務への「恫喝」に対するマニュアルを至急作らなければ、

同じことがまた繰り返されます。

この子達が将来の日本を背負っていくのです。

大人が逃げていては子供は、まともに育ちません。

子供の自殺についても同じです。

誰かが、そこに踏み込まないと、どうにもなりません。

多分多くの先生方が、日々、取り組んでいるのだと思います。

しかし、全てが成功するわけではありません。

子供の安全を完璧なものにするために、さらに大人達は

考えなければなりません。

さらに、言えば、その大人達の絶対数が足りていないというのも

現実の話です。労力の不足をマンパワーで補うというのがコストを

管理する偉い人たちの言い草です。

個人の負担が限界にきている。本当によく聞く話です。



議員さん達は、国政に無駄な弾を打つのではなく、

こちらを狙ってください。必ず株が上がります。

風邪

風邪が流行っているようです。

生徒さんたちが立て続けに風邪(インフル?)で倒れています。

実に、ここ数年なかったことです。

節変わりが影響していると考えてよいのでしょうが、

現れかたが極端です。

より大きな規模で世の中が動くのかもしれません。

今年は禅家の言うところの「不動心」を養う年なのかもしれません。



たかが、風邪でと思う方もいるかと思いますが、

「梅花心易」と言う有名な占法があり、

ここに「外応」と言う概念があります。

日常の異常というのは、なかなか興味深いものなのです。





2月に入って以来ホームページが開かないとの

苦情が入り、サーバーに確認したところ本日復旧となりました。

ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

ホームページも「風邪」を引いたのかと、

色々なことがある一年になるのかもしれません。


2019年 2月4日

占い愛好家の皆様へ

前から気づいていたのですが、やはり注意喚起が必要なようです。

素人の方が友人知人に独学で学んだ占いなり鑑定法を

使う場合、決してネガテイブな事柄を伝えてはいけません。

ネガテイブな記憶のある人にとっては100パーセント

強い暗示として作用します。

星の持つ二面性の理解なく一概に凶と判断した場合、

その時点で順運が回ってきていたとしても、

暗示の作用で自らマイナスの作用の方に傾いていきます。

(人の心の持つ力というのは巡ってくる吉運を跳ね返すほど強く、

他人のたった一言で崩壊するほど弱いものなのです。)

そして、もし、実際マイナス現象が起きた場合

必ず、その結果はそれを言った本人に戻ってくることを肝に命じてください。

プロの世界でも、いわゆる、なんちゃって占い師の方がこれをやり、

(確立した理論も技術もなく、なんとなく「当たる」ところから占いの世界に入った方達のことです)

積もり積もって心を病んでしまった方達が何人もいるのです。

だから、やってはいけません。

こんな素晴らしい星を持ってるじゃない。

あなたの中には、こんな可能性があるよ、

苦しい運も動いているんだから、いつかは終わるよ。等々

誰かに勇気を与えたり、元気付けるためだけに使うのは構いません。

是非喜んでもらってください。

良い使い方をしてください。

(ただ、占った結果には責任が伴うこともお忘れなく。)

雑感

最近、四柱推命について考えるのですが、

私は最初、この法は士大夫が修身のために編まれたものだと

教わりました。理解が深まれば深まるほど、その意味が

わかってきます。千変万化の人の心を理解するためには

これ以上の法はありません。

ただ、私が思うに、多くの方の手に触れ、

あまりにも手垢がつきすぎているようにも

思われます。幻想、迷信とでも言いましょうか。

人の欲を煽り、方術の権威をかさにきて、

「四柱推命」を自分の権威として威張っている人

(ご本人の人格と推命術は別物です。)

運が良い人に嫁げば幸せになれると思っている人

(自分の運が良くなければ、運の良い人とのご縁はできません。)

適職に就職すれば出世できると思っている人

(これには一理ありますが、嫌な上司に我慢すること、その技能を身につけるまでの困難に耐えることができなければ、どこに行っても同じです。)

体の相性が一番合うのはどんな命式かとまで聞いてくる者もいます。

お金持ちになる命式、権力を得る命式、色っぽい命式等々

実際そのような記述のある本がたくさん出ています。

そして、それはそれで良いのではないでしょうか。

「夢」や「癒し」としての効果は間違いなくあります。

40年ほど前になりますが、「俺は外格に入っている」と

胸を張り嘯(うそぶ)く知人がいました。

はたから見ていると、そうには見えないんだがなーと思っていたのですが、

その人の同僚が、あまりにもうるさいものだから、

数人のお仲間の前で、彼の生年月日を聞きだし、鑑定し始めたのです。

結果は実に見事に正論を尽くし破格であることを論破してしまったのです。

その日、論破された彼は自損事故を起こしました。

何を言いたいのかというと、だから、いいんです、

自分が信じるものを、疑いを持たず信じ続けるのであれば、

でもね、他人にそれを自慢したり、見せびらかすと、

必ず傷つけられます。

自慢は他人の嫉妬のスイッチです。

人の世というのは、そうゆうものなのです。

人が二人以上いれば、必ず比肩、劫財の現象が起きるのです。

仲が良ければスクラムを組み、悪くなれば、

対抗心が生まれ足の引っ張り合いになるのです。

最初に書いた修身というのはこういう意味なのです。

そして、最近思うのです。

運勢鑑定というのは人間を格局で区別したり

評価したりするものだけであってはいけないのではないかと。

(もちろん、その技術を正確に身につけた上での話です。)

運勢鑑定というのは実に微笑ましい相談から、

依頼されれば、時に人の生き死に関わる鑑定もしなければなりません。

そのような現場にいると、時々思うのですが、人の苦しみというのは

ほんの些細なきっかけがスイッチとなり、深く暗い底知れぬ闇にまで

落ちていく。

そんなとき我々の持つ技術は、時にその人達の

足元を照らす灯になることもあるのです。

だからこそ、しっかりした正しい運勢に対する知識と理解、

自分もまた目の前の依頼者と「同じ」だという共感力が必要なのです。

時々、同じ看板を挙げてふざけた鑑定をしている方の

話が耳に入るのですが、実は、あまり気にならないのです。

なぜかというと、

人は今の一番自分にふさわしい人としかご縁ができないものだと

最近、悟ったからなのです。そして、その答えもまた、

ご本人にとっては必要な「アドバイスなのです。

最近うちの生徒さんも内容の厳しい相談を受けるようになってきました。

人として成長し腕を挙げてきている証拠です。

嬉しい限りです。

世の中の様変わり

最近、青年誌のような事件が続発していますね。

具体的には京都の学生グループが、

わかっているだけでも260人以上の

女子に体を売らせていた話のことです。

子供の頃から仮想現実のゲームの中で

人やモンスターを競って狩ってきた子たちが

リアルとバーチャルの区別がつきにくくなり

人としての感情を事象(他を傷つけること)に対して

合理的に割り切れるように訓練されてしまっているのでしょうね。

東大生が「彼女は頭が悪いから」と暴行事件を起こしましたが、

相手は自分とは違うと区別(差別)していた彼らの本音でしょう。

(女性の方は気をつけてください、ハイスペック男子は

最初からあなたのことを区別(差別)している可能性があります。

とりあえず安全なのは自分の身の丈にあった相手を選ぶことです。)

でもね、賢いはずの彼らであっても

自分の母、姉、妹、家族が同じことをされたらという想像力が

完全に欠落しています。平和ボケでしょうね。

過去に親の権威で示談にしたとか、どこかのお偉さんだとかで

未成年の時はごまかせても、社会的な責任を問われる

「成人」を認定された瞬間から。

犯罪行為があからさまになれば、違う形ですが、家族や親戚にまで

被害者と同様の苦しみが課せられます。

「天網恢恢疎にして漏らさず」

皮肉なことですが、我々のような一般人にだけは、

間違いなく当てはまってしまう格言です。

メールについて

時々メールが届かない、どうなってんだと言う連絡が入ります。

どうも「迷惑メール」に落ちてしまうようです。

その節は申し訳ありませんが、もう一度メールをお願いいたします。

個人用のメールアドレスをお知らせいたします。

お手数おかけし、申し訳ありません。





今野喜心

風水

風水について書いたので誤解のないようにしたいのですが、

私は鑑定を仕事にしない生徒さんに対し、推命以外の占術を

相談された場合「伝統風水」と答えることにしています。

私見で申し訳ないのですが、一般的な風水書を見ていると、

射幸心を煽るようなキャッチが踊る本は問題外として、

学術的にしっかりとした根拠のある風水書が

最近は多く出版されるようになってきています。

畑違いのお前が言うなとの声が聞こえてきそうですが、

干支を使う東洋哲学としては同根であり、

著者の河図・洛書の解説を読み込むことができれば、

その先生の実力が大体理解できるのです。

推命術の立場からいえば、

「個人」の運勢から「環境」に視点を移すことは

私が教室で言う「自と他」を「自分と住環境」との関係に

置き換えて考えれば、より理解が深まるのではないでしょうか。

人は自分の運勢通りの家を選ぶと前に書きましたが、

逆もなた真なりで、家の持つ個性が住む人を選んでいるとも言えるのです。

この辺りが、実はとてもおもしろく、断易がそれを証明しています。

(諸口流師弟問答の、一の巻の五十六に実例として出されています。)

そこで考えて欲しいのですが、

鍵と鍵穴ではありませんが、これほどガッチリと運勢と

環境がタッグを組んだら、これを動かすのは無理だと思いませんか?

もっと具体的にいえば、夫婦仲がうまくいかない星を持っている男女が、

夫婦仲が良くならない家を得たとしたら、

それは、その男女の運勢を成就するため,

離婚の苦痛を味あわせるために用意された負の器のようなものです。

しかし、もし、正確な風水を学び、自身の運勢を助長するような

環境を改善することにより環境からのマイナス因子は無くなります。

(あくまでも環境因子がなくなるだけで、持って生まれた

根本的な課題としての星は残ります。それでも、それがあるよりは、はるかに楽なはずです。)

このようにして環境からの影響を軽くすることができれば、

自分の中にある改善への「抵抗」が、かなり減るのです。

本当にこの辺りが面白くて、いつもなら頭にきていた、

パートナーの言葉をユーモアで返せるようになる。

(お恥ずかしい話ですが、この辺りは私の実体験です。)



伝統風水を名乗る方達はとても多い。

しかし玉石混沌です。

できるだけ系譜のしっかりとした先生を見つけてください。

注意点ですが、もし開運グッズ系でなんとかと言う方がいたとしたら、

それは「金」で運勢がなんとかなると言う思い違いです。

お金がなければ何も始まりませんが、お金ではなんともならないのが

「自分自身の欲」であり、持って生まれた星なのです。

このことに気づいてもらえれば、ありがたいのですが.........。



風水指導しているという生徒さんがいたので、

老婆心ながら風水についての私の意見を述べておきます。

政治と風水

朝鮮日報 風水

もし、政治家が政策の失敗を人力以外の「運」のせいにしたならば、

これはもう、リーダーとしてはダメな人であり、

「人事を尽くして天命を待つ」ことを放棄した

受動的な運命論者です。

陽宅、陰宅等の環境エネルギーが、

人に影響を与えることは間違いないと私は思っています。

伝統風水を学び、様々な個人の事例に合わせると、

居住者に起きるトラブルと、家相を鑑定し予想される事象が

一致する場合が多々あるのです。

居住者の運勢の波長と同調する、時には増幅させる家を

無意識に選んで入居している場合も多々あるようです。

(引っ越してから更に悪くなった、なんてのはこの類です)

しかし、もし、国家が政治のしくじりをそのせいにしたとしたなら

これはもうお話になりません。

理由は、国家権力を使えば、環境などと言うのは

あっという間に変えられるからです。

極端な言い方を御許しいただければ、

一晩で山を崩し、大河の流れをかえ、

龍も山も自在に造作できるのが国家の持つ力です。

この国の大学には風水を研究する学部があるように書かれています。

それならば、その研究成果を提示し、

議論の場を設け、迷信の誹りを晴らし、

新しい大統領府なり、なんなりのデザインを提案し、

作り直せばいいことです。

風水が悪いのどうのごちゃごちゃ言うなら

ダメなら改善したら、本当に、バカじゃない?と思ってしまうのは私だけでしょうか。

(それをさせないのも「風水」のせいと言われたら、二の句がつげなくなりますが。)

しかし、敢えて言います、

人は自分が生まれ持つ星や環境の影響を

無意識に受けていることを自覚し、その詳細を知った時、

必ずそれに対する対抗処置をとることができるのです。

諦めるほど愚かなことはありません。

夫婦

プレジデントオンライン

こんな記事を読むと家庭を持つより、

一人の方がどんなにマシかとなりますね。

その通りだと思います。

「妻」を「夫」と置き換えても、ありうる話です。

どうしてこうなってしまったのでしょうか?

生徒さんは考えてみてください。占いでも、運勢鑑定でも

この方達の例のように壊れてしまってからでは元には直りません。

人の不幸は気持ちのいいものではない。

知り合いに同じような状況の人がいたらアドバイスしてあげてください。

1、そこに至るまで、必ず予兆があったと思います。

その予兆から、相手は何に不満を持っているのか?を判断することです。

この事例のような場合、多くは「亭主」が頼りないというのがその理由になり、

特に、優しい夫の場合「頼りない」が憎悪に変わり、

見るのも嫌となってきます。

この例では、ご主人の「優しさ」が最大の原因です。

対応策ですが、初期段階の場合であれば、

威厳を持って「お前、ちょっと待て、少し話ししようと」

子供のいない所へ連れて行き、ストレスの原因の話をさせ

妻のガス抜きをすることです。

ただこれは、まだ、話ができる間の対処法で、

初手でしか使えません。

もし、話さえダメまで進んでいたとしたら、

早めに離婚の話をすることです。

この事例の場合は一番の問題は子供に対するネグレクトですね。

早期であれば、お腹を痛めた子供達です。

母親としての母性が目を覚ますかもしれません。

彼女の職責のストレスと母性の戦いになるとも言えるのですが、

これは目覚めさせるキッカケ作りとしての賭けです。

父親が賭けから逃げれば、子供達の苦しみは永続します。

それでもダメなら、子供中心の離婚調停をしてください。


日本は男社会と言いますが、逆に言えば、

男はそれなりのリスクを背負うべき存在と女性側からは

見られているのです。

言葉通りの「雄々しいもの」を期待されているのです

男性はそのことを自覚しなければなりません。

女性の求める期待に応える努力をしなければいけません。


この夫婦の場合であれば、課長に昇進し、

仕事で落ち込んでいる時、仕事のことはわからないけど、

大丈夫かと強く抱きしめ、妻が子供に切れた時、

(幼い男の子です、怪獣です。時々切れるのは当たり前です。)

夫が子供をしっかり叱っていれば、だいぶ違う夫婦になっていたはずです。

結婚というのは、深い深い縁によっています。

順縁だろうが逆援だろうが人生の学びの場です。

そこで起きる出来事の原因から目を逸らしてはいけません。

なぜなら、それこそが自分が他の人に一番見せたくない所だからです。

念頭にあたって

色々な意味で人と人の絆が唯一の救いになるような時代なので

少し書いておきます。

知っている方も多いと思うのですが、わたしのところでは

「復縁」「不倫」「略奪愛」についてのご相談は受け付けていません。

経営的には最悪の選択です。

解決できないのかと問われれば、できないことはない。

先日も生徒さんに講義の中で三角関係の命式の質問を受けたのですが、

なんとも、困ったものでした。

不倫された妻は最悪の運気にあり、夫と不倫相手には縁がないものでした。

何度かこのような関係を見たことがあり、易でもこのような卦が出ます。

最悪のシナリオは捨てられた妻が子供を道連れに心中するというものです。

ある程度年齢が行っている場合であれば、積み上げてきたもの全が

藻屑と消え晩年の孤独死となります。

最善のシナリオは苦しくても現状を維持し、そこに居場所がないのであれば

自立の準備をしながら再起を図るというものです。

(ここまでくると壊れた夫婦関係を戻すことはまず、無理です。)

ですから、別れたいという夫や不倫相手の言葉を、お客だからと

そのまま鵜呑みにすると、結果的に人殺しに加担したことになるのです。

絶対にやってはいけません。

もちろんこれは、残される妻の運勢が最悪だという事例の話で、

妻の方も若く元気一杯で、強い運が巡っているというのであれば、

全く違う話をします。

(その場合不倫の原因は妻にもある場合があるからです。)

夫婦というのは間違いなく、夫婦になる縁があり、

それには順縁と逆縁の二種類があります。

また順縁にも幅があり、一生円満な夫婦もあれば、

努力が必要な夫婦もありこれは時代や環境によって変わってきます。

逆縁の夫婦の場合は先に書いた夫婦が典型的な一例です。

このように書くと怖くて結婚なんてできないわという人が

出てくるかもしれませんが、起きてくる事柄の一つ一つが学びです

夫婦としての口の聞き方、家事、妻への態度、夫への態度、

特に期待と負担は紙一重となります。しかし粘り強く、

忍耐と許容をお互いが学べば、それが自然に智慧に昇華し、

子供の教育にも仕事の上でのコミュニケーションにも

必ず活かせられます。もちろんこれは理想の話ですが、

たった一度の人生です。

強い意志を持って生き抜こうとしてください。

2019年

2019年1月2日

新年明けまして、おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

是非、良い歳にしたいものですね。

わたし的には入門コースをより充実させ、

昨年末より始めた河図洛書と断易の研究を前に進めることを

今年の課題に決めたところです。

なんせ奥が深くて、どこまでいけるか.......。

頑張ろう。

2018年

最近思うのですが、安心して笑える時が一番幸せなのかもしれません。

目の前にある課題から逃げさえしなければ、いつか必ず笑えます。

ああ、また御説教くさいことをと生徒さんに怒られるかもしれません。

でもね、逃げるたびに、心は閉じていき、

人への優しさが冷え、人からの優しさを拒むようになるんですよ。

本当に大事なものからも逃げることになります。

そして、

大事にしてはいけないことばかりに目がいくのです。

逃げた自分自身から目をそらすために、

他人の欠点や弱点ばかりに目が行ってしまう。

(他人ばかりを意識していれば自分を見ないでいられるんだもの、これは自分を守るための安全措置です。)



私の中にもそれがあり、それに気づいて以来、閉じて固く、

鎧を被った、頑なな自我から解放されるためにこの仕事をしています。

長い時間がかかりましたが

最近、こぶし大にまで縮小し、それでも時々胸の中で騒いでいます。

これも自分なりに推命を追求し、人の持つ本質的な欠陥を知り得たことで、

得られた「楽」なのだろうと思っています。


幸い、生徒さんの中にも、同じような感想をお持ちの方が出ており、

これは普遍的な効果だと実感しています。


本年、お世話になった生徒さんや、その家族の皆さんに感謝しつつ、

2019年 ご縁を結んでいただける人が一人でも多くできることを

願いつつ、この一年を結びたいと思います。

ありがとうございました。


今野喜心 拝

理想と現実

なんとも、こんな時期に色々なことが起きてますね

特に最近思うのですが、お隣の国を見ていると

かつて命式研究に書いたのですが現大統領が就任した時点で、

この国まずいなと、その通りになってきました。

困ったものです。

それは彼の運の流れがその根拠になっていて、

若き日、盛運の時の実力も能力も、その理想もまた

素晴らしかったと判断できるのですが、

今の時点で、その理想を実現するには無理があります

最高権力は手にしましたが、運が終われば、そのあちこちに穴が開くのです。

例えば、運が良ければ、誰に、何を依頼したとしても

本人の意図は明確に伝わり、意図通り、時にそれ以上の

結果が得られます。しかし

運が落ちれば、どんなに詳細に意図を相手に伝えても、

曲解され、結果は散々なことになります。

さらに依頼された相手にしてみれば、こんなに忖度して

やってるのにと苛立つ。

このようにして負の循環が回り始め、

四方八方が敵だらけになってしまう。

そんな状態で理想を実現しようとするとき、

かつてのように多少の犠牲を払えば、

すべてがうまくいっていた思い出を頼って行動を起こせば、

処理すべき現実の課題が疎かになるのは当たり前のことで、

さらに悪いのは、その課題を二の次、三の次にし

逃げてしまうことです。そして、まさに、

そうなった時、怪しの連中が跳梁跋扈し始める。

おもいもかけない魔が生じるのです。

そこまで行かなければいいのですが.........。

(でも、これ、日本海で起きちゃってますね。)

それを止めようとする勢力もあるようです。

来年が正念場です。


どんなに運が弱い時でも、我々は、なすべきことを二の次にしてしまうと、

本当に面白いもので逃げた時点から、

色々な実に魅惑的なものとの出会いが生まれてきます。

そして、ストレス発散との合理的な理由をつけてそれを受け入れてしまう。

色事、薬、賭け事、酒、買い物 等々、

癒しだと思っていたものが行きすぎると魔に変わります。

これが人生の分水嶺になります。

こう書くと「逃げることが悪い」と誤解されるかもしれませんので

ちゃんと書いておきます。

最初から「魔」と出会っている人達もいます。

自分では選べない親、義務教育での同級生、望まれて結婚してしまった相手等々。

命に関わりそうなときは逃げてください。

2019年   1

2019年 どんな年になるのでしょうか?

いい年になると良いのですが、あまり良い予兆がありませんね。

12月23日天皇誕生日 平成最後の天皇陛下のお言葉がありました。

過去の戦争への贖罪、妻への思い、未来への希望を述べられていました、

大日本帝国時、支那事変以降310万人もの国民の犠牲の上に

現在の我々があることも述べられていました。

正しく後世に伝えて欲しいと仰られていました。

立派な方です。

その戦争の最高責任者とされ、

最終的な決済をなされたのが昭和天皇です。

自分の父親が、何らかの形でその犠牲者たちに対し、

重い責任があると思い、知った時、

その子は何を感じたのでしょうか。

計り知ることすらできません。



来年は代替わりというのが一つのキーワードになるのかもしれません。

うまく代が変われば良いのですが、多分、多くがイチャモンがついての

それだと思われます。


風水的な考えでは下元9運が2023年から始まり、

(大地を流れる大きな気の流れが20年ごとに変化するとの考えです)

今年の年末あたりから、その汽水域に入ったような状態で

来年あたりから、さらにはっきりと現れてくると思います。


潮目が変われば一気に変化します。

今のうちから備えてください。

何に?と問われるかもしれませんね。

それは自身の内にあるマイナス因子を減らすことと、

新しい時代の潮目を見逃さないことです。

サクッと時代

今朝、テレビで「スマホ決済」について話していました。

コメンテーターのかたが、これからは「サクサク時代」

になるかもとおっしゃっていました。

今の時代はなんでもサクサクと動き、めんどくさい手続きを

排除した商売が受けるとのこと。

そうなんだーとため息をつきながら、なんとなく時代の

流れに合点(がてん)がいきました。

最近「忍耐」なんて言う人が、ほぼいません。

我慢するのは仕事の時だけ、それ以外は、なんでも

ストレスレスのサクサクでなければいけない。

そうでないのは罪だ。

多くの人の心の底の底に、このような公式が

出来上がり始めているのかもしれません。

そう言う意味では、

クレーマーと呼ばれる人たちはその代表です。

我慢することはダメと学校で教わってきたのでしょうか?

(教えていたような気もしますが.......。)

その結果なのでしょうか、

感情をコントロールできない人たちが増えています。

人生の諸先輩が範を垂れればいいのですが、

いかんせん、6、7、80代の怒れる老人が

殺人事件の加害者として世間を賑わせ、

国民の代表の議員さんが子供のような、

訳のわからない質問を国会でしています。

誰を模範に生きたら良いのか、私のようなものには

皆目見当がつきません。

格差社会を懸念されている今日この頃ですが

平和な暖かい親御さんたちに育てられた人たちと

どんなにお金や身分があっても寒々とした家庭環境の

の水で育った人たちの間での環境格差が、

「表の世界」では議論されない大きな問題になって来るのかもしれません。

離婚、不倫、いじめ、引きこもり、自殺等々等の原因になっている

「心の闇」のことなのですが、加速されないことを祈るばかりです。





でも、対処法は簡単なんです。それは、

心に太陽を持つこと。

春先の太陽の光のように暖かく、優しい心持ちで、

他人と接することができれば、

生活さえ確保できれば、なんとかなります。

忍耐強く努力ができる楽観主義者になれれば、

毎日笑うこともできるようになります。

Simple is Best.


多くの先達の方達の多大な努力で政府が動き

各自治体に命を守るネットワークが義務付けられています。

国民の権利です、堂々と利用してください。

西郷隆盛と大久保利通

「西郷どん」がいよいよクライマックスです。

田原坂の戦いにしても、西南戦争全体にしても、田舎の山林の片隅でのいざこざのような描き方でしたが、1877年1月から9月29日にかけ官軍西郷軍合わせて1万3000人の戦死者を出した戦いです。


西郷隆盛1828年1月23日   

1877年9月24日 49歳没 戊申運 丁丑年 己酉月 庚子日 

   戊 癸 丁
   寅 丑 亥

75 65 55 45 35 25 15  5
 丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
 午  未  申  酉  戌  亥  子  丑


大久保利通 1830年 9月26日

1878年5月14日 

庚寅運 戊寅年 丁巳月 壬辰日  暗殺 47歳

   乙 乙 庚
   未 酉 寅

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

用神

昨日生徒さんに運勢の改善法についての質問をされました。

用神の具体的な使い方についての質問です。

流派の白眉を「正確な用神を見つける方法」とするなら、

用神の使い方は、個々が研鑽し身に付けるものであると

私は考えています。なぜでしょうか?

結局、それは「「運勢そのもの」を

どう解釈するかによって変わってくるからです。

例えば、用神が「木」の五行だと言われた場合

自分には木が必要なんだと、鉢植えをたくさん集めたり、室内の

木造製品を増やしたり、極端な場合は毎晩木製の何がしか

寝床に入れて添い寝することを用神の使い方だと

誤解する人が出てきます。

もちろん効果は、ないことはないと思います。

用神を使っているという暗示による安心感は運を上げるための

大事な要素であることには違いありません。

けれども、もうすこし、

本質的なことを考える余地があるのではないでしょうか?

それは、なぜ、自分は苦しんでいたのか?

その解決策として「木」の五行が推命術から運を開くための

用神として導き出された。なんで?ということです。

もし、人間関係の悩みが毎晩木製バットを抱いて寝たら

解決したとの話があったとしたら、なんて素晴らしいのでしょう。

でも、残念ながら私は寡聞にして聞いたことがありません。

それじゃ、どうするの?となりますね。

一年の締めくくりですから、すこし書いておきます。

(ほんのちょっとですが、すみません。)

まず、用神が「木」の五行の場合、その根幹は仁愛」になります。

そして、粘りつよく、折れずに、根を張り、成長し続けるというのが

その性情です。

用神が「木」だというのであれば、耳が痛い話になりますが、

実は、本人は知らずのうちに普段からこれが欠けやすい人で、

それが、あらゆるトラブルの原因になっているということです。

(愛情が欠けているというより気づかないうちに自分流の愛情を

優先しているといことです。なんとも、一番言われたくないことですが、

用神が取れるようになれば、一目でそれがわかってしまうのです。)

じゃあ、どうすればいいの?ですよね。ここからが用神の使いかたです。

誰彼、好き嫌いを言わず平等に接し、仕事でも、

家庭でも、粘りつよく愛情を持って過ごすことです。

(当たり前のことのように聞こえますが、確実にこれができていないというのが現実です。)

時間をかけてでも、これができるようになれば、

問題は間違いなく薄まっていきます。

自分が変わることで、環境も自然に、無理なく

変わってくるのが正しい用神を使った場合の現象になります。

どこかで書いたように、最初のうちはとても、

そんな自分に居心地が悪いのですが、自然に自分自身も落ち着いてきます。

ただ、これは自分が主なる原因の場合であり、

誰かの悪運に巻き込まれている場合は別法を講じなければなりません。




運勢が物のように扱えるのなら、

足りないものを足せば改善できるのが筋ですが、

残念ながら運勢は心の動きを支配しているものです。

とても大事なことを書きました。

各自、研鑽されることを切に望みます。  




今野喜心 拝。

年の瀬

年の瀬も押し迫り、そろそろ

色々今年の反省をしなければなりません。

まず、

今年一番の反省はやはり「失せ物」を外したことです。

的が小さい分、難しいところがあります。

そこで断易占いに関しては、

的中した場合にのみ料金を発生させることにしました。

次に、

私は対面鑑定を「一期一会」の機会と考え、出来るだけの

情報と改善策を述べていたのですが、それを消化するためには

かなりの時間の経過と労力が必要なようです。

今年の中頃からそれに気づき、

「自分を知るための入門講座」という形で、

お伝えする「こちらの言葉の根拠」を自分自身で学んでもらい、

人生の迷いを解消し、

自分の目の前にある選択肢を確信を持ってを選ぶことができるよう

講座を開講したのです。結果は間違っていなかったようです。

そこで考えたのですが、対面鑑定について、初回は現状の料金とし、

2回目以降は、それぞれの半額とし経済的な負担を軽減し、

状況に応じた二の手、三の手を打てるようにしたいと考えています。

もちろん、電話鑑定やメール鑑定にてご連絡くださっても結構です。

(ただし、恋愛の「復縁」に関するものは、こちらの消耗も激しいため除外いたします。)

色々書きましたが、洗心庵の一番のオススメは

「自分を知るための入門講座」です。

ご自身の問題を述べる必要はありません。

ただ、ご自身の生まれ持った星の

(四柱推命の視点から見た)正確な構成と解釈を理解できれば

現状で起きている事柄への理解が深まります。


そして、

この現状への理解というのが最も大事なキモになる部分なのです。

それは、現在起きていることの本質的な理由が見つからない限り、

人の心というのは、迷い「自分だけが世界で一番不幸だ」となるのです。

しかし、その原因が理解でき、起きている事態の必然性がわかれば、

迷いはなくなります。

「なぜ自分だけが?」ではなくて、

そうなんだから、しょうがない。それじゃ、どうしよう?と

過去を一旦、完了できる可能性が生まれてくるのです。

どこかで書いたように、これが、

「生まれ持った星に操作されない人生の可能性」ということになります。

「自分自身を知る」最善の方法だと思うのですが、

如何に。


ついでに書いておきます。

セミナーや、なんとか講座の先生方は、結構ヨイショして、褒めながら生徒のやる気を出すのに、先生は人の内臓ばかりを見ているようだと、生徒さんに言われたことがあるのですが、こちらは、できれば良医でありたいと願い、講義を行なっております。悪しからずご了承ください。

ワンピース 2

神宮外苑のいちょう祭りが、なかなかの賑わいとのこと。

暇なもので、好奇心から覗いてきたのですが、

いちょうは、やや黄色がかってはいたものの、

まだまだ緑が鮮やかでした。

主催者が来週あたりが黄葉のピークです。

よろしければ来週もおいで下さいと、

場内放送していました。

あの辺りは、代々木公園、明治神宮、新宿御苑と、

実に美しい黄葉を堪能できます。

雨曇りの日でも黄色の落ち葉が地面から銀杏を

照らし、その一角だけ別世界のような景色が見られます。



時々、独学で推命を学んでいます、格局法で見ると.....等の

質問をなさる方がいるのですが、

推命に限らず、東洋占術の世界は独学で、

それを身に付けることは奇跡に近いのです。

教室で使っている緒方先生のご著書も、

10年以上先生から直接学んで、

初めて理解ができる感があり、私はこのテキストを

全てが、「目次」だと思ってくださいと初めての講義では

生徒さんに伝えています。一般に秘伝と言われていることが

書かれており、奥が深く説明を受けなければ

誤って解釈されるきらいがあります。

(これだけは避けて欲しいのですが、先日も「最強運」とか言う人がいて、「強」は「凶」のことだよ、気をつけてねと伝えたのですが、そもそもの運の構造を知らずに星を追ってしまうと不幸なことになりかねないのです。)



独学で学ぶ10年より、数ヶ月でも、しっかりとした

先生につけばその概要は見えてきます。更に言えば、

まさにそのとき、独学で学んだことが全て生きてくる。

面白いんですよ、ここが、全部知っていたはずなのに、

単語の意味が全く違って現れてくるのです。

いままでかけた時間が鮮やかに結実していき、

一気に命式の理解が深まるのです。

真面目に学んでいればいるほど、結果が現れる。

この辺りが師を得ることの妙です。

余計なお世話ですが、良い師匠を見つけてください。

同学の氏に老婆心から申し上げます。






洗心庵にも初級講座がありますが、

泰山流四柱推命学会にお問い合わせくだされば、

他の先生方の教室の紹介もしていただけると思います。

ワンピース

四柱推命は難しいという人がいます。

そういう人の本音は、実は「いくら勉強しても当たらない」

というところだと思います。当たらないのには

いくつもの理由があるのですが、私が思う一番の理由は、

鑑定に一番大事なピースが欠けていることにあります。

独学で研究している人に多いのですが、

学理を完璧に身につけても、実践では使えないのです。

学理とは、格局法でも調候用神法でも

「急所になる星の力量を正確に測ること。」なのですが、

それができても使えないのです。

こんな、ややこしいことを学ばなくともバシバシ当てている

占い師の先生方は沢山います。

さて、どこが違うのでしょうか?

学究肌の方達は頭を抱えると思います。(自分の方が賢いはずなのにと。)

実は、これ、学理によるものではなく、一つは経験、

一つは観察力によるものなのです。

つまり、人生の経験値が少ない人には見えないものを

彼らや彼女らは判断の根拠にしているのです。

(高い経験値です。まさに統計学としての推命になります。)

つまり欠けているピースというのは、

「ナマの人間を知る」ということなのです。

人の持つ喜怒哀楽、妬み、憎しみ、強欲さ、執着、愛情、

近親憎悪、焦燥感、そして悲しみ.......etc,etc.

あらゆる感情の変化を考え、自分の身をそこに置いて、

判断しなければ、人なんてわかりません。

(学究肌の方達に人間嫌いが多いのも事実ですね。)

「運」は心が作るものです。

正直に言います。

過去の人生が今の「運」を作っているというのが私の考えです。

そして、

自身の過去の結果としての星(人生)を認識できた時、

違う人生の選択ができる。

そう私は思うのです。

だから自殺というのは最悪な選択になるのです。

死に逃げてはいけません。無限ループが始まります。

命の連続性の観点からものを考えると、

仏典にもあるのですが

「命」が人として生まれ変われる可能性は、

地上全てが海によって覆われていたとき、

100年に一度浮かび上がる目の不自由な亀が

風に流される穴の空いたくびきの穴に、

自分の首を入れることぐらいに稀だとのことです。

まさかと思われるかもしれませんね。

でも、「命」の連続性からいうと、

虫も、魚も、鳥も、動物も、細胞を持つあらゆるものを

命として数える時、人類などというのは実に希少種だと思うのですが。

逆に言えば、落ちる先の可能性は限りないということです。

できれば人として生まれて来たいものですね。

今、どんなに苦しくとも、人として生まれた「幸運」の中に

我々は生きています。

幸運のフクロウがいつも右肩に止まっていて時々、

「やめときな。」とか「嫌かもね、でも、行ってごらん。」とか

囁いてくれているのですが、

気づかないんですよね。これに。



今の苦しみは、その原因を手放せば、

時間とともに必ず薄まっていきます。

手放せないのであれば、休むことです。

原因が人であるのならば、人は必ず歳をとり、

老い、弱り、死ぬものです。

憎っくき上司も、ウザイ同僚も後輩も同じです。

親も、子も、ママ友も皆一緒です。

(原因が人でないときは、少し、考えましょうね。)

ボヘミアンラプソディー2

この映画を観て、フレディ・マーキュリーを

「孤独」という人がいたのですが、

先日、家のものに連れられて映画を観、

家の者も彼を「孤独」と表現していました。

映画の作り手の印象操作に、まんまとハマったなと、

内心では思ったのですが、そんなことを言えば、

めんどくさいことになるので、黙っていたのですが、

幸い、家族はこのホームページを読んでいないので、

本音を書きます。

映画としての出来栄えは、事実に即して20年分を

2時間弱で表現するのですから、手法は弾丸ツアー的で

メインイベントの頭を擦るようなもので、大事なところは、

「フアンなら知っているよね。」的な暗喩の画面で構成され、

若干、物足りません。

無垢な目で見る人達にとっては、

フレデイの生い立ち描写からの、苦悩、成功、苦悩という

典型的なストーリー展開に音楽のインパクトが重ねられ、

歌詞にそれが乗り、最後に完全昇華されていくという、

典型的な描き方です。しかし、音楽は勿論ですが、

図抜けていたのは、この役者さんの演技力で、

動きのコピーのレベルの高さがハンパないのです。

本物を見たこともないので、比べようもないのですが、

よく見るユーチューブの映像とほぼ同じです。

プライベートでの姿も、然もありなんと思わされるぐらいの

完成度。びっくりしました。

映画の話を長々と書いていますが、

ただの映画好きのクイーンのフアンの戯事です。



ここからが本題です。

よく映画でもドラマでも、「苦悩」の原因を家庭環境や

コンプレックスとして描きますが、

それは実に人間の心の中にある諸々の欲望の、ほんの一面です。

「欲望?」変なふうに聞こえると思えますが、

表層的なコンプレックスは欲望が叶わないことから生じます。

例えば、あと3センチ身長が高ければモテるはずなのに、

と言っている男子がいたとします。けれども実際は

女子に声をかける度胸がないことの言い訳である場合がほとんどです。

一事が万事です。

心の中にある一線を超えるには度胸が必要であり、

「コンプレックス」という言い訳をしているうちは

ちょっと難しいかもしれません。

でもね、それで助かっている人たちが山ほどいるんですよ。

本音で生きるとか、自分に嘘をつきたくないとか言って、

多くの人が、刹那的な感情に操られ、

「常識」に守られた世界から奈落の底に落ちています。

コンプレックスは悪い一面だけではないのです。

あらゆるものにはポジティブな面とネガテイブな面があるのです。

ただ、その中でもどうしようもないのが、

嗜好と出自と生まれ持った肉体に関するものです。

これは治せません。

嗜好はギリギリなんとかなるかもしれませんが、

あとの二つは無理です。

しかし、もし必要ならば徹底的に戦うべきです。

そして戦いが終わったならば、難しい作業になりますが、

そのコンプレックスを認め受け入れなければ前に進まないのが人生です。

難しいですね。

それでは彼の場合はどうだったのか?

彼の苦悩は、映画で描かれていた苦悩の原因とは

違うと私には思われる。

「ラウンド・ミッドナイト」という映画をご存知でしょうか。

年老いたテナーサックス奏者の話なのですが、

その台詞の中に

「毎晩 創造することは、出来上がったものは美しくとも、

その作業は死ぬほど苦しい。」

麻薬も酒も、乱痴気騒ぎも、多分これが原因です。

彼のような天才であっても、

モーツアルトのようにはミューズは降りない。

この辺りが、全く描かれていません。

どうしても、誰にでも、わかりやすい人として描くのが

映画の手法です。

彼がどれだけ周りから愛されていたか。

最後のシーンにそれが表現されているのですが、

実際とは違うとの説もあります。

彼の孤独は映画で描かれているような陳腐なものではなく

あるとしたならば、創造者の孤独です。

ボヘミアンラプソディー

今日「ボヘミアンラプソディー」を観てきました。

私の中では未だに、ビートルズとクイーンを超えるバンドはいません。

「命式研究」にメンバーの命式をあげておいたので、

生徒さんは、しっかり研究してください。

映画のストーリーに流されないよう鑑定してください。

個々の立ち位置と彼の持つ「孤独」の意味がよく理解できると思います。

最近の風景

最近、嫌なことが多いですね。

景気もいいんだか悪いんだか、よくわかりません。

昔のフォークソングなどは、こうゆう時代を

夢も希望もない世界とか、表現していたのですが、

面白いことに、その手の歌詞をほとんど聞きません。

多分、昔は政治や世界の潮流と自分のあり方が、

今よりも強くリンクしていたからだと思います。

それじゃ、今の我々はどうなんでしょうね?

もしかしたら、なんとなくですが、

理想とか未来とかよりも「足元にある楽しみを見つけること」

に向いているのかもしれません。

SNSの端末さえあれば、それができるのですから当たり前と言えば、

当たり前です。(足元ではなく手元に訂正しておいてください。)

私は教室で「楽しみやお金」が増えると「知恵が潰れる」と

言っているのですが、

国会議員を3年ほど務めた方達が、おバカになるのは

このような理由もあると思うのです。

おおよそ2千万円の年収に、さらに先生と言われ、

権力を持てるわけですから、自然に、常識を装うという知恵が消え、

地金が顕れてしまう。

でもこれ、元々が、そうゆう人だったということです。

そして、問題は誰がそいつらを選んだのか?ですね。

選ぶ側は、巧言令色に惑わされてはいけません。

でも、比例代表制がある限り、無理かな。



野党の皆さんは、まずは比例代表制廃止からでしょう。

お馬鹿議員さんがこれだけ活躍しているのだから大義名分にはもってこいだと思うのですが。

今の時期になるとSMAPの「あの時僕たちは〜」が無性に懐かしくなってくる。

もう、聞けないのが残念でなりません。

冬月というのは過去が無性に思い出され、

もし、あの時とかの、たらればに、

心が遊び、時間ばかりが過ぎて行く。

日々の仕事に追われる人には、とても大事な時間です。

でも、もし、することもなく、自分を追い込むことばかりしている人が

いたとしたら、やめておいたほうがいい。

過去は変わりません。



人の心は止まるということが、ほぼ、ありません。

摩訶止観などの心を止める修行ですら停止するというより、

脱力が極まり、くつろぐ安楽さの中に留まるというのが

体験者のお話です。(意識はあるのです。)

凡人の私などが、行じると呼吸を数えているうちに、

嫌いな奴の顔や、好きだった人の顔が浮かんでくるもので

それこそ煩悩のオンパレードです。(情けない......。)

まあ、それを見つつ、呼吸に意識を置く努力をしつつ、

煩悩のパレードの当事者から、その観察者に移行して行く

というのが第一段階になるとのこと。

自分の心の闇と光を探るのにはもってこいの方法です。

最近はマインドフルネスというらしいのですが、

上手にできるようになり、心が安定してくれば、

自然に表情が変わってくる。そうなれば、

その先に、良い出会いが待っているかもしれません。

エモーショナル

最近ニュースにあがっている事件について、

なんとなくですが「エモーショナル(emotional)」という言葉が

想起されます。明確な動機があまり見つからない。

なんとなく、かわいそうだから、

仕方なしに、してみたかったので、等々。

行動する根拠が曖昧で、「雰囲気的なもの」に流されている。

これ、ダメですね。

流れ(emotion)に喰われている事象です。

国家レベルで言えば、過去に積み上げてきた先人たちの知恵が、

水泡に帰すという意味になります。

毛沢東などは、これを戦術として扱い、

幼気な子供たちの「エモーション」に訴えかけ

「造反有理」のスローガンのもとに権力を奪還しました。

我々のような一般の国民、市民、ネット民と呼ばれる者は、

為政者やマスコミの扇動に、冷徹な目を持ち、

煽りを受け流し、批判する目を持たなければなりません。

本当に難しい世の中になっていきます。

情報の発信元の信用が稀有に近い。

個人と個人の間には、区別も差別もありません。

良い人は良い人。悪い人は悪い人です。

それが、別の括りになった時(国家、出自、民族、宗教、肌の色、等々)

差別や区別が生まれてくる。

この恐ろしさを認識しなければいけない。

検索していたら面白い記事を見つけたので、

貼っておきます。

生まれ育った文化が変われば、風情も変わるということです。

朝日新聞デジタル

この大新聞社にも同じことが言えるのではないでしょうか。

メルカリ

今日メルカリについての記事がネットニュースに流れていました。

ITmedia

SNS時代の、時の利に乗った勝ち組の一つです。

ただ、楽天などに代表される、真っ当な事業主ではなく、

信用調査なしの一般素人が個人情報の秘匿を前提に

出品でき、安全に気軽に儲かるという

射幸心を煽ることから始まっているため、

遮二無二にお金が欲しい人たちから、目をつけられてしまいました。

そりゃ、やりますよ。個人情報厳守なんですから。

泥棒も守られる。これも人権です。実に難しい問題です。

会社は取引の場を提供するだけですから、基本、リスクは負いません。

法令上の違反があれば削除する等、

倫理上の責任は問われて当然のはずですが、その程度です。

昔から博打で恒常的に儲かるのは胴元だけとは

よく言ったものです。

そのうち、集団訴訟でも起きた場合、どうするんでしょうか。

腹黒い弁護士さんが世の中に横行しているようです。

法の解釈は年々変わるものです。

人権を優先する「かわいそう」感情がより重いというのが

最近の流れのようです。


企業の皆さんは、

知らぬ存ぜぬでは太刀打ちできなくなります。

リスク管理はしっかりしてください。

座間事件

命式研究に座間事件の容疑者のものをあげておきました。

生徒さん達にとっては最初の入門講座で学んだ、

一番の基本原則の実例だと理解してもらえると思います。

入門講座の内容は、実に単純で明解ですが、最重要な内容を

教えています。そして、このように紛れもない実例があるのです。

「自分を知る講座」についても、同様です。


最近の傾向なのでしょうか、親族に関係するものと、

SNSで引き寄せられてしまった犠牲者達が多く、

すでにプロの鑑定家として立っている方も、

身近な大事な人達からの相談に真摯に応えたいと思い

推命を学んでいる生徒さんも、

自分が相談された時、迷わないよう、しっかり備えてください。

ハロイン

10月31日、ハロウインとのこと。

先週末は武蔵小山商店街も、

仮装した子供達がアーケードを練り歩いていました。

本当にここ数年間の風景で、何がきっかけで流行ったのかを

調べてみると諸説噴飯で、最有力説が、

東京デイズニーランドで2000年ごろから始まった

「ディズニー・ハロウィーン」仮装イベントが最有力なのだそうです。

(アニメフェスのコスプレイベントに目をつけた連中がベースになって、

ドンキあたりと広告屋さんが家族(低)価格コスプレ商品を仕掛けたように私には思えるのですが。)


時々洋画で、おしゃれな都会のオフィスの

ハロインパーテイーの場面が出てきますが、

日本でもやってる所があるらしいとのこと。

なんとなくバブリーな匂いがしてしまいます。

このレベルが日本経済のピークなのかもしれません。

とりあえず新卒の就職は順調なようですが、

甘えて、奢って、自ら潰れている企業が目立ちます。

手抜きの仕事は命取りになりそうです。

SNSにより隠し事は厳しくなっています。

不良品を流通させて技術大国じゃ、

しょうがありません。

ケルトのドルイドの信仰によると10月31日は

日本で言うところの大晦日とお盆にあたり、

あの世とこの世の門が開く時なだそうです。


ケルトといえばケルテックウーマンですね。



ドルイドによれば、この日あたりから本格的な冬が来ると言うことでしょうか。

風邪をひかないようにご注意ください。

夫が嫌い

なんとも切実な記事を見つけてしまったので

貼っておきます夫が嫌い


「望まれて(望んで)結婚した」と一概に言いますが、

夫婦というものの内実は実に様々です。

この辺りの事情を見極めることが相性の鑑定の肝になるのですが、

なかなか難しい。

相性が良ければ、一緒にいても楽チンなのですが、

情熱的な「恋愛」感情が生じるかとなると、

これは別の話になってしまう。


男女の仲というよりも、

自分と自分以外の人とのおつきあいというのは実に厄介です。

考えてみれば、

自分自身とのお付き合いも難しいのだから、

当たり前としなければいけませんね。

頑張りましょう。

運命

人の運命は、持って生まれた「(いくつかの)星」と、「運勢(運の流れ)」によって

成立していると言うのが定説となっています。

しかし人は、苦しみ、悩み、後悔することによって、

その原因を理解し、痛みを繰り返さないために、

考え、行動する自由が与えられています。

これは、もし、我々の苦しみが運命の見えない糸(意図)

によって操られているとしても、運命には縛られていない、

領域が誰の心の中にもあり、それによって人は

運勢とは違う行動、考えを選択し、その結果

その運命を変えることができるのだと私は考えます。

そして、もし、それを望むのなら、「運命とは何か?」を

学ぶことが、その最短の近道になると確信しているのです。

それを望む方たちの一助になれれば幸いなのですが.......。

妬み癖

妬みについての面白い記事をみつけました。

私も、もともと妬みやすい性格なので、彼らの性状が実によく理解できます。

だれの心の底にもある、暗く、濁りやすい部分です。

実は「喜心」の雅号の意味は、嫉妬心の対処法として、

「他人の喜びを我が喜びとして受け入れる」という

仏典によるものなのです。

お陰さまでしょうか、心は、だいぶ楽になりました。

自戒の意味を込めて貼っておきます。

東洋経済 地方を滅ぼす「成功者への妬み」のひどい構造 

議員さんのやり口というのは、やはり、

いろいろなこと(者)を代表している人らしく、

凄いですね。これが権力というものなのでしょう。

商品でも技術でも商売でも「品質のレベル」を保つためには、

下位のレベルに合わせてしまうと、結局、

「前と違うんですけど.......。」ということになり、騙された、

二度と買うものか。となります。



我々は「平等教育」を受けているので皆平等なんだからと、

「権利」と「能力」を区別できずに、ごちゃまぜにし、

能力までをも「平均に」したがるのです。特にお役所は

これに弱く、ごり押しされると言い訳ができなくなるようです。

どうすればいいのやら.......。

妬むことにエネルギーを使うよりも、コーチを受ける方が、

長い目で見れば、はるかに徳なはずだとわかっていても、

第三者が(善意の?)介入したり、感情が(妬みの心)が先走り、

それを拒否してしまうのです。

学歴もあり頭もいいのに「苦労」している人にも有りがちな姿です。

プライドでは飯は食えません。

自分の顔に責任を持つこと

秋霜の気が日々に増し、

ここ一年の時の流れの速さに呆れる今日この頃です。

色々考えさせられますね。

「運をよくする10個の決め事」やってますか?

やっている人からは、結構良い報告を受けています。

どうです、やってますか?

なかなか意識して行うのは難しいかもしれませんね。

それなら、普段の行為のバランスシートとして、

チェックしてみるというのも、一法ですね。

(安岡正篤先生も「易と人生哲学」の著書の中で紹介されていた、

袁了凡の「陰騭録」より、はるかに基準点が絞られています。)



10善業というのをさらに見ていくと、これは三つの行為に対する、

対処法であることが見えてきます。


一つは、怒りを起因とする行為(瞋恚(しんに) 自分の思い通りにならないことによる怒り)

一つは 強欲を起因とする行為( 無理のある執着)

一つは 嫉妬を起因とする行為(対抗心からの妬み)


「悪口」はどうすればいいんだ、とか「噂話」大好きだし、

これってストレスの解放(解消)には不可欠という方もいるでしょう。

その時は上の三つに照らし合わせてください。

(特に「嫉妬」については、ほとんどの人が気づかずにやっています。)

その結果ですが、バランスが悪い方に傾くと、いずれも

人前から離れた時、

素(す)の表情が、淀んで醜(みにく)くなります。

手相と同じように、人相に積もり積もった心の表情が出てくるんですよ。

嫌なこと書くな〜と言われるかもしれませんが、

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と

リンカーンは言ったそうです。

お互いに頑張りましょうね。


「十善業」より再掲載しておきます。

自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これは、しょうがないことです。

今は記憶の切れ端も無いけれど、こころに刻まれている、

まぎれも無い過去の行為の証(あかし)なんですから、

自分が生まれた環境もまた「その結果」だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

まず、このこと(因果)を自覚しそれを受け入れる事。

そして、受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなしてきた業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じてしまう。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は意図すれば瞬時に、豊かに、満たされ、巨大に

充実し、さらに時により熟成されることができます。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

ここ数日の講義の中で、土の動きについての

質問があり、実はとても喜んでいます。

みなさん、とてもよく知っているかたの命式についての

質問でした。ご本人のナマの姿を実際に見ているわけですから、

理論上のそれに当てはまらなければ、疑問に感じて当たり前です。

「土」えっ?「土」は「土」でしょ。

三合局とか、方合とかで変化するあれ?

まあ、その通りなんですが、このような

すでにテキストに記載されている事がら以上に

深い奥があるのです。ただし、

これは実力が付かなければ、返って危ういものになるので

基本、教えていません。

(合や冲の現象は明確で、学習の検証としては最適なので、すぐに教えています。)

一通りテキストが終わり鑑定に自信がついた人は教室の中で聞いてください。

こういう課題を持ちながら、勉強するのも、大切です。





頑張ってください。

健闘を祈ります。


教室選びについて

占い

先日、占いを依頼され、外しました。

腕が鈍っていることを痛感しています。

私の主義として、占いは当たらなければ、

料金はいただきません。

(ちなみに占いの料金はホームページには乗せていません。)

もうちょっと、ちゃんとしなければいけませんね。

実は

恋愛や人間関係を占いで見た場合、実に人の心は動きやすく、

占う前と後では、出る卦が違ってくるものなのです。

占いを受ける前、何かに憑依されているような方でも、

こちらとの対話の中で胸の内を吐露し、

心が洗われた状態になったとき、実に綺麗な、

本来の人の顔に戻る場合があり、その瞬間は

運(心)が安定しています。

占いというのは、依頼者の心を基準として、その先を

それぞれの術の主なるものが判断して行く。

易ならば、易神が、タロットなら、カードのスピリットが

と、やや神秘的なことを書きますが、実際はそんなものです。

もうちょっと書くと、人の心は、流れやすく、濁りやすく、

時がたてば、また、澄んできます。

だから、その刹那の感情を基準にするような占いでは、

あまり役に立たないのです。

本質的な、その人の心を構成している星と、その流れをよく読む技術がすなわち、

運勢鑑定となるのです。

それゆえ人の心を占いで測るのはあまり、好みません。



問題は判じ物です。運勢とは別の話で、これは占いでしかわかりません。

箱の中身はなんですか?というやつで、

専門用語では「射覆」(せきふ )と言います。

これは難しい。

周易、断易、また梅花心易のように

外応をキッカケにする占術があるのですが、

これは基本、四六時中易占の世界にいる人たちに

できる技です。

残念ながら私はそこには至っていません。

そこで、もうちょっと修行しないとと思い、

しばらくの間、

無くしたもの、見つからないもの、いわゆる

「失せ物」に限り、無料で見たいと思います。

無くした状況、そのものの価値を記載していただき、

結果をおしらせくださる方は、メール鑑定フォームより

ご依頼ください。

中国とアメリカ

現代ビジネス

日本では中国に関するニュースや番組には

鍵がかかっているようで、基本アミューズメント関係の


どうでも良いものと、不正や腐敗を正している的な、

正義のニュースが流れていますが、実際起きていることは

現代ビジネスの内容そのものなんでしょうね。

国家を挙げての産業スパイや金にものを言わせての内政干渉等々、

日本の企業やマスコミ、政治団体の深層部に同じことが

起きていると考えるのが実に自然なことのように思えます。

私も、何人か中国や他国の留学生を知っているのですが、

一般の日本人よりも、はるかに勤勉で、向上心の塊のような

方が多かったように思えます。

ヘイトスピーチのデモをする前に、もうちょっと、

我々日本人も頑張らないといけません。

あるおばさんが言っていたのですが、

「外人が日本人の職業を奪っているのよ、困るのよ。」



「そうかもしれませんけど、日本人に根性がなくなったんで、若い子が、

ちょっと、きつい仕事に就きたがらないんだと思うけど......。」

おばさん。

「そう言われれば、そうね、隣の子も保険の外交がきついって、こないだ辞めたのよ。」と

身近の子を見ているのですから、完全に納得です。



先日、築地市場の移転のニュースを見ていたら、

インタビューに答えていた、若い子が

「築地で働きはじめて5ヶ月ぐらいだけれど、僕らの世代の仕事感は、仕事は仕事、そのあとは自分の趣味とか、プライベートに重点を置く、でも、ここには、昔の日本のように仕事を人生そのものにしている人達で、とても新鮮で、........。」


と言っていました。

これを聞いて愕然とするとともに、色々思い出したのですが、

バブル最盛期、仕事に就かなくても、バイトの方が気楽で

お金も稼げるしと、言っていた連中がたくさんいましたね。

結局、この人たちが多様な働き方政策の原因を作り、

使い捨て労働を法制化させてしまった。

なんともかんともです。これもバブルの功罪です。

「安楽は智恵を砕く」

肝に命じなければなりません。





先に書きましたが、時代こそ「教育そのもの」です。

そして、教育というのは「良い」ことばかり教えるのではなく、

「悪い」ことも教えるのです。



過去の中国人が教えられた「阿片」にも同じことが言えます。

賢いことに、今の中国はその過去を学びにして、

麻薬商売は、ほぼ「死刑」です。

我が国は、あまり、過去や他国から学ぶことを好まないようです。

嗚呼。

昨日、生徒さんと話したのですが、

私の考えでは、人の人生を作るものは、

運勢は重要な要因ではあるが、

主なる力は「教育」であると話しました。

ただ、その教育というのは、学校で習う

「教科書」的な知識ではなく、

その人が生まれた時代から与えられた「命題」

具体的な例で言えば、幕末、「西洋列強に隷属するのかしないのか」を

課題に出された武士達の、それぞれの心の中に起きた

自問自答のようなものです。

自身の武士としてのあり方(立場)に直面すること。

(自分自身の姿を(時代)の鏡に映し、欠点も長所も素直に受け入れ、そして、何をするか決める。)

その姿の一部は「エポックメーカーの欄」に、

書きましたが、残念ですが一般の方には理解しがたい

部分があると思います。けれども、なにがしか、

学んでいる方には、「なんで、こんな、無理でしょ?」と

思えるような運勢の方が、英雄として名を残しているのです。

人は、生まれながらに人生が決まっているのではありません。

何を思い、選択し、情熱を持って、やり遂げる意思によって

人生に華を咲かせることもできるし、

諦め、腐り、捨て台詞が常套句となる、

ご本人自身も、子供の頃には夢にも思わなかった人生を

過ごすはめになってしまうこともあるのです。

自分は「運が悪い」と言った途端に運は悪くなる。

そんなものなのです。人生は。

そして、人は、幸せになるよりも、運が悪くなると言っている方が、

「楽」なのです。

だって、「運」をよくする努力しなくていいんですもん。

そしてね、なんか知らないけれど、その努力が、

計り知れないほどの代償を求められる、

(例えば、1千万円の壺を買わされるようなこと)

と考える方がいるのですが、そうではありません。

ただ、普通に自分を虐める会話をやめること、

他人と自分を比べることをやめること、

他人を利用しないこと、傷つけないこと。

誰にでも親切にし、約束を守り、パートナーを大事にし、

よく、人の世界に参加し、泣いたり笑ったりしながらも、

そういう自分を大事にすることです。

反省は必要ですが、自分をいじめてはいけません。

そして、これを果たすことに、難癖をつけないことです。



人の持つ運というのは不思議なもので、運が厳しい人ほど、

こんな単純なこと、やっても無駄さ、意味がないと、

否定するものなのです。




もし自分の運の良し悪しを知りた人がいるのならば、

だいたい、これで判断がつききます。

自分と自分と同じように他人を大事にし、傷つけていない人には

運が付きます。





さて、あなたの運はどうですか?

nコン

なんやかんやと文句を言いながらも

今年も延々と3時間、テレビの前に座り

録画したNHK合唱コンクールを3日間聞きました。

問題多々ありの中学の課題曲、

なんだかなと思って聞いていたのですが、

コンクールが終わり審査時間の合間にSuperflyさんご本人と

生徒達との合奏があり、彼女の声が私の耳に届いた瞬間、

愛おしく、嬉しく、懐かしい、そして誰かに、

やっと理解してもらえたような、安心感に包まれる

衝撃を受けたのです。


この曲、学生が歌った時は、なんのこっちゃ、

わからなかったのですが、

ご本人が、子供達の前で歌った時、歌の命が完成し、

聴くものに伝わってきたのかもしれません。

(ちなみに家の者は途切れることなく号泣していました。)

彼女が子供達のために書いた歌ですが、

それが完成した時、子供達への言葉と共に、

それを生み出す彼女の心も伝わってきた。

本当に、純粋に、子供達の未来を思って作った歌なんですね。

親から子へ、人生の先輩から後輩へ、温かく、静かに

いつも見守ってくれているような、

優しい優しい心と、言の葉に紡ぎ出された詩です。

これが良い意味での「母性」とか「アガペー」とか

言われるものなのかもしれません。

いくら頑張っても、子供の立場で理解するのは、

ちょっと難しいかもしれません。


「下弦の月」もいつか必ず望月になり、

照らす景色は違って見えてくる。



感動して泣いた親はたくさんいたと思います。

どの合唱部も作者の「詩」を理解し、その感情を

表現しようと指導されているのですが、

大人にならなければ、理解できない言葉、時間を経なければ

どうにも腑に落ちない言葉が、間違いなくあるということです。

逆に言えば、大人達は、自分の言葉は、思うほど、他人や

子供達に理解されていないことを肝に命じなければなりません。

(国も男女もトランスジェンダーも同じですね。)

我々の仕事もまた同じか。..........................嗚呼。

gifts

人恋ふは悲しきものなり

誰かを大事に思う時、

夫婦であっても、恋人であっても

肉親であってもそうでなくとも、その人を

大事に思う心は暖かく、切ないものです。

でも、そんな時、よくあることなのですが、

相手の幸せを願いながらも、実は、自分の定規の目盛りを

相手に押し付けている場合があるのです。

別の言い方をすると、相手の気にくわないところを、

自分のいう通りに、してちょうだい。と、

一番大事な人が、その人ではなく、

自分に入れ替わっている場合があるのです。

よくある喧嘩の原因がこれですね。

いつの間にか温かい心が冷め、愛しい人から

嫌な奴に移行していく。

もし、喧嘩の原因がここにあるのならば、もう一度、

自分自身の心の中を覗くことから始めてください、

素直にさえなれば、解決の近道になると思います。

バランス

ダイヤモンドオンラインの記事を「近代のエポックメーカー」に貼ってあります。

そこにも書いたのですが、

この三人は(ヒトラーを含め四人)の命式は分析積みです。

そこで、考えて欲しいのですが、

彼らの病気や病状を蔑んだり、これじゃ無理でしょと、

ハスに構えて、利口ぶるのではなく、

自分の器以上の夢を描き、それを手にしたものの苦しみを感じてください。

器量以上の責任や期待をされた時、人は壊れることもあるのです。

子供さんのに関する相談や、仕事の人事など

相性だの、貴星だので判断していたとしたら、

人が死にます。気をつけてください。

「器」の大小、すなわち、「力量」を測ること。

これを見極めることが鑑定の基礎となります。

その上で、よく相手のお話を聞くことができれば、

自然に、何をすればいいのかが見えてきます。

出光佐三 

エポックメーカーの欄に出光佐三さんの

命式をあげておきました。色々な意味ですごいかたです。

決して運勢だけに乗って名を残した方ではありません。

9部の努力1の運というところです。

その理由は初年に受けた教育の賜物だと思われます。

やはり、教育は命運を超える力があります。

一命、二運、三風水などというのは糞食らえです。

人は目的を持ち、努力し、行い、他人を大事すれば、

運は開ける。そう思って良いと先達達は、

その生き方で示してくれているようです。

温故知新とはこのことですね。

プライド

人の悩みは多種多様です。

お金がないとか、仕事がないとか、

現実的な悩みについては、努力の如何で、

なんとかなる場合もあります。

しかし、

苦しみの原因がご自身の

「不器用さと併存しているプライド」

にある場合、これは如何ともし難い。

特に若い世代への諫言だと思ってください。

他人からエリートと言われると、

イヤイヤ、そんなことありません。

と、満更でもない表情で答えるけれど、他人から、

ダメな奴とかデキナイ奴とか言われると、

お前らなんかと違うんだ、この仕事だって、

好きでやってるわけじゃない。と内心で呟き始める。

このような人をハタから見ていると、一つは、

自分は諸先輩より「できる人」という、

確信をお持ちの方が実に多い。

自分が一番賢いと刷り込まれいて、

上司はバカ、会社もバカ、誰も自分の価値をわかってくれない。

それが態度や、言葉に現れて、

結局相手にされなくなり自分の居場所かなくなってしまう。

もう一つは、

自由平等思想の間違った教育のせいだと思われるのですが、

いつまでも学生気分が抜けず、社会に出ても、

なんでも、かんでも人間関係を対等にしようとし、

しくじり、はぶかれる。

世の中まだまだタテ社会であり。完全な男女平等でもありません。

さらに、

権利は平等であっても、負っている責務(義務)によって

自ずとそこに差が生じるのは道理であり、

根拠のないプライドとは別次元の話です。

自信を無くし頑な心の傾向を持つ者は、追い詰められると、

自分以外は「劣悪」「劣等」と思い込みたがるものです。

覚えておいてください。

プライドというのは下手をすると「差別」を生みだしてしまう。

かつてヒトラーがゲルマン民族を煽った手法であり、

最近、世界中で流行りつつあるものです。

ぜひ、融通性と臨機応変を学んでください。

そのためには、それが上手な諸先輩に頭を下げて、

教えを請うことです。

目的がはっきりしていれば、プライドは傷つきません。





就職戦線もそろそろ大詰めですね。

がんばれ。

十不善(再掲 加筆)

若いときの失敗は、

「人生なんてこんなものさ、次でしっかりキメてやる。」

そう言って自分の心に踏ん切りをつけ、

なんとか立ち直るものですが30から40代を過ぎるあたりから、

しくじりが続くと、

「思い通り行かない。苦しい。」と心のつぶやきが始まります。

(いつからなのか記憶にない、子供の時からそうだったという人もいます。)

親が悪い、あいつが悪い、こいつが悪いと苦しみの原因の犯人探しをし

誰かのせいにするのが普通ですが、

「待てよ、自分が原因か?」と気づいてしまうことが、たまにあります。

自分の「人生」と「自分自身」に直面する瞬間です。

恐る恐るでも、自分の心を覗いた時、

見えたものに、見て見ぬ振りをするか、

見えたものをなんとかしようと、あがいてみるか、

どちらも本人の自由ですが、

どちらの生き方を選んでも「楽になる方法を」書いておこうと思います


普通の生き方をしていれば誰でも出来る方法です。

1、生き物を殺さないこと  

生き物を殺さなくなると病気が減るそうです。


2、他人のものを盗まないこと、 

物だけではなく人間も同じです。泥棒が悪いのは誰でも知っていますが誰かの伴侶を泥棒することは罪にならないと思っている人が多いようです。逆の立ち場が想像できれば、よく解ると思うのですが、うだつの上がらない、クソ亭主で、もう離婚しかないと思っていても、そんな亭主をよその女にとられたとなると、妻としての自尊心が砕かれます。「のしを付けてくれてやらー。」とタンカを切っても、その恨みは晴れません。

他人のものを盗まぬ業を積むと財産に恵まれ、敵や盗難に逢わなくなるそうです。

3、パートナーを大事にする事

結婚でも、恋愛でも、お互いがパートナーだと認め合ったとしたら、

変な話ですが、人の心は自然に「契約成立」と理解し、

なんらかの義務と権利を、そこに見出してしまう。

基本、裏切りは許されません。

いわゆる、邪婬として忌み嫌われる。

邪淫を捨てる業を積むと敵がいなくなり、パートナーが美しくなるそうです。

(逆に言えば、男性も女性も、パートナーに裏切られると、本来の見栄えが劣化するということですね。すぐわかります。裏切った方はどうなるかというと、パートナーに対しては異常に快活を演じますが、だんだん表情が消えて行く。一度は愛した相手です。どうしても、罪の意識(自分)からは逃げられません。)


4、嘘を言わない事

当たり前のことですが、信用がなくなります

嘘を言わない業を積むと、言葉に説得力がでるそうです。


5、他人でも、身内でも、その人達の悪口を言わない事 

悪口は必ず相手の耳に入ります。

人間関係がギスギスし、何事も円滑に進まなくなります

悪口を言わない業を積むと良い噂しか広まらないそうです



6、他人の欠点をあげつらわない事

5番と同じですね、これは恨まれます。



7、つまらないウワサ話しをしないこと

  壁に耳あり障子にに目あり。必ずバレます。



8、強すぎる欲望は制御する事

他人のものでも、何でも、あれが欲しい、これが欲しい、もしあれがあったらと想像したり空想が続くと、持っていない自分にハラが立ってきたり、それを持っている誰かにオマエより自分の方が似合うのに...。などと謂れのない嫉妬をし始め、物欲お化けに変わります。

嫉妬、妬み、対抗心、なかなか怖い感情が、このあたりから生まれて、「苦しみの」大きな原因の一つになってきます。

けれども「欲」は生きる上で必要不可欠な心の働きですが、行き過ぎると、毒になる。欲を否定してはいけません。ほどほどを心がければいいのですよ。ほどほどの基準は、他人を傷つけないことです。

欲心を断じる業を積むと願いが叶いやすくなるそうです

9、誰かを心の中で傷つける事

心の中なんだから、ほっといてくれと言われるかもしれませんが、心は必ず表情にあらわれます。それが続くと険難の相があらわれ、実際怪我をし易くなります。

こころは現象の種を播く畑であり、言葉が肥料、行動が結果となります。恨みの種を心に植え、何度も何度も心の中で怨恨の言葉を繰り返していたら、結局おまわりさんのお世話になる事になります。

害心を断じる業を積むとあらゆる怪我、傷害が減るそうです。

10、因果なんてありゃしない、どうせ死んだら終わりさ、などと言って人生を諦めるような考えには惑わされない事

播いた種は必ず芽が出ます。悪い種を播けば、悪い芽が、良い種を播けば良い芽がでます。

今が苦しいから、死に逃げることを考えるのですが、死に逃げた結果が今の苦しみの原因だとしたら、どうしますか?

これが事実かどうかはわかりません。でも我々は、起きている現象には理由があるということ知っています。

自殺の後の行き先はわかりませんが、いまの苦しみの理由はわかるでしょ。それが因果ということです。


当たり前すぎる事ばかり書いてきましたが、これは仏教で言われる十善業をもとに書いたものです。多くの教典に書かれていて、南伝仏教では十善戒ともいわれています。




十善業

行為について   殺生 偸盗(ちゅうとう)邪淫

言葉について   妄語(もうご) 両舌(りょうぜつ) 悪口(あっく) 綺語(きご)

こころについて  貪欲 害心 邪見(じゃけん)

この10の行為を言うのですが、実は、驚くなかれ、これが悪業のもとになっていると仏教では言うのです。つまり、この行為により地獄のような世界生まれたり、餓鬼のような世界に生まれたりすると仏家はいいます。

まさか、こんなことで?

本当に「こんなこと」程度なのか検証しましょうね。

実は、この10の行為自体も問題なのですが、この行為におよぶ動機がまた問題で、怒りによる動機、欲望から来る動機、なんも意識せずに、ただ、してしまった。これを無知、または暗愚と言い動機の一つに数えます。

それぞれの動機により、死んだあとの行き先が違うと説かれ「怒り」は地獄に、「欲望」は餓鬼の世界に、「因果の無知」は動物の世界に流れる。またそれぞれの動機が激しい場合は地獄に、中くらいの場合は餓鬼に軽い場合は畜生に生まれるそうです。その動機が軽いか重いかは死んでみればわかるということです。

なんとも皮肉な言いようですが、そうとしか言えないようです。

(十善業といいますが正確には十不善業の解説です。十種類に分類される苦しみの元になる行為「業」という言葉の見解にはいろいろあり、一般的にはその人の持って生まれた思考形態、ものごとを考える傾向そのもの、言葉、心、行動に反映される精神活動全てという意味で良いと思います。もっと単純に言えば、理由はどうであれ「自分が動いた結果」「動いた報い」ということでしょう。)

そうさせたのが何であれ、最終的には自分が選択した行為ですね。そして、この業は死んだら終わりではなく、延々と「心相続」と言う形で我々の肉体に宿り生死を繰り返す、この現象が輪廻と名付けられています。その、持って生まれた業を固定したものと見るか、業もまた因果律により浄化すれば善化すると見るかが、仏教と、いわゆる外道との差になり仏家は因果の法則を「縁起の法」といい、固定されていないもの。浄化の因を作れば浄化されると説きます。その方法が十善業で十不善の真逆の行為のことで平たく言えば、意図的に十不善を避け、他人に思いやりをもちなさい、それが業を浄化するよとお釈迦さんは説かれ、白隠さんも最澄さんも明恵さんも偉い坊さん達は、このことが書かれた七仏通解説偈をとても大事にされました。

安岡正篤先生

エポックメーカの欄に安岡正篤先生の命式を

あげておきました。

典型的な学者型であり、やはり理想家の命式です。

85歳に亡くなられています。

年譜がハッキリしている方なので、運の流れと

重ねて研究して見てください。

晩節を汚してしまいましたが、これは年運の重なりに

理由があります。




近代のエポックメーカー

四柱推命教室 教室選び 1、2、3

おしらせ

コラムの収まりが悪いので四柱推命教室選びは別枠に移しました。


占い 四柱推命 教室選び

生徒募集

「自分を知るための四柱推命講座」 

生徒募集                募集人員

平日 火曜日 午前10時より 11時    1名

       午後 2時より  3時    1名


夜間 木曜  午後 7時より  8時    1名


詳細は「教室」の欄をお読みください。

(曜日の変更は可能です。まずはご相談ください)

高命式について

プロを目指し、推命や占いの教室を探してる方が

いるということなので老婆心から書いておきます。

我々の四柱推命の鑑定では、大雑把に言えば、

調候用神十干鑑法を用い十干の性状と

用神の有無、大運の流れの吉凶を見て

性状および運勢の良し悪しを判断するのですが、

流派により日干支の力量を勘案する格局に置き換え、

用神を見つける流派(主に伝統派)、

命式の中の五気周流や、神殺の有無、干支の組み合わせ、

空亡を根拠にして相性や、初年、中年、晩年、さらに

家運までをも判断する、主に四柱推命を

統計学という方達の流派があります。

それぞれがそれぞれで、それに見合った方達に

支持されているわけですから、

すでに棲み分けがなされていると言っていいと思います。

けれども一つだけ言わなければならないのですが、

いわゆる、どんなに素晴らしい運をお持ちの方でも、

社会に出れば(社会は生まれた時から始まっています)

誰もが戦わざるおえないのです。

たとえ運が強く相手に勝利しても傷は必ず残るのです。

戦いは必ず双方に禍根を残す。その傷は、

本人に出なければ、家族の中の一番弱い者に出て来ます。

(さらに怖いのが世代を超えて、誰もが忘れた頃に出る場合があるのです。)

また、運を巧みに利用して大金持ちになったとしても、

今の世の中は次の世代に財を残すのが至難の技となっています。

(現今の相続税は2015年時全資産が6億を超える場合は55%です。また金銭での納付が基本であり、物納は難しい状況とのことです。)

財産があればあったで、愛する子たちが争う姿や、

おこぼれにありつこうとするハイエナの群れを、

あの世から眺めていなければなりません。


占い師さんや鑑定士さんは、

そんなの関係ないというかもしれませんね。

でも、もし、目先の鑑定をしていたとしたら、これは罪作りになりますよ。

それでは何を言えばいいのか?と問われるかもしれませんね。

答えは、

人生に病んでいる人には「自分を大事にしてください」と、

燦々と降る太陽の光の下を歩んでいる人には「他人を大事にしてください」と

こう伝えることに尽きるのです。

そう伝えるための根拠をしっかりと、

各々の占術から導き出すことができれば

どんな占術を使おうが人の役に立つ占い師さん、

鑑定士さんになれると思います。

光陰矢の如し、精一杯、今、学べるときに学んでください。

台風

2018年 9月10日


また台風が来ています。

こちらも夕方から大雨です。

前回の台風で、隣の家のアンテナが折れ、工事になると

挨拶に来られましたが、今回の台風も強烈とのこと。

アンテナ程度で済めばいいのですが........心配です。

大阪の地震に続き、台風、そして北海道地震。

あるテレビ番組でコメンテーターが、

奈良時代の天変地異に似ている、ときの聖武天皇は

「責めは我一人にあり」とおっしゃったと

コメントしていました。

(えっ、天皇家をテレビでデスッテル? 思わず、すげーと思いましたが、他の方は完全にスルーしていました。多分、普通は知らないですよね。易姓革命も、この天皇が奈良の大仏さん建立の発起人なんて。奥さんの光明皇后は悲田院、施薬院を作った人で、このかたの積徳が藤原氏の栄華の礎になっていると、ある方がおっしやっていました。)





エポックメーカの欄に毛沢東さんに続いて二人ほど

追加しておいたのですが、貴格とか、

高命式とは一体、なんなんでしょうか?

いわゆる高命式と言われ、英雄、偉人とされている

諸々の方達の年譜を一生の長さで見たとき、

真面目で不器用だけれども、

お人好しで、友達に愛され、最後には

妻や子供達に看取られた、近所のおじさんの方が、

よっぽど、幸せで素晴らしい人生だと私には思えます。









他人を傷つけた記憶は消えず、

傷つけられた記憶もまた消えません。

時間が経てば、自然に心の奥底に沈み、

水底(みなそこ)の澱(おり)となって、

消えて無くなってしまったように見えますが、

関連する何事かが起きた時、

見事に過去がリンクしてきます。

人は誰もが、潜在的に、過去に怯(おび)えて

生きているのかもしれません。

イノベーション2

ブログに台風21号の被害は地域により

違うと書いて、そう言えばと思い出したのですが、

「同じ生年月日なのに、どうして人生が違うんですか?」と、

いつだったか生徒さんに聞かれたことがあります。

台風の例を挙げればもっと分かり易かったかもしれませんね。

「地域の違い」は「地形」「環境」の違いの意味になります。

海沿いではコンテナが流れ出し、空港があるところでは

連絡橋にタンカーがぶつかり、山、平地、言うに及ばずです。

同一生年月日で運勢が違うことについて

この無知め、天空の星の位置が違うんじゃい。と、

専門家の方達には怒られるかもしれませんが、

それも、知らないわけではありません。

私が小僧の時であれば、この論を、ある種の信仰として

受け入れたかもしれません。

(神殺についても同様です。)

それでは、どう説明するのか?ということですね。

同じ日に生まれた人の原命式は誰もが同じです。

けれども、皆、親が違う(環境)

さらに同じ環境でも、双子の例がわかりやすいと思うのですが、

親は必ず、お姉ちゃん、またはお兄ちゃん、

弟、妹と差別(区別)します。

さらに、

「名前」を持つことにより明らかに「他の人」とは違う

「独自な特別な個」という自我の種が蒔かれます。

つまり、同じ誕生日でも最初から違うのです。

朝ドラに出ていた双子の女優さんがいましたが、

片方は結婚し、片方は独身です。

婚期は同じはずなのに、どうして?

となると思うのですが、

婚期は同じでも、「それまでの生き方」により、

種が芽生え花が実を結ぶか、結ばないかが決まります。

簡単に「それまでの生き方」と書きましたが、

重要なのはここなのです。

「生き方」というのは、

実は教育と、本人の意思により決まります。

ここでいう教育というのは学校教育とは意味が違う。

極端な話をしますが、古代ではなく、いまも、

支配階級、家や村、信仰による教え(教育)として、

尊厳殺人が行われており、これが因習、伝統文化と言われている

ここでいう「教育」の意味になります。

また、多くの人達は、

何を受け入れ、思い、感じ、他との関係を築くかの

選択権は、他でもない自分自身にあると思うのですが、

実際は星の支配のまま、人生の禍福の流れの中で、

糾(あざな)える縄のごとく生きています。

(外れない鑑定に出会ったことのある人しか、こんなこと信じられないかもしれませんね。)

けれども、この運勢の仕組みと自身の心の中に撒かれている

運勢の種を自覚すれば、人生の選択権は我が物になります。

これこそが人の持つ人生の可能性だと私は思っています。

こういうことを知ってか知らずか、

なんとか宮にお金持ちになる星があるので

将来大金持ちになるとか、なんとか、かんとか。

小説の世界ならば、

とても素敵なファンタジーの要素ですが、

(実際、ギリシアの古代より予言や信託は悲喜劇の題材でした。)

我々の目の前で苦しみを語る人にとっては屁の役にも立ちません。

この方達は、苦しみを終わらせるために、なぜ苦しいのかの、

その原因を知りたいのです。

なんとか星が悪い作用をしているからでは、

納得いかないでしょう。私なら絶対納得できません。


正統とか伝統とか権威とか役に立つのか立たないのか

わからないけれど、それを受け入れる余裕のある

なんとなくロマンチックな時代は終わりかけているように思われます。

我々の世界も、脅したり、スカしたり、

欲望を煽るような鑑定や占いは終わりにし、

長い目で見れば、本人が一番安定し、円満な生き方ができるよう、

人としての理想の姿になれるよう、今できることを提案できるような

鑑定や占いを提案しなければならないと思うのは

私だけでしょうか?






AERA dot.

AERAdot.に掲載された鴻上尚史氏の人生相談です。

大事なことがが書かれています。

10年後、20年後、30年後の自分を想像しながら読んで見てください。

苦しみもまた、時を経て成長してしまうという事実、

人が最も考えることを忌み嫌う問題です。

イノベーション2

ブログに台風21号の被害は地域により

違うと書いて、そう言えばと思い出したのですが、

「同じ生年月日なのに、どうして人生が違うんですか?」と、

いつだったか生徒さんに聞かれたことがあります。

台風の例を挙げればもっと分かり易かったかもしれませんね。

「地域の違い」は「地形」「環境」の違いの意味になります。

海沿いではコンテナが流れ出し、空港があるところでは

連絡橋にタンカーがぶつかり、山、平地、言うに及ばずです。

同一生年月日で運勢が違うことについて

この無知め、天空の星の位置が違うんじゃい。と、

専門家の方達には怒られるかもしれませんが、

それも、知らないわけではありません。

私が小僧の時であれば、この論を、ある種の信仰として

受け入れたかもしれません。

(神殺についても同様です。)

それでは、どう説明するのか?ということですね。

同じ日に生まれた人の原命式は誰もが同じです。

けれども、皆、親が違う(環境)

さらに同じ環境でも、双子の例がわかりやすいと思うのですが、

親は必ず、お姉ちゃん、またはお兄ちゃん、

弟、妹と差別(区別)します。

さらに、

「名前」を持つことにより明らかに「他の人」とは違う

「独自な特別な個」という自我の種が蒔かれます。

つまり、同じ誕生日でも最初から違うのです。

朝ドラに出ていた双子の女優さんがいましたが、

片方は結婚し、片方は独身です。

婚期は同じはずなのに、どうして?

となると思うのですが、

婚期は同じでも、それまでの生き方により、

種が芽生え花が実を結ぶか、結ばないかが決まります。

簡単にそれまでの生き方と書きましたが、

重要なのはここなのです。

生き方というのは、

実は教育と、本人の意思により決まります。

ここでいう教育というのは学校教育とは意味が違う。

極端な話をしますが、古代ではなく、いまも、

部族や信仰上による教育として、尊厳殺人が

行われており、これが因習、伝統文化と言われている

ここでいう「教育」の意味になります。

何を受け入れ、思い、感じ、他との関係を築くかにより、

その個人の命式の中にある種(星)が暗い目をして

鎌首をもたげたり一生冬眠し続けることになる。

これが人の人生なのです。

それを知らずに、なんとか宮に金持ちになる星があるので

大金持ちになるとか、かんとか。小説の世界ならば、

とても素敵なファンタジーの要素ですが、

(実際、ギリシアの古代より予言や信託は悲喜劇の題材でした。)

目の前に人の苦しみには、あまり役に立ちません。

この方達は、苦しみを終わらせるために、なぜ苦しいのかの、

その原因を知りたいのです。

普通は、なんとか星が悪い作用をしているからでは、

納得いかないでしょう。私なら納得できません。

正統とか古典とか権威とか役に立つのか立たないのか

わからないけれど、なんとなくロマンチックな

余裕のある時代は終わりかけているように思われます。

方術の、その本質である救世済民の原点に戻ることが

必要とされるような、嫌な世の中になりつつあるようです。

自分を知るための入門講座

人生は修行だという人がいます。

私も時々同じ言葉を使います。

でも修行というからには、目標や目的があると思うのですが、

いかがでしょうか?

四柱推命を生業として、だいぶ年数が立ちます。

そして思うのですが、人生は星に支配されてはいるが、

その動きを自覚した時、人は星とは違う選択をすることが

できるようになるということです。

もちろん、こう言い切るには根拠があります。

それは、すべての存在に陰陽があるように

あらゆる星にもまた引用の二面性があり、

推命で用いられる代表的な星としての

通変星にもまた陰陽があるのです。

わかりやすく言えば、

星には長所と短所があるという意味です。

例えば「財星」であれば、一般的な推命書にあるように

お金、不動産、等のポジティブな面だけではなく、

これに気づいている人は少ないのですが、

不注意、甘え、破産、耽溺、女苦労等のネガテイブな面があります。

もしかしたら、これを読んでる占い好きの女性の中には、

あなたの命式には財星」がついているので、

とてもお金と縁があるわよと言われた方がいるかもしれません。

しかし、実際は、男性、または主人のことで、

かなり苦労しているのではないでしょうか?

そのあたりの事情を説明するのが、

「自分を知るための四柱推命入門講座」になります。

最初から最後まで個人講座になります。

秘密厳守です安心してご参加ください。







2018年 9月より

「自分を知るための四柱推命入門講座」の

昼間部を開設いたします。

午前10時から1時間、

午後2時からの1時間

計4回 詳細は入門講座の欄をご覧ください。

イノベーション 1

8月28日月曜、曇り、昨日に比べれば過ごし易い気温です。

過ごし易いは良いのですが、こうなると夏の疲れが、

一気に出始めるので要注意ですね。

ところで、イノベーション

という言葉をご存知でしょうか?

最近の経済誌等で頻繁に使われる単語です。



私はデイリー新潮のこの記事で

ふーん、そうゆうことなんだと、疑問に思っていたいろいろなことが一気に納得できたのです。

それは、この書評の冒頭のこの部分です。

「泳ぐのを止めたら死んでしまうのはマグロだけではない。企業も同じだ。現状に安住し、足を止めたら、いずれ命脈は尽きてしまう。日本企業が海外勢に押し負けるようになった大きな理由も、まさにそこにある。成功体験に縛られ、官僚化した組織では、自らを作り変え、新たな命を吹き込むようなイノベーションが生まれにくくなるからだ。」(デイリー新潮より一部転載)

面白いでしょ、新発想、技術革新、新しい視点からの行動をイノベーションの意味で捉えると、

「官僚主義」という言葉の意味が実に鮮明に見えてきます。

そして、それは組織と個人の「保身」の一言で片付いてしまう。

時間は前に向かっているのに、

変えることができない後ろばかりを見ながら、

前に流されている姿です。

後ろばかりというのには語弊があるかもしれませんね。

過去のルールを遵守しつつ、いまを生きていると

書けば、これに乗っかっている人からの抵抗は少ないかもしれません。



問題は、実は我々も同じように、

なにがしかのルールに縛られたままでいるということです。

そして、

当然、

運勢(命)研究のサイトなので社会規範の話ではありません。

心の中にある、

自分自身の中にある思考と嗜好のルールについての

話になります。

(皮肉なことですがネガテイブな面もポジティブな面も「保身」の穴蔵の中で同居しているのです。)



昨日の講義での話しですが

ご婦人からの相談を受けた生徒さんが

主人がうるさいので別れたいがどうか?

という、ありていの相談をされ

実にしっかりと鑑定もでき、指導もされていたのですが、

「なぜ、ご主人がうるさいかの理由はわかりますか?」

の問いには沈黙されていました。

もし私だったら腹のなかで、

それがわかれば、こんなところに通わないぜ。と悪態を

ついていたかもしれません。

(でもこれ、ある程度のレベルにある生徒さんには

次の段階への大事な階梯なのです。)

口うるさいオヤジに対する一般的な「なぜ」の理由は

たくさんあると思います。

しかし、その理由が明確に命式の中に書かれている

場合もあるのです。

そして、それを見落としてしまうと

残念ですが本質的な解決に至りません。

別れる、別れないは本人達次第ですが、

彼らがその理由を理解し、その上で、

ともに時間を過ごすことにより、

今までとは全く違うお互いの理解が得られ、

過去の姿が誤解の集積物として崩れ落ち、ただ、

大事に思えるようになれたという事例が

実際、たくさんあるのです。

基本、人というのは、自分をわかっているつもりでも、

だいたい6割わかっていれば御の字で、

ましてや他人のことなど

表面的なことしかわかりません。

結構時間をかけて夫婦になっても、

ほぼ、無理なのです。

観音さんの話 1

最近、観音さんの話を聞く機会が何度かあり

やや、困っています。

何を困っているかというと、

観音さんを信仰し、お経もあげているのですが、

他力本願のどが過ぎる。

このお経を作られた行者さん達の

「真意」はどこにあったのでしょうか?

なんともかんともですが、

観音経に書かれている功徳の凄さに、

「我欲」が先走り、一番大事な語句が見えているけど、

見えないのかもしれません。

(毎日読経していてもです。)

そして、それをはっきりという方も、

あまりいらっしゃいません。

しょうがないので、ちゃんと書いておきます。

普門品第二十五偈のこの部分です。

神通力であらゆる苦難を救う場面が描写され

種々諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅と

どんな境涯にいる、生きとし生けるものの、

根本的な苦しみの原因である生老病死の苦しみが

悉く消えていく。と仏教の核心部分が説かれ、

さらに、

眞觀清淨觀 廣大智慧觀 悲觀及慈觀  常願常瞻仰

と続きます。

多くの訳では観音さんが清浄な心で、広大な知恵の心で、

慈悲の心で衆生を見守っているとされていますが、

それだと、

「常願常瞻仰」は誰が誰に対して仰ぎ見るのかの

意味が不明になります。そう思いませんか?

しかし、もし、

この句が信者さん達への観音さんからのメッセージだと

解釈した場合、

信者さん達に対して、

常に清浄なる心を持って日常を過ごし、

仏の広大なる知恵を保った生き方をし(教えを学び、守り)

慈心と悲心を以って隣人を含めた生きとし生けるもの

全てに接し、常に私(観音)を信仰すれば.........。

それまでに説かれた功徳全てが成就するだろう。

となります。

どうでしょうか。

神仏からの一方的な御加護を求める信仰も信仰ですが、

信じる菩薩さんや神さんに自分を近づけようとする

ことも信仰です。この辺りが見えてくると

他力本願と自力本願が見事に融合したお経ということ

になります。


観音さんのメッセージ、

届くといいのですが.......。



ちなみに、仏、菩薩の説かれた教えの根幹は

根幹の教えとなります。

観音さんの話2

昨日、観音経について書いたついでに

眞觀清淨觀 廣大智慧觀の解説をしておきます

実はこの内容は般若心経に書かれています。

多くの方がご存知だと思うのですが、

般若心経は

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空......」

から始まる大乗仏教の核心思想である「空」を説くものであり、

観音さまが御修行されたと、ハナから書かれているお経です。

「空」とは何か?

心経を学んでください。

そして「空」を体得すると何が起きるのか?

................................。

「どんなことができるようになるの?』と問うたほうが

我々のような俗人には相応しいかもしれません。

まさか観音経にある神通力が生じるの?

「空」で?

「神通力的なもの?」

神通力って超能力?.......と言って

力(ちから)に目がくらみカルトに落ちた人達の

成れの果ての姿を我々は最近目にしました。

本当に罪深いと私は思います。

だからこそ、どんなに辛くとも、自分の人生を、

誰かや、何かに委(ゆだ)ねるのではなく、

自分自身で学び、確信し、歩むことが必要なのです。

あらゆるものから自立すること。

そのためには、やはり、真理を知ることです。

えっ「真理」って何?と、

どこからともなく声が聞こえてくるようですね。

答えは簡単です。

あなたも、私も、「生まれ、老い、衰え、死に至る」

これ以上の真理、無いじゃ無いですか。

さらに、生まれるものには、必ず、

何かしらの「業(いわく)」がついている。

それを語るのが、私が得た推命術なのですが、嗚呼。

観音さんの話 3

「空」の話が横道にそれてしまいました。

「空」を悟るとどうなるのか?

それもお経に書いてあります。

悲観と慈観ができるようになります。

簡単に「慈悲」というけれど、この言葉の

深さは、計り知れません。

何故か?何故なら、我々の認識している慈悲と

当時の行者さんたちにとっての「慈悲」は

別物だからです。

慈悲は「空」の修行の結果と書きましたが、

当時は墓場が修行の場でした。

そこで死体を観察しながら12縁起を順逆に観じ、

縁起空を体得するための修行をしていました。

日本にも九相図として伝わっています。

そこから、何が得られるのか?

「真理」と先に書きましたが、「死」というのは

絶対的に平等です。個人の身分にも能力にも関係なく

必ず訪れてくるものです。

万人に平等に働く時の流れとともに

老い、衰え、病に侵され、死が訪れ、

「死」とともに個人は無くなって行く。

そして、「死」の前ではあらゆるものが平等であり、

等しいと、悟れば、「生」とは

なんと愛しくも愛しい、存在なのか。

自分の命だけでは無く、あらゆる命を持つものへの

「命、生」への共感が生まれれば修行の第一段階は

成功したと言えるのでしょうね。

これ、強烈でしょ。

目の前で遺体が崩れて行くわけですから。

五感全てでこれを観じ続けるわけです。

実にえげつない修行ですが、これが当時の標準の修行法です。

普通ではいられないですよね。

でもね、

これで、生きること、生きているものに対する

優しさや、理解が体感として生まれてくるのです。


腹の底から湧いてくる哀れみの心(悲心)

自分もまた死に向かう同じ仲間だという

彼我の共感から生まれる、同僚を暖かく見守り、

手を差し出そうという優しさ(慈心)

(この共感意識が先々、如来蔵と呼ばれる思想に発展していきます。)

この姿って、観音様ご本人ですよね。

どうでしょうか?

死の恐怖の中で震えるような、そして光輝く「生」と

静かに崩れゆく肉体の、「死」の、

当たり前の変異の姿に心動かされ、共感し、

あなたの心にも慈悲心が湧いてきたでしょうか?

頭で考えず、イメージと心で感じることです。



観音さんの話ですから、宗教っぽいのもしょうがないですね。

宗教好きな人が読んでいたら、ちゃんと、

洗心庵さんがこう書いているとことわって引用してくださいね。

ほぼ、こんなこと言っている人いませんから。

東條英機首相

読売新聞

故東條英機首相の開戦前夜のメモが残っていたとのこと。

『すでに勝った」との発言が記載されていたらしいのですが、

1884年 7月30日

    辛 辛 甲
    巳 未 申

73 63 53 43 33 23 13  3
 戊  丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛
 寅  丑  子  亥  戌  酉  申  未

1941年 12月7日 午後11時20分 のメモ 57歳

丁丑運 辛巳年 庚子月 庚寅日 庚寅時

「浅薄な勝利」に酔いしれることができた、魔法の時間帯です。

見かけ上の開戦の勝利は予想できても、

本質的な勝利には足りないものが多すぎます。

このかた自身にも、意図を叶える根拠がありません。

一時的な夢で全てが失せてしまう。

純粋で真面目で責務に忠実な方ですが、繊細で折れやすく脆い。

巨大な外圧と戦える人ではありません。すぐ切れます。

(星の構成はまったく違いますが元の小泉首相と似ています。)

軍人よりも検察や警察に向いています。

実際にも憲兵隊(軍隊内の警察)で功績をあげ出世しています。


いつの世も、目前の圧力や数字の上げ下げに慌てふためき

根拠の薄い浅薄なアイデアで、とりあえずやってみよう的な、

現場の社員の生活を無視した、会社優先の

命令を断行する組織が多々あります。

結局、グランドビジョンのない、現場頼りの

場当たり的なお商売は、潰れます。

時代の「時」を知り時流に乗り、

人の「和」=社員の平等性を確保し、

取引先との共存共栄を意図した仕事を

していくのが一番安全なお商売です。

これ以外の方法で出世を望むなら、

それなりの高い代償を払わなければならないようです。

難しいところです。

先月今月と年月に強い形で土が重なり、

「何事」かの「大きな動き」が予想されたのですが、

なんとも言いようがありません。

様々な変化の種が暗々裏に撒かれているようです。

あまり、良い方向には向かないようですが、

社会や国に関する全体システムとしての

変化のように思えます。統合や、再編等、

結果的に、しばらくは、あまり強くない者には

キツイ世の中になりそうです。

適職であっても、組織の再編で部署が変わるなど、

思いもかけないことが起きるかもしれませんが、

しっかりと準備をし、次に備えてください。

まずは健康を第一に考え、その次が仕事です。

絶望する前に、とりあえず、一息ついてください。

エポックメイカー

エポックメイカー(新しい価値観、時代を生み出したキッカケになった人たち)

として近現代に記憶される、いわゆる偉人の方達の

命式をあげていますが、

なぜかというと、その理由は、

実は、その多くの方達が

忌神を命式の中に抱えているのです。

泰山流緒方派の方であれば、

一目で理解できると思うのですが、

そのような方が多い。

私がそれに気づいたのは、ある生徒さんから

新時代を築いた、とても有名な方の命式の解釈を

質問されたことがキッカケとなり、さらに、

これを切り口にして、いろいろな方の

命式を分析した結果、やはり、その通りなのです。

爛熟し腐りかけた時代に革命を巻き起こす新風とでも言いましょか。

全く、既成概念に囚われない発想がその方達の

真骨頂なのですが、平常時なら、ただの変わり者の、

変人です。

新しい時代を創造するためには、既成概念や、

過去からの因習にとらわれることのない、

そして、それを当たり前の立ち位置として、

自立し、主張することができることが

必須雨条件になるようです。

そのような人が、これからの世界には必要なようです

若者よ、他人の評判は二の次にして、大志を抱くことです。

それが自分を生かす道です。

現命式の研究について

ここのところコラムの欄に本来であれば

「現命式の研究」に書くべきことを

書いているのですが、その理由は、

一つには推命学の過去に育まれた迷信を潰すこと。

命式に貴賎があるのではなく、

本人が選んだ生き方にこそ貴賎が生じる。

「自分」こそが自分の人生の主人であることに

確信を持って欲しい。

一つには、我々と天才と言われる人たちに、

ある分野に関して以外は、特別な「差」は

ほとんどないということです。

人としては、ほとんど我々と、

変わりが無い。そして、

どちらかというと、変人に属します。

それも、執念深い、ヤバイ種類に属します。

そしてもう一つの理由は、本科のテキストを

終了した推命講座の生徒さんたちのための、

講義資料としてのサンプルです。

本来は、テキストが終了した折に緒方先生の

中級に進んでいただくのですが日程の都合により、

講義日を動かせない方達のために研究科があり、

生徒さん個々の親密、または興味ある個人の命式の

鑑定と解説を私が解説しています。

しかし、どうしても、その人数に限度が生じやすく

ネタ切れになりやすいものですから、

資料を提供しようと、実は、私も頑張っているのです。



最近、「東京クラフト」というサントリーから出されている

クラフトビールにはまり(香りが素敵なビールです)

我が家の経済を考慮しつつ

定番の「麦とホップ」500ミリを共に賞味したのちに

書いております。

なんで愚痴りながら書くのかが、私ににもわからないのですが、

サッカーワールドカップでのクロアチアの誰も逃げない

敢闘精神に嫉妬したせいでしょうか。

誰かに遠慮したり、しくじってもヘラヘラ笑っていては

勝利の神は決して微笑みません。

しばらく、ここで書いた後に、近代の命式研究として

明治維新の方達と共に以下にまとめました。

まだまだ不完全ですが、時間をかけて増やして行きます。

近代のエポックメイカー

大阪地震

6月18日

先ほど泰山流(緒方派)の事務局と連絡が取れました。

大阪の箕面に本部があるのですが、

昨日の情報では箕面は震度6弱とのこと

ちょっと慌てたのですが、昨日の昨日では迷惑と思い、

本日連絡を入れたところ、皆無事だとのことです。

箕面市でも高槻市に近い側は壁が壊れたりと

被害が大きかったそうですが、幸いにも

お茶碗が一つ二つ壊れた程度で済んだそうです。

今回の地震は阪神大震災の時の横揺れとは違い、

ドーンと大きな縦揺れが来てから横揺れになる、

震源地が足元にあるような気味悪さだそうです。

昨夜の余震もゴーという音がしてから

グラグラと揺れたとのことです。

1日も早く平穏な日々が戻るよう祈るばかりです。

ご心配をいただいた方々への報告をかねて

今日のコラムとさせていただきます。

自分を変えること1

自分を変えることはできるよと書いたのですが、

普通はできません。

なぜって、人は自分自身を知らないからです。

たとえば、あなたが学生だった頃、

友達が自分よりも良い成績をとったとき、

その人に対し、どんな感情を持ったでしょうか?

あなたの心の中の声を思い出してみてください。

最初は「すごいね。」から始まって、次に出てくる言葉は、

「嫉妬」系の言葉ですか?

それとも、さらに「賞賛」系の言葉ですか?

それとも、「自分は自分さ。」と、

我関せずを決め込んでいたでしょうか。

「賞賛」系の言葉の後には大抵、よし、自分も頑張ろうという

自己肯定的な向上心が生じてきますが、

「嫉妬(ねたみ)」系の後からは、「もう、友達じゃない。敵だわ。」

なんていう、よくわからない言葉が生じやすいですね。でも、

それが自分「独自」の思考パターンだとは誰も気づいていません。

だって、それが自然に、自分の心から湧いて来た言葉だもの。

自然に湧いてくる心の言葉に一体、誰が疑問を持つでしょう。?

そして、この「自然」な心の流れのままに人は行動し、

泣いたり、笑ったりしているのです。

ですから、「今(自然)のままではちょっとまずいな。」

なんて思う時というのは、本当に、

当人にとっては危急存亡の時だけなんです。

これが自分は自分を知らない、気づけないという理由です。

自分を変えること2

それでは、どう変えるのかという方法論ですが、

今も昔も「陰騭録」(いんしつろく)がその原典になっています。

(私の手元にあるものは明徳出版社の中国古典新書で当時は1800円だったのですが、最近、新装されて2700円になっていました。)

私が、ごちゃごちゃいうより読んで見てください。

(その人の現状によって響く言葉に違いがあり、全く響かない場合もあるのが厄介なところでしょうか。)

「徳を積む」とはどういうことががわかると思います。

一日一回良いことをしたぐらいでは、

おおもと(自然)の自分なんて変わらないんですよ。

しないよりは、はるかにマシではじめの一歩につながりますが、

かえって、自分は、こんな良いことをしているんだという慢心が起こり、

他人を見下すような羽目に落ちてしまう。(本当に、すぐ落ちます。)

本末転倒も良いところです。

だからこそ「陰徳」なのです。

自分の行いを他人に喋ってはいけません。

謙虚であって初めて徳としての価値が生じます。

(易経の「謙」卦を彖伝から引用し、この本では説いています。)

徳を積むというのは

普段の生活の一瞬一瞬の質を徐々に善化させる訓練であり、

一日24時間全てをその訓練に当てることが理想だということでしょうね。

(そんなもん、できやしねーぜ。と、ため息が聞こえるようですが、でもね、

自分にとって危急存亡の時にそう言っていられる人は、

まだまだ幸せな人たちだと私なんかは思うんですよ.........。)

自分を変えること3

自分を変えるための何某を1、2と書きましたが、

基本、抹香臭いものです。

仏教的なといえば語弊がありますが、

悪い意味ばかりに使われる「因果応報」の因果律を

逆手に使うというのが、その原理です。

雲谷禅師が具体的な行動規範を書かれています。

簡単なところから頑張って実践して見てください。

ところで、これ以外にはないのか?と

問われる人がいると思いますが

そんなことはありません。

江戸時代の有名なものに淘宮術(とうきゅうじゅつ)というものがあり

明治初から昭和にかけてかなり流行ったようで、

私も竹内師水先生のご著書を原書房で見つけ1冊だけ持っています。

現在は社団法人日本淘道会という形で存続しており、

全くの部外者なので内容に関するコメントは控えさせていただきます。

もう一つ、人相研究の基本中の基本書に

水野南北先生の「南北相法」があるのですが、

この中にそれがあります。

幸い「南北相法極意秘伝集」は国会図書館デジタルコレクションにあり

下記に貼っておきます。(無料というのは研究者にはありがたいのですが、初心者は、これを安く見てしまい、結局勉強しない。そんな風に感じる今日この頃です。)

南北相法極意秘伝集

一言で内容を言ってしまえば、

人は誰にでも天から与えられた禄(福分)があり、

多くの人は食事でそれを消費している。

食の多少によって、その人の生涯の吉凶が定まると

いうものです。詰まる所

質素倹約にして勤勉努力することが大事ということですが、

詳細は本文に当たってください。

自分を変えること4

最後に、お前はどうなんだと聞かれる方もいると思います。

お答えしたいと思います。

端的にいうと「心の太極」の位置を変えることだと、

最近気がつきました。

家相、風水を勉強している方は判ると思うのですが、

太極とは家の中心のことをさします。

これを人に当てはめ、その人があらゆることを発想する基盤である

心の芯の部分についての考え方です。

私は四柱推命を学び研究するに連れ、元命式に現れる現象が

そのまま現れてしまっている人と、そうでない人達が

いることを知りました。

最近では幕末に名を残した方達の命式研究でも書いたのですが、

ほとんどの人が、決して運の良い方達ではありません。

特別な功績があろうとなかろうと、命式自体は普通の人です。

こんなことを聞くと愕然とする方もいると思いますが、

命式(運勢の良し悪し)によって歴史に名を残しているわけでは決してありません。

それでは何かというと、一言「志(こころざし)」です。

黒船の到来で、太平の世がひっくり返り、国を思う、

真面目で、優しく、あまり取り柄のない若者が、

最初は故郷(藩)を守るため、やがて日本国自体の将来を憂え、

必死で考え行動した結果が今に語り継がれてきているのです。

ただ、優しく真面目と書きましたが、彼らの最大の取り柄が

武士としての教育を受け、練武に励み、現代の我々には

想像もつかない激しい訓練を積んでいました。

人としての義務感や覚悟、信念の強さには

現代の我々とは雲泥の差があるのです。

これは命式には現れません。

そして、これこそが自分を変える核心部分になるのです。

人の心は複雑で、実に色々な欲によって構成されています。

推命術とは、その欲の色分けをするところから始まるのですが、

(こういうことを初めて聞いた人もいると思うのですが、なんせ、私が初めて言っているのだから気にしないでください。)

普通、我々は、持って生まれた現命式通りの欲に支配され、

人生の選択をしています。

言い換えれば、心の中心にある「現命式」を太極として、

ことごとくの選択をしている人生なのですが、

自身の現命式を分析し、凶の部分に釘を刺し、

吉の部分をさらに育てることが可能なのです。

これは、ある意味「鑑定」するための推命術から

人生を発展させるためへの概念の転換です。

こんなことを書くと、今までそれは無かったのかと

思う人達もいると思うのですが、すでに「用神」という言葉で、

一部の方達は使われています。

それでも、難しいのは、用神は「現命式」を基準としたものであり、

その人自身が造り上げてきた環境に対する対処療法なのです。

それゆえに、用神を使っても、一時的には助かるけれど、

根本的な救いにはならない場合が多々生じてきてしまう。

そこで、用神を使いつつ、自他の環境自体を変化させるための

太極の移動をするのです。

これが私の言う順のサイクルを回し、逆のサイクルを抑えるという

パラダイムシフトの方法になります。

棚まく人

最近思うのですが、というより、

ずっと思ってきたことですが、

人は自分以外を変えることって、できないんだと思うのです。

たくさんの人たちが、

自分以外の誰かに(妻に、夫に、上司に、親に、恋人に、etc.)

変わって欲しいと願いはするのですが、

本人が聞く耳を持たない限り、絶対に、その声は届きません。

神さんにも、仏さんにも無理だと思います。

でも、時々、大病を患ったり、事故で何かを失った時、

その声が届くことがあります。

本当に因果な話ですが、こんなことでもなければ、

人は自分自身と向き合うことをしません。

厳しい現実ですね。

これって、「今勉強しないと将来ダメよ。」

と言われている子供と同じなんです。

「今」に夢中になっている子には

基本、その声は雑音でしかありません。

推命術というのは親が子の将来を見通すように、

その人の将来について、ある程度の、

確実なビジョンを見せることができます。

それ故に、そのための準備を提案することができるのです。

でも、それを受け入れるかどうかは、当人次第なんです。

私はその「準備」が将来の花を咲かせるための「種」だと

思っています。

私自身が、誰かを幸せにすることなど、

恐れ多くてできません。

でも、その方の将来ために、

「種」を巻くことはできると信じています。

もし、その人の心に蒔かれた種が根を張れば、

やがて花は咲くとを信じて仕事をしています。

難しい世の中ですが、諦めず、忍耐強く、

「種蒔く人」であり、種を育てる人でありたいものです。

一発逆転

色々な人の「苦しい」お話を聞いていると、

なんとかして、一発逆転の方法を提案したいと思うのですが、

どうしても、できません。

色々な「道」に首を突っ込んできましたから、

それらしい方法を知らないわけではないのですが、

結果は「絶対に」その人のためにならないのです。

例えると、生活習慣病でダルイ人に、とりあえず、

カンフル剤を注射するようなもので、

一次的には元気になるのですが、

その人が元気になって、何をするのかというと、

元気いっぱいに「暴飲暴食」に再び挑戦するんです。

笑っちゃうでしょ。でも、これ本当なんですよ。

人というのは、そのくらい本能というか、持って生まれた

星の力に支配されている。

さらに悪いことに、カンフル剤に依存性が生じてくる。

そうすると強欲さに対しエンドレスの人生になってしまう。

(もちろん、ここでいう強欲さは他人を傷つけても自分のものにしようという意味のものであり、人の持つ欲望を否定するものではありません。十善の行なんて、よほど欲深くなければ出来ない行いです。)


我々は毎年、年をとって行きます。

思春期を経て大人の体になってからの我々の「心」は、

他人に対して装う姿は上手になっても、ほとんど変化しません。

それまでに培った「傷」や「誇り」をベースにして

その後の人生を過ごして行きます。

結婚して子供ができようがおぼっちゃまはおぼっちゃまだし、

あまり素行の良くなかった人は、いつまでたってもその癖が抜けない。

皆が皆、癖だらけです。

それが私たちの生きている「社会」、「会社」というやつです。

その辺りを受け入れることから人生を見直すと、

もう少し楽に生きられるかもしれません。

新入門コース

「自分を知ることが大事なことです。」と

あちこちで書いているのですが、

どうやれば自分を知ることができるのか?

「信用の置ける運勢鑑定を受けること」

でも、この「信用」というのも問題で、

人は、どうしても、「評判」を優先させるところがあり、

さらに、運があまり良くない人は、

あまり良くない人を選びやすいのです。

また、運勢鑑定を受ける機会にしても、

んーん.......。

この「機会」というのがなかなか難しく厄介で、

大抵は思いがけないトラブル、不運、

縁の破局など、よほどのことが無ければ

自分と向き合い、さらに誰かに相談しようなどとは

思いません。

「転ばぬ先の杖」とはよく言いますが、

こんな風に転ばないと、機会が生まれないのでは

ショウガナイですよね。

ずっと考えていたんですが、現在開いている入門コース、

応募があっても一人か二人なので、

この際、「入門コース」を

「自分を知るための四柱推命入門講座」に

変更したいと思います。

「自分を知ること」をメインテーマした講座です。

全4回の講義になり従来通り基礎理論から

大運の出し方まで学んでもらい、

鑑定の根拠を明らかにし、自分自身で

自分の運勢を理解できるようになろうというものです。

料金も全て一緒です。

修了者は引き続き「本科生」として、

さらに他の人の理解のための、それぞれの、

星の特性と鑑定の要点を学ぶことができます。

いつから始めるかは希望者次第であり、

ホームページ、メール鑑定フォームからお問い合わせてください。

(もちろん以前通りの「入門コース」も受け付けておりますので、ご希望の方は怖がらないでお尋ねください。)

自分自身

なんともカントも。

皆が皆、幸せになりたいと望むのですが、

「幸せを望む」ことと、「幸せになる」こととは

まったく違うということが、

なぜ、わからないのでしょうか?

たとえれば、デイズニーランドに行きたいと願うことと、

デイズニーランドに行くこととの違いのようなものです。

前者は、行きたいと思うだけで、

いつ行くかの予定も立てていない、アクセスする方法も

調べていない、なんの下調べもしていない、

ただ漠然と、行って見たいなと思っているだけの状態です。

後者は、休みの日どりに合わせ、出かける日を決め、

「舞浜」に着く電車の時間を調べ、財布に入れる予算を決め、

相棒に連絡し、待ち合わせ、切符を買い電車に乗ることを言います。

思うことと、そのために行動することとは、これほどの

違いがあるのです。

結婚を望む人にも、全く同じことが言えるのです。

(男女とも同じですよ。)

家事はしたくない。イクメンなんてなおさら嫌だ、

PTAなんて、ママ友なんて.......。

「家庭」なんていうのは重荷だ。

今のままでいたい。でも...........結婚したい。

困ったものです。無理でしょ。

しかし本気でそれを望むなら、起きてくるであろうことを

ただ、受け入れることです。受け入れて一つ一つ対処することです。

あーこんなことが起きたら嫌だとかの悪夢を自ら作り出さないこと。

一つ一つやっていけば、なんとかなるものです。

でもね、もし、どうしても、

家庭を持つことなんて荷が重すぎると思う人がいるなら、

より充実した人生を過ごすための、趣味や、

一生の友を見つけること、晩年のためにシッカリした

資金を稼ぐ方法を講じることが大事になりますね。



ハッキリと言わねばわかってもらえないような時代ですから、

ハッキリと言います。人には年齢という努力しても、

どうにもならないものがあるのです。それゆえに

下手な夢を見てしまうと、何もかもが間に合わなくなる。

夢にうつつを抜かし、大事なものをみずから、

ぶち壊してしまった人を山ほど見てきました。

文科省の指導か何かわかりませんが、夢は無限大なんていうのは

罪深い虚偽です。

しかし、もし、現実と己の能力に適した

努力の上での目標を「夢」とするのであれば、

それは必ず叶うと思います。

根拠のない「夢」は夢想による現実逃避と自慰になっても、

苦しみしか生みだしません。

バカヤロー、何言ってやがんだという人がいるならば、

是非、その「夢」のために行動してください。

それをし始めた時、まさにこの時から「幸せになる」ことを

始めたということです。




現実の自分に向き合うことが、このことに気づくことなのかもしれませんね。

自分に直面することって本当にキツイ、苦しいことです。

鑑定上の最も大事なこと

緒方先生 命式研究

鑑定時の最大の注意点を先生が、とてもわかりやすく

文章にしてくださっています。

多くの先生方がなさっているように元命式を推命理論に従って

断定し、その優越を以て命式の上下を格付けするのが

一般的な運勢鑑定の手法なのですが、

これは人間の一面を実によく、表していますが、

あまりにも人についての浅薄(せんぱく)な理解と判断です。

「己の努力により、運勢の幅を広げ、命式に書き込まれた

暗示を解放し、生きることもできる。」

というのが万物の霊長たる「人間」の最たる所だと

私は師より教わってきました。


鑑定とは、その人の可能性を最大限に引き出す方法なのです。

そのためには、まず、自分にとっての自然な生き方が、

実は、元命式の暗示の上にあるものだということを

自覚しなければなりません。

例を挙げれば、

元命式が夢見がちな人であれば、まさに、夢と現実の

間(はざま)に、見果てぬ夢を見、

わざわざ出口のない苦しみに飛び込むような

人生の選択をしてしまっているのです。

これが運勢の持つ暗示の力なのです。

最近の傾向からいうと、

もっとわかりやすく書かかなければダメですね、

つまり、

ダメだとわかっているのに、うまくいくと信じてやってみて、

やっぱりダメだけど、また、やってみて、それを何度か繰り返し、

いつの間にか、(自分の持つ長所までも一緒くたにして)

どうせ自分は何をやってもダメなんだと、

出口のない悪夢に落ちてしまう。

「悪夢」も「希望に満ちた夢」も、

命式に現れた、同じ「夢」を見る星の力によって生じます。

解決のためには夢から覚めることから始めなければなりません。

(覚めるというのは自分自身を知るということですよ。)

近代から現代へ

明治維新を一区切りとし現代の礎を築いてきた方達をこれから見ていきます


岩崎弥太郎 三菱

政商と言われることを彼が望んだか?

不正を罷り通すがが奉行所かよ」と訴え、壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」こちらが本当の彼の姿です。歴史に名を残した方ですが、不本意な生き方だったと思います。

1835年1月9日ー1885年2月7日

     辛 丁 甲
     丑 丑 午

78 68 58 48 38 28 18  8
 甲  癸  壬  辛  庚  己  戊  丁
 申  未  午  巳  辰  卯  寅  丑


後藤象二郎 

坂本龍馬に心酔し、岩崎弥太郎に政府の情報を流し、福沢諭吉のいうことを何よりも大事にした人のようです。
彼らの相性そのものです。

1838年4月13日−1897年8月4日

    辛 丙 戊
    卯 辰 戌

77 67 57 47 37 27 17  7
 癸  壬  辛  庚  己  戊  丁  丙
 亥  戌  酉  申  未  午  巳  辰

福沢諭吉 慶応大学

1835年1月10日ー1901年2月3日 66歳没

      壬 丁 甲
      寅 丑 午

78 68 58 48 38 28 18  8
 甲  癸  壬  辛  庚  己  戊  丁
 申  未  午  巳  辰  卯  寅  丑


大隈重信 早稲田大学

1838年3月11日ー1922年1月10日 83歳没

    戊 乙 戊
    午 卯 戌

78 68 58 48 38 28 18  8
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 戌  酉  申  未  午  巳  辰  卯

新島襄 同志社

1843年2月12日ー1890年1月23日46歳没

     丁 甲 癸
     巳 寅 卯

72 62 52 42 32 22 12  2
 丁  戊  己  庚  辛  壬  癸  甲
 未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅



森有礼 一橋大学

1847年8月23日ー1889年2月12日 41歳没

     庚 戊 丁
     寅 申 未

75 65 55 45 35 25 15  5
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申 

後藤新平1857年7月24日ー1929年4月13日 71歳没

     癸 丁 丁
     丑 未 巳

76 66 56 46 36 26 16  6
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁
 子  丑  寅  卯  辰  巳  午  未

つれずれなるままに

つれずれなるままに

「戊戌の変」をきっかけに近現代史の登場人物を調べていて

驚いたのですが、Wikipediaのおかげで

彼らの生年月日が公開されているのです。

なんとも研究し放題ではないですか。

個人的に面白かったので、続きをやりたいと思います。


抗いきれない時(歴史)の流れの中、

その時代、その環境にに生まれてしまった人々が集い、

どんな気持ちで生きていたのかとその群像に想いを馳せると

ロマンチックですね。

もちろん、実際の誕生日がその日なのかどうかは分からない。

(うちの母親の時代でも生まれた日と届出の日の誕生日が違い、母が亡くなったとき、私が母から聞いていた誕生日と戸籍上の誕生日が違うと火葬許可のなんたらで姉と、すったもんだをした憶えがあります。)

そうゆうわけで、この時代の人たちの元命式の鑑定は、

フィクションとなります。

本当の誕生日なのか、偽物なのか?鑑定と符合するのか?

よく知られた人物たち、歴史の表舞台には現れない人々

その痕跡を探していきたいと思います。

篤姫さん、皇女和宮様、今年の大河ドラマの主役の西郷さんにも

登場していただいています。

幕末 グラバー

大事な人を忘れていました

トーマス ブレーク グラバー

1838年6月6日ー1911年12月16日 東京にて73歳没

     乙 丁 戊
     酉 巳 戌

80 70 60 50 40 30 20 10
 甲  癸  壬  辛  庚  己  戊  丁
 子  亥  戌  酉  申  未  午  巳

1870年 グラバー商会破産 32歳 庚申運 庚午年


坂本龍馬 1835年1月3日ー1867年12月10日 31歳没

   庚 戊 乙
   子 子 未

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 巳  午  未  申  酉  戌  亥  子


五代友厚 1836年2月12日ー1885年9月25日 49歳没

(NHKの朝ドラでディーン・フジオカが演じていた「五代様」のモデルになった方です。)

    庚 庚 丙
    辰 寅 申

77 67 57 47 37 27 17  7
 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅


1861年の夏頃、五代さんが藩命で蒸気船購入のためにグラバーに会いにきたのが志士達との関係の始まりのようです。

ドラマなのでは、グラバーさんは龍馬達に比べて、かなりの年上風なのですが、1861年当時 坂本龍馬は26歳 五代さんは25歳 グラバーさんは23歳です。相性ですが龍馬から見るとグラバーさんは目指すべき目標(アイドル的な)だったようです。(相性にちょっとふわふわしたところがあります。)五代さんから見ると、この人は乗り越えるための通過点のような立ち位置です。

実に面白いですね。

幕末 朝廷

テレビドラマでは軽くしか出てこない、なんとも言えない所が、やはりあるんですね。上級のお公家さん達と、徳川さんや有力大名さんたちの婚姻関係は当たり前だったようですね。


関白 鷹司政道1789年8月22日−1868年11月29日

この方の正室の徳川清子の弟が水戸藩主徳川斉昭で、その息子が15代将軍徳川慶喜です。

    丙 壬 己
    戌 申 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申
  



岩倉具視1825年10月26日−1883年7月20日

このかたは、なんともかんとも曲者です。

    己 丙 乙
    亥 戌 酉

76 66 56 46 36 26 16  6
 己  庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙
 卯  辰  巳  午  未  申  酉  戌


孝明天皇1831年7月22日ー1867年1月30日36歳

この天皇を新政府側が扱いきれず謀殺した等々、その死に諸説が噂された方です。

性格的には、曲がったことを嫌い、不正義には激しく抗する方ですが、取り巻きに苦労ばかりかけられるような姿です。組織の長としては清濁併せ呑む度量はありません。

    甲 乙 辛
    午 未 卯

75 65 55 45 35 25 15  5
 戊  己  庚  辛  壬  癸  甲  乙
 子  丑  寅  卯  辰  巳  午  未

幕末 皇女和宮

私がこの方の命式を知ったのは京都書院から出版された西澤宥綜先生の四柱推命「命譜春秋」という御著書で今から20年以上も前のことになります。(その内容に関してはコメントは避けます。)改めて元命式を出してみて思うのですが、当たり前といえば当たり前なのですが、京の陰陽寮、またはその配下に、とても優れた、人の運命を見ることができる方がいて、徳川家茂の能力を計り、その上で和宮を嫁がせたと思えるのです。最近の通説通りなら徳川家康が豊臣秀頼の優秀さが邪魔になり滅ぼしたと言われていますが、同じことが300年の時間を経てこの時代に起きたのかもしれません。



和宮 1846年7月3日ー1877年9月2日

    甲 甲 丙
    午 午 午

79 69 59 49 39 29 19  9
 丁  戊  己  庚  辛  壬  癸  甲
 亥  子  丑  寅  卯  辰  巳  午

徳川家茂 1846年7月17日ー1866年 8月29日 没年満20歳

    戊 乙 丙
    申 未 午
  
77 67 57 47 37 27 17  7
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 寅  丑  子  亥  戌  酉  申  未


死没日 1866年8月29日

丁酉運 丙寅年 丙申月 丙子日

幕末 篤姫

篤姫(天璋院)1836年2月5日ー1883年11月20日47歳没

    癸 己 乙
    酉 丑 未

80 70 60 50 40 30 20 10
 丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚  己
 申  未  午  巳  辰  卯  寅  丑

1856年11月徳川家定の正室となる20歳(1年9ヶ月後家定死去)

辛卯運 丙辰年 己亥月

癸巳運 癸未年 癸亥月 戊辰日 脳溢血にて死没

徳川家定 1824年 5月6日

    辛 己 甲
    丑 巳 申

70 60 50 40 30 20 10
 乙  甲  癸  壬  辛  庚  己
 亥  戌  酉  申  未  午  巳

1858年8月14日 死没 35歳

 壬申運 戊午年 庚申月 己卯日

幕末 幕府

徳川慶喜 1837年9月29日

優しくて、繊細な芸術肌なのですが、官職には向いていません。仕事より趣味、大きな責任は丸投げする方であり、もし、この方が企業のトップであれば、必ず会社は潰れます。「しょうがない。」と何処かでそう言い続けている方です。

   乙 己 丁
   亥 酉 酉

77 67 57 47 37 27 17  7
 壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己
 寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉

1867年11月9日 大政奉還 30歳

(丙午運 丁卯年 辛亥月 癸巳日)

松平春嶽 1828年9月2日

   辛 庚 戊
   酉 申 子

72 62 52 42 32 22 12  2
 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚
 卯  寅  丑  子  亥  戌  酉  申


井伊直弼 1815年10月10日 

    庚 丙 乙
    寅 戌 亥

70 60 50 40 30 20 10
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙
 辰  巳  午  未  申  酉  戌

桜田門外の変 1860年3月24日 44歳

壬午運 庚申年 己卯月 丁卯日



松平容保 1836年2月15日

   癸 庚 丙
   未 寅 申

76 66 56 46 36 26 16  6
 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅

戊辰戦争 1868年(大政奉還の翌年)32歳

勝海舟 1823年3月12日

    庚 乙 癸
    子 卯 未

71 61 51 41 31 21 11  1
 戊  己  庚  辛  壬  癸  甲  乙
 申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯

土佐藩

武市半平太

久坂玄瑞によると西郷より人物は上と称されたかたです。

是非とも西郷さんと比べて見てください。

1829年10月24日−1865年7月3日 34歳没

    戊 甲 己
    午 戌 丑

75 64 55 45 35 25 15  5
 丁  戊  己  庚  辛  壬  癸  甲
 卯  辰  巳  午  未  申  酉  戌


坂本龍馬 1835年1月3日ー1867年12月10日 31歳没

   庚 戊 乙
   子 子 未

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 巳  午  未  申  酉  戌  亥  子


中岡慎太郎 1838年5月6日ー1867年12月12日 29歳

   甲 丙 戊
   寅 辰 戌

70 60 50 40 30 20 10 
 癸  壬  辛  庚  己  戊  丁  丙
 亥  戌  酉  申  未  午  巳  辰

1867年 12月12日

  丙 壬 丁
  寅 子 卯

後藤象二郎 1838年4月13日

   辛 丙 戊
   卯 辰 戌

77 67 57 47 37 27 17  7
 癸  壬  辛  庚  己  戊  丁  丙
 亥  戌  酉  申  未  午  巳  辰

一人大事な人を忘れていました。

板垣退助

1837年5月21日

     甲 乙 丁
     子 巳 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 戊  己  庚  辛  壬  癸  甲  乙
 戌  亥  子  丑  寅  卯  辰  巳

幕末 思想家1

佐久間象山 1811年3月22日ー1864年8月12日 54歳

   丁 辛 辛
   未 卯 未

75 65 55 45 35 25 15  5
 甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛
 申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯

強く激しい方ですね。今のところ、これまで見てきた幕末の国士の中で、この方の意志力が最も強く、多くの志士たちの思想的な支柱であったことが窺えます。弟子に吉田松陰、河井継之助、勝海舟、坂本龍馬等々、この人に比べると吉田松陰さんは優しくて人を育てるのが上手なとても優秀な学校の先生と言わざるおえません。





吉田松陰 1830年9月20日ー1859年11月21日29歳

    己 乙 庚
    丑 酉 寅

77 67 57 47 37 27 17  7
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

幕末 思想家2

幕末の歴史にはほとんど出てきませんが

孝明天皇、明治天皇の信頼が厚かった儒学者の方であり、

尊王攘夷の精神的支柱となった方です。

佐久間象山と比べてみてください。


中沼了三1819年9月6日−1896年6月7日

     丁 壬 己
     丑 申 卯
 
89 79 69 59 49 39 29 19  9
 甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
 子  牛  寅  卯  辰  巳  午  未  申

長州藩

高杉晋作 1839年 9月27日ー1867年5月17日 27歳

     癸 癸 己
     未 酉 亥

76 66 56 46 36 26 16  6
 丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
 寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉


木戸孝充(桂小五郎)   

1833年 8月11日 1877年5月26日 没43歳

   乙 庚 癸
   丑 申 巳

71 61 51 41 31 21 11  1
 癸  甲  乙  丙  丁  戊  己  庚
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申


井上馨 1836年1月16日ー1915年9月1日79歳

    癸 己 乙
    丑 丑 未

73 63 53 43 33 23 13  3
 壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己
 午  未  申  酉  戌  亥  子  丑



伊藤博文 1841年10月16日ー1909年10月26日68歳

     戊 丁 辛
     戌 酉 丑

78 68 58 48 38 28 18  8
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁
 寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉


山縣有朋1836年6月14日−1922年2月1日83歳

    癸 甲 丙
    未 午 申

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  庚  己  戊  丁  丙  乙  甲
 丑  子  亥  戌  申  酉  未  午

幕末 薩摩

斉彬、久光、西郷さん、大久保利通、その上司にあたる小松氏の命式を出して見たのですが、驚くべきことに時代を動かすようなリーダーがいません。他の藩も見なければならないのですが、皆が皆、漠然とした恐怖に戦々恐々とし、その恐怖と必死に戦っているような姿です。占術の世界ではよく言うのですが、大店(おおだな)が傾きかけた時、徳のある店には、とても優れた番頭が現れ店を立て直す。小松清廉はその類の人物です(ただし34歳、過労死の形です)。




西郷隆盛 1828年1月23日   

大河ドラマの鈴木亮平さんとは真逆の方です。

「熱さ」とは真逆のクールさと懐の深さが魅力の人です。

   戊 癸 丁
   寅 丑 亥

75 65 55 45 35 25 15  5
 丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
 午  未  申  酉  戌  亥  子  丑


島津斉彬 1809年 4月28日

    甲 戊 己
    戌 辰 巳

77 67 57 47 37 27 17  7
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 酉  戌  亥  子  丑  寅  卯  辰

島津久光 1817年 12月2日

   甲 辛 丁
   午 亥 丑

78 68 58 48 38 28 18  8
 甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛
 辰  巳  午  未  申  酉  戌  亥

小松清廉 1835年 12月3日

    己 丁 乙
    巳 亥 未

79 69 59 49 39 29 19  9
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁
 辰  巳  午  未  申  酉  戌  亥

没年月 1870年8月16日  甲申運 庚午年 甲申月 甲申日 34歳


大久保利通 1830年 9月26日

   乙 乙 庚
   未 酉 寅

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

幕末 謎

大久保利通の命式を出したら坂本龍馬の命式を思い出し、桂小五郎の命式を出してみたら、この命式、大久保利通さんと良く似ているなと.....。

坂本龍馬とお二人の日干の干合についての感想なのですが、起きた現象は真反対で、桂さんは坂本さんを絶対的に信頼し、大久保さんは龍馬暗殺の影の首謀者とまで後世で言われることになりました。

近江屋事件 龍馬暗殺

1867年12月10日 龍馬31歳 乙酉運 丁卯年 壬子月 甲子日


坂本龍馬 1835年1月3日

   庚 戊 乙
   子 子 未

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 巳  午  未  申  酉  戌  亥  子


木戸孝充(桂小五郎)    34歳

1833年 8月11日

   乙 庚 癸
   丑 申 巳

71 61 51 41 31 21 11  1
 癸  甲  乙  丙  丁  戊  己  庚
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申

大久保利通 1830年 9月26日    37歳

   乙 乙 庚
   未 酉 寅

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

幕末

幕末の登場人物を調べてみると、

現代に伝えられているロマンチックな英雄伝とは

若干の違いがあるようです。典型的なのは

坂本龍馬さんで熱烈なフアンの方が多いので

あまり書くのを憚るのですが、

このかたは忠孝の基盤の上に立つ武士ではなく、

利害を第一の価値基準とする商人であり、

それを薩長に提案し、

(乗った薩長も薩長なのですが、)

結果的に時代を変えました。

なぜ武士が忠孝を捨て利害に傾いたかは、

外圧による絶対的な危急存亡の危機感が

それをさせたのでしょう。



今となっては闇の中の闇のお話です。。

元命式の研究 戊戌の政変より 

今年の年運干支は戊戌年となり、かつて中国では「戊戌(ぼじゅつ)の政変」と

呼ばれる西太后によるクーデターが起きた年です。

その時、処刑された若い国士達の供養を込めて

命式を出して見ました。

「元命式の研究」は個人情報のなんとやらで

普段は部外者には鍵をかけているのですが、

この時代の方ならばと公開します。


戊戌の政変 1898年9月20日袁世凱の密告により

翌日21日より粛清が始まる

戊戌年 辛酉月 丁亥日(21日)


西太后 1835年 11月29日  62歳

   乙 丁 乙
   丑 亥 未

73 63 53 43 33 23 13  3
 甲  癸  壬  辛  庚  己  戊  丁
 午  巳  辰  卯  寅  丑  子  亥

年運の戌、月運の酉、大運の巳により 三合金局と西方合が成立し、
月の天干に辛が現れているので身内からの大きな裏切りが予想される月廻りになります。

この命式の方は、とても気がきく可愛い女性です、少々危なっかしいところもあるのですが彼女にするなら良いと思います。結婚を望むのであればプライドが高く扱いをぞんざいにされると切れやすく、問題が起こると、ご実家も出てくるので注意が必要です。
もしも彼女が職場の上司だとしたら、これは大問題ですね。猜疑心が強く神経質で、その上仕事を部下に丸投げし、できないと切れるタイプの方です。


光緒帝 1875年 2月25日  1898年 24歳

    戊 戊 乙
    午 寅 亥

76 66 56 46 36 26 16  6
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅

年運戊戌により地支に三合火局が成立しているのですが、
大運丙子の子水が日支馬と激冲の作用が起きています。
このような場合、話が9割がたまとまると激冲のスイッチが入ります。

本来は自分を押し通し、反対されることを嫌うワンマン社長タイプの方なのですが、大運の弱さが素直で真面目で絵に描いたような良い子にさせています。それが、年運天干の比肩戊により同志が、地支戌による火局が成立し、一瞬、強運に代わり本性が現れ、9割がた準備が整ったところに激冲の現象として裏切りが起きたと考えられます。星の流れと元命式の動きについての見落としてはならない大事な理論です。



庚有為 1958年 3月19日  40歳

    辛 乙 戊
    亥 卯 午

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 戌  酉  申  未  午  巳  辰  卯

歴史に名を残すことと、英雄であることとは別物であるという
良い例の方です。根は潔癖な方ですが、お弟子さんたちに担がれてというのが本当のところでしょう。

年運戌により火局半会、またこの戌が月令の卯と支合し、さらに大運未、日支亥と三合会局しています。木生火の形で官鬼が大旺しているのですが辛酉月の酉が局心の卯を冲することにより、命は救われました。


譚嗣同 1865年 3月10日 ー1898年 9月28日 33歳

    己 己 乙
    卯 卯 丑

71 61 51 41 31 21 11  1
 壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己
 申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯


この方の命式はかなりきつい命式で、常に死に場所を探していたような方です。
最後はプライドを満たして亡くなっています。
逃げようと思えば逃げられたのに、なぜ逃げなかったか?
プライドを満たしたとはどうゆう意味か?

ご自分で考えてみてください。

戊戌の政変2 袁世凱 

袁世凱 1859年 9月16日ー1916年 6月6日

譚嗣同を裏切り西太后に密告した人物で、のちに中華皇帝にまで上り詰めた人です。

     丁 癸 己
     巳 酉 未

 73 63 53 43 33 23 13  3
  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
  寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉

1898年 (39歳)9月20日 譚嗣同に説得され一時は了承するも密告。

己巳運 戊戌年 辛酉月 丙戌日

(彼が39歳の時の事件だったんですね。私のイメージではもっと歳をとった老獪な爺さんだと思ってたのですが。)

戊戌の政変とは、改革抵抗派の親玉である西太后を暗殺し、一気に改革を進めようとするクーデターが頓挫した事件でした。
改革派の親玉である光緒帝にすれば親殺しとなります。(命式から勘案すれば彼ならやります。)

袁世凱はこのクーデターの武力的な後ろ盾として選ばれたわけですが、いかんせん命式を読むと、悶々と巨大な夢を見ている状態で、多分ですが、譚嗣同らの話では、クーデターが成功しても自分は彼らのパシリとしての役割を担わされると感じたのだと思われます。さらに、光緒帝とも譚嗣同とも相性が悪い。嫌いだったと思います。面従腹背、即刻の裏切りです。

鑑定について

だいぶ昔の話ですが、

「四柱推命は難しいだけで、運命の内容なんて分からない、

それより紫微斗数の方が財運や、仕事運や、異性運が具体的にわかるのよ。」と

言っていた人がいました。(確か、こんな感じだったと思います。)

紫微斗数は門外漢なのでコメントのしようがないのですが、

私の教える四柱推命は、あるレベルに達すると、

その人の心の中が読めるようになります。

心が読めると言っても、超能力の類ではなく、

推命理論のもと、星の姿と、流れを推し量った結果が

一致しているだけで、我々にしてみれば当たり前の結果なのです。

何人かの元命式の解説を前回書きましたが、

いくつか私が見つけた理論についても書きました。

たったこれだけの情報でも、これを基に、

彼等の人生を想像していけば、その行動と言動に

納得されるのではないでしょうか。

自分の価値

健康で元気に毎日を過ごしている人達は、

ほとんど考えないのですが、いろいろなことが重なり

不幸が続いてしまった人の多くは

「自分には価値があるのか?」と問い始めます。

「自分には価値があるのか?」

これは「自分には生きている価値があるのか?」

という問いかけです。

昨日、生徒さんが命式研究の題材として、

ある自死のかたの命式をお持ちになりました。

見かけ上の強さの根拠である星がもともと

潰れかけていたものが、様々条件から

心の混迷を誘い、無き夢を追いかけるような形で、

日にちと時間が重なった日に亡くなっていました。

解説するのが辛い命式です。

過労とパワハラによる神経衰弱が原因とのことですが、

それ以外の因子が明確に命式に現れていました。

なんとも言いようがありません。

お釈迦様のお弟子さんたちは、

人間に生まれることの難しさを滔々と説きます。

魂魄のレベルで言えば、今回は人として生まれても

次回は人以外の生物として生まれていてもおかしくないのです。

前にどこかで書きましたが、肉体が地に還った後も魂は浮遊し、

さらなる、新鮮な肉体を求めて彷徨い、

再び母体に落ちるというのが循環の原理です。

陰陽五行思想というのは突き詰めると

そのように出来上がっています。

それでは自分たちの魂は何処へ行くのか?

となるのですが、結局は亡くなるまでの生き方と

相応の世界(経済、環境、血統、社会的地位)にある

父母とご縁が生じ生まれ落ちると考えるのが自然ではないでしょうか。

ただし、これは人間に生まれるだけの徳を備えていた人の話です。

受胎の過程というのは人も、哺乳類も、昆虫も、魚類も

卵子と精子の結合、受精によって成立しています。

つまり、生に対する強い執念がある場合、

再生の過程が同じであるがゆえに

人間の世界だけが再生の場とは限らないということです。

「日本霊異記」の中にも、牛に生まれ変わった人の話があります。

かのお釈迦様でさえ動物に何度も生まれ変わっているのです。

残念ながら「死んだらおしまい。」ではない。

死は救いにはならない。

じゃあ、どうすればいいのよ、となりますね。

人は自と他の関係性から一歩もでられないというのが

自他の順逆論です。ここから導かれる結論だけを言うと

「他人の目から見た自分自身の価値を求めている限りは、

人は自分の価値なんて見出せないのです。」

だからこそ、

自分で自分に価値をつけて行くことが必要なのです。

どうすれば、そんなことができるのか?と問う人がいるはずですね。

一例を挙げておきます。

ヘアードーネーション

ここにヘアードーネーションというものがあるのですが、

もし、あなたが女性なら子供達のために

あなたの髪の毛を役立てて見ませんか?

自分には価値がないと思っていようと、

あなたの髪の毛は感謝され、価値が生まれてきます。

人生は自分との戦いです。

上手に自分と妥協しながら、少しづつ自分に勝っていけばいい。

粘り強く、戦いを放棄しさえしなければ、

最終戦の頃には、結構いい線まで行っているものです。

自分に負けさえしなければ勝ちと一緒です。

とりあえず弱い臆病な自分に「はいはい、大丈夫よ。」と

告げて挙げてください。

それで大丈夫です。

歴史

陰陽五行説が中華の歴史に初めて登場するのはいつ頃からかと

調べていたのですが、陰陽思想は三皇五帝時代の伏犧、

五行思想は夏王朝の禹からというのが

定説のようです。それはいつかと問われれば、

今から4000年前とも、

もっと前とも言われています。

夏王朝の痕跡はあるらしいのですが、

紀元前21世紀から紀元前16世紀に成立していた王朝とされ、

それ以前が三皇五帝となります。

その次からが我々にもなじみが深い殷王朝となります。

有名な甲骨文字ですね。

そしてこの甲骨文字こそ卜占を記録したものなのです。

上野の古代中国展で実物を見たことがあるのですが、

内容は狩に行く、獲物は取れるか?的なものだったと記憶しています。

当時の占いは神に真意を伺うという意味で、

極めて厳かな儀式の元に執り行われていたはずですが、

内容はこんなものです。

今の世とあまり変わりませんね。

それでは四柱推命はというと、

殷が滅びた年代から数えても二千年後の1100年代

南宋の徐子平により現在に至る形が編纂されたと

言われています。

(もともと四柱推命という呼び方は日本で作られたもので、松本義亮先生によるものです。国会図書館のデータベースはもう紹介済みですね。)

これを完成させたのが1368年元朝を滅ぼした朱元璋の軍師であった

劉基(劉伯温)であり『滴天髄』(てきてんずい)を著し、

最も権威のある推命書の原典とされています。

このように現在「四柱推命」と呼ばれるものは

陰陽五行説が生まれてから2200年かかって完成され、

650年の月日を経て今に至るというところです。

しかしその内容はというと、

流転する時代と、それを解釈する先生方の人物により、

実に様々な姿に変化し、時に名称を変えらてきたのですが、

陰陽五行、十干十二支の基礎理論を変えるほどの人は

現れませんでした。

この辺りが実に面白いと私は思うのです。

犀の角のようにただ一人歩め

犀の角のようにただ一人歩め

本当にただ一人歩むのは孤独です。

人(自分以外の人達)に理解してもらうというのは実に

難しいものです。

生存中のお釈迦様の言葉を収録した経典は

実にわかりやすくて魅力的です。

どんな新興宗教より、伝統仏教(祖師仏教)よりも理解しやすく

単純明快です。

私の座右の書です。

それを、読まずに流して聞けるのだから、

なんて贅沢な時代なのでしょうか。

注意ですが、これを聞いて「お釈迦さん良いかも。」となったとしても、絶対に仏教の勉強会とか、なんとかとかには参加しないでくださいね。オウムなんかもそうですが、本当に怪しげな自称仏教研究会が横行しています。仏教にかぎらずキリスト教系であれば、聖書研究とか、伝統仏教でも有名なお祖師さんの研究会とかは、とりあえず眉に唾をつけるべきです。この類のことに免疫の薄い新入生の方達。大学のサークルで勧誘されたら、とりあえず逃げてくださいね。一生を棒に降る可能性がありますよ。クソ真面目に生きてきた女性の方達は特に注意してください、第一の標的にされています。

推命クラス

いつかこんな日がくるとは思っていたのですが、

ついにきてしまった。

入門クラスに希望者がいないのです。

100文字の希望動機がネックなのかなとは思うのですが、
(そうであって欲しいのですが......。)

もしかしたら10善行などと宗教的なことを言うのを

毛嫌いされているのかとも思うのですが......。

とりあえず誤解については釈明をしなければいけません。

まず100文字の希望動機なのですが、

実は過去に何人か、面白い人を受け入れてしまった

苦い経験があるからなのです。

その内容は察して欲しいのですが、やはり、明確な同期と

推命術に対する好奇心が強くない人には、

こんなもんかで終わってしまうのです。

ですから今後も入門希望の動機の100文字は実施いたします。

次に10善行についてですが、

私がこの業界で最も嫌悪する事柄がありまして、

それはリピーターという名の依存者を作ることなのです。

中には脅し透かして、自分のところにこなければ、

地獄に落ちるぞと、どこかで聞いたことがあるセリフを

決め言葉にしている方もおり、そんな連中と

一緒にされることすら片腹痛い。

生活習慣病で医者に通っている病人のように、

「あれ」と「これ」を辞めさえすれば、

病気はすぐ治るのにと言われても、

「あれ」と「これ」だけは辞められないと言って、

医者通いをしている人がたくさんいるじゃないですか。

あれと同じで、人というのは皆が皆、

持って生まれた星により欲望をプログラムされている

生物なのです。

実はこれが私が推命術から得た結論なのです。

別の言い方をすれば、推命術というのはこのプログラム

(特定の個人のもつ欲)を解析する実に優秀な技術なのです。

「あれ」や「これ」を辞めるとは、このプログラムを書き換える

ことであり、その困難さは、例えるなら、散歩中の犬に塀や

電信柱の匂いを嗅がせることを辞めさせるに等しい。

犬にはできません。

でも、人間にはそれができます。

なぜできるか?

自分のもつ病を把握し、合理的に解決する方法を受け入れ、

回復する意図を持って繰り返し努力し習慣化することができれば、

病は軽減していきます。(完全に治るとはいっていませんよ。)

これこそが知性だと私は思っています。

そして、人の運を生み出している根本的な原動力とは

自分の心であり、他人の心なのです。

誰かに「お前バカだな」と言われれば、

「うるせー、お前こそ馬鹿野郎だ」と

なるでしょ。

今度は立場を変えてみましょう。

やはり、同じ反応ですね。

これがより複雑に絡み合い、

愛執、憎悪、強欲、嫉妬等々の感情の積み重ねが熟成され、

自然に、言葉や態度に表れ、かつての当事者とは関係のない人にまで、

及んでいくのです。

大抵、最も大事にしなければならない人にこれをやり

人間関係が壊れていっている。

このように、人の心は相対的にできています。

自分がいて、他人がいて、その関係性の上から感情が生まれている。

そして、もう、理解できると思いますが、

すぐに他人の心を変えたいならば、自分の態度を変えることから

始めるのが道理なのです。

そのための行動の規範が10善業なのです。

心おだやかな暮らしをするため方法なんです。

あなたには官星があって出世する、すごい職につくよ

財星が強いから大金持ちになるよとか言われるのと、

(ちなみに両方とも通変星の理解が間違っていて運勢鑑定としては下の下の鑑定です。)

円満な人生を送るための運勢の理解、その具体的な方法を知ることと

どちらに価値があるでしょうか?

私は自分が身につけた四柱推命をこのような形で教えているのです。

四柱推命に興味があり、この考えに賛同される方はお尋ねください。

心の形

最近生徒さんにはよく、こういうことを言っています。

「人の思考というのは最初からある程度プログラムされていて、

環境と教育でそれに幅が生じ、

その幅こそが人の持つ「自由度」であり、

命式には表れない家の「徳」です。」と

「思考は実現する」と一度は誰もが聞いたことがありますね。

「引き寄せの法則」にしても、内容は全く同じです。

多くの人が恋愛成就お金儲けや願望実現の方法だと思っていますが、

これ、勘違いですよ。

思考が実現するというの間違いありません。

だから怖いんです。

思考は実現する。

「思考」というのは「心の動き、形」のことですね。

心の形が「現実化」「顕在化」するということですね。

それでは、自分の心の中にマイナスの思考が

芽生えている場合はどうなのか?

どうなんでしょう?

理論通りならば、「それ」が現実化します。

実はこれが生まれ持った「運」があまり良くない人の

思考パターンなのです。そしてほとんどの人は、

本人にしか分からない、不平等、差別感や疎外感による

怒り、悲しみ、妬み、恨みと誰もが持つ感情ですが、

この「傷」が時間を経ると言い知れぬ劣等感として

変化し、大事な時に鎌首をもたげる。

恋愛の相手を選ぶ時など典型的で、

自分の中にこの傷があると、それに似た傷を

持つものを自然に求めてしまう。

同病相憐むのことわざ通りに、

自分の心を理解できるのは同じ傷がある君だけだよねと

心の深い部分(傷の部分)で惹かれ、

結果は、苦しみの掛け算として終わることが多い。

(心の奥深くある劣等感が似たものしか選ばせない。)

同じような恋愛で、何度も傷ついている方達の一つの心の形です。

じゃあ、どうすればいいのか。少しづつ考えていきましょう。

恋愛するならどんな人がいいですか?

一緒にいると安心できる人、楽しい人、ドキドキする人、

尽くしてくれる人、リードしてくれる人、尊敬できる人、

可愛くて尽くしたくなる人、自分を輝かしてくれる人。等々

運勢の相性で見ると結ばれる男女の仲は本当に不可思議です。

占術家の中でも言わない人が多いのですが、

相性の良さと運の吉凶は全く別ものなのです。

けれども中には、努力を伴えば、お互いの運を

補い合える運勢同士の方達もいる。

だから、まずは今パートナーがいるのであれば、

その人を大事にし、これから探すのであれば、

自分のビジョンを明確にし、マイナスの心の使い方を

極力避けることです。

運の良い人の生き方を真似るというのも一つの方法です。

この方達はマイナスの感情の処理がとても上手なのです。

だから、すぐに「次」の行動が取れる。

人の心は、使い方次第でかなり大きな仕事がこなせます。

そのためには自分を捉えて離さないプログラミングされ、

パターン化した心の動きから自分を解放し、幅を広げることが

一番の早道です。




先月の22日から日運で専旺干支が10日間巡り、

今日から年が変わり、月運で専旺干支が巡っています。

世の中というより、ご自分の身の回りの身近な人の変化と

ご自分の中の心の変化をよく観察してください。

自分を捉えている運勢のなにがしかに対する気づきが生じやすい

運の回りになっています。

教室

新しい生徒さんが入門始めの頃

「四柱推命はどのように勉強すればいいのですか?」と

よく質問されるのですが、

推命学は、実は、わかってしまえば、とても単純明快で

簡単なのです。

中心となる星を、その人自身として捉え、

その周りの環境と時間軸の変化を慌てず、

冷静に解明して行けば、その人の心の動きと

運の動きが明確になります。

こう書くと、まさか、と思われる方がいると思うのですが、

前にも書いたように、人が持って生まれた星というのは、

年月日時という形で固定され動かしようがありません。

(運が悪いので自分の誕生日を変えてくれと言っても無理なのです。)

例えると、一人一人それぞれが、

凸凹の甲板や船底を持つ船で、

「時」という大河を流れているようなものなのです。

そして、この「時」には時代という共通の時と

大運、年運、月運、日運、時運という

個々人(の現命式)に作用する「時」があるのです。

これが時間軸の考え方です。

そして、ここからが重要です。

最近私の中で整理され始めたことなのですが、

「人間」の本質的な有様を知ることこそ、推命学の底の底に

通じるもっとも大事な部分なのではないかということです。

そして、この部分が欠けていると、いつまで立っても

私の教える推命術が理解できない。

具体的にいうと、人間の本質などと偉そうに言いましたが、

実は自分自身を客観的に、見ることができるかということなのです。

自分という人間はどのような人間か?

生物としての人間の姿はどうなのか?

自分の中にある弱さ、強さ、欲深く嫉妬深く、醜い自分。

また清廉潔白で正義感にあふれ慈悲深く、優しい、思いやりのある

自分自身。自分の中にある清と濁。

そして、他の人の中にも自分と同じように

苦しみや悲しみや、恐れや、孤独や、愛情があることを

認めることなのです。

そんなの当たり前と思う方が多いと思うのですが、

それでは、あなたは、あなたの一番身近な人の「悲しみ」を

ご存知でしょうか。

子は親の悲しみを知らず、親は子の悲しみがわからない。



ここで現命式の話に戻ります。

ある人の現命式を目の前にした時

もし、自分自身がこの大運の時期に、

年運でこんなに厳しい星が巡ってきたとしたら、

どうなるだろう。これに耐えるだけの力量があるのだろうか?

傷は大きいのか?この傷が癒されることがあるのか?

さらに先に巡ってくる運勢を詳細に見て判断をして行くのです。

多くの人は人を見ているようで人を見ていません。

だから平気で他人を傷つける。

けれども

この痛みが蓄積した結果が運命の種となり時を経て熟成され、

「結果」としての事象が起きてくる。前に書いた通りです。

このように、私の教える推命術は「心の動き」を中心軸としており、

機械的な「官」の現象、「財」の現象等の通変星に固定、

限定された鑑定法ではありません。

多分、この辺りが、

「どう勉強すればいいのかわからない」という

人たちが理解できないところだと思います。

中心の星の心情を理解し、自分に起きることとして、

親身に星を精査すれば、自ずと答えは現れます。

是非とも同学の皆さんは、

自分を大事にするように、他を大事にしてください。

業について

時間の都合で中級の教室に進めない生徒さんには、

研究クラスとして私の使用している鑑定法を学ぶ

場を提供させていただいています。

このクラスでの話ですが今年に入ってから続けて

「業」としか呼べないような命式が例題として

出されました。

あらゆる人に言えることなのですが、

命式を見ていると、夫婦や家族というのは

面白いもので、必ず、何らかの縁で繋がっています。

その中でも、「業」と私が呼ぶ縁は

終わりの始まりという意味となり、悪い意味になります。

目の前で暗い顔をしている生徒さんに

「生まれながらにそんな運を持っているのだとしたら、

どうすればいいんですか?」と

今日も聞かれたのですが、

「まずは自分にかけられている運勢の罠を知ること。

あとは十善業をすればいいんですよ。」と答えました。

(実は何年も前から書いてきたことです。)

死んだ人たちの怨念が形になったものが命式に現れているのであれば、

相手は死人ですから、「念」だけの存在であり、

肉体を持つ生きている人間の方が10倍ぐらい強いのです。

ただ、怨恨の念はこちらが認識しないうちは、

あまりにも自然に心の中に忍び寄るものであり、

大抵は、その人の「好み」として

現れるものなのです。

例えれば、新鮮なケーキと中身の腐ったケーキが

目の前にある場合、マイナスの念は中身の腐ったケーキの方が

美味しいよ、好みだよと、心の中で囁くのです。

運があまり良く無いと自覚している人の中には

これに似た体験をした人が結構いると思います。

これを回避しようとする場合、

しっかりと製造年月日を確認すれば、お腹を壊すことは

無いわけです。同様なことが人生のいたるところで起きていて、

特に人生の大事な節目としての選択を迫られた時、

心のささやきを精査し、気づくことが、持って生まれた

悪い方の運勢を回避する最善の方法になります。

これが、なんども書いてきたように自分自身を知るということですね。

そして、悪縁を切るための善い縁のタネとなる十善業を、

他人に知られないように、地味に実践することで、

ほんのちょっとづつ心を豊かにし、

生まれながらに「念」とリンクしてしまっている、

自分の中の恨みや怒りや特定のものに対する執着を

変化させていくことです。

(消せなんて言っていませんよ。不正や正しいことをするためには時に怒りも必要です。怒りも、恨みも人の持つエネルギーの一つの表れです。否定する必要はありません。できれば自分以外の他人に対する優しさや、思いやりに変化できれば、今度は自分の周りが暖かくなりより円満な人間関係が生まれて来ます。)


今日も生徒さんが、先生、十善業を完璧にやろうとしたら、

難しいですよーと言われたのですが、やろうとしているだけ、

結構なことだと私は思うのですが、

徳は積むものです。積むというのは崩れることもあるという

のが前提です。崩れたら、また積むこと。

諦めずに、

積んでいる時の気持ち良さと、晴れやかさを思い出し、

また積むこと。

吉運に生まれたものは人生に奢り、

足元をすくわれないよう心がけ、

自分は運が悪いと思うのならば、十善の行を人知れず

積むことです。

それができれば、人生それほど悪いものにはなりません。

魂魄

魂魄について前回書きましたが、

器と器の中身のことです。

白川静先生の「字統」でこの文字を調べると

「魂」の偏は雲を表し、旁(つくり)の鬼は「人の帰する所」

死人の意味だそうです。つまり、死して雲のごとく登り

浮遊するものとの解釈です。

「魄」については偏の白は生気を失った頭骨とされています。

土に還る物質的な肉体のことですね。

また、人の帰す鬼に対し、自然としての霊気を神とし、

神は雷光の象を神格したもの、合わせて鬼神というとあります。

魂魄という言葉は、古代、肉体を失った後も、

なにがしかの形で人は、この世に残ると考えていた証拠です。

そして、これが東洋哲学の基盤であると考えると、実に

循環の原理が自然に理解できるのではないでしょうか。

2018、新年

あけましたおめでとうございます。

皆様にとっても私にとっても良い年になることを

願うのみです。

本当に年をとるのが早く感じる今日この頃。

また年を重ねてしまいました。

でも、年末から年初にかけて色々な気づきがあり、

これもまた、いとおかし、てっな感じです。

(年末の落語のききすぎなのか、お酒の飲みすぎなのか。

ちょこっと変な江戸弁になってます。悪しからず。)

「気づき」この音の響きはとても鈴よかですが。

私の気づきは、ちょと違う。

なんともカントも。

「五行五気が揃う所に魂が宿る」と

ブログの「神様ごと」で書いたのですが、

実は人も全く同じなのです。

魂魄(こんばく)という言葉をご存知でしょうか。

肉体を「魄」と呼び、それに宿る「たましい」を「魂」と名付けています。

中国の古代思想では「人」と限定しているようですが、

もう少し東洋哲学の範囲を広げて見ると、

お釈迦さんが言っていた、「生きとし生けるもの」

その全てに言えることなのだと、最近強く思うように

なってきました。

結局、生き物というのは、肉体という器に宿り、

その器のままに、思い(感情)、考え(思考)、生きる、

生き物なのかもしれないのです。例えば、

犬は、犬としての肉体に魂を宿し、犬としての喜怒哀楽に興じる。

魚だって同じで、私は熱帯魚を飼ったことがあるのですが、

やはり、贔屓にした個体は、それなりに応えてくれていました。

動物には間違いなく感情があります。

感情が個体としての魂の表現とするならば、

もし、人と同じ言語野が

動物の脳に存在し、人と同じレベルの声帯と口蓋があれば、

動物は人と同じ言葉を発すると言うことです。

でも、その内容は動物としての本能を超えるものでは

ありません。

(例えばワンちゃんが電信柱に気づくと匂いを嗅がざるを得ないようなものです。)

それでは人はと言うと、本当に残念なのですが、

持って生まれた星のまま、ほとんどの人が、

そのことに気づかず生きています。

星による運勢のまま、人の心がどれだけ正確に

それを、なぞってしまっているか。

私達(もちろん生徒さんも含めてです)は、

この四柱推命という学問を学び、研鑽し、いまに至っているのですが、

同じ名を冠する門派は数多あれども、「生身の生きた人」を

見つめることにおいて、不愉快になるくらい、リアルにその心の動きと

その姿を言い当ててしまいます。

そして、今、これまでの結論として私は思うのですが、

実に人というのは

「肉体に閉じ込められた囚人なのかもしれない。」

と、なんとも憂鬱な気づきに苛まれています。

多くの方が、このように自分の持って生まれた星のままに

生きている。だから、鑑定が当たってしまう。

なんともかんとも、どうしようもありません。

それではどうすれ自由になれるのか?。

その鍵は、実は、本当に初歩の初歩の推命原理の上に

あるのです。

(これも自分で見つけました。なんか、こう書くこと、恥ずかしいのですが、こうでも書かないと、実は自分が気づいたことだと大声で言う輩もいるので、一応書いておきます。嫌な世の中です。)

洗心庵の入門コースはこの辺りを、余すことなく解説する講座です。

新年2月11日開講です。

皆様のご参加を、お待ちしております。






洗心庵 今野喜心

入門クラス

開講予定

2018年 2月11日、(日曜日)

午後2時から3時までの一時間

(以降の予定も基本的には日曜の午後2時からを予定しています。)


四柱推命を学ぶのが全く初めての方を対象に

もっとも大事な推命学の基礎を学ぶための入門クラスです。

この基礎の習熟度が最終的には鑑定の深浅を

決定づけることになる重要な要素となります。

全4回1コースとし修了者は泰山流初級クラスへの

入門が許されます。

入会金 不要

講義料 4回2万円 (初回一括払い、チケット制 )

1コース4回の予定で行います。

場所 洗心庵

入門クラスの内容 

1、十干、十二支と五行の相生相克と通変星

2、通変星と自他の関係

3、四柱の構成と元命式の求め方

4、大運の求め方


定員4名まで

参加希望のかたはメール鑑定用フォームからメールで

お願いいたします。

なお、参加希望者の方はこちらの教室を選ばれた

理由、動機を100字程度で教えてください。


使用テキスト

こちらで用意したプリント

万年歴(まだお持ちでない方はホームページにある泰山流の万年歴をお勧めいたします。)

洗心庵の四柱推命

洗心庵で推命術を教え始めてから今年で10年になります。

最初期の教室の生徒さんには申し訳ないのですが、

一昨年「自他の関係原理」の発見と整理により

一気に鑑定理論が進化し現在に至っています。

2年ほどかけて検討し熟成させてきましたが、

現状では内容に間違いはないようです。

先達の成し遂げたことに、やっと、

恩返しができたのではないかと思っています。

その結果言えることなのですが、

私の得た推命術は鑑定を受けるよりも、

真剣に自らが学んでいただければ、その方の人生にとって

実に大きな財産になるものだと確信するに至りました。

これは全て、継続して学んでくださっている生徒さんの

おかげです。

皆が皆、人生に向き合い、泣いたり、笑ったりしながら

人生とダンスしてくださっています。

また、身近な人たちの元命式の研究による、起こりうるであろう

未来予測がそのまま、現れ始め、それを既に知ってしまっている、

自分はどうしたらいいのか自問する生徒さんも現れ始めました。

人が人として成長する瞬間に立ち会っています。

実に有難いことです。

私が緒方先生の教室にいるときにも同じことがあり、

自分の中にあるいろいろな卑しいものに直面し、

自己嫌悪に陥り、変われない自分がどうしようもなく、

結局はありのままの自分を認め、そして、ありのままの自分に

若干の善なる部分をプラスする努力をし続け今に至っています。

実に面白いもので、善なるものが増える実感が起き始めると

それに対する抵抗が生じ、その抵抗を無視していると、

嫌なクセが消滅していくのです。

私の体験上、忍耐と努力と知恵と工夫が持つべき道具であり、

さらに自分をどこかにつなぎとめるアンカー(錨)が不可欠です。

私の場合、それが先生の推命教室でした。

毎月2回、休まずに14、5年くらい通い続けました。

人は流れて何処どこ行くのと歌にありますが、

誰もが最終的に流れる先はあの世です。

ただ流されるだけではつまらない。

激流を乗りこなす匠の技を身につけられんことを

衷心よりお勧めいたします。

本来の推命術の形

緒方先生のブログを読んでいる方にはわかると思うのですが、

私の思う本来の推命術というのは劇薬です。

その個人の持つ心の癖、

強欲さや弱さをあからさまにするものであり、

ある意味、社会人としての装いを、ひっぺがし

その人のナマの姿を見ようとするものです。

特に学習の場では手加減がありません。

それゆえ劇薬に見えます。

しかし、問題は、それを使う者にあり、それゆえ、

これを使う者には人としての責任が求められるのです。

私が常に口を酸っぱくして言っていることですね。

劇薬だからこそ、さじ加減一つで最高の良薬となります。

まずは良薬を調合するだけの鑑定力を身につけること、

次に、

それを相手が受け入れ飲んでもらえるよう信用を養うことです。

実はこちらの方が難しい。未だ私にとっての課題でもあります。



(注意、推命術と一般的な書き方をしていますが、ここで言っている推命術と他門(同門の名を冠しているものでも)の推命術、特に神殺と空亡(天中殺)を重く見る流派とは明らかに別物です。例えばブログにある例題に出されていた犯罪者の命式に神殺をつけてみると、私の手元にある携帯のアプリでは年の柱に金輿、学堂があり、月の柱には華蓋。日には天徳合、月徳合、がついています。同様に月には白虎、血刃、日には血刃、五鬼がついています。こんなに吉とされる星がついているのに、凶の星がついているから事件を起こすのか?と思ってしまう。

実はこれが、この種の推命術の落とし所で、ことの起きた理由を凶星のせいにし、本人の日頃の生き方を全く考慮しません。裏を返せば、何をやっても凶星があるから、こんな羽目に落ちるんだ、ダメなんだと決定してしまう。結果、宿命論となり、向上心の欠ける人には最高の逃げ道になります。空亡などはさらに酷い。トラブルは全て空亡のせいとしてしまう。本当にヒドイ。人の持つ力も努力も一顧だにしない。

中にはここに出ている凶星が犯行の原因なのではないですかと問う方がいるかもしれませんが、同じような凶星があるのに何事もなく過ごしている人も山ほどいます。

これを読んでいるあなた自身にも多分、何がしらかの凶星がついていると思いますが、皮肉なことですが、この彼のように吉星と凶星が混ざるように神殺は作られています。しかし、これも、あらゆる人には良い面と悪い面があるという先人のメッセージとして捉えれば納得できなくはありません。自分の命式の中にある神殺に怯えている人が、もし、いたとしたら、怯える必要はありません。日頃の素行こそが運命を作る土台となる。当たり前のことです。)

生徒さんに望むこと

私が生徒さんに望むことはただ一つ。

あなたの身近な人達を理解し、承認し、

受け入れ、大事にして欲しいということです。

まずは、あなたの家族、親、兄弟、妻、夫、子供。

運勢の上に生じているどうにもならない長所や欠点も、

それはただ、運勢の上にあるものであり、

それを本人が自覚するまでは動きません。

変われと言っても、ありのままの自分(運勢どおりの自分)

がどう変わって良いのかわからないのは当たり前です。

だから、無理です。

しかしその前に、まずやるべきことは、

自分自身の長所ばかりでなく

どうにもならない自身の短所を自覚し、

自身の実に愚かな姿に直面して欲しい。

そこからしか始まらない。

自分が変わらずに、相手に変われと言ってもね,,,,,,,。

これは本当に難しいことです。

世間を騒がせた元議員のTさんは、

マスコミに自分の姿が晒されて、初めて自分の

醜さが理解できたようですが、もう、戻れません。

戻れないのです。失ってからでは。

覆水は盆に返りません。

リアルに戻る場所がなくなるんですよ。

現役生徒さんも、元生徒さんも、一時的な生徒さんも、

まずは自分自身に立ち戻り、

己(おのれ)自身を知ってください。

ソクラテス以来の哲学の命題ですが、そのヒントはすでに、

あなた方に、ほぼ完全な知識として教えています。

知識を机上の論にしてはいけません。

自身の血肉にして欲しい。

それでなければ、私が教える意味が全くありません。

キリストのように敵を愛せとは言いません。

誰かを憎むのは自分を傷つけることであり、

その結果は自分を醜く変え運を落とします。

(醜くというのは比喩ではなく、実際、面相が醜く変わるという意味です。男性も女性も一緒です。)

多分相手は生きている間は自平気でしょう。

(死んでからは定かではありませんが、昔から人を呪えば穴二つという格言があります。)

しかし、もし、それができ始めれば、愚鈍で意味のない

偽善的な優しさではない、本質的に相手を思いやる心が

生まれてくるはずです。

そして、それこそが、より良い運を開く最善の道となります。

表面的な口ばかりの優しさは、ただのたわごとです。

特にプロとして活躍している生徒さんにはここで

釘を刺しておきます。

あなた方の目の前に座る人たちには、

たとえ、それが自己愛の、いびつな姿であったとしても

たった一つの本人の人生なのです。

忍耐強く向き合ってください。

選挙

選挙のことで質問なさる生徒さんがいたので

少し書いて起きます。

(私が時々国会の先生方について書くのは

その発言や行動を観察することにより、

持って生まれた元命式が

どのように「動いてきた」のか「動かしてきた」のかを

知るための格好の対象だからであり、

政治的な意味はありません。)

今回の衆議院選は面白かったですね。

全国的な大雨の日、有権者の約50パーセントが

万難排して何としても投票し、

残りの50パーセントの人々は投票所に行きませんでした。

「日本」の将来と「政治団体」に興味のある人と、

そうでない人の比率が半分半分なんて、面白いですよね。

私はこうゆう数字を見ると、ついつい自分の仕事に

関連させて考えてしまう癖があり、

私の中では「自分」の将来に関心があり

積極的に自分の人生に参加しようという人が

50パーセント。

自分のことだから関心はあるけど、

積極的には考えたくない人が日本国民の中には

50パーセントといると理解されてしまうのです。

だいたい、先の人たちは自らトラブルを起こし、

あとの人たちは知らぬ間にトラブルに巻き込まれる

タイプなのですが、実際見ているところと、ほぼ

同じ比率です。

「政治なんて関係ないよ、俺には」と嘯くのは

勝手ですが、コンビニで買うお弁当一つにも

政治で決められた様々な法律に基づく、義務や

税により、がんじがらめになっているのを知らないだけです。

もしかしたら、何も考えることができないよう

上手に家畜化されているのかもしれません。

「だって、そんなこと知らないもん。」

その通りですね。その仕組みを知れば、

国民(俺)をバカにすんじゃねーと言える。

そして、運勢も、実はこのような仕組みでできていて

毎日、当たり前に思っている「心の動き」が

実は。原名式という、人体の骨格にあたるものに縛られ、

かなり限定された動きしかできないということに

気づけば、もう少し苦しみが減るのですが。

何ともかんともです。

「考えるヒント」


「愛」とは厄介なものです。

自分を愛するように他を愛せれば、

世界は平和になるはずなのに........。

とかいう人もいます。

その通りなのかもしれません。

それでは、あなたは、どのように、自分を愛していますか?

難しい質問ですね。

実は、四柱推命というのは、この辺りを明確にできる

学問なのです。

びっくりしましたか?

聞いたことないでしょ。

当てごととしてしか学んでいない人には

見えてこない部分ですね。


時々、このように推命術の応用を学ぶ課題を出したいと思います。

「禅」の「公案」みたいなものです。

四柱推命学の汎用性をもって運命学の中の

帝王の学とするか、幼子の娯楽の一興とするかは

学ぶ者の気概によります。

運の動き

運を良くするには他人を思いやることだと

なんども書いてはきたのですが、なんともかんとも、

自分を思いやることを優先させてしまうのが我々人間です。

なんてったって利己的な遺伝子が組み込まれているのだから。

当たり前といえば当たり前なんですが。

結局、弱肉強食の世界になってしまう。

企業にお勤めの方も自営の方も、日々このような世界に生きている。

最前線で仕事をしている人にとっては毎日が

食うか食われるかの戦いです。

一番は身内、次がライバル会社、

その次くらいがクレーマーでしょうか。

さらに家族、友人、知人、実家ときりがありません。

「運」を良くしたいという人の本音はこの辺りが肝(きも)で、

自分に意見するやつの口を塞ぎたい、

ライバル会社を蹴倒したい、

文句を言う奴をなくしたい、

もっと自由に仕事をしたい。

もっとたくさんお金を稼ぎたい。

「運」さえ良くなれば、絶対にうまくいくはずだ。

誰もが生活の中でめんどくさいトラブルにぶち当たった時

一度や二度は考えることことです。

こんな時、持って生まれた運の良い人はどう

考えるかと言うと、「運」は二の次にして

対外の場合でも対内の場合でも、

トラブルの原因追求とその対処法の模索

人間関係の場合は当事者間のコミニュケーションによる

感情のコントロールを機械的に行い、

相手に対する好き嫌いの感情を排除していきます。

感情的な結びつきを手放せれば、お互いの責任を担保にした

信頼関係を築き、人間関係が円滑に回り始めます。

(これは夫婦関係にも当てはまることです。)

この辺りが出世する人の特徴です。

責任という代償を払いながら、

自由と財産を手にすることができる。


面白いですよね。運の良い人は運勢には興味を持ちません。

しかし、そのような人達であっても、時に大崩れする時があります。

大抵、大崩れの原因は日頃の素行から生じています。

運が強いが故に、おごり、努力をできない人達を見下し、

叱咤した恨みが積もり積もったり、

目立ちすぎたために生じた妬みや嫉妬、

それが遠因となり「出会い」が生まれます。

一見すると運の強さに引き寄せられたり、引き寄せたりと

持って生まれた「気」の相性で結ばれてしまう関係など様々ですが、

不倫からの離婚その結果の家庭崩壊等々。その背後から

「ザマアミロ」の声が聞こえてくるようではありませんか。

2、3歩、運勢鑑定から外れているように見えますが

私に見えている運の動きというのはこのようなものなのです。

だからこその身を守るための「戒め」としての「十戒」なのです。

ある日の教室での会話

最近クラスの生徒さんと断易について話す機会がありました。

「断易についてどう思ってんの?」

「はい、素晴らしい占いだと思います。」

「本当に? 人の死期まで、知ろうと思えば知ることができる、

術です。その人の人生に責任を持って使えますか?」

こんな会話でした。

世の中、何とも凄まじい話ですが、実践の場にいると

「あいつは、いつ死にますか?」などと言う問いをする

依頼者が山ほどいます。このような問いには答えるなと

私は教えています。また、もし、答えたとしたら、

破門すると宣言しているのですが、

プロとして立っている故、仕方ないといえば、そうなのですが、

困ったものです。

このての人は大抵、死出の準備のためと、

表面上は取り繕いますが、内実は違う。

推命がしっかりできていれば、文字通りその「時」

その人の心に起きていることを読むこともできるのですが、

自信がないとのこと。

私の教えた推命術に自信がないと言うことですね。

どこかで受け入れきれていない。

それでは、外れたことがありますか?と問えば

「ない」との答えです。

すでに、どこかの学校で四柱推命を習ったかたなのですが、

命式の解説をしてもらうと、時々ですが、いらない知識を

ごちゃ混ぜにして鑑定をしている。

これでは純粋な水に、自ら泥を混ぜて飲んでいるようなものです。

自信どころか、鑑定自体が壊れます。

ご本人には、

どんな知識でも、実践で叩いて叩いて、

それが使えるかどうか試してください。

私もそうしてきました。そして、仕えるもののみを

教室では教え解説し、その根拠を示してきました。

自信のどうのこうのというのは迷いのなせる技です。

と(若干脚色して書いてあります。)言ったのですが、

プロとして1000人以上見ているかたであっても、

やはり、学ぶというのは難しいもので、自分の癖が

そこに現れてきます。

先に書いたように、教えを「受け入れない」理由が

実は、ここにあるのです。

それが、いわゆる「我(が)」というやつです。

昔からよく云うように、

満杯のコップに新しい水を入れることはできないのです。

同じように、穴の空いたコップに水を満たすことはできないし、

最初から伏せられたコップにも水を注ぐことは不可能です。

(時には盗人のコップさえも混じることがある。)


本当に、面白いんです。これは推命教室での会話ですが

学びというのは、どれもこれも同じで

皆さんも学生の頃は、こんな感じだったんではないでしょうか。

少なくとも、自分が選んだ科目については、

学び、疑問が生じたら、疑問を晴らす努力をしなければなりません。

自信がないのなら、自信が湧いてくるまで学び追求することです。

他の学問もそうですが、こちらが必死で追求しない限り、

その本質を捕まえることはできません。

本質を得られずに自信など湧いてくるわけがない。



(嗚呼、なんとも厳しい先生に見えてしまう。

どうしよう。また、生徒達が減っていく......。

ここは、お茶とお菓子のグレードを上げてなんとかするか。

でも、今も結構ハイグレードなお茶なんだけど。

しょうがない。

幸せは雲の上だから。上を向いて歩こうか。と)

皆さん、幸せを見つけてくださいね。

自分に自信を持てることが幸せの

門を開ける鍵なのかもしれませんよ。

四柱推命

四柱推命術をお金儲けとか、出世とか、結婚とか、

自分にはどんな才能があるかとか、適職等々

俗世間的な願望成就の方法として使いこなすのも

一つの方法ですが、全く別の使い道があることも

知っておかなければなりません。

それは「心の使い方を学ぶ方法」としての使い方で、

意図し、実行すれば、より円満な自分を取り巻く

全ての環境との良好な関係性を築いて行くことができます。

世の中には莫大な財産を持ちながらも

不幸のため息をついている人達、世間が羨むような出世をし、

国を動かすような地位を得ても苦悶している人や、

夢見たお相手との結婚が成立したのに

別れる夫婦、ボロ雑巾のようになるまで傷つけ合う恋人達、等々。

一瞬間、人の羨むような夢を得ても、その「福」が「福」として

長続きしない人がとても多い。

願いは叶った方がいいに決まっていますが、

長いこと持ちこたえることができない。

なぜでしょうか?

従来の推命の考え方では「運勢により与えら、奪われた」となるのですが、

でも「運否天賦(うんぷてんぷ)を言ってもしょうがない。

お先が明るければいいけど、真っ暗だったら、まっぴらだ。

そんなもの知りたくもない。(でも、ちょっと興味あるな......。)」

多くの方がこう思うのではないのでしょうか。

(実はこれは普通の、そこそこ運のいい人たちの会話です。)

現状、激しい苦しみに苛まれている人は、

「どうして自分だけ苦しいんだろう、なぜ?、明日はどうなるのかしら。」

恋人の気持ちが知りたい、不安で不安でしょうがない。

(最近、ネット広告、この関連ものが多いですね。ここであえて言っておきますが、私の考えは、基本、人生は「人は自分の足で立つ」しかなく、誰かに頼っても、すがっても、「誰かにすがる意志」が残っているうちは、時が過ぎ、いろいろなものが移り変わり、時と共に苦しみの記憶が薄れ、心が癒された時、また同じことを繰り返す。この自分の心の癖を自覚し、その心を調教(すごい言葉ですね)し直さねば根治は無理です。


「苦しい...........。」

「どうして?自分だけが?」

この問いを自分に問い始めた時、これこそ天佑神助のチャンスだと

今の私は思っています。

そうなんです、今の自分ではこの環境の中では生きていけない。

そうなると選択肢は二つ。

出て行くか?、環境に順応するために自分を変えるか?

あまり気づかないことですが、

生命60億年の歴史そのものである

「環境に適応できたもののみが生き残れる仕組み」が

再演し続けられている。

自分もまた、その最前線にある。

こう考えるだけで、少し落ち着いてきませんか?あなたこそが生命の最前線の主役なのです。

あなたの人生は、紛れもなく、あなた自身が主役なのです。

もし、今いる環境がすでに息苦しいのであれば、

息苦しくなる種をすでに育ててきてしまったということです。

あっという間に改善することは実際には無理な話です。

何よりも大事な環境なら、倍の時間をかけて

ゆっくりと直(なお)しをかけること。

まずは、どんな人にも共通して言えることですが、

感情的なものの言い方、感じ方をやめ、

(これが大事です、居心地が悪いのなら疑心暗鬼がそろそろ始まっている頃でしょう)

ゆったりと落ち着かせ、なすべきことをなし、

しくじりを減らし(これも大事です。とりあえず信用から回復です)

約束を守ること。

その上で、個々の持つ心の癖の方向を変えることですね。


最後に、どのようにすれば円満な生き方ができるのかですが、

あらゆる「人」の心を動かす「星」を理解すること、

さらに自他の関係に対する、しっかりとした理論を身につけ、

同時に自分自身の長短を知ることでしょう。

多分ですが、ここに関してだけは私の教室がベストだと思います。

(しばらく入門編ができないので、日程の組みやすい個人講義の本科クラスのみになりますが、講義内容は入門編の内容も合わせて行いますのでご安心ください。講義を希望する方は簡単で結構ですので入門の動機を100字程度でおしらせください。)

不倫

最近、生徒さんと人の持つ力の強さのなんたることかを

話したのですが、人は自分の力をネガティヴに使うことには

ものすごく慣れていますが、ポジテブに使うことには

抵抗があるようです。

具体的に言うと、人を恨むこと、妬むことなのですが、

大抵の人はマックス100パーセントまで人を恨むことができます。
(自分自身に対しても)

それに比べ、自分の課題を達成することに関しては、

ああでもない、こうでもない、こんなの自分の課題じゃないと

半分も自分の力を出しません。なぜでしょうか?

答えは簡単で、

課題とは「いま」の自分のレベルを

「上」に挙げることにつながるけれど、

妬みや瞋恚は自分を退げること、そのものだからです。

下降するのに努力はいりません。

上がるには、労力が不可欠。

ニュートン力学っぽいですね。

科学的にものを考える方達には笑われてしまいますが、

「心」もまた万有引力に支配されている良い証拠だと私は思っています。

(この辺りが人の心の謎をとく「鍵」なんでしょう。でも、努力の嫌いな人は、これを言い訳にしてはいけませんよ。)

人の心は落ちやすい。本当に簡単に落ちる。

「嫉妬」なんてのは、その大小の大きさを抜きにすれば、

ほぼ、毎日、誰かと、何かを比べ、無意識にやっています。

「あなた、若くていいわねー。」なんてのもその一つですよ。

落ちる先は何処?

多分、そこを地獄と昔の人たちは名付けたのでしょうね。

何度か地獄のことは書いたのですが、

最近、不倫の話題が頻繁に聞こえてきますが、

実は、このような方達が落ちる地獄も用意されているのです。

倶舎論によるものですが衆合地獄と呼ばれるもので、

小高い山の上に愛人の姿が見て取れて、必死に、その人を求めイバラの道を痛みに耐えて登っていって、やっと愛する人と抱擁できると思って近づき、その肌に触れようとした途端、その愛人は鉄の棘がついた人型に変わり、その人を激しく傷つけると言うもので、延々と業が尽きるまで、これを繰り返すそうです。(諸説あります)

どうでしょうか?私には実にリアルな話に思えるのです。

いつバレるのかわからない、罪の意識と、愛する人を思う、

恋情の念が凝った情景であり、恋愛に迷う男女に共通して起きる

想念だと私には思える。純粋な(不倫の)恋愛関係です。

(でも、これは遊びで割り切って不倫している人には当てはまらない。そうゆう人には、もうちょっと激しい、別の場所が用意されています。)

実際、これに似た夢を見た体験のある人もいるのではないのでしょうか。

私は何度も耳にしています。現実では、

「人型の棘」と仏典には書かれていますが、

その棘のバリエーションは様々で、直接の痛みを起こすもの、

社会的な痛みを起こすもの、一番大切なものを打ち壊されるもの等々

繰り返し源発を同じくする様々な種類の激痛に襲われています。

つい最近離党した代議士先生もこのような生き地獄を今、

味わっているかもしれません。

(言い忘れましたが、地獄には死んでから行くものとは限りません。)

沸騰した感情から生じる怒り、強欲、妬み、その強さに応じて

熱地獄があり、

孤立した、寂しさ、悲しさ、受け入れられない孤立感。

絶望、焦燥から寒地獄が生じます。心が凍えて寒い。

その情景は凍えた心象風景から凍傷が生じ身が崩れて行く姿に例えられています。

そして、全てに、この結果を生じてしまった原因があり、

過程があるわけです。でもね、

とりあえず、悪いことをしなければ落ちることないから安心してください。

さらに十善行を行えば、完璧です。

上がることに使う労力を惜しまないことです。

易経より

易経の中にこのような言葉があります

「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり」

運を作るには相手を「思いやる心」

運を壊すには自分以外の人(血縁も含む)を傷つけること

しつこく何度も書いてきたのですが、

別に倫理や道徳を押し付けるために言ってきた訳ではないことを

理解してもらえるでしょうか?

しかし、そんなこと言っても、アイツは人を食らって出世したし、

何人も泣かせて財産を作った。

真面目に生きるのなんて馬鹿馬鹿しい。

これに大同小異な意見をお持ちの方も多いと思います。

それでは実際はどうなのかというと、

あらゆる人は、運勢が安定し、強い時

成功者としての立場から、そうでない他人に対して

不用心に接するものなのです。
(相手を傷つける意)

特に命式が偏っている人はこの傾向が強く、

徹底的にこれをやり、最悪の場合、

自分を支えていた運が落ちた途端立場が逆転する。

こんな風に書くと、自分とは関係ないと思う人も多いと思うのだけれど、

卑近な例を挙げれば親子関係に顕著に現れます。

一例を上げたいのですが、やめときますねー

特定の人間に抑圧し続けられた個人は狂うか、反逆するか。

この辺りは「剋」の推命原則そのままが当てはまります。

あらゆるものは移り変わる。時と共に、人と共にです。

もう一つ、この易経の言葉には、深い意味があり、

それは「家」をテーマにしている点です。

私は心理学の言葉を使うのが嫌いで、集合意識とか書きたくないのですが、

その家独特な波長があり、その波長が善なる波長で他人から好かれるものか

嫌われるものなのかも、全て、そこに生きてきた人たちの行動の

結果によるのだということでしょう。

(その波長に合った子供達しか生まれてこれないということでしょうか。)

易の世界も仏家の世界も因果律を真理としているようです。

原因があって結果がある。

今、不遇だとするならば、そこには必ず、その原因がある。

ただそれだけです。

いいですか、間違えないでくださいね。

漠然と不遇と書いていますが、具体的に書けば、

もし恋が破れて自分は不幸だと思っているならば、必ず、そこには恋が破れる原因があり、もう、恋愛時代には戻れないということです。その人のことは諦めること。諦めることができれば、破局の原因を三省し、次の恋を成功させるための種を蒔き、育て、我が物とし、出会いのチャンスを求めればいい。(ただしこれには、皆さんの嫌いな努力が必要になってきますね。)過去は過去として完了することが何よりも大事なことです。過去にしがみついたままでは未来は過去の繰り返しですよ。

今の不遇を猛省し、次のチャンスを見つける努力をしさえすれば、人生なんとかなるものです。「未来はそれほど悪くない」秋元氏の詩そのものだと私も思います。

四柱推命の学び方

去るものは日々に疎く、来たるものは日々に親しむ。

人の出会いの機微ですね。


さて、松本先生のご著書読まれましたか?

少しビューアーが使いづらいかもしれませんが、

左上にある目次・巻号で読みたいページを決めて

右上にある「フルスクリーン」にすれば結構読みやすいて思います。

正直、読むのは大変だと思います。

特に初めての方は最初は憶えることばかりで、

嫌になってくるのではないでしょうか。

それでも自分の元命式が出せるようになると、なんとなく

あ、この星ある、この星もある。と楽しくなってくるものです。

ここまで諦めずに来られたなら、推命を身につける才能があるということですね。

頑張ってください。

注意ですが、この本が全部わかったからといって

決して他人を直接鑑定してはいけません。

他人というのは親族を含めての意味です。

研究として元命式を出し、星をつけるのは構いませんが、

実在の人物と元命式の人物は別物です。

貴人の星がたくさんついていても、どうにもならない人がいたり、

悪神がついていても、しっかりと社会で頑張っている人がいるのです。

初心の人がよく陥りやすいのが、貴人の星がついているから

自分は偉いんだと、他人と自分を比べることです。

逆の場合もしかりですね。

えー。それじゃ四柱推命って当たらないの?となるのですが、

星の羅列だけを判断しても当たりません。。

じゃ、格局法が使えるようになれば当たるの?と

思われるかもしれませんが、最近、外国の先生方の

伝統的な各局法の本が出ているので読んで貰えばわかるのですが、

その方法による用神は取れるようになりますが、

どのようにその人の人格に、それが影響するのかの

解釈の解説はありません。

その命式(人物の価値観、性格、運勢の傾向)を

どう読むかということを解説している本は稀です。

鑑定する星の順番のようなものを書いている先生もいるのですが、

その人物そのものを鑑定しているとは言えません。

正直にいうと伝統的な四柱推命と言われるものは

完全に形骸化し、森(人物その人)を見ずに

木(命式に連なる星)をみる手法に終始しています。

どの辺りからかと思うのですが、私は断易研究中、

九鬼盛隆先生の著書に京房という方の名が出てくるのですが

断易を乱した真犯人と断じ蛇蝎のごとく嫌っています。

その名が、時々外国の先生方の推命術の本の中に散見されるのです。

また、「星平会海」という占術があるのですが、

(その昔、この本を訪ね大阪の中之島図書館で原本らしきものを見たことがあるのですが、当時は星図と漢語にちんぷんかんぷんで、すぐに返納にいき、司書さんに呆れられたことがあります。若気の至りです。今は台湾本でも翻訳でも書店に並んでいます。)

伝統的な四柱推命の中にとても多くの神殺が

この本から引用されていることに驚かされるのですが、

西洋占星術と中華占星術の合本だとのこと。

(どちらの星ががどちらに流れたというのは専門の学者の先生方の研究を待たなければなりません。)

ただ、誰も、この神殺の事の真偽を正したものがいません。

いないというのは大げさで、ある先生は天徳貴人、月徳貴人星を

取り上げ、ある先生は羊刃殺を取り上げ一派をなした方達もおります。

この先生方は実例を挙げて、この星があるから助かったんだ、荒れたんだ、

との説を立てられているのですが、私の見るところ、再現性に関しては

少々疑問が残ります。

現役で現在世界的に活躍している中華の先生方のうちのお一人は

神殺は3つほどしか使わないと述べられています。

空亡もお使いになりません。

私もこの説に賛成で、実例を見ていると特にそのうちの一つは

否定し得ないところがあるのです。

多くの方が気になる、自分の婚期や才能、適職、

将来の姿を推命術に託すのであれば、しっかりと学ばなければなりません。

(まず、神殺を多く使う先生はダメです。あとは個人的にですが「空亡」を強く主張する先生方にも気をつけた方が良いですね。何をしてもダメと必ず始まります。)



最後に、松本先生の、このご著書について、

日本の現状の四柱推命界の母体のような存在です。

この本をマスターすれば、従来の四柱推命を学んだことになり

膨大な知識を得ることができます。自慢できると思います。

ただし、人の鑑定はできません。

私的には博物館の展示品としての価値の方が高いというのが

正直な評価ですが現状の四柱推命界を見渡すと、

やはり旧態然とこの本がバイブルとなって発展してきたように

思えてなりません。


僭越ながら、もう一点だけ先生の名誉のために書いておきます。

膨大な資料ですがその中に2行ほど、人を見ることをしてきた

実践家でなければ書けないセンテンスがあります。

松本先生の中には実践家としての血が流れていたのだと思います。

帰属欲

今日は8月15日 終戦記念日です。

「大日本帝国」が終わった日です。

マスコミも国も終戦記念日としています。

なんとなく、戦争が終わった日となっていますが、

万世一系の天皇の国家である「大日本帝国」が

終焉を迎えた日ということを忘れてはいけません。

「お国のために=天皇陛下の御ため」という公式のもと

全てがなされていた時代が終わったということなのです。

「天人合一」の題でコラムにも書いてきたのですが、

私が思うに、命式に現れる星というのは人の持つ属性としての

意識が何代もの時を経て凝り、はっきりと星の形で現れたものが

その人の心を操作してくる。

いわゆる無意識での選択を決定させる因子です。

具体的に言うと、

「好き」「嫌い」を決める心の因子ということです。

主に感情を支配し、知性での強制力が生じなければ

回避し難いものです。

(知性で回避できると断言していることを忘れないでください。)

逆にこの知性を利用し、強い強制力のもと時間を経れば、

どんな星でも造ることができる。

それをやったのが明治政府であり、天皇制の刷り込み教育です。

教育勅語など典型的なものです。

帰属欲の星を植え付け国に従属するよう洗脳したということです。

本当に良い反面教師としての教育制度なのですが、

うちの母なども昭和7年の生まれでしたが、

神武以来の天皇の名前を全て暗記したのを自慢していました。

今の小学生が掛け算の九九を暗記させられるように、

全ての小学生が暗記させられていたそうです。

なんとも、すごい話です。

でもね、私、思うのですが、これって実は

「国民総武士化」の方策だと思うのです、

主人のためには命も惜しまず事を遂行する

「もののふ」を創り出そうという国策そのものだと思うのです。

実際、当時の政府は軍人と元武家が商人とともに国の中枢を担っていた。

(麻薬にまつわる何かの話で前に書いたことがあります。関東軍と麻薬王関係でしたか。)

兵士は彼らにしてみれば一番都合のいい物言わぬ、「サムライ」という事です。

(余計な話ですが、サムライブルーとか言っているうちは日本代表のサッカーチームは監督の言う通りにしか動けない超一流のポンコツ集団のままで、自由な発想から生まれるファンタジスタの集団にはなれないと思っています。)


戦後72年 企業風に言えば、

多くの従業員は命を落とし、経営陣は処罰され、

オーナーはお咎めなしで72年経ったら、

疲れたから引退させろと言い始めた今日この頃、

英霊たちは、多分、怒っていると思います。

恨まれた家系というのには例外がありません。

どこかで回天が必要ですね。

四柱推命

四柱推命奥義秘伝録

私の知る限りでは日本の四柱推命の歴史はこの本から始まっています。

桜田虎門先生等々ありますが、やはりこの本ほど一般に

影響を与えたものはなく、

出版年月日は明治39年4月 西暦1906年となります。

阿部泰山先生のものを探すと1913年矢島誠進堂書店から

四柱推命学大奥極秘伝とあります。

京都書院から出版されている阿部泰山全集は古いもので1954年となり、

松本先生の秘伝録が阿部先生の研究対象資料の一部であったことは想像に難くありません。

(泰山全集との差異に関しては各自で当たってください。)

ただ、ここで言わねばならないのは、

残念ながら松本先生の秘伝録4巻冒頭にある

「財、官無き者は格によって吉神を見出す」等、

「財、官、印」を吉星と確定したことが、

その後の推命家を目指す方たちの呪縛となっています。

現代の正統な泰山流諸派は基本的には適天随に

記された星の力量判断が鑑定の基礎となっており

格局法は使いません。神殺もほとんど使いません。

最近は大陸の先生方にも格局を使わない流派が現れ

的中率の高さが謳われているそうです。

どのような流派とご縁があるかは、やはりご本人の

考え方、生き方と響き合うものです。

人生に迷える方たちが良き師と出会えることを切に願ってやみません。







共に国会図書館の一次資料をリンクしてあげてありますので各自自分の目で確認してください。

新料金体系

2017年8月6日 

色々反省を込めて、より講義を受けやすくするために

本科の料金体系を改善します。

泰山流四柱推命学会(緒方泰州派)初級教室

四柱推命泰山流の基礎と用神取用方

及び鑑定法

完全予約制(個人講義)2つのコースから選べます。

入会金 3万円

料金  90分 月1回コースの方 1万5千円 

    90分 月2回コースの方 2万3千円 


注意

月2回コースの方が1回お休みするときは月1回コースの料金となります(1万5千円です)
どちらにしても月1回なら1万5千円、2回なら2万3千円となります。翌月の予約をする時に決めてください。

[学べること]

1 その人物の持つ本質と価値観等一切が

  理解できるようになります。

2 相性の本質

3 造命法としての四柱推命の用い方

4 順逆のルールの理解と応用法

教科書「四柱推命実践講座」の他に

テーマ毎にプリントを用意いたします。

ちょっと、軽く、秘密を漏らす。自分で見つけたんだからいっか。

何ともかんとも、10善業なんて、いちいち覚えるのは

「めんどくせー」という人も多いでしょう。

でもね、一言で言ってしまうと

「他人に対する思いやり」ということなんです。

いつかどこかで教わったことですね。

ただ、「どうして、他人のことを思わなければならないの?」

「思いやりって、何?」と問われて答えられる人は

少ないかもしれません。

「思いやり」って、最近流行の言葉で言うと

「忖度」となります。「そんたく」ですよ。

野党の先生方は悪い意味でしか使い方を知らないようですが、

相手の心を考える、相手の心の痛みに同情すること。

相手の立場になって考えること。

他人の心の痛み、苦しみ、悲しみ、どうしようもない状況に

何とかならないかと、心だけでも一緒にもがくこと。

同情、慈悲、哀れみ、愛、

(だんだん宗教がかってくるのでこの辺でやめましょう。)

最初の質問に対する答えは、

「他人を思いやることによりコミュニケーション能力を

高めるため。」です。

(どうでしょうか、お坊さん達が説く10善業とはだいぶ違う解釈ですが納得できますか?)

他人を思いやることのできない人は、どんなにインテリさんであっても

必ず孤立していく。

あなたのそばにも必ずこのような人がいると思います。

思いやりのない人=自分を最優先する人達ですが、

基本、この人たちは自分に対して忖度がないと

怒り始めます。怒りやすい人からは自然に人は退いていきます。

さらにこれが常態になると同じような人とのご縁が結ばれてきます。

(生来、怒りの星がなくとも、その感情が常態になれば、怒りの星を自分で育てたことになり、同じ現象が起きてきます。すなわち、怒りのスイッチが入りやすい環境が自ずと生み出され、対象になる相手、または集団、組織等と密接につながった「界」が生まれます。)

ご本人は他人を忖度することができないので実に自然に

対象を罵倒し時には暴力を振るう。

もし、話題になった女性の議員さんが秘書さんに思いやりの心を

持てていたら、全く違った姿になっていたと思いませんか?

つまりですね、思いやりの心というのは運を崩す感情を停止させる、

いえいえ、さらに怒りの感情を変容させ、さらに善化する特効薬であり、

「忌神」に対しての唯一の薬なのです。

ただ、万能かというと、時間をかけて練り上げねば忌神の毒には対処できません。

わかりましたか。時間をかけ練り上げる努力が必要なのです。

(嗚呼、ついに、みんなが嫌いな努力が出てきちゃいました。子供の頃から習慣として身につけてしまうのが一番楽なのですが、如何せん、他人と比べて優位か下位かが自尊心の基準として教育されてきた教育制度の上に我々は育ってきたのだから、思いやりなんて無いのが当たり前です。60代70代のジジババをみてください。自分さえ良ければの、業突く張りばかりです。だから、残念ですが、意図して積み上げる努力をしなければ身につかないのです。)

運を良くするために、あれやこれを学んで右往左往するのも人生の勉強です。

この「他人を思いやる心」を肝に命じて行えば、

どのような方術であれ、スピリチュアルな何であれ、

成果は出ると思います。




今年の流行語大賞になったら面白いですね。

この「そんたく」。

天人合一3

持って生まれた星の中の「競い合う星「が

強く作用する場合、実に面白い現象が起きます。

その一つが、子供の頃から勝ち負けにこだわり、

大人になっても、それをやります。

基本的なコミュニケーションの取り方が「争い型」となり、

負けず嫌いが向上心に化ければ言うことがないのですが、

特に問題になりやすいのは夫婦関係に関してで

妻にこの星があると、

自覚することなく夫や子供は自分の持ち物で、

他の奥さんと競い合うためのアイテムの一つになります。

「他」と書きましたが、自分の兄弟や親戚、身内を含め

全ての自分以外の人たちとの比較という意味で、

いわゆる夫自慢、子供自慢となり、

他人の子供や夫の情報が上のように感じ始めると、

途端に、うちの連中は情けない、頼りないとなり、

心に秋風が吹き始める。

(このように運勢にスイッチが入るキッカケが必ずあるものです。)

これが長く続き、いつまでも心の中の秋霜秋雨が晴れなければ、

家庭崩壊につながります。

天人合一3

ここまで書くと、多分皆が一般的に四柱推命に抱いている

イメージと数段かけ離れているのではないのでしょうか。

そうなんです。違うんです。

同じ看板をあげていても、向かう方向が、全く違う。

「人間の存在そのものを問う学びに舵を切った。」

これが洗心庵の他と区別するところの自負です。

教室の生徒さんはプライドだけじゃしょうがない、

しっかりと実力をあげてください。

まずは当たること。でも直感や霊感で当ててもしょうがない、

その判断の根拠を理解して初めて、次の言葉に継ぐことができます。

「こうすれば、時間がかかるかもしれないが事態は良好に変わります。

ただ、それを実行するか、しないかはあなた次第です。」


最後に誤解のないように書いておきますが、壊れて、砕け散ったものは

元には戻りません。人の心も同じです。

天人合一2

人の運気を見ていると、とても面白いのですが、

持って生まれた、それぞれの原野に巻かれている種が

発芽する時期というのが、はっきり予想できます。

一般的にはこれを大運で判断するのですが、

実践を通して見ると、さらに年月の影響による、

季節の変化が大きな要因となっているようです。

その前に、

持って生まれた心に巻かれた種子って何?

どんな種子があるの?

まずこれに答えなければなりませんね。

種子の基盤になっているものは基本的な生存欲です。

生きるための本能とでも言いましょうか。

(この辺りは心理学や脳科学の先生方が詳しく解説しています。

専門書をお読みください。)

その基盤の上に、自他の関係における支配欲、

帰属欲、表現欲、知識欲、自尊心、自負心、があり

自他の関係から逃げるのか、責任を負うのかが

基準になる種子の強さによって決まってくるのです。

(これが種子の大区分で私が「星」と言っているものです。

これがわかれば逃げる男、騙(だま)す女など

実に簡単に区別できるのですが、中には一生騙し続ける者もおり、

その根拠を理解するためには、やはり人を知ることが大事なことですね。)

ここで重要なのは全ての「星」が生存欲に起因しているということで、

この欲心が満たされない場合、本人にとっては自己否定と同じ意味に

なる。有り体に言えば、根深い恨み、怒り、

妬み、執着の原因となりやすいということです。

天人合一1

少し入門コースで話すことを書いておきます。

我々はこの世に生を受けます。

どのような形で生を受けるかというと、

肉体に原野のような心を隠し生まれてきます。

この原野には最初から何種類かの種子が蒔かれ、

肉体の成長とともに発芽し、花を咲かせていく。

この原野には10年毎の季節と、年毎の気候の変化

月ごとの自然な変化が繰り返され、四季折々の

風景を見せるのですが、これを運気と言います。

しかし如何せん、本人にとって

好ましい季節ばかりとはいきません。

自分の心であるのに、思い通りにはいかない。

なぜでしょうか?

誰にも共通することですが、子供時代があり、

青春時代があり、青年から壮年になり、老いて死を迎えるのですが、

この過程は「絶対的季節」とでも呼ぶべき不動の時の流れです。

これに反し、運気には子供時代から真冬の季節に生まれ育つもの、

青春時代に秋霜の季節を迎えるもの等、本人の心の原野の季節は

様々で、それがそのまま現実の形となって現れてしまう。

真冬の運気であれば孤独、諦観(あきらめ)、無気力、思考停止等、

冷え切った心の状況がそこに生まれます。

大人になること

しつこく書いておきます。

10善業は

他人から「良い人」と思ってもらう偽善者になることや、

他人を助けてあげるんだ、などという

奢(おご)った行為を推奨しているのでは無く、

ただひたすら、人知れず、「自分の心を育てる。」

そのための方法です。他人に宣言する必要も、

これ見よがしに、いい人をやる必要はありません。

自分の内面と10のアイテムを使って対話をし続けることです。

心が育てば、自然に視界が広く、高くなってきます。

視界が変われば、行動が変わってくる。

これが、文字通りの

「大人」になるということです。

視界が狭く、低い人は「子供」と呼ばれる。

(自動車教習所で、免許のある人は習いましたね、「子供と老人は視界が狭い」と。同じことです。)

もしあなたが今、「子供」ならば、まだまだ伸び代(しろ)があるということです。

実に頼もしい未来がある。

(いいなー若者は。成長する時間が山ほどある。それに比べ私など、トホホホホです。)

再び、運を良くするためには....。

運をよくするための極め付けとして

10の行いを提案しているのですが、

一瞥(いちべつ)で終わっている人が多いと思います。

ちゃんと理由も書かないとダメなのかなと思い

老婆心から書いておきます。

実は、十善業というのは星のながらに生きる

弱肉強食の生き方を選ぶのか、

四苦八苦を受け入れながらも、夢や希望が持てる

暖かい心で生きることができるかの選択の道と

いっても過言ではありません。

善なる行為。

何に対して善なのでしょうか?

一つは、今以上に自分を傷つけないこと。

持って生まれた星の中に、

自分を傷つける星を持って生まれている人の場合ですね。

(神殺星のことではありません。)

その結果、時間とともに自分を傷つけ、

ねじれ、そねみ、僻み、恨み、

現在進行形で運をさらに悪くしている。

次に、運が普通または良いと鑑定された人であっても、

社会生活の中 =「自」と「他」の関係の中で、

(典型的な例は、夫婦、親子、友人、同僚、)

常になんらかの軋轢や「感情」が生まれています。

何も問題がないのなら幸いですが、希ですね。

こちらに他意がなくとも相手から恨まれ、妬まれ、

敵対視される場合、また、同様な感情が

特定の相手に対し無い人はいないでしょう。

それが常態化しているか、時々来るか程度の差です。

ドラマほどでは無い、またはドラマ以上にドロドロとした

現実に直面している人も実際多くいます。



10善の行為、ものすごく単純化して言えば、

身も心も悪いことをしないで良いことしようという意図なのですが、

ここからが問題です。

何に対して良いことをすればいいのか?

前者に対しては自分に対してであり、後者に対しては

「他」に対してとなります。

人は万物の霊長と言われていますが、

何故に万物の霊長なのか?

それは考える力、すなわち知性があるからです。

そして、

どんな行為が善なのかを考えることこそ知性を磨くことなのです。

人は誰にでも本来的に生きようとする力があります。

食べること、眠ること、排泄することが代表ですが、

誰かに愛されたい、孤独は嫌だ、楽しく暮らしたい、

満たされたい、仲間が欲しいという精神的な欲求があります。

誰もが愛されたい。大事にされたいと思っている。

そういう自分があり、そして、

同じ思いの他人がいるわけです。

ただ「大事にされたい。」

これさえ叶えば、たいていの苦労は乗り越えられる。

そして、たいていの苦労は自分が努力し、他人が

力を貸してくれれば解決できるものです。

どうすれば、他から大事にしてもらえるのでしょう。

第一歩は

誰もが「自分が可愛い。」この原則を踏まえ、

他人が敵にならないよう工夫すること。

つまり敵を作らない、減らす努力です。

そのための心と言葉と行為によるコミュニケーションに関する

10のコンパスが10善業なのです。

必ず円満で豊かな人間関係を生まれてくる。

これができれば、

持って生まれた運の良し悪しを灰燼に帰すことができます。

苦労があっても夢や希望を持てる人生になる。

逆に言えば、円満で豊かな人間関係を生むことができないから

運が良くても孤独で惨めなのです。

他人の運を妬むことをしてはいけません。

人が羨むような大学に入り「運」に乗って国会議員になったとしても、

株で大儲けして「その運を分けてちょうだい」と言われようが、

5年、10年経ってみれば、その「運」こそが不幸を呼び込む

神魔である場合が多々あるのです。

与えられて、どん底に突き落とされる。

最近そんな人がめちゃくちゃ報道されています。

反面教師にしなければいけませんね。

目立たず、焦らず、自分の知性を通して、

ここでいう大事な「運」=他との円満な絆を

積み上げることが何よりも大事なのです。




ただ、これはあくまでも個人に関してだけ言えることです。

個人が集団の一員となる時、集団の欲に飲まれることになる。

個人の意思は無になります。

個人が自分の意思を持ち続けること。

できれば他を思いやる意思を持つこと。



これが「和をもって貴(あて)となす」と言うことの真意でしょうね。

「大和」民族の真意もこれであるといいのですが。

大きな和を目指す人々というのはロマンチックはずなのですが.......、

嗚呼。

初級教室

初級教室の内容を若干変えました。

当面は入門クラス推しでいきたいと思います。

以下の文は3年前くらいに書いたもので消すのも勿体無いので

こちらに引っ越ししておきます。





多少の推命学の知識のある方は本科クラスから

勉強を始めるのが良いかもしれません。

結構たくさん専門書も読んで、干合や冲、

三合、方合は覚えた。でも意味がわからない。

どこから見たらその人の性質が見えてくるのか?

等々。

四柱推命はわかる情報が少ないので西洋占星術や

紫微の方が上だとか。とか。とか。

多分そう言ってしまうのも本格的な四柱推命に

出会ったことがないからかもしれません。

私の教える推命術は80パーセントまでは

当たりますが、ただそれは、その人が自分の

人生に疑問を持たず、星のなすがままに生きてきた人に限ります。

お分かりでしょうか。

プロとして活躍している生徒さんは、ほとんど

星の解釈に関しては問題なく、ただ、

その伝え方に、かなりの努力を費やしています。

だいたい3年間、個人授業で月に2回

しっかりと続けることができれば

どの鑑定所で働いても、人気は別にして、

トップの実力者として評価してもらえるようです。

プロを目指さない方にとっては、古代から延々と続く

陰陽五行と易の思想が人生にどのように関わるのか、

その深遠な世界が目の前に開かれるかもしれません。

そのように教えているつもりです。


ここまでが8月9日に書いた本科講座へのお誘いです。

私のごく最近の心境で書きました。

プロとして第一線で現役の生徒さんが活躍してくれています。

それも、人気と実力を兼ね備えた占い師さんとして

仲間の占い師さんから相談されるほど、人間的にも

実力的にも、信用されているそうです。

実に嬉しくありがたいことです。

「人の棘を抜くことが自分の棘を抜くことだよ。」と

先生が教えられた通りです。

(後半の文章にも出てきます。しつこいですが悪しからず)

ご縁のある方は、一緒に推命学を我が物としましょう。

メールにてお問い合わせください。

(メール鑑定用フォームでかまいません)


以下の文章は、ものすごくもがいていた頃のものです。

それでも、内容は頑張っているので参考になれば参考にしてください。

「いろいろ、大変だったんで。」と他人事のように書いておきます。














同じ泰山流を名乗る先生方は多いのですが、同門であっても、その人物の考え方,生き方により技術の使い方が大きく違ってきています。
私はこの推命術を人が成長するための手段と考えています。

人としての成長とは何か?誰もが持って生まれた答えの出にくい命題ですね。

かつて、戦いに勝つ為に、この推命術と断易を使い、それを成し遂げた者が中国にいました。朱元璋の軍師を務め、元帝国を打ち破った中心的な人物で名を劉基、字を伯温と言います。四柱推命の最も権威のある原典とされる「滴天髄」を著し断易の真髄と言われる「卜筮正宗」に納められた「黄金策」を記したとされる人物で、三国志演義に描かれた諸葛亮孔明のモデルと言われていいます。しかし、その晩年は朱元璋に疎まれ、毒杯を煽ることを強いられました。これが四柱推命を戦いに使った先達の最後の風景です。

どんな英雄であっても因果律からは逃れられない。身を以ってこれを実証してくださった偉大な先達です。

この推命術は医術に類似するもので、それをよく身につければ活殺自在のものとなり、善にも悪にも応用がきく。(実際、東洋医学の原典と言われる「黄帝内経」と全く同じ理論の延長線上にあるものです。)
それゆえに教える者、使い方により、どれだけの違いが生まれるか。想像に難くありません。先人の踏んだ轍を決して繰り返してはなりません。そのために先人は毒をあおって亡くなってくれたのだと、我々は自戒するべきなのです。

私は一番最初に受けた緒方先生の講義で、他人のトゲを抜くことが自分に刺さったトゲを抜くことであると教わりました。今でも座右の銘としています。時々、「私の人生に口出しするな」と怒られるのですが、それでも抜けるものなら、そのトゲを抜いてあげたい気持ちに変わりはありません。それこそが自分自身の成長につながると認識しております。

多くの同志とご縁ができると嬉しいのですが........。



鑑定技術に関しても決して妥協することなく追求してまいりました。クラスは初級となっていますがレベルはかなり高く、何人かの生徒さんは実力のあるプロとして既に活躍しております。







ここの教室では本科を終えた方達は緒方先生の中級講座へ上がっていただくことになっています。

しかし、時間の都合で、どうしても中級講座へ上がれない方達のために

研究科を設けています。

生徒さんがよく知っている方の命式をもってきてもらい、

その場で鑑定を行い我々の鑑定法が使えるのかを検証しながら

私のオリジナルの鑑定法を伝授しています。

古典を踏襲するだけの推命術では博物館の展示品と

何らかわりません。歴史的価値は大いにありますが

実証性のない古典主義は迷信を生み出す温床であり

他人を恫喝し支配する道具に成り下がってはいけません。

また、そんなものに脅され、言うことに従うのは愚の骨頂です。


正しく自分を見つめるためには鏡に曇りがあってはなりません

常に磨き続ける努力が必要なのです。

警鐘が必要なら警鐘を鳴らし、より良くなれよと助言をし、

そして、最後に、どうするかは自分で決めれば良いのです。

そして、

「苦難を避けよ」と手を合わせること。

ただこれだけが我々にできることなのです。





このような事情で、占いや運勢鑑定で人生一発逆転を目指す方は、

残念ですが、他の先生をお探しください。












注意  

プロの占師さんで四柱推命をさらに学びたい方は、まずご自分の占術でこの教室に参加して良いのか悪いのかを占った上でご参加をお申しで下さい。

当たり前のことですが、許可無く教室の内容を公表することも禁じます。

遠方の方はスカイプでの個人指導となります。授業料等はお問い合わせください。

大阪曽根の緒方先生 初級教室開講

緒方先生が大阪の曽根にて断易と

四柱推命の初級教室を開かれます。

緒方先生ブログ

関西方面の方に限らず、とても良い機会だと思います。

推命に関しては私のような師範は多々おりますが、

断易に関してその真意を伝授できる方は稀です。

私も、流行りのものを研究したことがあるのですが、

原型を変化させる根拠が全くわかりませんでした。

基本の基本の段階で、私の目から見ると間違っています。

(間違っているというより私の学んだものと違います。)


断易に関して少々コメントすると

実に変な話になりますが、

断易は易神からの許可がないと

正しい易卦は出ないようです。

正しい卦とは何かというと、占題を、実に新鮮に、

その時点での状況を、裏に隠されているものを含めて、

完全に、切り取れるか、取れないかということです。

(野球の試合の勝ち負けを占う程度で使うのは、もったいないなと思うのですが。)

それじゃ、

その許可はどのようにして得るのかが問題となりますね。

私はその答えには2通りあると思っています。

一つは力のある先生について教わること。

何事でも、先生から教わるということは、

その先生ご本人の能力と才能を少しずつ

分けてもらうということですね。

すでに易神から許可が下りている先生ですから

誠実に先生につけば、自然に許可が下りてきます。

もう一つは、易神を動かすほどに精神誠意を尽くし、

学ぶことです。

近代の断易中興の祖といわれる先生方は皆、そのように

なされました。どれほどの苦労があったのか知る由もありません。




今は、良い師が「教えてあげてもいいよ」と言ってくれています。

千載一遇のチャンスです。


最近は九鬼先生や藤田善三郎さんの著書など、

幻の名著といわれていたものが、かなり安価に揃えられます。

時代は変わりました。

「安価」が修練の「安易」さに変わらなければいいのですが。

幸運にも学ぶ機会を得た方達は

学び、そして、ただひたすら研鑽してください。

最近の心情

物言えば唇寒し初夏の風と、

虚脱感にかられる今日この頃。

緒方先生の命式研究用のブログを発見して以来、

多分、同門の方達の、これ見よがしの推命理論を

あちこちに散見しているのですが、私が入門した頃は、

講義の内容を漏らすことは厳禁でした。

私は、自分で見つけ、感じたこと以外はコラムにも、

ブログにも書いていません。全てが私のオリジナルです。

また同門の先生方が私と同じ心情かというと、

完璧に違うと思います。

また、「泰山流」について、本当に誤解している一般の方が多く、

あえて言うなら、私は泰山流緒方派の門下です。

正当でも本家でも元祖でもなんでも構わないのですが、

自称泰山流の方達とだけは別物です。

この方達との見分け方は簡単で、

もし、その先生が気学や九星を鑑定や講義の中で

使っていたとしたら、私の知っている泰山流の方とは、

無縁な方達です。同じと思われるのは大変迷惑であり、

質問があるのなら、その派の先生たちにしてください。

私が使用している初級のテキストにもあるのですが、

運勢の鑑定には段階があり、

大きく分けると3つくらいに分けられます。

まず、

占いの範囲で多くの人達に受け入れられ、

アミューズメントとしての価値のあるもの。

次が、

本人も意識しているし、周りの人たちも認める姿を、

さらに暗示的に指し示し、循環のバイオリズムに当てはめるもの。

この手法は、主に九星や干支の単独な組み合わせによる手法です。

一部の四柱推命家の方達もこのような鑑定をなさっています。

宿命、断定型の鑑定で、運勢の幅という概念があまりありません。

決めつけ型のもので、星の優越で勝ち負けを言い、

多くの誤解、曲解と差別を産むものだと私は思っています。

3つ目は

本人も知らずに突き動かされている激しい生命の流れを見つめるものです。

面白いもので、これが理解できると、些細なことですが

例えば進学したい学校の方位までがわかるようになります。

さらに、人の持つ「業」とでも呼ぶべき現象が理解できるようになります。

ただ、知ってしまうと、あまり気分の良いものではありません。

理論は単純明解で理解しやすいのですが、単純すぎるが故に、

疑心が付きまとう難があります。

人の心の「ゆらぎ」の部分が理解できなければ

身に付けることは難しいかもしれません。

本質的な哲学や思想に相通じるものです。


それぞれの道を極めれば行き着くところは同じだと私は思っているのですが、

道半ばで止まってしまっている人たちが多々いることも事実です。

私も、文句ばかり垂れていないで、立ち止まらぬよう精進しなくてはと

自戒の意味もこめて、この場で正直に現在の心情を吐露しておきます。

雑感

「四柱推命」とは何か?

多くの方々が誤解されているようですが、

「易」を原型とする「戦う」ための技術です。

ホームページの四柱推命教室から再掲載すると


かつて、戦いに勝つ為に、この推命術と断易を使い、それを成し遂げた者が中国にいました。朱元璋の軍師を務め、元帝国を打ち破った中心的な人物で名を劉基、字を伯温と言います。四柱推命の最も権威のある原典とされる「滴天髄」を著し断易の真髄と言われる「卜筮正宗」に納められた「黄金策」を記したとされる人物で、三国志演義に描かれた諸葛亮孔明のモデルと言われていいます。しかし、その晩年は朱元璋に疎まれ、毒杯を煽ることを強いられました。これが四柱推命を戦いに使った先達の最後の風景です。


このようになるのですが、ある程度この技術が極められてくると、

生命の摂理のようなものが見えてきます。

その姿は単純に言えば生命の循環。

別の角度から見ると、苦しみの因果関係となります。

五行五気など実に非科学的なのですが、

その理論を実証実験して見ると、

確実に再現性があるのです。

ただし、

この五行五気を原理主義で解釈をしているうちは

どうにもなりません。例えば、自分に必要な五行が

「金」に属する場合、金属製品を身近に置いたり、

身につければ良いのだ的な発想です。

確実に冷えからくる、便秘に始まる病の原因になります。

また、食べ物では「金」に属する五味は「辛いもの」だから

唐辛子をいつも、食べています。という、なんとも、

可愛い人たちも多々います。

(私の知人は、このことを「易凝り」(えきこり)と言って、散々バカにしていました。でも、仕方ありません。ほとんどが独習者または初学で奥の勉強をしていない人たちですから。)

話を元に戻します。

五行五気の理論でいうと人はそもそも五行全てが完備している存在です。

例えると、あらゆる人が万華鏡を持っていて、

その中に5種類の「いろがみ」が同じように入っているのだけれど、

光の加減と、振動で千変万化する彩(いろどり)の変化を

人生において見させられているようなものなのです。

この意味で人は実に平等なのですが、

残念ながら、光源と万華鏡自体の耐性により、

見える景色が著しく違ってくる。

この意味では運命はある程度決定していると言って良いと思います。

ただし、私の見る限り、「運命の縛り」というのは、

実は、それほどキツくないのです。

ただ、このカラクリに気づくことが何よりも難しい。

そして、なんと言っても、人の運命は、

その本人だけしか変えようがないのです。

昔も、今も、子を思う親、夫を思う妻等大事な人のためならと、

宗教団体に入って、一生懸命神頼みをする人達がいます。

良い行者さんは、信者さんの業を一生懸命浄化するために、

お名前の書かれた、襷をかけて滝行をしたり、

祈念を込めたお札を前に勤行していらっしゃいます。

それで良いのだと思うのですが、多くの信者さんが

その「おかげ」をもらえずに落としている。

なぜかというと、

お金で業を浄化できると勘違いしているからです。

学びも一緒なのですが、「法」を買っていると思った瞬間、

全てが水泡に消えていく。

運を変えることもこれに似ている。

結局、その人に真心(まごころ)がないと、何も変わらない。

実に、これが真理なのです。

教室の生徒さん達には説明しているのですが、

このことの根拠になっているのが「順逆のサイクル」なのです。

いろいろなところで十善業について書いていますが、

簡単です。

常識の範疇で、できるだけ良いことをしなさい、

自分がして欲しくないことを、他人にしなさんな。

ただこれだけです。

逆のサイクルを回し続ければ、人も国家も

崩壊します。

逆のサイクルとは他(人)に敬意を払わない姿

順のサイクルとは他(人)に敬意を払う姿。

(「敬意」の単語を使っていますがオブラートに包んだ言い方だとご理解ください。)

誰かを憎む教育は結局、それが国の方針であれば、

その国が滅びます。

お隣の国など崩壊の道を一目散に目指しています。

国内でも最近、そのような幼稚園が話題になり、そして滅びました。

日本が神国ならば、その精神は「和を持って貴しとなす。」です。

これは絶対です。

「美しい国日本」ではなく、「美しい国にしていきましょう。我々の手で。」

これでなければいけないと私は思うのですが..........。

あまり過激なことを書くと、生徒さんから、

「最近更新がないけれど、脅されたんですか?」と、

また心配されてしまうので、このくらいにしておきます。



「美しい国日本」のスローガンには過去を美化する意図がぬぐいきれません。正直、明治維新以降、天皇制を国体とするための国家神道政策は愚にもつかぬ愚業でした。寺社への資金を断ち、仏像を破壊し神木を叩き売り、銭ゲバを奨励し、また、国家主導で財閥は大陸でアヘンを売買し、列強に対し、悪には悪で対抗する仕方で渡り合った。その結果の支那事変であり、太平洋戦争です。

不寛容の時代

最近「不寛容の時代」という言葉をよく耳にします。

アメリカでのトランプ氏の発言を機にし、

日本のマスコミも言い始めているようですが、

不寛容の意味を考えると、実に、ナルホドと思えるのです。

「不寛容」は別な言葉に言い換えれば「強烈な自己主張」と

なるのではないでしょうか。

自分だけ、または自分達、仲間達だけ良けりゃいいのさ。

仲間以外のことは知らない。

これが不寛容の正体です。

これは実に根が深く、あまり気づかれていない。

なぜ根が深いかというと、学校教育でこの「自己主張」を、

強烈に刷り込まれているからです。

皆さんにも身に覚えがあるでしょう。

中学生あたりでは、この自己主張ができない子達は、

評価点が下げられてしまう。

そうゆう教育を受け、環境が悪ければ、

大人になるにつけ、ゴネて他人を支配する「ゴネドク」を学びます。

実に困ったことです。

ここでこんなことを書いていいのかと思うのですが、

お隣の国は風水で今の場所を大統領官邸としたそうです。

(高麗時代から)

風水の力は国中の材と権力を集めますが、その財と権力は

国中の人々のエネルギーを奪いとり、あの場所に集めることになる。

私が風水や家相が嫌いな理由はここにあります。

必ず副作用として力のバランスの調整が働くのです。

集まった「力」に近親者、仲間達がねだり、すがりつき、

じきに人々の妬みと怨嗟の対象になってしまう。

李氏朝鮮のそれぞれの王朝も日本の朝鮮総督府もそうでした、

現行の政府などはすでに国家の体をなしていません。

日本も私の若い頃は「和を以って貴とする」と、なんとなく

皆が信じていたような時代でした。なんとも昭和レトロの感がありますが、

今や聖徳太子の存在さえ抹殺されようとしている世の中です。

たとえ実在の人でなくとも、人が幸せに生きるための、理想を

謳った空想の人物として、大事にしてほしいなと切に思うのは

私だけでしょうか。

今、生活に困っていないのであれば、是非、人が調和して生きる術を

日々の課題として模索してください。

ついでに書いて起きますが、

同じ考え、思想を持つものが集まり、それを主張した瞬間に、

不寛容が始まることを腹の底に入れておいてください。

その代表が宗教団体と政治団体です。

誤解しないで欲しいのですが、信仰を否定しているわけではなく、

徒党を組み善人を装っている人が、あまり好きではないだけです。



自分の足で立つ意志を持ってください。

調和のための方法

調和がこれからの世界を開く鍵になると書いたのですが、

調和のための方法については既に書いています。

長くなりますが、再掲載しておきます。

「どうして自分ばかり、苦しいんだろう?」

若いとき

「人生なんてこんなものさ、次でキメてやる。」

そう言って自分の心に踏ん切りをつけ、立ち直るものですが

40を過ぎるあたりから、最初の言葉をつぶやき始めます。

自分の人生に漠然とした不安を感じ始めた時こそ、

「人生」に向き合う大きなチャンスであり、その後の

人生を決める大きな岐路になります。

自分自身を見て、見えたものに、見て見ぬ振りをするか、

見えたものをなんとかしようと、あがいてみるか、

どちらでも良いと思います。

どちらの生き方を選んでも「楽になる方法を」書いておこうと思います


普通の生き方をしていれば、だれでも、絶対に出来る方法です。

1、生き物を殺さないこと  

生き物を殺さなくなると病気が減るそうです。


2、他人のものを盗まないこと、 

物だけではなく人間も同じです。泥棒が悪いのは誰でも知っていますが誰かの伴侶を泥棒することは罪にならないと思っている人が多いようです。逆の立ち場が想像できれば、よく解ると思うのですが、うだつの上がらない、クソ亭主で、もう離婚しかないと思っていても、そんな亭主をよその女にとられたとなると、妻としての自尊心が砕かれます。「のしを付けてくれてやらー。」とタンカを切っても、その恨みは晴れません。

他人のものを盗まぬ業を積むと財産に恵まれ、敵や盗難に逢わなくなるそうです。

3、パートナーを大事にする事

夫婦円満の家庭は、なんらかのトラブルが身内に起きたとしても、必ず解決方法が見つかるものです。3人よれば文殊の知恵というように、協力し合う相手が常に側にいることが、人生の支えあいの基本になるのです。「人」の字の支え合いは、このことなのでしょうね。しかし、お互いを大事に出来なくなった時はどうすればいいのでしょうか?

その時は良い運命鑑定士さんに相談してみて下さい。

邪淫を捨てる業を積むと敵がいなくなり、パートナーが美しくなるそうです。

4、嘘を言わない事

当たり前のことですが、信用がなくなります

嘘を言わない業を積むと、言葉に説得力がでるそうです。

5、他人でも、身内でも悪口を言わない事 

悪口は必ず相手の耳に入ります。

人間関係がギスギスし、何事も円滑に進まなくなります

悪口を言わない業を積むと良い噂しか広まらないそうです

6、他人の欠点をあげつらわない事

5番と同じですね、これは恨まれます。

7、つまらないウワサ話しをしないこと

壁に耳あり障子にに目あり。必ずバレます。

8、強すぎる欲心は制御する事

他人のものでも、何でも、あれが欲しい、これが欲しい、もしあれがあったらと想像したり空想が続くと、持っていない自分にハラが立ってきたり、それを持っている誰かにオマエより自分の方が似合うのに...。などと謂れのない嫉妬をし始め、物欲お化けに変わります。

欲心を断じる業を積むと願いが叶いやすくなるそうです

9、誰かを心の中で傷つける事

他人の心の内の中なんだから、ほっといてくれと言われるかもしれませんが心は必ず表情にあらわれ、顔が険しくなります。それを続ければ人相でいう険難の相があらわれ怪我、事故の前兆とされます。

こころは現象の種を播く畑であり、言葉が肥料、行動が結果となります。恨みの種を心に植え、何度も何度も心の中で怨恨の言葉を繰り返し、その結果として行動すると、おまわりさんのお世話になる事になります。

害心を断じる業を積むとあらゆる怪我、傷害が減るそうです。

10、因果なんてありゃしない、どうせ死んだら終わりさ、などと言って人生を諦めるような考えには惑わされない事

播いた種は必ず芽を出します。悪い種を播けば、悪い芽が、良い種を播けば良い芽がでます。良い芽とは普通の当たり前に食べて行ける、生活できるということで、3億円の宝くじが当たるようなことではありません。


当たり前すぎる事ばかり書いてきましたが、これは仏教で言われる十善業をもとに書いたものです。多くの教典に書かれていて、南伝仏教では十善戒ともいわれています。




十善業を解説します。

行為について   殺生 偸盗(ちゅうとう)邪淫

言葉について   妄語(もうご) 両舌(りょうぜつ) 悪口(あっく) 綺語(きご)

こころについて  貪欲 害心 邪見(じゃけん)

この10の行為を言うのですが、実は、驚くなかれ、これが悪業のもとになっていると仏教では言うのです。つまり、この行為により地獄のような世界生まれたり、餓鬼のような世界に生まれたりすると仏家はいいます。

まさか、こんなことで?

本当に「こんなこと」程度なのか検証しましょうね。

実は、この10の行為自体も問題なのですが、この行為におよぶ動機がまた問題で、怒りによる動機、欲望から来る動機、なんも意識せずに、ただ、してしまった。これを無知、または暗愚と言い動機の一つに数えます。

それぞれの動機により、死んだあとの行き先が違うと説かれ怒りは地獄に、欲望は餓鬼の世界に、無知は動物の世界に流れる。またそれぞれの動機が激しい場合は地獄に、中くらいの場合は餓鬼に軽い場合は畜生に生まれるそうです。その動機が軽いか重いかは死んでみればわかるということです。

なんとも皮肉な言いようですが、そうとしか言えないようです。

(十善業といいますが正確には十不善業の解説です。十種類に分類される苦しみの元になる行為「業」という言葉の見解にはいろいろあり、一般的にはその人の持って生まれた思考形態、ものごとを考える傾向そのもの、言葉、心、行動に反映される精神活動全てという意味で良いと思います。もっと単純に言えば、理由はどうであれ「自分が動いた結果」「動いた報い」ということでしょう。)

そうさせたのが何であれ、最終的には自分が選択した行為ですね。そして、この業は死んだら終わりではなく、延々と「心相続」と言う形で我々の肉体に宿り生死を繰り返す、この現象が輪廻と名付けられています。その、持って生まれた業を固定したものと見るか、業もまた因果律により浄化すれば善化すると見るかが、仏教と、いわゆる外道との差になり仏家は因果の法則を「縁起の法」といい、固定されていないもの。浄化の因を作れば浄化されると説きます。その方法が十善業で十不善の真逆の行為のことで平たく言えば、

悪い事はしなさんな、積極的に、良い事をしなさい、それが業を浄化するよとお釈迦さんは説かれ、白隠さんも最澄さんも明恵さんも偉い坊さん達は、このことが書かれた七仏通解説偈をとても大事にされました。

私も推命の師匠から、仏典とは違う形ですが、

「他人様のこころに刺さった刺(とげ)を抜いてあげる事が自分自身に刺さっている刺(とげ)を抜く事になるからそれができるように、確り学んで良い鑑定士になるんだよ」と言われ、現在にいたっています。

私は、縁のある人には、鑑定の中でもお伝えしているのですが私の実力不足で、なかなか相手には伝わりません。しょうがないので、この言葉の裏側にある膨大な背景を見せなければ、「風景のような言葉」になってしまうのでできるだけ具体的に、普通の人にもイメージ出来る形で解説していきます。

業と因果についての解説になります

先ず、

1、殺生

十不善業の中でも最も悪いとされています

前回、動機の問題に触れましたが、

怒りの故に殺す意思を持って殺す事、いわゆる殺人事件

貪りの故に殺す事、角、毛皮、食肉としての屠殺

無知故に殺す事、害虫、害獣などを良かれと思って殺す事

「無知」とは難しいものです。裁判なら責任能力が無く無罪とされるものでも

その結果はやってくるよというのが業の考え方です

でも、食に関しては難しいですね。

偉いお坊さんは命に感謝して食べることが大事ですと答えますね。

食の学習について世界的にも、すこし前にベルギー映画で

邦題で「いのちの食べ方」原題は「Our Daily Bred」で

屠殺場のベルトコンベアーを流される生きた動物の姿が

なかなかショッキングでしたが、しばらくすると

今日のご飯は何かな?と考えている自分がいました。

これも「無知」の働きです。見たくない、聞きたくないものは

すぐに抜けて行く。

食欲など身に備わっている欲(業)のために人は合理的に

馬鹿になるもので、物欲、性欲、名誉欲も同じです。

できるだけ殺さない事、食に関してはお坊さんが言うように

感謝して食べる事、たまにはベジタリアンの一日を過ごす事など

命に感謝し、食に敬意をはらい、お線香の一本でもあげて

供養することも、あまのじゃくさんには独りよがりの偽善者で

意味の無い事に聞こえますが、効果はあると仏典には書かれています。

対治法の一つとして、「放生」をして善の行為を積むとあるのですが、

これは売るために捕まえた魚や鳥を買ってきて

自然に放すことをいうのですが、特定個体の保存など

タマゾン川(多摩川に熱帯魚が繁殖している)問題など

現実性に欠けます。今すぐ実行出来る一番よい対治法は

もし殺される側に自分がいたらとイメージし、じゃ、

どうする?となるのですが、できることで良いと思います。

ちなみに私はお線香タイプです。


殺生についてはまだ色々あるのですが、特質すべきは

殺生を直接しなくても、それに同意したり、

共感するのもまた同じく不善の業を積むとあります。

たとえ敵や憎悪する相手であっても

人の死を喜ぶ事はいけない事だと説かれています

その真逆は、生命を愛おしみ、死を悼み、

命を大事にすることです。


2 偸盗(ちゅうとう)

これは3つに分類され 強盗 泥棒 詐欺とされています 

他人のものを盗む事一般です。


3、邪淫(じゃいん)

まあ、言葉から想像して下さい。

以上が身体による活動としてダメだよーと言われている事ですが、

たぶん1と2に関しては小学生の低学年でもしっていることですね。

3は、黄昏れはじめる年代になるまで理解出来ないかもしれません。

つぎに言葉による活動として

1、妄語(もうご) これは嘘をつくことです。

対治法は正直に嘘の無い言葉を述べる事になりますが、

それが、他人を傷つけたり、トラブルを増やす事になるのならば

沈黙こそが金言となります。

2、両舌 これは誰かと誰かを仲違いをさせるため、

積極的に嘘をついたり、デマを飛ばしたりして

人の和を乱す事を言います。



3、悪口 文字通り「わるぐち」のことです。相手の弱点を

あげつらうことですね。皮肉なもの言いや、相手を不愉快にする事も

含まれます。

出来るだけ長所を見つけてあげて下さい。

4、綺語(きご) どうでもよい、おしゃべりのことですが、

その底にあるものは自分の怒りや、妬みや、嫉妬などの

欲心が動機になっていると説かれます。

口は災いの元です。


次ぎに心における行為です。

1、貪欲心 これはなかなか、おもしろく

「自分が持っていない、素敵なもの(物、者)を自分のものだったら

どんなに素晴らしいだろう、手に入れるにはどうすればいいんだろう?」

と何度も何度も「もの」への欲を起こすこと全てとあります。

時を越えて、自己啓発系の願望成就法にダメ出ししているように

私には思えるのですが......。

この対治法は自分の持っているものでも能力でも他人に

与える事だそうです。

2、害心  

一つには他人に対して怒り、こころの中で

「こいつをボコボコにしてやる」「復讐してやる」「刺してやる」

等々相手を傷つける事

もう一つは、実によく、世間を見ていると感心させられるのですが

他人の幸せが憎くて仕方が無いこと、

他人の不幸を喜ぶことと説かれています。

意識的に他人の幸せを喜ぶ事をしましょうね。


3、邪見

これはほぼ仏教の見解に対する他の教えとの違いを

鮮明にしているもので、興味のある方はご自分で調べて下さい

以上が十不善業の簡単な解説と10の善業の具体的な姿です

「噂話は嫌いだからしないでいられるが、他人の幸せを

喜ぶ事は、すぐにはキツいかなー。」

たぶん皆が思っている事です。ご安心を。




次ぎに、この業がどのような形で現実の世界に現れるかを解説しています。

これらの業は異熟果 等流果 増上果、士(じゅう)果の

四つの形であらわれるとします。

まず、異熟果は、十不善のどれでも動機が怒りによる場合は

地獄に落ち、貪欲の場合は、餓鬼に生まれ、暗愚、無知の場合は畜生に

生まれるとされています。

「地獄に堕ちるわよ!」少し前にテレビでよく聞いた言葉ですが

一概に否定出来ません。

(寒熱16地獄さらに余地獄をいれて18地獄については結構解説にキツいものがあり、機会があれば解説したいと思います。ちなみに地獄は地獄スポットがある訳ではなく、我々の日常の中にあるもので、どこかにいかなければ知られないようなものではありません。)



等流果には十不善のそれぞれに

行為の等流と体験の等流があると解説され

行為の等流とは前生で積んだ業をそのまま今も心の癖として

持って生まれることを言います。たとえば、殺生を積んできた人は、

この世でも殺す事を楽しむ癖をもっている。

私事ですが、子供の頃の自分の残酷さについて、かなり

悩んだ時期があります。子供の残酷さとよく言いますが、実は

等流果の姿そのものなのかもしません。同様に欲心の等流果としての

強欲さ、害心、妄語(嘘)など、自我に目覚め

世間に対して損得勘定から自分を隠し始める以前の、

子供の姿を見ていると、個々の業の一部が行為の等流として見えてきます。

前世の自分の姿は「今どのような姿なのかが理解出来れば

前世で自分が何をしていたかが解る。今自分が何をしているかを冷静に

理解出来れば来世、自分はどこに生まれるか知る事が出来る」

お釈迦さんが言った有名な言葉です。

前世療法等で前世の自分の名前を思い出す人がいますが

自分の苦しみの本質(なぜ、苦しみが生じたのか?)

を思い出す人はあまりいません。

人は誰もが身分制度の天と地の中でもがき、

さらに地獄に入ったり出たりの六道輪廻の中で

今、人として生まれてきています。この幸運を

真剣に考えることはとても大事な事だと思います。


(とりあえず悪い事ばかり書きますが、人を喜ばす事、助ける事に無類の喜びを感じる子供がいることも忘れてはいけません。業は平等で、良い業は良い果として熟します。)


次ぎに増上果です

漢字からのイメージだと、なにかがさらに増していくような

イメージですが、実は、その人の「環境」に結実した業の結果で

その人の生まれる器としての環境のことです。

たとえば、メチャクチャ厳しい家族のもとに生まれる等、

ラジオの周波数のように積み重ねた業と同期する環境の中に生まれ、

そこで生きることを言います。

親を選んで生まれる事はできないと言いますが

「それは違うよ。あなたの積んだ業にふさわしい

親を選んで生まれてきているんだよ。」

これが仏様の説明です。誰のせいでもない、自分のせい。

「ぜったい違う。自分は悪くない。そんなこと憶えていません!」

ならば、自分の心の癖を十不善に照らし合わせて冷静に

検討してみて下さい。




大事な事をもう一度おさらいしたいと思います。

それは、業は行為の積み重ねで身体、言葉、精神おのおのの

活動に依ります。つまり。悪であろうが、善であろうが

行為には必ず結果が生じ、その果実は自分で刈り取ることになる。

だから、

一番最初に楽になる10の方法としてそれを書いたのです。

では善なる業の果はどんなの?

それも説明されています。

この十善業の等流果は殺生を断じれば長寿で病が少なく

偸盗(ちゅうとう)を断じれば財があり敵や盗難もなく

邪淫を断じれば伴侶が美しく、敵対するものが少なく

妄語(うそをつくこと)を断じれば、皆から軽んじられる事がなく

言う事に威儀が生じ、両舌を断じれば周りのものに敬われ

悪口を断じれば、悪い噂や身に覚えの無いゴシップは無くなり

綺語(おしゃべり)を断じれば言葉に威厳が生じ、

貪欲心を断じれば思いが叶い、害心を断じれば傷害が無くなり

邪見を断じれば仏様に近づく。

十善業の増上果は円満であらゆる事に満ち足りた環境となると

されています。

この国は環境的には十善業の増上果なのですが

個々人は苦しく辛い人がとても多い。

楽になる道を選ばず、苦しみが生じる種ばかりを

播いているからとしか言いようがありません。

なぜか?

それは、因果についての理解が足りないからなのではないでしょうか。

因果が解れば、いまこの瞬間から人は変われます。

10の自分を苦しめる行為を止めて、

楽になる10の行為を積極的にしていけば必ず変わります。

汚れたコップ(器)の水を飲めるようにするためには、

コップを変える事が出来ないのなら清らかな真新しい水を

注ぎ続けるしかありません。

幸せになりたいと泣き続けながら、

苦い水を飲み続けている人がいます

開き直ってもなにも始まりません。

まず、自分の心の癖を自覚する事から初めてください。

そして、焦らずに続ける事です。




自分は運が悪いと自覚があるとすれば

その人は自分を客観的に見る事が出来る人で

こころの「癖」を、おぼろげにでも自覚しています。

そして、自分に自信を持てる生き方を諦めている人が多い。

そうなると、その人に、一番大事なことは

そこから飛び出す「勇気」をもつ事になります。

毎日欠かさず眺める鏡に「勇気」と書いてみて下さい。

そして、良い業を積んで下さい。


自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これは、しょうがないことです。

今は記憶の切れ端も無いけれど、こころに刻まれている、

まぎれも無い過去の行為の証(あかし)なんですから、

自分が生まれた環境もまた「その結果」だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

まず、このこと(因果)を自覚しそれを受け入れる事。

そして、受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなしてきた業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じてしまう。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は意図すれば瞬時に、豊かに、満たされ、巨大に

充実し、さらに時により熟成されることができます。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

内向きな世界

来年の年運は?との問いに、

さらにセクト主義が勝るだろうと答えてきたのですが、

それに抗うべき方法を模索しなければなりません。

なぜ抗うのかといえば、結局セクト主義でお互いの主張をぶつけ合えば、

宗教戦争と同じく「主義に同調するかあるいは死か」の選択を求められてしまう。

正しいことを言ったとしても聞く耳を持たぬ人々には届かない。

オバマ大統領のホノルルでの演説

この演説の中で特に

この地こそ、憎しみが最も激しく燃え盛るときや、同朋意識の力が最も強いときでさえも、我々は内向きになる衝動に抗わなければならないことを思い出す場所です。我々は、自分たちと異なる人たちを悪者扱いする衝動に立ち向かわなければなりません。この場所で払われた犠牲、戦争がもたらした苦悩は、人類全てに共通の神聖な輝きを求めなければならないことを我々に気づかせてくれます。そして、日本人の友人が言う「お互いのための」存在となるよう努力するよう求めています。


これからは人類の叡智が求められる時代です。

それは何か。

「調和」すなわちお互いを認め合うということでしょう。

自分以上に可愛いものはいないと自分が思っているように、

相手もまた、自分以上に自分を可愛いと思っていることを

お互いが認め合うことです。

そうすれば日々の摩擦は、だいぶ減るはずなのですが。

物事が起こる原因を知ること。これこそが、

多くの苦悩を減らすことにつながる。

より多くの苦悩が消え、幸い多い年であることを、

来年の歳運に託したいと思います。

皆さま、よいお年をお迎えください。

12月24日

クリスマスイブということなので何かプレゼントをと思うのですが、

しがない在野の推命家なので、私の体験を後学の方達への

贈り物とさせていただきます。


四柱推命は難しい学(まな)びです。

推命学を占いの一種だと思われている方も多いのですが、

実は緻密な理論の上になりたち、当たるも八卦、

当たらぬも八卦の世界とは、最もかけ離れている学問なのです。

最近は、台湾や香港、大陸の先生方の著書が翻訳され、

かつてのような12運、神殺を中心とした、

他の占術から取ってつけた理論や、ほぼ根拠のない、

いわゆる「統計学」的なものは淘汰されて来ましたが、

それでも、推命学にとって「肝(きも)」となる

用神取用法である「格局法」の混沌とした迷路に落ち、

あがいている方達が実に多く見受けられるようです。

特に学究肌の方達がこれにはまりやすい。

(私もそうでした。)

私もかなりの額のお金をつぎ込んで有名な先生方のご著書を

買いためたのですが、緒方先生の「四柱推命実践鑑定講座」を

手にしてからは、他の本は全て手放し入門のための資金に充てました。

そのくらい目から鱗の内容が書かれており、

自分の中にあった四柱推命に対する迷いが氷解したのです。

さらに教室に参加し、この本の内容を理解し始めると、

正直、いわゆる「泰山流」とは別物であり、

さらに言えば、人間自体の構成と心の動き、そして

その結果としての人生が一目瞭然、目の前に現れ始め、

見えて来たものは、現命式と流運による動きが、

まるで、その人の魂に刻まれたプログラムのように

人生に展開される喜怒哀楽の姿でした。

さらにいえば普遍的であり的確で、鑑定を受ける

本人さえ知らぬものを再認識させるものでした。

(あらゆる人は「装っている」と、どこかで書いています。)

その事象の積み重ねが、現在の私の鑑定法の基盤になっており、

このことがコラムやブログに書いている内容そのものなのです。

四柱推命の範疇を超えた哲学思想だと内心自負しているのですが

いかんせん野で庵を結ぶ頓狂なじじいです。

諸々の後輩諸賢の方々が緒方先生のご著書で

私が目覚めたように目覚め、真の人生哲学について学ぶ機会が生まれるように

切に願うクリスマスイブです。

やはり、時の流れの、質の変化が、こんなことを言わせるのでしょうか。

それとも昨日見た「君の名は」のせいなのか、

まあ、これも「むすびの」一つです。

私も結構、そっち方面に詳しいのですが、

ロマンチックないい映画でした。

火と水

22日の夜から23日にかけての雨風は酷かったですね、

真冬なのに春先か梅雨時を想わせる、生温い風でした。

低気圧だから当たり前だ、科学的知識の不足と

なじられるかもしれませんが、それはそれです。

世界の気温世界的に気温が上昇し続けています。

やはり、異常です。

「天人合一」の思想から見ると火勢が旺じ続けている、この現象が、

「人」にどのような影響を与えるのかを考える時、

火の本質的な属性である「熱」と「光」

そこから生じる「寒暖の差」と「闇の深さ」。

一言で言うと、こうなるのですが、その意味するところを

特に教室の生徒さんは考えてみてください。

「火」は何を表すのかがわかれば、時代の流れに納得がいくと思います。

来年の年運も予想できるので、よく考えてみてください。

業払い5

正直に言います。

持って生まれた星は変わりません。

「え〜。.............。」

塩はどこまでいっても塩であり、塩辛いもの、

砂糖はどこまでいっても甘い砂糖です。

砂糖が塩辛くなったら、それは塩となります。

「私」は「私」、「貴方」は「貴方」以外の誰にもなれません。

持って生まれた自然の姿そのものです。例えるなら、

思考回路の青や黄色や黒や白のパターンは変えようがない。

でも、考えてみてください。

人は自分のパターンに直面するのは苦手ですが、

(特に人に見せたくない部分を、無視しているか、正当化しているか、隠蔽している)

他人のパターンを読むのはとても上手ですね。

つまり、「思考のパターン」を認識する「知性」が備わっている。

それであればこそ我々人類が「自然」と付き合ってきたように、

お付き合いすればいいのです。これこそが万物の霊長たる所以です。

曲がりくねって、毎年氾濫する河川に対しては堤防を築き、

超え難い山道にトンネルを穿ち、荒地を開墾し、作物を植える。

つまり、よりよく生きる意志を持つことです。

でも、間違ってはいけません。この自然を開拓してきた人たちは

個人のために、それをやった人は皆無であり、多くの人たちは

次の世代のため、愛する誰かのための動機を持ち、

やり遂げてきました。

誤解しないでください。愛や倫理道徳や宗教的な訓示ではなく、

残念ながら、絶望している人は「自分のための動機」では長続きしないのです。

自分に絶望しているのだから、自分をさらに惨めにすることが彼らのパターンとなります。

だから、何か、すがるものが必要なのです。

ほんの些細な、誰かの笑顔や、感謝の言葉や、優しい眼差し。

それだけでもいいのです。

大げさな、人類兄弟のためとかではなく、何か、小さな、

暖かい心を注げるものを見つけることから始めてください。

つまり

自分自身の開拓、開墾事業。

絶望の底に見え隠れする生きる望みを叶える生き方をです。

社会的にはうまくいっている人の場合

男女共、割と「簡単」に円満な人生を築くことができます。

なぜなら、収入が安定し、その上、

社会人としての訓練を終えているからですね。

問題は立派な社会人として外では装えても、家の中では暴君や

無責任さんに戻ってしまう。自分以外の家族に対しての甘えと、

家族を一人の個人として扱っていない、理解しようとしていないことが

苦しみの原因になっていることが実に多い。

私的な生き方にも社会人としての責任を負うことを自覚すれば

苦難は、それで終わります。同僚に接するように家族に接すれば、

会社でうまくいっているように、家内もうまくいくでしょう。

でも、それがどれだけシンドイことか、理解できるでしょうか?

多分、荒地を開墾する方が楽かもしれません。

なんせ、大地はものを言いませんから。

一にも二にも忍耐を養い、勇気を振るうこと。

何十年もの荒地(荒れた家族関係)を拓くのであれば、尚更です。

なんども、それまでの、ひずみや、歪みが、形になって現れてきます。

切り株や、大岩や、石ころや、毒虫とぶち当たったと考えてみてください。

実は、それこそが、あなたが家族に対してしてきた仕打ちなのです。

なかなか、なかなか、びっくりポンでしょ。

そこから逃げたら、また、一からやり直しです。

つまり、これが「業払い」と言われる現象なのです。




これが「簡単」な方ですかと問われれば、その通りと

言わなければなりません。

なぜなら、基本的に食べるのには困っていないからです。

業払い4

家庭の次の環境は学校となるのですが、

この時期は本人の肉体的な成長とともに

持って生まれた星の成長の過程でもあるのです。

ここが大事な点で、

一般的に、星というのは持って生まれた時点からの変化はないと

考えられています。



(多くの占い師さんが陥る、最も罪作りな点で、運勢を決して変えることができない定まったものとして、ご本人達も信じているし、相談者にも信じさせている。不吉な鑑定をされた人たちには救いがないことになる。素直な、そして反骨精神のない人は、そのままの暗示にかかり、凶兆が生じるたびに、その占い師さんのところにでかけ、愚痴を聞いてもらうことになる。彼等に依存してしまう。
これは私が一番嫌う形です。
なぜかというと、他人に依存する限り、自立は難しく、自分の人生の可能性を放棄することとなるからです。私の思っている「人」というのは、誰かの食い物になっていいような、そんな安いものではありません。誰もが誇り高く生きるべきものです。)



しかし、人の行動、つまり、その人が持って生まれたパターン(型)

を拠り所とする心の動き、感情のゆらぎ、そこから生じる行動、言葉の選択が

他人との関係において、相手から喜ばれたり、嫌われたりすることにより

相手との関係性が決まるのが社会なのです。

必要な相手、例えば会社なら上司、自営業なら

お客さんからの評価が高ければ出世もするし、お商売も

繁盛します。逆に、自分勝手な行動や口の聞き方をしたら、

マイナスの評価を与えられる。つまり、相手からの評価によって

社会的な立ち位置が決まるということなのです。

高い評価が欲しいのなら、相手からの評価を得られるような

努力をすればいい。「ただ、それだけ」なのですが、

これを運の良し悪しにすり替えているというのが、

合理的な思考法を持つ、破滅型の人たちの特徴なのです。

絶望するということばの裏には、努力しても無駄という、

逃げがあるのです。努力しないでいいんだもの楽でしょう。

しかし、自分に与えられた義務を放棄すると、残念ながら、

それを達成するまで、形を変えてその「義務」は追っかけてくるのです。

まともな推命を学んでいる人には、その原理が理解できるのですが、

あまり、このことを知っている人はいません。けれども、皆が皆、

自分の体験として、このことを知っているのではないのでしょうか?

特に女性は男性の件で、男性は職業の件で、いわゆる、

どこに行っても(違う相手でも)嫌なことが続くという現象です。

問題は、その「ただ、それだけが」何故できないかということです。

その要因としては肉体的なものと精神的なものがあり、

長年の精神的な緊張がある場合、例えば、自己保存のための

戦いが不可欠だった人には怒り癖がついています。

(体には顕著にこの癖が現れます。)

全身の緊張状態が常態化している。

ちょっとした言葉、相手の態度に、

怒りという形で激しく反応する。

異性との情交に逃げ場を見つけても、結局、

人と人の関係に戻ると怒りから、別れにつながり元の姿に

戻ってしまう。身も心も焼け焦げたあり方です。

今までの生き方の堆積したもの。自分の過去の積み重ね。

でも、そのような環境で生きてきたのだから仕方ありません。

過去は変えられません。でも、5分先、10分先、20分先は

自分で決められます。

え?

でも、同じパターンで思考し決断し行動していたのでは、何も変わりません。

5分先も、1時間先も、今までと同じ自分です。

業払い 3

人は他人と暮らさなければならない。

それを社会と言うのですが、人にとっての最初の社会は

家庭(親)となります。

そして、社会との軋轢という洗礼を受けることになる。

そんなバカなと思われる方もいると思いますが、

生まれた子供には子供のパターン(形)があり、

親には親のパターン(形)があり、

それを意識して生きている人はほぼいません。

皆が皆、自分は当たり前の人間だと思って生きている。

ある程度の年齢まで子供の成長は皆同じです。それが、

推命で言うところの立運の年齢に達し始めると

(これは本人にとっての自他の区別、自分を意識し始める時)

自我が目覚め、個性というパターンが生じ始める。


時々道端で、子供に「なんでわかってくれないの」と

大声で罵っている若いお母さんがいますが、

子供には母親の言ってることはわかりません。

子供にしてみれば、ただ、したいことをしたいだけです。

そして、苛立ち(いらだち)と軋轢の芽生えとなります。

怒りの芽生えと言い換えても構わないと思います。

あれもダメ、これもダメ、親によっては、逆に、

何をしようが、無視をする者もいる。

三つ子の魂百までということわざがある通り、

この初年の環境、教育(躾)がその人の一生を左右していきます。

運勢の吉凶はこんなところから始まっているのです。

(なんども、あちこちで書いているのですが、運の吉凶と

運の強弱は別物です。

ここで言う「運が強い」とは「我が強い」と言う意味で、

我が強ければ、自分の意思を押し通し、自分の言葉を曲げません。

その反面、自分の意思に沿わない相手を怒鳴り蹴散らし、支配力

権勢欲の塊となります。

この型の人にとって社会のルールは自分自身であり、

自分に命令できるのは自分だけだと思い、かつ、そう言う自分は

正しいと思っている。社会性さえ学べば大物になる可能性があるのですが、

大抵の人は理想を追うことよりも人生を享楽的に生きることを優先している。

支配型の典型的な例です。

そして、こんな人にも、子供の時があり、社会との軋轢に苦しんだ時期が

必ずあるのです。

まず、親からは怪獣扱いされ、学校の先生からは除け者にされ、

学生時代は先輩と摩擦を起こし、そして仲間とつるみ始め、

腕力がつくと、今までの社会との関係が逆転していく。

身の回りへの支配が始まる。

これは実は女性も同じなのです。

クソ度胸の良さが大人としての背伸びを助長し、

様々な現象を起こしてしまう。

女性の場合、腕力で支配する人は割と少数派で、

腕力よりも色気と罵声で支配します。

これは、それぞれが持つ「型、パターン」の一例ですが、

このように人生が始まり、この流れ(パターン)の中で、

それぞれの人生が営まれていくのです。

業払い(祓い)2

人にはそれぞれ生まれながらに持って生まれた星があります。

これは洋の東西を問わず言われていることで、

その持って生まれた星がその人の価値観を決め

人生の選択肢を決定する重要な要素となります。

また、同時にその星はそのひとの環境とも同期し(同じ波長の環境を選ぶこと)

人間関係にも影響を与えているのです。

この持って生まれた星に季節の流れから導き出される大運、

その年に巡ってくる歳運、その月に巡る月の運が刺激を与え、

化学変化を起こし、その人の心が蠢(うごめ)く。

それが私が得た四柱推命による人と人の持つ運命の解釈です。

そのような目から、人の生き様を見ていくと、

本人は無意識ですが、

その人を動かしている価値観のパターンが見出されてくるのです。

いくつか紹介すると、

他人に対しての

支配型、依存型、快楽型、権威型、競争型、逃避型、夢見型、知性型、

破滅型、等々

があります。

例えば、逃避型の人は、仕事や学習がうまくいっているうちはいいのですが、

ちょっとした障害や、理解ができない問題に当たると、頑張っているフリを

するのですが、すぐに諦めて辞めててしまう。これに知性型が混じると、

「逃げ」のための実に合理的な理由をつける人もいます。

また、破滅型が混じると、すぐに絶望します。

進学、就職、職責、結婚等それぞれの人生の転換時期に、この運が巡ると

第一志望に受かったが、勉強の意欲がわかない。

希望の企業に就職できたが、苦手な部署に回された、

昇進したのだが、責任が重くなり、転職をする。

お付き合いの長い相手はいるのだが、結婚はしたくない。

このように他人から見ると、なんて贅沢な環境だと思われるのですが、

そこから逃げたい。が優先してしまい、実際逃げてしまう人が多い。

もちろん、必ずなるとは言いません。個体差が必ずあります。

その理由もわかっているのですが、ここでは述べません。

それぞれのパターンには正と負の面がありそれを決定する因子があります。

このように運勢というのは、自分の意思とは関係なく

パターン化された持って生まれた星の影響下での作用なのです。

そして、(ここからが大変重要なことです。)

人というのは他人と暮らさなければならない社会的な生き物だということです。

業祓い

「業ばらい」という言葉をご存知でしょうか。

よく宗教家の先生方が使う言葉で、

本人が前世から積んできた業が、洗い出されて、

本人の業が浄化される現象だ。と、これと似たようなことを

述べられております。

ごもっとも。

それじゃ、その人の業とは何よ?と

質問してみると、なかなか納得いく答えは

帰ってきません。

大抵は、主にインド哲学から回答を引き出してきます。

なんせカースト制なんてのはこの辺りが根拠になっていて、

どの職業の親に生まれるかによって、その親の職業の社会的な

階級が、そこに生まれた人物の人品だと

断定する考え方になります。

ということは、子供は親を選んで生まれてくることになりませんか?

その家に生まれる業を持っているから、その家に生まれたんだ。

と言われてしまう。

救いがありません。

そして、そこにお釈迦様が登場し、この理論を一気に打ち砕きます。

「人は生まれによって尊いのではなく、行いによって貴賎は決まるのだ。」と

当時の世界観からいうと、超革命的な物言いなのですが、

よく読んでください。彼は「業」を否定は、していない。

生まれは変えられないが、生まれた後の人生は生まれた家のレッテルとは

別物だと、宣言なされているのです。

実際はこの通りなのですが、社会構造自体がこれを受け入れない限り、

絵空事です。現代のインド、古い伝統のある国々から届く

悲惨な尊厳殺人やレイプなども、根は同じところにあるのでしょう。

しかし、幸いにもこの国は、国の根幹の法律である

憲法で平等が保障されています。

自らの行動により自らの貴賎を決めることができるはずですね。

そして、問題は、この貴賎の基準がわからない。

なぜ業が生じるのかわからない。

どうしたら業から解放されるのかがわからない。

もっと言うと、どうすれば幸せになれるのかがわからない。

このことを少しづつ考えていきましょう。

順逆のサイクル

教室で説明している順逆のサイクルですが、

少し補足しておきます。

例えば糸車があるとして、

順方向が糸を繰る(糸車に巻き取る)回し方だとしたら

逆は巻き取ったことを無しにしてしまう回し方です。

そうすると、

人が順のサイクルを回し、自他共に満たされた人生を送っていたとしても

もし、逆のサイクルを回せば、

それまで積み上げたものがゼロに変わることになりますね。

恋愛で結婚し、離婚する夫婦にありがちなパターンです。

しかし、逆に、

自分たちが逆のサイクルを回し始めていることに気づいたら、

即座に順のサイクルを回せば、逆のサイクルで現れ始めた、

怒りや、苛立ちや、わがままが消えていきます。

消えていくと言うのは大げさですが、失くすものの価値を

自覚し始めます。

苛立ちは簡単には消えません。

なぜかというと、この苛立ちの原因は、ものごころがつき始めた

子供が駄々をこねるのと全く同じ原因から来ているからです。

「それが「嫌」、自分の思うようにしたい。」

子供なら泣きわめくだけで済みますが、大人はそうはいかない。

何が、その嫌を言わせているのかも、分析することはできるのですが、

それは置いておいて、

冷静に考えれば、そう、大したことではないことからスイッチが入り、

大事(おおごと)に積み上げていき、

リアルな大事を創造していく。

ご本人たちは、なんとなく、そのことを理解しているのですが、

子供の心が、元に戻ることを許しません。

困ったものです。

吉田松陰にこんな言葉があります。

「今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて人と成りにし道を踏めかし。」

今の日本の、どの業界を見ても、他人任せで

嫌なことは全部誰かのせいで、責任を取らない、

幼心が蔓延しています。

都庁のエリート官僚集団が良い例です。

劣化する学校の先生がたの根っ子も同じところに

原因があると私は思っています。

いい年のオヤジやオバさんが幼心の持ち主じゃ、

カッコ悪くて、しょうもないじゃないですか。

せめて、身近な人の前だけ、職場だけでも大人でいましょう。

無理しながらでも順のサイクルを回し続けることです。

日々奮闘努力ですよ。


「フーテンの寅さん」は寅さん以外は

皆大人だったから成立した映画だということを

忘れてはいけません。





最後に、もし夫婦喧嘩をしたら、何かしらのユーモアの

タイミングを見つけて笑ってください。

お互いに気が残っているのなら、一気に緊張がゆるみ、

笑顔が戻ります。しかし、もし、

冗談がまったく効かなくなったら、一人で生きていくことを考え始め、

親がいるのなら相談してください。

心の不調2

心の病については基本的には

「木」の五行に関する問題として、鑑定していきます。

イメージしてください。

あなたは一本の樹木です。根っこは深いですか?

葉はたくさん茂っていますか?花は咲いていますか?

太陽の日は当たっていますか。水の潤いは足りていますか。

いっぺんに言っても仕方ない。

整理しましょう。

木(心、精神)にとって一番大切なものは、まずは水です。

それでは、心にとっての水って何だと思います?

他人からの愛情や好意などがその人の心を養い、

それが要因となり自分に自身や自尊心を身につけていきます。

つまり、人とのつながりによる喜怒哀楽、泣いたり笑ったり、

不機嫌になったりしながら他人とのおつきあいを学び、

自分の心を整理する方法を学んでいきます。

これが水の役割ですね。

(大事なことは多少の苦しみや、痛みが不可欠ということで、

これを回避してしまうと、結局、心の成長がどこかで止まってしまう。

時より見かけるモンスターペアレントとや猫っ可愛がりをする親が、

結局、我が子の成長を止めてしまったようなケースも

多々見うけられるのは如何ともしがたいです。)




それでは、晴天が長く続き、雨が降らず、水が枯れてくると、

木はどうなるでしょう。実は、

水が枯れる防御策として、葉を棘(トゲ)に変化させ始めるんです。

サボテンが代表です。体の中の水を蒸発させないために、

自らの体を変化させる。

理論が飛躍するように聞こえますが、東洋哲学には

天人合一という考え方があり、ミクロコスモス、

マクロコスモスと言われていて、宇宙と人間は同じ存在だという、

スケールの大きな話が信じられてきました。

私もそう思います。

話を戻します。

人の場合この現象が心を変化させていく。

心に棘が生まれ始める。

その棘は他人を側に寄せないための棘となります。

なぜかというと、他人のために喜怒哀楽なんてやってる

余裕が、すでに無くなっているからですね。

他人のことをかまうことに力を使ってしまうと、

自分の命が危うくなるからです。

実に自然な防衛反応です。

それでも他人(自分以外の人という意味。一番の他人は親かもしれません)

は他人と交われという。しんどいですね。

もう少し現状を分析しましょう。

今度は晴天続きの太陽って何?

なんだと思いますか?

太陽は樹木に照りつけ、強制的に水を蒸発させる。

これは内に貯めておかなければならない水までも

消費させてしまう。いわゆる出血多量の状態です。

現象としては、身の回のあらゆる事柄に対する意識が強制的に

強められているような心の使い方になり、

悪化すると疑心暗鬼、自縄自縛、時には幻聴、幻視のような

ことまでも起きてきます。

また、一度このサイクルができてしまうと、そこから

離脱するのがむずかしくなる。

じゃ、どうすればいいのよ?と、なりますね。

それが前に書いたこと。

出血多量であるならば、輸血すること。

まずは、体力を回復することが先決です。

しかし、ここにも幾つかの鍵がかかっていて、

それは、偏食、過食、拒食、が正常な栄養素の

摂取を阻害することにある。

ストレスがたまると、当たり前ですが、そのストレスを

一瞬でも忘れられるような、味覚や快楽に走ります。

それも全速力で走る。

ここに依存症と言われる現象が起きてくる。

だから、その人の状況に応じた処方箋を考えなければならない。

一つ一つその人に掛けられた運勢の罠の鍵を解錠する必要があるのです。

最後に、一つアドバイスがあります。

幸せそうな人を、妬(ねた)まないこと。

できるだけ、他人を傷つけないこと。

自分を大事にすること。

(自分を大事にすることというのは、先にも書いたように、

回復のための努力を惜しむな。という意味です。

残念ながら、人は一人で生まれ、去る時も一人で行かなければならない。

実に孤独で寂しい存在ですが、

この世に生を受けたもの全てが同じように、

セミも、猫も、犬も、牛も、馬も、カラスも、スズメも、

あなたの目の前にいるすべての命あるものは、同じく、

一人で生まれ、一人で去っていく。

もちろん私も同じです。

「生きている意味」なんてこと、考える必要はありません。

こんなことを考えること自体が、あなたを陥れるための運勢の罠です。

生きてるんだから、命尽きるまで生きればいい。

ただ、それだけですよ。人生は。

心の不調

仕事柄、心の病の悩みを聞くことがあります。

事情や、症状はそれぞれであり、原因がはっきりしている場合は

それに準じた助言をするのですが、

共通のアドバイスがあります。

1、食事。偏食を少なくする献立。

2、呼吸法。

呼吸法については独自のものがあるのですが、普通のものでも代用可です。

要点は1から9まで数をゆっくり数えながら、

吐く息と、吸う息のリズムを長くしていくことにあります。

注意として、普段の生活自体がそうなっていると思うのですが、

心が緊張の連続にさらされると、必ず背中の

肩甲骨の間に大きなハリが生じ、

時間が経つほど「怒りの感情」として

肉体にそれが現れます。ここをほぐすことから

始めてください。できれば、身内の方に事情を話して、

ふわふわになるまでマッサージをしてもらうこと。

拒食症が伴い、骨と皮になっていたとしても

見えない形でここに懲(こ)りができています。

ゴリゴリせずに優しく手を当ててもらい、時々

(手のぬくもりを懲りに通すイメージです。)

マッサージをするようにしてみてください。

(女性の場合はこれに仙骨の手当て(背中と同じです。)を加えてください。)

このマッサージの目安は、本人の息がゆっくりと深くなり、

なんとなく安心感が生じるようになること。

食事がおいしく食べられるようになること。

おしゃれや運動をしてみたくなること。

これを1セットとし、少しづつ数を増やしていってください。

心が安定してきたら、次の段階のアドバイスに移ります。

案ずるより産むが易し。

実行してみてください。

自分をいじめるのをやめて、さんざん頑張ってきたのだから、

とりあえず元気が戻るまで、頑張るのを休止する。

そんな時期があっていいと私は思います。

順逆のサイクル

現在、入門クラスから「順逆のサイクル」の解説をしています。

これは実は、東洋哲学に興味のある方なら

誰でもが知っていることなのですが、

その深淵にある重層的な意味を解説したものは

ありません。

私が編み上げた理論です。

とても大事な理論です。

そして、このことが理解できれば、宗教や

倫理などの建前論はいらなくなります。

幸福を得たければ、ただ、順のサイクルを回し続ければ、

間違いなく幸福を得られます。

別に普通でいいのであれば今のままでいいのです。

また、時々起きるトラブルを回避したり、解決したいのであれば、

逆のサイクルを止めることさえすれば、

トラブルは必ず止まります。けれども、

逆のサイクルを止めずに、場当たりで解決しようとしても

必ずしこりが残り、先々また同じことが起きる。

ただそれだけなのです。

幸福論

絶対的幸福と相対的幸福

ざっくりと考えてみてください。

絶対的な幸福って、いわゆる精神世界で言うところの

意識の段階のことで、(「意識のスペクトル」という有名な本があります。)

精神の成長の過程、時には肉体が滅びても、

その境地の住人として意思を持ち続ける境地、例えば、

菩薩や、聖人や、ブッダと名付けられた人たちの境地。

その道を歩み、うまくいけば、そこに達することができるかもしれない。

完結は見えにくいが、夢のある生き方です。

次に、

相対的幸福、

社会の一員として、地に足をつけ、自分の居場所があり、

個人としてなすべきことをなし、すべからざることをせず、

一緒に泣いたり笑ったりできる仲間がいて、家族がいて、

臨終の時に、何の後悔もなく、満足できる人生だったと言えるかどうか。

そんなこと簡単だという人もいると思うのですが、

これは、血縁も含めて自分以外の「他」の人との関係性の上で決まるものです。

親も子供も配偶者も自他の関係で言えば「他」にあたります。

この自他の関係に後悔がなく、自責の念もなく、良心の呵責もない、

言うは易く行うは難し。こう書くと至難の技ですが、

実は結構、普通に我々が行っていることです。

言い方を変えれば、真面目に生きている人。

気づいていないかもしれませんが、我々は。

実はこんなに難しいことをこなして毎日を生きています。

そして、時々、しくじって、傷ついたり、傷つけたりして、

泣いたり、笑ったりして、リカバーしている。

すごいことです。



スピリチュアルな人生に興味を持つ方の多くは

絶対的な幸福を求める方たちでしょう。

もちろん不思議大好きさんもいると思うし、

単なる好奇心という方もいると思います。

さあここで問題です。壊れやすい、

危うい幸福はどっちでしょうか?

簡単ですね。

絶対的な幸福の方です。

基本、絶対的幸福を証明した人はいません。

もちろん伝説ではいます。

また、暗示でそんな感じになる人もいます。

でも、それが長続きしないのはなぜでしょうか?

なんとかかんとか、なんとかかんとかと言っている

その道の代表者の多くがドロドロの人間関係で薄汚れ、

その人がいなくなると、これも見事なまでの跡目争い、

権力闘争をしでかしている。

彼らの唱える究極の幸福論と似ても似つかない。

強力な個性とカリスマ性、本人の堅固すぎる信心を

シェアーし他人を巻き込み、幻想を与え共有し扇動する。

「こっちにおいで、幸せにしてあげる。」

こんな感じでしょうか。

ただ、ここでキツイことを言わねばならないのですが、

一つには彼らに、すがりつくことで幸せを得ようと考える

人達がいること。

また、この人たちの多くが、相対的な幸福を得ることが

苦手だということです。人と生きるのが苦手。苦手なんです。

だから、似た者同士が集まる、そんな感じのところは居心地がいいんです。

人の価値観の問題です。

幸福論自体にも棲み分けと区別が必要ということでしょう。

スピリチュアル 

本当によく見かけるのですが、本屋さんなんかでも、

自分に一番合っているスピリチュアルな方法は何かしら?

迷っているなら、一番お金のかからない方法から、

やってみることです。かたっぱしからやってみること。

その中でも一番やりやすいのは「言霊」改善。

自分が普段使っているネガティヴワードを、まずはチェック。

自分の心の中にいる「つぶやきくん」に、

コンニチハ、ご機嫌いかが(*゚ェ゚*)と

問いかけてみること。

基本、お金のかかるセミナー、

これ主催者にとっては、お商売です。

結局、やるやらないは自己責任となる。

色々と見ているのですが、参加者の方にも問題があり、

セミナーの主催者にすがりつく、

呪文を唱えれば幸せがやってくる的な発想、

この人を信じれば幸せになれる。

きっとこの人が幸せにしてくれるに違いない等の

「他力本願タイプ」

これが自分の人生に対する基本的な態度になっていて、

本筋の努力を拒否している人が、たまにいます。

人生、そんなに甘くないですよねー。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、恨んだりしながら、

コツコツを毎日を積み重ねているというのが、

我々人間です。自分の足で、立って、前に進む。

勇気をくれる人や、背中を支えてくれる人もまた

自分で見つけるしかありません。

もし、最初から不幸の中に生まれていたとしたら、

もがいて、傷ついて、それでも、もがいた時

うまくいけば扉が開かれる。その時得たものを大事にできれば、

今度は光が現れる。

ただ、これも「希望」を持つことができた人にだけ

起きる現象です。

なぜかというと、希望がなければ扉が開いても、

そこに何が起きているかが理解できないので、

その扉をくぐることができません。

絶望の淵にいる人に希望を持てということほど、

残酷なことはありません。

だからこそ「希望」を持つことが本当は一番、難しい。

でも、持ってください。

自分で持つのは嫌だけど、

お前に言われたなら、しょうがない、持ってみるかと

開き直ってくれると嬉しいんですが。

本科クラス

多少の推命学の知識のある方は本科クラスから

勉強を始めるのが良いかもしれません。

結構たくさん専門書も読んで、干合や冲、

三合、方合は覚えた。でも意味がわからない。

どこから見たらその人の性質が見えてくるのか?

等々。

四柱推命はわかる情報が少ないので西洋占星術や

紫微の方が上だとか。とか。とか。

多分そう言ってしまうのも本格的な四柱推命に

出会ったことがないからかもしれません。

私の教える推命術は80パーセントまでは

当たりますが、ただそれは、その人が自分の

人生に疑問を持たず、星のなすがままに生きてきた人に限ります。

お分かりでしょうか。


プロとして活躍している生徒さんは、ほとんど

星の解釈に関しては問題なく、ただ、

その伝え方に、かなりの努力を費やしています。

だいたい3年間、個人授業で月に2回

しっかりと続けることができれば

どの鑑定所で働いても、人気は別にして、

トップの実力者として評価してもらえるようです。

プロを目指さない方にとっては、古代から延々と続く

陰陽五行と易の思想が人生にどのように関わるのか、

その深遠な世界が目の前に開かれるかもしれません。

そのように教えているつもりです。


ここまでが8月9日に書いた本科講座へのお誘いです。

私のごく最近の心境で書きました。

プロとして第一線で現役の生徒さんが活躍してくれています。

それも、人気と実力を兼ね備えた占い師さんとして

仲間の占い師さんから相談されるほど、人間的にも

実力的にも、信用されているそうです。

実に嬉しくありがたいことです。

「人の棘を抜くことが自分の棘を抜くことだよ。」と

先生が教えられた通りです。

ご縁のある方は、一緒に推命学を我がものとしましょう。

メールにてお問い合わせください。

(メール鑑定用フォームでかまいません)

青春 恋愛3

なぜ恋愛をするのか?

そんなことを考えたことはありますか?

答えは見つからないでしょう。

まあ、若者であれば、子孫を残すための動物としての本能、

種の保存のためだと、とってつけた答えを出すでしょう。

でもね、

誰かに「好きだよ、愛しているよ」と言われ時

それは自分を支える言葉に変わるんです。

「自分でもいいんだ」と誰かに認められる

そんな瞬間でもあるんです。

だから、傷のある子が大人になって、

それを言われると、その人が、かけがいのない

とても大事な人に思えてしまう。


どんなにダメなやつかとわかっていても

心は、そいつの元に転がり落ちます。


ここが難しい。

もし、大人の方で、何度もこれを繰り返していたとしたら、

先ずは、あなたを承認してくれる大人を探すことです。

本当の意味で心の渇きが癒されれば、悪い恋愛癖は

消えていくでしょう。

青春 恋愛2

「愛してるなら言うこと聞いて。」

なかなか良いフレーズです。

もう一丁。

「俺、夢があるんだ。」

さあ。きたぞーと経験豊富な女性なら、

腹を抱えて笑い始めると思うのですが、

なんとなく信じてみたい女子も多いのでは。

それじゃ、アンタ、それを実現するための努力してるんかい?

となるのですが、いかんせん、ころっと、彼氏に同期してしまう。

これね、推命では「傷官」の星と言って、

「心の中にあるものをしまっておけない星」なんです。

特に現実から逃げたい人は、

「夢」と言って現実逃避の根拠にするんですよ。

本人は「俺は他人と違うんだ、俺には夢があるんだ」と

プライドだけは人一倍強い。

「でも、そんな奴でも好きになったんだから、

仕方ないじゃない。」

その通り。

「愛」はお互いに譲るものだと先に書きましたが、

どうしましょ。

まあ、焦らずに、

もし、彼が生活力がない夢追い人なら

生活を支える必要がありますね。

重い、重い、そんな男はいらんわい。と思えるなら

それでお話は終わります。

まあ、そうゆう男は、生活力のあるお姉様がたに

お任せするのが一番です。

ギブアンドテイクの良い関係になる場合もある。

それでも別れられないというのなら、

あなたが強くなるしかない。

持って生まれたものが強い場合は

頑張れと応援しますが、

それほどの強さを持っていない時は

もって3年です。

なんで?と思われるかもしれないが、

人は、どうしても生きることに関しては自己本位で

強い人はパートナーを、身内と認識して頑張れるのですが

弱い人は自分以外は他人という認識になるのです

そこに多少の快楽なり、喜びがあっても足りず、

結局逃げます。男女とも同じですね。

男性の場合は仕事と家庭から逃げます。

ひえ〜。どうすればいいのよ。この私。

まずは最初からでしょう。

くっつく相手を選ぶこと。

男運の悪い女子の一番の特徴は

何やらご自分に、必要のないコンプレックスを抱え込み

なぜか、感情の起伏の激しい相手に自分を写し込み

自分勝手の共感を相手にしてしまう。

身近に、そんな人、いませんか?

まず、必要のないコンプレックスと書きましたが、

コンプレックのない人間はいないんです。

それが自分の親のことであっても、

親は親、自分は自分と区別すること。

あなたの頭は、親の頭ではない。

自分で考え、自分で行動できる肉体を

持っている。でも、親と暮らしてきた

生活習慣や、ものの考え方に癖があるのは

確かです。

そんなもの変えりゃ、いいんですよ。

自分を見つめる時間を作ることから始めましょうよ。

かっこよく言うと、毎日「瞑想の時間」を作ることです。

「あたし、最近瞑想のはまっててさ、」なんて言うと、

まさか、変な宗教にはまったんとちゃう?

と言われるでしょう。傷官の星を持っていても

自分のことは内緒にしてください。

運が悪いということは、良いことをしようとすると

必ず妨害が入るから。それが理由です。

良くなろうとすると、妨害される。

子供の時からの癖になっているはずです。

例えば、

一番楽しみにしていたお祭りの前日に風邪をひいた。

親と約束して買ってもらえるはずだった、

すごいプレゼントの日の直前、親と大喧嘩してダメになった。

等々

ここぞという時にトラブルが起きる。

受験の前日に高熱なんてこともよくあることです。

いいですか、運というのは自分で作り出すものですが

それは自分を客観的に見ることができる人が

一番上手にそれをやっているんですよ。

彼らは日常の細かい修正が上手なんです。

修正って何を修正するの。ちゃんと書かなきゃわかんないわよ。

その通り。

まず、心の中で会話していますよね。

「どうせ私なんか」とか、「何で私ばかり」とか

「すげー筋肉、ハグされて〜」とかその他いろいろ。

まあ、結構、えげつないことを言っているはずです。

「ジジイ、ハゲ、デブ、クソ、ババア、死ね」と

学校の先生や親に心の中でつぶやいていませか?

(あっ、親には口に出して言ってるか。これは失礼。)

すると、その心の言葉は態度に自然に現れてしまう。

その期間が長ければ今度は表情に表れる。

これが人相の根拠になっている。(手相なんてのも同じです。)

口角が下がり口がいつの間にかへの字になってくると

これはなかなかの代物です。ここで朗報です。

賢い方は既に気付いていると思いますが、逆に、

日常の心の会話がプラス思考だと、

結局美人さんになれるということなんです。

持って生まれた顔のパーツはそれぞれですが

そこから湧き出る印象は、とてつもない美人さんです。

パーツが美形でも、印象の悪い人、いますよね。

腹の中がグッチョグチョということです。

人はそれを隠せません。

じゃどうすればいいのよと思う方は

我が家のホームページに「十善行」と

あるところを読んでください。

言っておきますが、

おじさん(私のことね)宗教は研究しても

宗教には関心ないので。

言い方悪いね、

神仏は尊べど近寄らず。 by宮本武蔵  

そうそう

「僕にも夢があるんだ。」と

我々のようなジジイやババアが言っていたとしたら

50を半ば過ぎて夢のどうのこういうのは馬鹿げている。

なすべきことをなし、道半ばであっても、もう下がらないという確信が持てれば

夢を叶えたということです。

あ、また言葉が足りない。

「旅行でパリに行くのが夢よ」

なんていうのはここで言っている夢とは違いますからね。

人生の目標というか、こうありたいという野望のようなもののことです。

地に足をつけて目標に向かって歩むこと。その方向のことと言えばいいかな。

家庭を持ち、子供を育て、一人前にして、かわいいおばあちゃんになって

おじいちゃんと手をつないでお散歩するんだ。

これを叶えるための時間と努力を考えると。本当に壮大で、実に立派な夢だと思うのは

私だけでしょうか。

頑張れ、若者。

心境の変化

ここ数日、次の世代へのメッセージを残さなければと

思い立ち、少々、ぶっ飛びながら文章を書いています。

未来のある若い子たちのことを考えながら書くのは楽しいですね。

文体はめちゃくちゃですが学生の頃に戻った気分で書いています。

まあ、そうゆうことなのでご容赦ください。

スピンオフ

ここ最近、通変星大論2を書いているのですが、

考えているうちに、なんとも

スピンオフ的なものが浮かんできて、

結構楽しんでいます。例えば、

人の脳は最高に使っている人でも

その3から5パーセント程度だとのことですが

その3から5パーセントが運勢の支配領域だとしたら

残りの95パーセント以上が本人の意思による

自由領域であり、持って生まれた「運勢」以上の可能性を、

誰もが秘めているはずなのに、何も知らずに、

死を迎えた場合結局95パーセント以上の可能性を無駄に

捨てていることになるのではないのか?

なんて、モッタイナイことなんだ。

いわんや自殺おや。

と言うことは、まてよ、それでは亡者というのは結局

自分を成長させる重要アイテムである

「脳」がないのだから、

結局、死んだ時点で肉体による、あらゆる成長は停止し、

その時点の記憶だけが残るということなのか?




人にとって死は絶対なものです。

そして、死についてはあまり情報がない。

これが宗教に弄(もてあそ)ばれる理由です。

後悔のない生を送る。

今の我々にできることは、ただこれだけでしょう。

通変星大論2 抜粋

通変星大論2

通編成の多重構造について

木生火 火生土 土生金 金生水 水生木 これが五行の相生のパターンです

木剋土 土剋水 水剋火 火剋金 金剋木 これが五行の相剋のパターンです

さらに「基準になる五行」を決めた時、その五行が生じる五行を「傷官、食神」と名付け

さらに「食神、傷官」が生じるものを「妻財、偏財」と名付け、これが生じるものを

「正官、偏官」と呼び、これが生じる通変星を「印綬、偏印」と呼び、それが生じるものを

「比肩、劫財」と呼びます。

実はこの「比肩、劫財」が基準点として決めた最初の五行を示すものとなります。つまりこれは

五行の相生のパターンを別の言葉で表現したものに過ぎず、

同一五行の陰陽それぞれに個別の名称をつけたもので合計の10の単語となったものです。

同様なことが相剋のパターンにも言うことができ、

「比肩 劫財」は「正財、偏財」を剋し、「傷官、食神」は「正官、偏官」を剋し、

「正官、偏官」は「比肩、劫財」を剋し、「印綬、偏印」は「食神、傷官」を剋します。

この通変星はどの五行を基準としても同様のパターンを繰り返します。

ここまでは基本中の基本とし、どのレベルの本にも書かれいます。


次に、それぞれの意味について考えます。

四柱推命ではその基準を日干としますので、これを我身日干と呼びます。

(例えば生まれ日が甲ならば、甲がその人自身の基盤(基準)になる星となります。時折このことを無視して、基準となる星をあちこちに設定し、訳のわからなくなっている方が見受けられます。)


比肩、劫財は基準となる五行と同じ五行となり、人物で言えば肉親、同僚となります。私が教室で教えている時は自分と目線が同じ人達と説明しています。
次に傷官 食神ですが、自分自身が生み出す星と書いてきましたが、実はこれは自分自身を表現するときに漏れるエネルギーのことで所謂「気」を漏らすという意味で「漏気の星」と称します。一般的には自分を表現するので芸術家の星などと言われていますが、芸術のなんたるかを問わない軽薄な言い回しだと私には思われます。

自分のエネルギーを漏らす(活動する)という意味に解釈すると日常のあらゆることがこの星によって表現できます。原命式にこの星が現れようが無かろうが、人は活動し、それこそが表現そのものとなるのです。それでは原命式についている時、どのような意味があるのか?と思われると思います。それは実は原命式というのは、そのかたの持って生まれた情報が年月日時の五行と同期した時、書き込まれたものなのです。言い方を変えれば、その人の持つ情報と同期できる日にしかこの世に生まれてこられないということなのです。それゆえに最初から原命式の中にこの星があるということは、その人の特徴として、この星の傾向が強く現れるという意味となります。
この星を持たずに生まれてきた人よりも自己アピールが強い傾向がある。また、短絡的にこの星を利用しやすいということなのです。(星を使うという概念は一般的にはありませんが、実はこのことがとても大事で、人は自分では知らずのうちに、自分の持って生まれた星を使っているのです。)

次に妻財

傷官 食神が生み出す星ですが、先に書いた観点から言えば人が世間に出て働いて得た結果が妻財となるわけであり、実に当たり前のことなのではないのでしょうか。
.....................................................







どこかに我が物顔で自分が考えた理論のように、こちらのオリジナルを写している輩がいるようで、さらに、それをネタに他の推命家を攻撃しているとの話があり、公開していいものか、どうか迷ったのですが、待っている人達が居るようなので一部だけ公開しておきます。

知的財産でも偸盗は偸盗です。播いた種は必ず自分で刈り取ることになる。怖くて嫌な話ですが、捩れた情報はかえって人を傷つけてしまう。心当たりのある方はご注意ください。

「実るほど こうべを垂れる稲穂かな」との諺もあります。他流派の方で泰山流の推命に興味のある方は緒方先生も現役で教えていらっしゃいます。さらに今まで学んできた推命術に磨きがかかるはずです。是非、そちらをお尋ねください。

通変星論より

先回通変星についての解釈を書きましたが、

いくつか気付いて欲しいことがあります。

その中の一つに、五行の相克のみで判断をすると

大火傷を負うということなのです。

実例でいうと、これは気学の初学者の話です。

ご主人が会社を経営し、奥さんも役員で割と

安定した経営をしていたのですが、

この奥さんがどこかで気学を習い始めて、

止せばいいのに、従業員とご主人との関係を

本命星の勝ち負け、つまりご主人の星が勝てるか

負けるかで人事に口を出し、

会社自体が大混乱し優秀な社員さんが

何人も辞めていったとのことです。

生兵法は大怪我のもと。どうにもなりません。

五行の廻りというのは、星に勝ち負けがあるゆえに、

それを「結び、調和」させる星があるのです。

それが通変星の大事な概念の一つとなります。

五行の相性相克は単純ですが、その深奥にあるものを

手に入れなければ、役に立たないばかりでなく、

他人を傷つける毒になることを肝に銘じてください。

五行の毒を知り、毒を薬にする方法を得、

それを使えるようになることです。

健闘を祈ります。

大極論より

大極論を別枠に書いているのですが、少し、違う角度から

みていきます。

まず太極 両義、四象、八卦、万象と

先には解説しましたがわかりましたか?

太極はおおもと、両義は陰陽、

太極がわからなくても陰陽はわかると思います。

具体的には(五行で言えば)

   陰は金水 金を源とする水が象徴です

   陽は木火 木を源とする火が象徴です

(そしてそれぞれに陰陽がある。それを、それぞれの十干の陰陽と考えていただければ良いと思います。)

ところが、火と水では、爆発して、ものの体をなさない。

そこで考えられたものが、それぞれの「器」となるべき要素である

土の概念です。

水と火の活動を停止させるものと考えると

解りやすいと思います。

先天八卦は天の理 後天八卦は地の理と言いますが

後天八卦の盤をよく見て欲しいのですが、

数字で言えば九紫火星、四緑木星、三碧木星の木火の

グループと七赤金星、六白金星、一白水星の金水の

間に二黒土星、五黄土星、八白土星が大きな関として存在しています。

九星では土を知ることが奥義と言いますが

土の本来の意味はここにあります。

また十干と十二支の差についても、ここにそれを解釈する

大きなヒントが隠されており、簡単に言うなら

人の心は十干の在り方をし、

体は十二支の在り方をしている。

つまり人の体は土塊(無機質や有機質や水分)たる器に

十干の精神が宿った生物であるということです。

そして天干に土の性質がなくても

誰もが、この土の性質を多かれ少なかれ持って

生まれているのです。


欲心は恥ずべきことではありませんが行き過ぎると

多くのものを壊してしまう。

他人の痛みを知り

ただ、慎むべきものなのでしょうね。

他人の痛みを知るという教育が世界中でされていないのかもしれません。




他人の痛みより、自分の痛みを知らしめしたい人達は

インテリは他人の痛みを騙って人を傷つけ、

そうで無い者は自分の痛みのために人を傷つける。

テロの一つの構図です。

十善業より抜粋

自分は運が悪いと自覚があるとすれば

その人は自分を客観的に見る事が出来る人で

こころの「癖」を、おぼろげにでも自覚しています。

そして、自分に自信を持てる生き方を諦めている人が多い。

そうなると、その人に、一番大事なことは

そこから飛び出す「勇気」をもつ事になります。

毎日欠かさず眺める鏡に「勇気」と書いてみて下さい。

そして、良い業を積んで下さい。


自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これは、しょうがないことです。

かつて、今は記憶の切れ端も無いけれども

こころに刻まれている、まぎれも無い

過去の行為の証(あかし)なんですから、

自分が生まれた環境もまた「その結果」だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

まず、このこと(因果)を自覚しそれを受け入れる事。

そして、受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなした業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じるからです。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は意図すれば瞬時に、豊かに、満たされ、巨大に

充実し、さらに時により熟成されることができます。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

強い運勢の人へ

強い運勢を生まれながらにお持ちの方を

多くの人は羨ましいと思います。

人一倍努力ができ、人一倍責任感があり、

身内や仲間を大事にし、友達も多く、

何度も、課せられた目標を達成してきた。

素晴らしい人生です。

さて、ここからが問題なのですが、

いったいそのために何を捨てて、

何を得てきたのでしょう?

多くの場合、男女共、家庭を捨てて仕事を取り、

成功によって得られた達成感は強い自尊心を生み、

結構身近な他人(友人や同級生、親戚縁者等々)と

自分を比べ優越感に浸ります。

「比べる」と書きましたが、実を言うと、人生が始まった、

最初から、弱い奴、努力ができない奴、失敗を繰り返す奴に対して

見下す癖が育まれていきます。

日本人はこの辺りを割と曖昧にするのですが、

内心は変わりません。

多かれ少なかれ成功者と呼ばれている人の心のあり方です。

ところが人は老い、時とともに自分を支えてくれていた

運勢が流れ、傷ついたとき、自分が見下していた人たちと

同じ境遇に必ず落ちてしまう。

特に晩年でこの現象が起きると「孤独」が

そこに待機しています。

あらゆる人はこの人生に「課題」を抱えて生まれてきています。

例えば「目先の快楽に溺れないこと」「自立すること」

「後先を考えた生き方をする」「他人の伴侶を盗まない」

「短気を起こさないこと」等々、数え上げればきりがありません。

(そのうち整理しようと思っています。)

人は命が潰えるまで、他人の中で生きなければなりません。

自他は不即不離なのです。

(この辺りは大極論、八卦論ですでに書いています)

その上で、自分だけが優秀と思い込むことは、どれだけ

無意味なことかが理解できるのではないのでしょうか?

人生、最後まで円満な人間関係の中であの世に行けたものが

やはり一番の成功者なのかもしれません。

身に覚えのある方は、「大きなお世話よ」ではなく

今からでも良いお友達を他人や家族の中に作ってみては

いかがでしょうか。

是非とも孤独な晩年を回避してください。

(あまり知られていませんが「家族」が一番の敵という方も大勢いるんですよ。)

四柱推命

四柱推命の構造は簡単に説明すると

原命式の変化を表す縦軸と時間を表す横軸による

チャート(海図)のようなものです。

一般的には原命式は変化のない固定された

絶対的なものとの概念がありますが、私の経験では

それは間違っています。

十干は成長したり、劣化したりする生き物であり

その本質は変わりませんが、確実に変化するものなのです。

「横軸である時間軸」というと難しく聞こえますが、

これは、その人が人生の中で得る喜怒哀楽の体験であり、

知らずに演じている悲喜劇の記憶なのです。

そしてこの経験を意識し、そこから学ぶことができれば

おのずと、次の場面での選択肢が変わってきます。

これが「気づき」です。このことを

「経験から学んだた知恵」という方もいるでしょう。

私は、このことこそが万物の霊長と言われている人間の最も

尊い特性だと思うのですが、

時に、推命学を学んでいる方の中にさえ

運勢は確定していると思い込んでいる人がいるのが

残念でなりません。

そして、この縦軸としての原命式の変化を見切ることこそが

運勢鑑定の重要なポイントになるのです。

おごり

中国アリババソフトバンクグループ取締役

ジャック.マー氏 1964年9月10日 

続きは元命式の研究で。

仏教

ダライ・ラマという方は、やはり凄い方ですね。

本物の本物はこのようなのでしょうね。

ダライ・ラマ法王 法話

今年の5月、つい先日開かれた広島でのイベントが無料で公開されています。

法話の中では、普通の人は言いにくいことをハッキリとおっしゃっています。

「鈍い知性」

仏教にファンタジーを求めている方には実に厳しい表現です。

分析検討し正しいと認められた時受け入れる。

この辺りは推命も同じですね。

亡羊の嘆

通変を説いてその善悪を知らず

格局を説いてその軽重の意味を知らず

星を他人事(ひとごと)として弄ぶ。

嗚呼、嘆かざるかな。

再び楼蘭の塔頭のごとく消えゆくか。

四柱推命

2016年4月現在の推命術に対する私の感想です。


四柱推命術は一般的には「占い」に分類されています。

しかしあまり言いたくないのですが、その汎用性は高く

人の成す様々な心理、感情、情動、行動の原因を解明し

同時にその解法を展開することができるものなのです。

循環と対立という無始の昔より変わらぬ

「生命の求める動き」と

因果律という定理の上に繰り返される現象

その実は、ものすごく単純なのですが、

この単純さが複雑に絡み合い人の心に喜怒哀楽を

生み出している。

「当てる」ための推命の究理がそのまま「生きる」ための究理として

応用できることをご理解ください。


これが本来の推命術なのかどうかは私の知るところではありませんが、

これを学ぶことが、人生に多大な資糧を与えてくれることに

間違いはないようです。

地震2

1943年9月10日 17時36分 鳥取地震 死者1083名

    丁 辛 辛 癸
    酉 未 酉 未








1944年12月7日  13時36分  東南海地震 死者行方不明者1223名

    癸 乙 丙 甲
    未 巳 子 申






1946年 12月21日 4時19分 南海地震 死者行方不明者1443名

    丙 己 庚 丙
    寅 巳 子 戌







1995年 1月17日  5時46分53秒 阪神淡路大震災 死者行方不明者6437名


     乙 戊 丁 甲
     卯 申 丑 戌







2004年 10月23日 17時56分 新潟中越地震 死者68名


     乙 乙 甲 甲
     酉 亥 戌 申







2011年 3月11日 14時46分 東日本大震災 死者行方不明者 約1万9千名


     癸 乙 辛 辛
     未 丑 卯 卯







2016年 4月14日 21時26分 熊本地震


     己 丙 壬 丙
     亥 寅 辰 申






2016年 4月16日 1時25分 本震

     癸 戊 壬 丙
     丑 辰 辰 申

地震1

1889年 7月28日23時45分 熊本地震 M6.3 死者20人

    丙 庚 辛 己
    子 寅 未 巳





1891年 10月28日6時38分50秒 濃尾地震M8.0死者行方不明者7273名

    癸 丁 戊 辛
    卯 亥 戌 卯
   
    




1894年 6月20日 14時4分 明治東京地震 M7.0 死者31人

    己 癸 庚 甲
    未 巳 午 午






1894年 10月22日 17時35分35秒 庄内地震 死者726名

    己 丁 甲 甲
    酉 酉 戌 午






1896年 6月15日 19時32分30秒 明治三陸地震 死者行方不明者21959名

    甲 己 甲 丙
    戌 亥 午 申





1923年 9月1日 11時58分 関東大震災 死者行方不明者 10万5385名

    丙 丁 庚 癸
    午 丑 申 亥





1928年 3月7日 18時27分 39秒 北丹後地震 死者2925名

    辛 丙 乙 戊
    卯 午 卯 辰






1933年 3月3日 午前2時30分 昭和三陸沖地震 死者行方不明者3064名

    癸 戊 甲 癸
    丑 辰 寅 酉





  

その2

どうでしょうか?

結局、運を悪くしているのは自分自身だと、

なんとなく思い始めることができてきたでしょうか?

誰もが、持って生まれた星のもと、その人特有の

「運」を持って生まれています。

そして、あまり知られていない、とても重要な事実があります。

それは「運」は育てることが可能だということなのです。

考えてみてください、今不運に見舞われていると思っている人は

必ず、不運になる選択をしているはずです。

特にそれは好き嫌いに現れ、自分に都合の良い方を選んで

ドツボに落ちているのではないのでしょうか?

それでは、どうすれば、今ある運を育てられるのか?

それには先ず、運を壊さないことから始めるしかありません。

三途の川の石積みでは、どうしようもない。

どこかに書いた覚えがあるのですが、

自分に悪さをする最悪の生霊は自分自身であり、

それが、積んできた石を崩してしまう。

このことを確りと認識することが、自分を見つめる

第一歩になります。

これができれば運勢鑑定を受ける必要はありません。

心の中にいる鬼はどうしましょう?

(鬼とは運を壊す生霊、すなわち自分自身の内にある怒り、嫉妬、傲慢、執着等々のことですね。)

それには、その対象の相手を

認めてあげて、できれば、さらに敬意を抱くこと。

「相手が、そうしたら、自分もそうする。」

これが普通の会話でしょうが、絶対に、そんなことは起きません。

運の正体に気づいたものが先にするしかない。

そのための忍耐、そして努力です。



私の知人に面白い人がいて、ついこの間も、ある温泉の懸賞くじで1等と3等の「くじ」に当たったそうです。景品は19型の最新テレビと、高級電気毛布だったそうです。私が見るところ彼の口癖は、問題のある人に出会うと「あの人悪い人じゃないんだけどね....。」といつもつぶやいています。また、同僚たちが誰かの皮肉や悪口を言いはじめると、すぐに側を離れるとのことです。どうして?と聞くと、自分はボートと競輪が好きで(どちらも公営ギャンブルです)どうも他人の悪口を言った時は負け、そうでない時は元は戻ってくるような気がすると言っていました。面白いですね。これは屁理屈ではなく経験則です。皆さんも誰かに腹が立った時は、とりあえず「きっと元々はは悪い人ではないんだけど、なんかで、ひねちゃったんだよね。」で止めてみてください。彼のようにツキが戻ってくるかもしれません。


それと、言い忘れましたが、かく言う私も嫉妬深く、すぐ怒り、暗く物事を受け取る、やな奴でした。今もその傾向は残っています。ただ、この仕事をすると決めてから、共に喜ぶ心を養おうと、喜心の雅号にいたしました。私の覚悟のようなものです。そして、無銭飲食のお客さんにも忍耐し、それが解っていても頑張れと励まし(鑑定料を払うか払わないのかくらいはわかるのです)、
奈落に落ちるのを止めるため方便を使えば返って怒号を浴び(それも織り込み済みなのですが、正直きつい仕事です。)、それでも、時々は感謝され、なんとなく人に貢献できてるなと自己満足の酒に酔い、毎日がこれの繰り返しです(お酒を切らさないための口実なのかもしれませんが....。)。それでも、流した涙と血と汗のおかげで皮肉や愚痴や、他人や自分をいじめる人生は終わったと確信しています。もし今、苦しみに喘いでいるのなら、時間はかかりますが、その苦しみを捨て去る道を求めるのなら、試しに、私どもの推命術と気功術を学ぶのも、その一法かもしれません。

幸せになりたいと思っている人へ

「成功したい」「幸せをつかみたい。」

開運グッズや開運旅行、お部屋の模様替えなど

趣味と実益を兼ねて、楽しみながら幸せになる

ことはできないかしら?

今年のラッキーカラーは何色なの?等々

巷には、「楽しい」開運関連の話題が多々あるのですが、

私が運勢の話をすると、どうしても、暗く、

聞きたくない、嫌な話になりやすい。

でも、こればかりはしょうがない。

医者が生活習慣病の患者さんに、

好きなだけお酒も甘いものも構いませんと

良い顔をすれば結局、その人の寿命を縮めることになります。

でもまあ、自分の欠点は見たくないというのは人情です。

そこで、開運、願望成就の心得を考えてみたいと思います。

要訣は3つ。

1、野心(目標)

2、根気(執念)

3、徳 (人の助け)


1、 野心ですが、希望、目標をもつ意味で、

  まずは「野心」を持つことです。

  「少年よ大志を抱け」でもいいのですが、荒々しく、

  激しい情熱が伴う「野心」という言葉の方が良いでしょう。

   
   

2、根気

   自分は根気さえあれば、今頃は違う人生を歩んでいたはずなのに.....。

   根気がなければ、幸せを持ち上げることができない。

   そうなんです。幸福には形と重さがあるのです。 

   大きな幸せが欲しければ、それを持ち上げる

   大きな力が必要なのです。 

   根気強く、力を練磨する忍耐力が大切ですね。

   
3、徳

   目標を持ち、ものすごい努力家でも、嫌味な奴で、

   怒りっぽく、傲慢で、嫉妬深く、頑固で

   嘘つきで他人を見下す奴は、嫌われます。

   いったい誰がその人に協力するでしょうか?

   目標を持ち、努力家で、腰が低く、他人を大事にし、

   義理堅く、約束を守る。それを続ければその人に

   賛同する人達が必ず集まってきます。

   これが人徳です。



実践し、ぜひ成功してください。




  
  

運を壊すもの まとめ

持って生まれた運を最も傷つける行為として



「怒り」があります。



基本、人間関係が壊れるところから、様々な影響が生じ



時には後悔から、怒った自分を自分で傷つけることもある。



皮肉なことですが、運が最初からこの傾向にある人もいる。



人はどんな状況で怒りが湧いてくるのでしょうか?



分析してみてください。



1、自分の思い通りにならない時



2、自分が傷つけられ、いじめられた時



3、理不尽な要求をされた時



4、バカにされたと感じた時



5、自分の愛情(善意)が受け入れられなかった時



6、起きたことの事情が理解できず、錯乱、混乱した時



7、期待を裏切られた時



8、自分の存在を脅かすものに対して



9、思いもかけない要求をされた時



10、騙された時



11、プライドが傷つけられた時



12、執着がさらに深くなった時



13、嫉妬がさらに深くなった時



14、傲慢さがさらに深くなった時





これを大別すると、



「自分が相手を支配できない時」

(このことを、ほとんどの方は自覚していません。)



「誰かが自分を支配しに来た時」



「自己愛が極大した時」(12、13、14)



また、その底には普通の状態(本人の中の平和)が乱される



「恐怖感」が存在します。



面白いもので信頼関係のある人の言葉は



結構きついものでも意味あるものとして心は処理しますが



そうでない人の言葉は文字通り受け止めてしまう。



ご夫婦の間で怒りごとが多くなっている方たちは、



この辺りの修復を考えないといけません。



大抵、お相手への期待のしすぎから信頼度が落ちています。



「怒りの分析」などしたことがなかった方たち、特に怒りっぽいと



自覚している方たちは、是非このお怒りの分析を習慣にしてみてください。



生まれながらの短気であっても、必ず、落ち着いてきます。



「今の怒りの出どころはなんだ?」と自分の心に問い続けることです。



そして諦めないこと。



自分自身に絶望しないこと。



自己愛ゆえの絶望です。



自分はもともと、こんなもんだと思っている人は



絶対に絶望しません。



自分はこんなもんだ、だから、ぼちぼちいこうや。



それで、必ず前に進める。



「自分が嫌いだ」正確には「こんな自分は嫌いだ」ですね。



その「こんな」は自己愛と自分に対する期待値の高さを表している。



そこから「降りる」ことか大切です。









怒りを野放しにしておくと、どうなるでしょう?



幾つかの現象が生じてきます。



1、



怒る自分と、そうでない他人を比べ始める。



(他人というのは自分以外の人達の意味です。)



「あなたは幸せそうでいいわよね。」



どこかで聞いた言葉ですね。そして、



怒りが「嫉妬」「妬み」に変化していく。



2、慢心



怒った相手が、萎縮し、怯える姿を見て



怒りながらも、支配欲と、自尊心がくすぐられ、



傲慢、慢心が生じ、他人を見下す心が生まれてきます。



同時に怒りの「うまみ」に気付き始める。



(モンスター)クレイマーが降臨してしまう。



3、執着



欲しいものが手に入らない。このように、



何かを得られなかったことに原因がある場合



得られなかったものに対する強い執着が生じてきます。



恋愛や博打などで大いにあることです。



4、



多くの場合最終的には孤立し、怒り散らした自分自身に



その怒りの矛先を向けることになります。



怒って何が悪い、傲慢で何が悪い。



憎らしい。妬ましい。欲しい。欲しい。ぶち壊したい。



すべて壊れて仕舞えばいい。



何やらこんなセリフが聞こえてきますね。



思春期に多くの方が経験した会話だと思います。



私もそうでした。でも、大人になってからも、



これじゃ、まずいですよね。



どこかで人としての成長が止まってしまっている姿です。









子供の頃から、いじめにさらされている人、



最初は親、次に同級生、同僚等、常に対人関係に



理不尽な問題の起きやすい人が少なからずいます。



「怒り」、そして「救い」を求め、いつの間にか



救いを求めることを諦めてしまい、ただ怒りだけが残る。



怒りが恒常的になると自然に他人に対する愛情が失われていく。



救いを求めても求められないものと刷り込まれ、求めることすら



諦め、ただ自分の目線より弱いものに、自分がされたことをやり、



憂さを晴らし心の平静を保っている。仁愛の感情を失ってしまう。



夫婦問題でも怒りが恒常的になった時点で愛は消えています。



ただ、一度甘美な愛情を経験し味わったしまった人たちは、



別の「愛」を求めることに執着し始めます。





怒りにより傲慢さが生じると書きましたが



慢心は自分の優位性におごった姿であり、



他を見下し、自分が優れていると誇る姿です。



歪(いびつ)な優越感とでもいいましょうか。



私の記憶に深く刻みつけられているのですが、



「日本の大震災をお祝いします」というメッセージを掲げた



サッカーのサポーターがお隣の国にいました。



この時ぞとばかりの姿に、ただ、ひでー国だと



憤りとともに、その国の底知れぬ闇の深さに震撼させられました。



他人の心がどれだけ傷んでいるのかわからない。



傲慢さというのは、わかりにくい感情ですが



一時の優位性故に自分だけ良ければ(安全であれば)いいんだという



利己心人から他の人達への親近感が欠落してしまい、



他人の痛みをあざ笑うようなことをしでかします。



あいつ、また失敗したと、笑った経験をお持ちの方も



多いのではないのでしょうか。





3の執着について



何かに執着し始めると、



必ず起きることがあります。それは、



執着する対象以外を楽しめなくなることです。



恋愛小説風に言えば、彼のことを考えると



どんな美味しいものを食べても、味がしないの......。



昨日までの景色がセピア色に見える。



ただ彼だけが輝いて見えるの。



三文小説よりも酷い表現ですが、事象の証明には



なっていると思います。



この極端な例がストーカーですね。



時には自分の命までかけ執念深く追いかける。



その代償として日常の多くの「喜び」を失うことになります。





1の嫉妬について



嫉妬も同じようなものです。



対象に嫉妬している間は、自分の中の劣等感から



絶対に逃れられない。



中学生の時の親友が、進路の選択から妬みの対象に見えてしまう。



就職、結婚、マンション、出世、あらゆる比較対象の中で



それが生まれています。関係が親しければ親しいほど



それが生じやすく、嫉妬の癖が身についてしまうと、



今度は自分が優越感を持てる相手が現れた時



本人の傲慢さに火がつきます。









これらのことは誰の心の中にも起きている日常の風景です。



ただ、運が良い人達は、それぞれの感情が生まれても



そこから降りることが割と素早くできる。



それに比べ「運の強い人」は、ドップリ、これにはまりやすく、



「運が弱い人」はさらに自己否定に陥りやすい。



なぜでしょうか?



最近入門された生徒さんには、この「なぜ」を



話しているのですが、これらのことを



私は推命の原理の研究と実践から気付かされました。



単純に言ってしまえば、



怒りは、さらに変化し、負の連鎖が体験として蓄積され、



人としてのコミュニケーション能力を著しく阻害していきます。



(このことに気づく時期が早ければ早いほど、上手に



これらの感情を放棄することができるようになります。



大人になってからでも、もちろん可能ですが、これらのことを



自覚できる方にだけ可能な話であり、時間はかかります。)





時とともに積み上げられたこれらの負の感情は、



その切っ掛けの出来事は忘れ去られても、



その人の性格の一部として付け足され、



その結果、極端な場合、愛情が欠落し、思いやりが欠落し、



共に楽しみ喜ぶ心が欠落し、公明正大さが消えていきます。



溢れるような喜びの街にいたとしても、心の荒みは癒されず、



その日1日をしのぐためだけに生きるような「孤独」に



苛まれることになりかねません。







人の心は、怒り、恨み、妬み、執着の毒が生じる温床です。



誰もが自覚していながら直面したくないところです。



そして誰もが運を良くしたい、もっとお金が欲しい、



幸せになりたいと思っている。



世の中には開運法と称して、この欲を増長する手法が



山ほどあります。その意図するところは、



運を強くするためにパワーを上げる。



これに尽きると思います。



私も若い頃からその類の人たちの姿を見ているのですが、



多くの人たちは結局、心に巣食うこの毒を残したまま、



パワーを上げてしまい、結局、一時の色と金に人生を食われ、



消えて行きました。



「なんだかなあ〜」ですね。



どのような開運法を実践するにも、やはり



この毒を洗い流すところから始めるのが一番安全です。



その方法は自分自身を知ること。これに尽きます。



その上で他人を知ることができれば、



毒が増殖する機会を与える、あらゆる人間関係を



俯瞰で見ることができるようになります。



そうすると、なすべきことと、なすべからざることの



判断がつくようになってきます。



そして、よろしくないのは解っていても、



そっちに行きたいのであれば



覚悟を持って行けば良い。それもまた人生の面白みですね。



いい子ちゃんばかりでは世の中は停滞し、衰退していく。



これもまた事実だと私は思っています。



怒りは、時に新鮮な驚きと「気づき」を我々れに与えてくれることもある。



怒りが生じたら、それに翻弄される前に、是非これを分析してください。



「毒」が生じれば運は腐り始め、「気づき」が生じれば運はスパイラル状に向上していく。

執着

執着を解くにはと質問されたので少し、

考察したいと思います。

これは私の中では、鑑定論の中の

解放とその方便の論として研究している理論です。

いかにすれば執着から逃れられるか?

まず、その方がなぜ執着するに至ったのかを

検討しなければなりません。

ご本人とご家族の命式がわかる場合はわりと簡単にその

原因は解明でき、現命式の状態によるものならば、

それを応用、展開させてしまえば、改善していきます。

(もちろん本人が納得し素直に、こちらの提案に従うことができればの話です。)


「何かに執着をしている」

多くの場合、足りないものの代償として物や人に執着しているのですが

相手がいる場合、その方の現命式の急所に釘を刺す人物が

現れる。これは後々苦労を伴う結婚、仕事などと同じ原理が

働いていて、よく見ていると、結婚生活や、職場で

トラブルが起きるときと、ほぼ同じ心の癖により

釘が刺さってくる。

つまり、足りないものを補うために得ようとしたもので、

その動機となったことと同じことを繰り返し、また、

足りなくなる。無限ループという言葉があるらしいのですが

よく似ています。

どこに行っても、相手が誰であっても同じなのです。

なんせ同じ個人なのですから。


執着の対象には大きく分けて、物と人があります。

物の代表がお金。人の代表が恋愛。

相手または執着する対象が明確な場合はまだいいのですが、

これらが昂じると依存症になってきます。

昂じるとは具体的にそれを味わってしまった場合のことです。

その「モノ」がないといられない。

株の儲けに執着して大損した人たちも実は同類の症状だと

私は理解しています。

ここまでくると難しい。壊れてしまうまでわからない。

大事なものに気づかないと言った方がいいのかもしれません。

絶対私は大丈夫という人ほど、落ちます。

強い意志を持てば持つほど自分の欲望に正直に生きたいと

願い、一線を越えると雪崩をうつことになる。

どうやって止めるか?

壊れる前、毒の蜜の味を味わう前であれば、先に書いた方法で

なんとかなります。それでも、なんともならない場合は

客観的に自分の位置が見えるまで引き上げなければなりません。

それでも、気づかない場合、正気に戻すために方便を使います。

自我偈をホームページに載せていますが、狂った息子を

正気に戻すため所謂ショック療法を使ったことが書かれています。

私も時々やります。

それでもダメな場合は手をあわせることしかできません。

まあ、それでも、ここまでやることは稀で、大抵、

怒気にかられて我に帰り、執着していた相手よりも

怒らせた私を恨み、呪ってやると嘯かれる。

怒りの炎は敵も焼きますが、己の中の執着心も焼く。

是非、私を恨み、その苦しみをもまた焼き尽くしてください。

ここまで施術した人が今まで4、5人いましたが、

大差あれ、人の悩みの原因はここにあります。

推命学的に言えば、現命式の弱点。これに尽きます。

来年度は平日に入門クラスを開講いたします。

今のところ夜のクラスですが、

人の業そのものを理解するに至る特別な推命学の入門編です。

どなたでも心意気のある方は歓迎いたします。

来年の話

先日生徒さんから、来年はどんな年になるのでしょうかと

質問され、丙申の話をしたのですが、大事なことを

伝えるのを忘れていました。それは、

1月1日生まれの40歳にとって来年元旦は

40年と1日めの結果がそこに現れてくる

それだけのことです。

そこに、家族がいるのか、孤独なのか、

迷っているのか、絶望しているのか。

良いことが転がり込んでくるような何かをなしてきたのか?

ものすごく単純明快な因果律の結果としての未来予想です。



現状が、生きるのに困っていないのなら、それを壊す必要は

ありません。積み上げてきた、それらを捨ててまで取る

価値のあるものなどないのです。

それに満足いかなかったとしても

それが自分の今までの人生そのものなのだから、

それを捨てることは、自分を否定すること。

自己愛の強い人ほど、この理屈がわからず、

自壊の方向に進んでいます。

今ある自分の感情を優先させることが、その人にとっての

自己愛の発露だからです。

理屈よりも自分の気持ちに正直になることが正しいと

錯覚している。

(さらに正当に聞こえる理由をそこに付け、行為を正当化をしていく。)



来年を良い年にしたいのであれば、

健康を望む人であれば、今日から軽い運動や

必要なサプリメントを摂ってください。

誰かに愛されたいのであれば今すぐに、

忍耐を養い、怒りを捨て、他人を見下さず、

良い人であることを心がけてください。

商売で成功したいのであれば、時流を読み、

サービスと商品を点検し、共存共栄を心がけてください。

蹴落とし商法で勢いのある方たちは是非ダイエー商法の歴史を学び

教訓としてください。

結局、1日1日の積み重ねが運勢の構造の基盤ということです。

来年を良い年にしたいのであれば、良くなるような種をまくこと。

これに尽きます。

相性

相性について

相性について考えるとき、自分の住む家(部屋)と

自分との相性を考えてみると分かりやすいと思います。

綺麗に整理整頓され塵一つない清潔な部屋を理想とした

場合、なんとなく居心地が悪い、住んでいる気がしない、

色も家具も自分風にアレンジしてみたい、

清潔なのが良いのは解っているけど、汚れていないと

落ち着かない等々の感想を持つ人、いますよね。

ご本人のもつ「気」と部屋の持つ「気」が合えば、

心地よく、合わなければ落ち着かないという

当たり前の現象です。

ここで注意して欲しいのは、

「汚れてなければ落ち着かない」ということです。

世間の常識=本人にとっては必ずしも正しいということではありません。

生まれ持った星というのはこの「気」の本質のことです。

逆に、

せっかく綺麗なんだから、このまま綺麗に使おう、

とても気持ちが良い。住みやすく落ち着く。

と思う人達もいると思います。

このことは、そのまま人間関係に言えることで、

どんなにお金があり、生活力があり、人格が優れている

相手であっても「気」が合わなければ出会う縁は生じても

長く一緒にいるという縁が生じません。

なんで出会う縁は生じるのか?と疑問を持つ方もいますが、

答えは簡単です。運は巡っているから。

悪い運が巡っている時は、悪い縁の人と出会うし

良い運が巡っている時は良い運の人と出会えます。

ただ運は巡るものなので、ほんの一瞬でそれが終わることもあるし、

長く続く場合もある。ただそれだけです。

巡ってきた運による吉の出会いがあっても

持って生まれた星の中に吉の星がなければ

その吉運が過ぎれば縁は切れます。

運は流れ、盛衰を繰り返すことを多くの人は知りません。

持って生まれた星は限定されていますが、

運は吉凶を繰り返し常に巡っています。

人にとっての相性というのは、まさにこの部分が影響していて

理想の夫婦と言われたカップルが、運が変わってくると

犬猿の夫婦に変わり、仕方なく結婚したお相手が

とても魅力的な素敵な人に映るようになるという

嘘のような話を耳にした方もいるのではないのでしょうか。

星の相性を「気」の波長に例えましたが、

特に結婚に関してはこの傾向が強く、個人の気の

波長に合わせて、さらに家系の持つ波長がここに加わります。




(嫁ぎ先で悩んでいる方にとって結婚に良いことなど一つも無かったと言われる方がいるのですが、残酷な言い方で大変申し訳ないのですが「結婚できたこと」の代償に、地獄の生活を引き受けた。と言わざるおえません。これはどこかの誰かのことではなく実際、みな80歳近い方たちですが、よく知っている私の叔母のうちの3人はそのような形になっておりました。皆、それぞれその土地の名家に嫁ぎましたが、ドラマでも描けないような修羅場をくぐり抜けて今に至っています。)

ストレス

前回、釈迦族のことを書いたのですが、

どこかの新興宗教は、解脱すれば因縁が切れる、

病気の因縁や、事故の因縁、貧乏の因縁が切れる。

いわゆる悪因縁が切れると喧伝しているのですが、

輪廻からの解放と、病気や事故や貧乏は関係ありません。

もちろん多くの病気の原因は心的ストレスだと言われているように

心の癒しの面から見ると、信仰は病気の予防になる場合もあります。

また、事故の場合も同様に考えてよいと思います。

でも、これは信仰のどうのこうのではなく、精神が安定している。

心に余裕があるという条件を満たせば誰にでも当てはまることです。

この社会は管理する側と、される側があり、さらに管理する側も

数字に管理され、何層もの構造で管理社会が成り立っています。

誰もがその中で生きている。

専業主婦や学生は違うだろうという方も

いると思うのですが、管理という言葉を、

「誰かに見られている」「うるさいことを言われてしまう。」

等々、頭を柔らかくしてイメージしてみてください。

オギャーと生まれて以来、親、学校、友達、恋人、上司、主人、

妻、義父、義母、小姑、客、等々

どんな立場の人であれ我々はストレスの中に生きている。

問題はこのストレスに対する耐性で、

人それぞれには持って生まれた耐性能力があり、

これが分かれば、ストレスは消えませんが、それを

楽しみに変えることはできます。

最近、現場に立っている複数のベテランの生徒さんから

土の五行に対する質問がありました。

これは実に真摯に鑑定に取り組んでいる証拠です。

ご本人たちには、説明したのですが、

他流派の先生方にも興味深い事案だと思うので

ヒントだけ開示しておきます。

ただし、これは泰山流の解釈ではなく、

私が気づいたものなので同門の先生方とは

一切関係ないものとご了解ください。

「人の心の中では、なぜ、良いことはすぐに消え、

苦しいことばかりが長く心に残るのか?

怒り、執着、嫉妬、傲慢、嫌悪、強欲、等々。」

是非、冷静に検討してみてください。

人の本質に迫る命題でもあります。

円満な人間関係

今朝フランスのテロのニュースが飛び込んできました。

事実かどうかはわかりませんが、バタクラン劇場の現場近くで、

フランスを非難する移民のグループがいたとのこと。

平和ボケなのでしょうか私にはこの気持ちがわかりません。

世界のニュースを見ていると、インドでの女性のレイプ被害や、

因習に縛られた名誉殺人

この因習は日本にもあり、沖縄の組踊の「手水の縁」では実に美しく、切ない、

物語として残されています。

人が他人と円満に暮らすには努力が要ります。

さらに、さらに、忍耐が不可欠であり、それを支えるのが

相手に対する期待ですね。(多くの場合、幻想といった方が

適当かもしれません。)

期待が裏切られた時、何かが壊れていきます。

悪いもの(幻想)が壊れれば、万事円満なのですが、

そうでない場合、もう一つ下の苦界に落ちるようです。

身近な環境に傷つけあいがないのなら、それは、もしかしたら、

天国なのかもしれません。本当に大事にしなけばいけない。

しかし、その逆ならば、戦うしかありません。

ご存知の方もいるかもしれませんが、お釈迦さんの出身の

釈迦族は、実はお釈迦様の在世時に滅ぼされています。

それも釈迦の教えを守り、無抵抗で殺されているのです。

仏教の教えというのを極めると実はこのようになります。

私は戦うことをお勧めします。

幸福

最近教室の生徒さんによく話すのですが、

幸せになるのは簡単です。(これは前にも書きましたね)

ただ、利他心で、あらゆる人とお付き合いすればいいのです。

(これを無償の愛と、どこかの宗教では言っていたと思うのですが)

でも、残念ながら、あらゆる人は心の中で、

必ずその見返りを求めてしまい、その見返りがあったとしても、

それを他人の見返りと比べて苦しむようにできている。

そのような生き物のようですね我々は。

見返りを意識した時点で幸福は手の中からこぼれ落ちてしまう。

それでは幸せな人など世の中に、いないではないのかとなるのですが、

元命式の良い人とはこれを自分が前進するためのエネルギーに

変え、普通の命式の人は相手を責めるエネルギーに変えている。

そして、無くした幸福を探し続け、同じことの繰り返しを

延々と成しているというのが現実に隠された私たちの姿の一部です。


過去は変えられないと皆言いますが、「未来」は今を変えなければ

変わらない。それでは過去は何によって生じてきたかというと

持って生まれた運勢に操られた選択の結果の積み重ねによって

この瞬間も生じ続け、未来を縛っている。

「過去に縛られ続ける未来」

これも、見たくもない現実の姿の一部ですね。

知的な人たちは、このことを自覚し、

「人生に目標を持つ」ことで、過去からの縛りを

未来からの縛りに変えて、運勢を打破してきました。

つまり、運勢というのは絶対的なものではなく、その縛りを

解いてしまえば、変えられるものなのです。

ただ、尋常ならざる努力が必要になってくる。

遊んで暮らして偉人になった人が皆無であることは

誰もが知っていることですね。


凡人である我々にとって運勢を変える方法は

自分の運勢を自覚し、過去の縛りからくる癖を

少しづつ直していくことが最も安易な方法です。

それでも努力は伴います。

感情の起伏の激しい人には厳しいことかもしれません。

それでもお釈迦様が言っているように

船をはしけに繋ぐ藤で編んだ太い舫綱(もやいつな)も

時とともに切れていくものです。恒常なものはありません。

恒常を望むならば、しっかりと手入れをし直しをかけ、

大事にすることです。

人間関係も同じですね。

四柱推命 勉強の仕方

推命術の勉強方法がわからないという質問を

時々受けるのですが、まずは基本を身につけること。

次の段階は、学んだこと、講義の内容が正しいのか

使えるのかを検証することが、とても大切になります。

難解な美辞麗句と詩歌の解釈を講義の主題とし

学んだ方たちも、神殺、通変星それぞれを

四柱八字の天干、地支に付し吉凶を定める

方式を学んだ方たちも、そこで学んだことが正しいのか

正しくないのかを、まずは自分の命式を出し、さらに

ご自分のよく知っている方たちの命式を出し、

検証してみてください。

(自分を視る場合、大抵の方が自分に対する偏見を持っています。現状、苦しい人は、命中の悪いものだけが自分だと思い込みやすく、特に悪くない場合、凶兆については無視しがちなものです。)

多くの方が興味を持つお金持ちの命式などは、

ネットなどを検索すれば、いくらでも

出てきます。是非、研究してみてください。

研究を始めると吉とされる神殺をたくさん持つ

犯罪者、三貴の星を持つ自己破産者

財星を持たない年収1億円以上の経営者等

目を疑いたくなるような事例が山ほどでてきます。

ある人は、良い星と悪い星が打ち消しあって

良い作用が出なかったんだ(出たんだ。)と

訳のわからない理論を振り回した末、

消えて行きました。

皆さんの中にも必ずこのように講義の理論と

矛盾した現実の現象に動揺した経験をお持ちの方が

いると思います。

命式の研究をすればするほど誠実なお人柄であれば、

実践鑑定をせず物書きになるか、四柱推命をサブ占術、

もっと単純でわかりやすいものをメインにし実践家として

生計を立てておられます。

ここで最初に書いた、四柱推命の学び方に戻るのですが、

ぶっちゃけて言ってしまうと

高邁な理論を学び、いくら努力しても、

当たらないので、勉強の仕方がわからない

四柱は難しいと皆さん言われるのです。

しかし、その実は、講義の内容(本の内容)が

現実と乖離しているというのが本当のところです。

10年たっても20年たっても難いと

言い続けなければなりません。

もし、そのまま他人の人生に介入した場合、いつか、

お互いが大怪我をしてしまう。

(どういう意味かわかりますね。)

幸い、私の場合は推命を捨てる前に緒方先生に出会い

目が開き、今に至っているのですが、

このサイトを訪ねられたことがきっかけとなり

占術の王と言われる本物の四柱推命の世界に

もう一度目を向ける機会となれば幸いです。

断易

緒方先生の「泰州の雑感」の中に断易に関する

記述があります。私も教室で、このお話をうかがい

自分の推命術のために独自に断易を研究しました。

関西断易に関しては無知なので、

なんとも言えないのですが

九鬼先生も諸口先生も特別な師匠はおらず、

独自の研究により一派をたてた方達です。

興味のあるかたは是非、研究してみてください。

私の経験では、最初は当たりません。

しかし諦めず、徹底的に突き詰めたとき

得卦に、色鮮やかに、その占断の風景が

現れ、驚くような占断が出来るようになってきます。

また、その卦の中に救いの星が現れている

場合があり、この有無がその人の積んできた

「徳」であると私は解釈しています。

最初から決まっているとされる推命の運命論に対し

そのかたの生き様の良し悪しによる事の推移の

結果としての断易の占例を研究していくと

やはり、

「今、その人が、何をしているのか。」

この事が何よりも重要な鑑定のポイントになると

私は理解し、実践の鑑定に応用しております。

「現在の自分が」明日の自分であり、

10年後の自分は「現状」の延長なのです。

運がよいと思っている人は、その上げ潮に

乗ればいい。そうではないのなら、

必死でパドリングしなければ、

そうでない流れに流されたままになってしまう。

上げ潮に乗っている人も、引き潮に

備える事さえしておけば、人生は、

わりと満足出来るものになるのではないのでしょうか。

「川の流れのように」流れに流れるのも人生です。

しかし、その「流れる川」を自ら選ぶことが出来るのも

人なのです。

占いと運勢鑑定

「占い」と「運勢鑑定」は別物です。

どう違うのでしょうか。

(注意 あくまでも私の使用しているものとご理解ください。)

占いは(私は断易を使用しています。)

「ある事柄の原因と現状、場合によってはその結果」

が示されます。

「運勢鑑定」は、その人の人生においての

嗜好、性質、価値観、岐路に立ったときの選択等、

いわゆるその人の魂に刻まれた心のDNAを解析し

その心の推移を鑑定していきます。

さらに、ここに因果律をあてはめ、

「心」の動きに重点をおいた鑑定となります。

人間を理解するという意味では最上のものだと

自負しているのですが、生徒さんのお話を聞くと

これがなかなか.......難しいらしい。

難しいのには理由があって、一つには

強い欲が原因でトラブルが起きている場合

その欲をコントロールすることが厄介で

「ありのまま」をやり、鼻っ柱を折られることを

繰り返してしまう。本人にとっては

「不都合な真実」だけが残される。

鑑定は正確無比だが、どうやれば相手を改善できるのかで

悩んでしまう。いつも言うのですが、

「それに気づいた人しか自分の人生を改善することは

できないよ。あなたが自分の人生に気づいたのなら、

自分を改善することから始めてみてください。

自分の星が理解できてきたでしょ。頑張ってやってごらん。」

実際、

素直にそれに従った人は、まったく違う人生を歩んでいます。

人も環境も変わらないけど、別次元にシフトしたような

不思議な安楽さと気づきが生まれ、人が変わっていきます。

自分で自分の星を理解し、納得確信し、講義の中で

教わった改善方法を粘り強く実行した結果です。

先達たちが開発したシステムとしての改善法です、

私の力ではありません。



太極論、八卦論で何度も書いていますが、

あなた自身があなたの宇宙の中心なのです。

だから、もし、その宇宙が、あまり好ましくないのなら

その中心にいる、あなたが変わることです。





いつでも門戸は開かれています。

入門クラスからご参加ください。

参加資格はここで学んだことを悪用しないこと。

ただそれだけです。

鑑定

もういつ頃からかわかりませんが、

推命術が身につきはじめた頃だと思うのですが、

「人って本当に皆同じなんだ」とつくづく驚いたことことがありました。

自分の運勢を知らずに生きれば、ほぼ、そのまんまの価値観を持ち、

選択を繰り返し運勢の流れのままに人生を過ごしてしまう。

世界に名を轟かせている人も、誰にも知られず、ひっそりと

暮らしている人もこの運勢というシステムの中の共通の

存在です。

生まれ、運勢のまま流れ、死を迎え、成した行為が運を作りまた生まれ......。

口角泡飛ばし、運が良いの悪いの言うこと自体

実に馬鹿らしいことのように思われてきます。

その反面、ありのままの自分の姿に気づき、

改善しようと努力する人たちに、ものすごい親近感を

最近は感じ始めています。

「運勢」は誰かに教えてもらわなければ

知ることができないわけではありません。

大抵の人は「痛み」からその姿を学んでいます。

何故自分の身にこんなことが起きたのか?と涙を流しながら

人知れず我が身の不幸を嘆いた経験を持たない人は、

いないのではないでしょうか?

親、恋人、友人との別れ、いじめ、事故、怪我等々

人生は気付きの機会だらけです。

私の場合はこの「機会」が路傍の石ころよりも多かった。

(なんとも情けない話ですが、おかげで人の痛みは人一倍分かるつもりです。)

運勢にいじめられると人は物凄く疑い深くなります。

しかし、それで自分自身が心から納得出来る本物の

四柱推命を選べたのだと思っています。


(誤解のないように言いますが、私が学んだクラスの人全員が私のような苦しみに悶える人間か?というとそうではありません。普通の生活をしている真っ当な方達が殆どです。師匠とのご縁がストレートに結ばれているわけですから運の良い方達だと私は思っています。)


四柱推命は昔からだと思うのですが、依頼者の注文に応えるためのものと、

運勢を改善するための基盤としてのものがあります。

前者は良い意味で希望をもたらすものです。貴星、三貴など依頼者を

喜ばせ、楽しませることにより安心と期待を持たせるものです。

「私にはこんなにいい星がついている、きっと素晴らしいことが起きるにちがいない。」

とても素敵な鑑定で、夢と希望と幸運を約束されている。

運の良い方はこれで良いのだと思います。

しかし現実が、なかなか動かない人たちにとっては、貴星は

絵空事でしかありません。

その場合後者の立場をとる四柱推命術が必要になってきます。

しかし、この術はあまりにも現実とリンクし、使い方によっては

さらに人を傷つけるものとなります。また、運は積み上げ、

作り上げるものと解釈し、努力することが前提となっており

その具体的な努力の提案と自分を見る(相手を見る)客観的な視点を

提供し、運勢の改善を施すことを方法としています。

私の持つ推命術は残念ながら後者のほうで

大衆受けするものではありません。

人に媚びず、奢らず、あるがままの人間を見つめるもの。

そのようなものです。

八卦論 追捕

どうでしょうか、最後まで読まれましたか?

読んだかたは気づくと思うのですが、

八卦論の中には善悪がありません。

この事実に驚きませんか?

私は初めてこの理論を読み解いた時驚きました。

人の性善説、性悪説については結構研究していて

人の持って生まれた性は善か悪か?と

一生懸命考えたのですが、

皮肉なことに万物の霊長とされる人間について

いろいろ見ていくと、結局、根本は動物そのもので

強い相手の遺伝子を残そうとする、種の保存の属性から

離れていません。これに関しては動物となんら変わりません。

脳の構造がそうなっているからで、ただそれだけです。

そこから八卦に現れる卦を解読していくと

八卦自体は実に明確に支配と彼支配の構造のみで

できています。二元論そのもの、自と他ですね。

坎卦などは良い例で寄らば大樹の陰をしながら

従順なふりをして、内心、いつか自分が取って代わってやる。

をそのまま爻の形で表しています。

支配、彼支配の過程として離卦と坎卦まで

卦として表されている。本当に面白い。

周易では味わえない面白みです。

周易は妙に吉凶に善悪を絡めるところがあるのですが

(元亨利貞 などが典型的な例です)

実際は何を思い行動するかが最も重要なのです

それを動機というのですが、他人を思い他の利益を

望み行動すれば、善となり、自分の利益のみを考え

行動し、他を傷つけるのを厭わなければそれは悪になる。

なぜか?

あらゆる人は両義が結ばれ太極をなした時、そこに

同じレベルでの「いのち」が生じるからです。

同じシステムの上から生じる以上、そこから生まれるものは

あらゆる意味でリンク(つながっています)しています。

他人を傷つけた時の罪悪感の正体がこれです。

自分にもその痛みが同期してしまう。

つい先日生徒さんにも話したのですが、他人を傷つけることは

自分を傷つけることと同じなのです。

ほんとうに世界は単純にできている。

人に愛されたければ他人を大事にし、いたわってください。

ほとんどの人は愛されたい。

世の中、自分の思い通りになってほしい。と心の中で思っています。

そうではなく、他人に寛容で忍耐強く、優しく常識があれば

必ず人の目に止まる存在になります。



とりあえず、善にもなるし悪にもなる一度限りの人生です。

大事にしてください。

八卦論 7 結び

この人の心の中にある「8つの心」の状態を知るにはどうすればいいのか?

運命や占い、人の心理に興味のある方が一番知りたい事柄だと思います。そもそも、そんなことができるのか?と普通は疑問に思うのですが、そもそも四柱推命とはそのための技術なのです。

周易しか知らない方は、一度の得卦でその人物の一生を計ろうとしますが、それでは易で一番大事な「変易」を捨てることになります。また、断易での長時間に関わることを「断言」してしまえば同じことが言えます。
占術としての易は場面場面で起きている現状と、その先に起きる現状のままであればこうなるという情報を依頼者に提示します。断易などは、さらに内心の秘め事を露骨に卦の上に現わす怖いところがあります。このように易は「今起きていること」に対しての鑑定に使うと最も威力を発揮します。

それに対して四柱推命というのは元命式を出すことにより、持って生まれたその人の心の傾向を分析し、大運による変化と、その積み重ねによる星に現れない経験と実績を踏まえて未来を図る方法なのです。

なんとなく私の教える四柱推命の姿が見えてきたでしょうか?どの専門書や市井に出回っている占いコーナーのそれとも全く違います。心のレベルでは外れることがない推命術です。

つねに教えの門は開いております。

希望者はメールにてお尋ねください。

八卦論 6

もう少し与太話をしておきましょう。

乾卦の強い相手とどう付き合うか?

たいていの人間関係の悩みの原因の半分はここにあります。

(あとの半分は相手を思い通りにしたいのだが......。ですね。)

方法は3種類。これも八卦の中にちゃんとあります。

一つは巽卦 上にある太陽に従う一つの陰爻で表されています。
      これは風の象意なのですが、風は柔軟に相手の形に沿って
      動くことができる臨機応変の意味にもなります。

一つは坤卦 全て陰爻で全てを受け入れ、抵抗することを放棄することです

一つは離卦 相手が上爻の陽卦、自分が一番下の陽卦 
      真ん中に第三者を入れて交渉することになります。
      争いを仲介してもらう。

セクハラを訴えるというのは離卦の姿ですね。離に裁判の意味もあること九星をご存知の方は思い出してください。

明確に戦う意思を持つのが離卦ですが

坤卦だからと言って、いつまでもそのままではいません。(変易)

「行動すると強い意思」が生まれると陰爻が動き陽に変わる意味になります。

巽卦の場合は、

上手にお付き合いをしているのですから問題はありませんが、もし問題が生じた場合対立が生まれます。上と下で距離を置いて、にらみ合う形。離卦になります。(同じ卦でも時系列によって起こる現象の具体的な姿がかわります。にらみ合い、次に、仲介者が生じてくる。)

次に

坤卦が動くとき、先ず抵抗しようという意思が生じます。3つの陰爻の真ん中に明確な意思としての陽爻が生じてきます。すると坤卦は坎卦に変わります。従順なふりをして腹に逸物を持つ坎の象意を思い出してください。戦う準備を整え、行動をとるとき(位置でいうといじめられている自分自身は一番下になります)震卦に変わる。これは相手にとっては文字通り驚天動地の出来事ですね。熟年離婚などはこんな感じでしょうか。


次に

離卦が動けば瞬間に乾卦にかわります。訴えた時点で立場は変わりますね。法律を背にして相手に迫る姿は乾卦そのものです。



これで立場が逆転しました。


そこまではしたくないので、もっと穏便に済ませる、なにかうまい方法はないか?

たいての方はこのように言います。

もっと穏便な方法を望む程度の苦労であれば、忍耐力を養うことが一番の解決策です

八卦論 5

人の心は誰でも例外なく、この8つの心によって出来上がっています。8つの音階でできている音楽のようなものです。

そのときの主旋律が乾卦のものは威張りたがりで、支配欲が強く、その他の7つの音が社会とのバランスを取っています。たとえば、道の真ん中でおしゃべりを続けるママさん軍団は間違いなくこの乾卦の音階の中で楽しんでいます。その実はものすごく排他的で他を寄せ付けないのですが、車やバイクが近寄ってくると、無視しつつも、なんとなく避けて道を譲り、なんとなく自分達のバツの悪さを感じて、解散していくのですが、とりあえず交通ルールに「従う」=坤卦によって無事を得ます。ところが、さらに乾卦の強い連中が集まると、いわゆる暴走族となります。従うことを捨ててしまえば社会生活は成り立ちません。ママチャリ軍団と暴走族は似ても似つかぬものですが、心の中はオラオラオラあたしたちの邪魔すんじゃねー。と同じことを言っています。

もう一つ。
夫婦や恋人の関係の中でこの乾卦が暴れ出すと、男性の場合、暴君、DV、女性の隷属を求めるとなるのですが、女性側にはそれがないのかと問われれば、間違いなくあります。男性以上かどうかは個別の問題ですが、誰にでも必ずある。単純な男性の場合には「暴力」による支配が中心になりますが、女性の場合そのバリエーションは複雑です。女性の場合も単純な人は暴力に暴力で返す人が多いのですが、多くは無言の抵抗とガン無視が基本戦略になっているようです。相手が折れるのをじっと待つ戦略ですが、たいていは自分も腐っていきます。救いがありません。

本当に賢い方は人生を自分の思い通りにしたいと思った時、その野望に対する努力を絶対に忘れません。快活さと誠実さで、相手とその両親にも気を使い、さらに愛嬌と多少の色気で相手が愛さずにいられない存在になることに日々努力しています。さらに言うと、それに応えられる相手を我が者にしています。シーザーとクレオパトラなどがいい例ですが、理屈は単純明快で自分の自我を折る覚悟さえあれば誰でもできます。(クレオパトラは国の命運を保つために自我を折りそれをなしました。)しかし、普通の人には無理かもしれませんね。でも実はこれ、バランスのとれた運を持つ女性たちは皆、自然にやっていることなのですよ。

この場合乾卦の音階ではなく、兌卦の姿になります。兌卦の図を思い出してください一番上の陰爻が下の陽爻を支配する形です。上爻がクレオパトラ、下の陽卦(太陽)がシーザになります。これが兌の意味になります。色気で男を虜にする形、または、理想や概念、この世にないこと、空想や幻影、に支配されている人々の姿、それがこの兌の姿です。理想に支配されるという意味では宗教などもこの範疇です。兌卦を「お金」「財」「喜びごと」と解釈する方たちが多いのですが、私には到底そんなものには見えません。

教室

この教室で教える運命学の特徴は大きく分

けて二つあります。

一つは鑑定の実力が付き始めて初めてわか

ることなのですが、どんな啓発セミナーよ

りも無理なく人としての成長のための必要

な気付きが生じ始めます。

大抵のかたは、トラブルが発生し見たくも

ない自分を見せつけられたとき、(うまくいけば)

この「気付き」が起きるのですが、

この教室では運勢を学ぶことでこれを身につけることができます。

もう一つは我々の学ぶ推命学は「抜苦与楽」を理想とし、

人の苦しみを解き、『あたり前の楽』に至る道を指し示すことにあります。

「あたり前の楽」とは、円満な家族があり、定職があり、

莫大なお金には恵まれなくとも食べるのには困らず、

人生に波風が起きても逃げる事無く立ち向かえる知恵を練ることです。

少し前までは平凡な当たり前の人生と言われていた生き方ですが、

最近は失われはじめているように思われてしかたありません。


世の中には人の「欲」を煽(あお)る占いや鑑定が多々あるのですが、

それとは違うものでありたいと思っています。

世界の中心

太極論について書いてきていますが、

結局は「自分が今いる世界を生み出したんだ。」ということです。

誰かと縁があるのも自分が生み出したものです。

ただ、縁には幅があり、

その人の良い部分と縁があったのか悪い部分と縁があったのかは、

時間を経なければわかりません。

また、就職できた会社に対しても同様なことが言えます。

問題は、その中で、自分はどうなりたいのか?を

自分に問い続けることです。

なぜならば、会社の環境や人事がどうであれ

自分が腐るのも、前を向くのも自分次第だからです。

他人に変われと言っても、それは不可能なことで、

自分が変わった時、その結果として周りの人の態度が

変わってくる。ただ、それだけのことなのです。

単純明解なはずですが、これが実行できない。

そこに人の持つ業とでも呼ぶべき心理構造が邪魔をする。

そこを突破するには勇気がいります。

ある程度の歳を重ね、次世代を想う気持ちが生じ始めた時

我々は先ず、このことを

彼らや、彼女たちに教えてあげなければいけません。

それが人として少し先に生まれ、悩み、笑い、血と涙と汗を

流してきた我々の務めです。どうか、決して、

くだらない占い師にはならないでください。

運を運を壊すもの2

最近入門された生徒さんには、この「なぜ」を

話しているのですが、これらのことを

私は推命の原理の研究と実践から気付かされました。

単純に言ってしまえば、

怒りは、さらに変化し、負の連鎖が体験として蓄積され、

人としてのコミュニケーション能力を著しく阻害していきます。

(このことに気づく時期が早ければ早いほど、上手に

これらの感情を放棄することができるようになります。

大人になってからでも、もちろん可能ですが、これらのことを

自覚できる方にだけ可能な話であり、時間はかかります。)


時とともに積み上げられたこれらの負の感情は、

その切っ掛けの出来事は忘れ去られても、

その人の性格の一部として付け足され、

その結果、極端な場合、愛情が欠落し、思いやりが欠落し、

共に楽しみ喜ぶ心が欠落し、公明正大さが消えていきます。

溢れるような喜びの街にいたとしても、心の荒みは癒されず、

その日1日をしのぐためだけに生きるような「孤独」に

苛まれることになりかねません。

これからの世界

運勢の病を直すには、先ず本人がそれを自覚する事が

何よりも大事です。この世に起きる現象には

すべて原因がありその結果としての今がある

これは誰も否定出来ない事ですね。

親を選べない、生まれた国を選べない

というのもまた残酷な言い方ですが

そこにしか生まれることができなかった

と言う事になる。

けれども、生まれた後、その個人が

何を考え生きていくかは決められていません

これがカーストを否定したお釈迦様の考え方です。

人はその者が成す行いに依ってその人の姿が決まる

肩書きが名家のご子息であろうがドロボウをすれば

その人はドロボウだし国を売れば売国奴です

片親で子供の頃いじめられても志を持ち必死で生きれば、

人によっては大会社の社長にも、医者にもなれます。

実際に名を成している人もいます。

どこかで書いたマラソンランナーのように

過去の名声や才能だけでやってきた人との「必死」さの違いが

このような形で明確に現れ始めているのが今の世界であり

いわゆるグローバル化の流れです。弱肉強食の世界ですね

戦場がオープンになればなるほど、ルールが公平になればなるほど

強い相手が獲物を求めて参加して来る

戦後の日本人のような餓えた山犬のような貪欲さが今の日本に

あれば、もう一度「ジャパン アズ....」と言われるかも知れませんが

日本人の代表である政治の世界を見ると、頭でっかちのとっちゃン坊や

が、子供の喧嘩のようなことを毎日やっています。

たぶんローマに呑まれる前のギリシャや

帝政末期のローマはこんな感じだったのでしょう

志のないの政治家の息子達が国を滅ぼすのは必然です

毎月120万円の月給を払って彼等を雇うような会社はありません

政治家にしかなれない御曹司を担ぐ選挙民も苦しい選択でしょう

情けない話しです。是非、志がある確りした跡取り代議士だと胸をはって

言えるようその方達を厳しく教育して下さい、それも支持者の勤めです



牙を無くした山犬は狩りはできません。若者達は

男であろうが女であろうがご自身の牙を研いで下さい

剣を磨き盾を鍛えることです。

それが愛する者達を結局は救うことになります

多くの人がそうなれば一つの集団の運勢となり

多少の不運ならば吹っ飛んでくれます

もし貴方が国の中心にいる官僚だとしたら

バカな大臣が全部自分の手柄にしようとするなら

オマエはバカだ、能無しだと言ってあげて下さい

確実に悪いのはその男(女)です。

けれども、そのバカを使えないのは官僚たる

貴方に交渉力がないからであることも事実でしょう

これは仕分けのときに出ていた元官僚やお役人の

答弁を見ていれば明白です。

もっともっと賢くなって下さい。

身内に食われている人が外敵に食われないわけが無い

ご自身の牙を研ぐ事です

刃を研ぎ続け一生を終えたかつての侍の生き方ですが

潔い人生です。

行き着く先

私が長年断易と四柱推命を研究した結果は

結局「易」に行き着きました。

ただしそれは「周易」ではありません。

太極から生まれる万象の構造がそれにあたります。

断易を太極論で簡単に解説すると上卦と下卦が

陰陽にあたり、太極そのものになります。

そして、その他の構造が、占題により

切り取られた、その刹那の日月の「動き」になり、

答えの出るものには答えを、出ないものには

その過程を読み解く鍵を術者に与えます。

四柱推命は日干を太極とし元命式のその他の星々の

動きと「日干自体の陰陽の動き」を、大運、年運、月運との

力量による変化から推測していきます。

わかってしまえば、結局太極に帰納することに

なるようです。

逆に言えば、あらゆる運勢は平等なシステムから生まれているということになる。

どうこのシステムを使うか、嫌いや、その前に

このシステムに気づくかできるかが人生の分岐点になるのではないでしょうか。

補記

太極論で両義を同種の陰陽と書きましたが、この「同種」というのが

キーワードになります。同期(シンクロ)できる、同じ波長という

意味で、それが揃えば万象を生み出すことができるという理論なのですが

実は、あらゆることに当てはめることができる結構すごい理論なのです。

たとえばお経の話ですが、お経の持つ波長に人が同期できれば

そこにはお経の世界が形成されます。人に内在する如来蔵が

覚醒し慈愛に溢れた人格が生じる。

しかしお経を読むとき、あれが欲しい、これが欲しいと

お経の波長と全く異なった波長で読む側がいたとしたら

同期のドの字も生まれません。(シンクロのシの字のほうがいいかしら?)

まったくダメです。何も生まれません。ビルの陰になって

アンテナが使えない衛星放送のようなものです。

そこには太極が成立しないゆえに

経を読む人の自我によって生み出されるている、既にある

「我欲」の世界だけが成立しています。

わかりますね。

それを知ってなんの得があるのかと問う人があるかもしれません。

知らなければ、そのシステムの中でただ生きることになり、

知ったならば、それを改善する努力に気づきます。

これって大きな差だと私は思うのですが。いかがでしょうか?




使えない理論としての易の解釈は一般人にとっての相対性理論と同じです。

愚痴

ご自分の人生を振り返り、「人に尽くしてばかりで誰にも感謝されない、

もう、こんな人生は嫌だ。」

こんな事を言う人が時々います。私の母親もこんな感じの人でした。

(うちの場合は私が親の言う事をまったく聞かず、

特別反抗していた訳でもないのですが、親の思う生き方と

真逆の生き方をしたことが原因でした。)

適齢期が過ぎかけた娘の見合い相手をあちこちの紹介所をつかって

必死で探し、なんとか相手を見つけ結婚させたいと思っているのに

まったく言う事を聞かず、見合いなんてまっぴら、

余計なお世話と言われ、

落ち込みながら愚痴っている人もよくいます。

御主人に内助の功をつくしても

ありがとうの一言もなく、苦労しているのは自分だけだと

涙を流している方もやはりいます

よくある話です。

そして、それぞれに共通する、いくつかの特徴があります

それは、それぞれ愚痴っている方達の星の力が平均的なものより

はるかに強く、その結果として努力を厭わず、困難を切り抜け、

人の上に立っていたり学業や仕事で手を抜く事をしなかった人達で

本人達は否定するかもしれませんが、野心家で自分のイメージを

とても大事にする人達です。

そして自分の野心を、子供や、御主人や、血縁の出世に託し

そのために世話をやいたり、面倒を見たり、お金を出したり

積極的に自分に出来る限りの努力をします。

(この点が一般的な人と違う所で、一般的にはイヤイヤ努力を強いられることになります)

その結果、それぞれが一人前になった時

苦労を忘れ、社会人として自我が芽生えたり、周りから、ちやほやされたりすると

今までなら、有り難かった女房(母)のお世話が、余計なお世話に転換します。

自営業などで、どうにもならなかった経営を、必死になった奥さんの強運で立て直し

やっと順調になり始めた途端、御主人が勝手を始めるのも同じような理由です

御主人にとっては奥さんの強い運が、うっとうしくなって来る。

とても愚かな御主人ですが、星の力の何たるかを知らない人には理解し難いものです

しかし、こういうふうにも言えます。

「貴女が人に尽くすことにより、貴女は最も良い人生を歩んでいる」と

もし強い星が暴走すれば、メチャクチャな人生です。

怖いもの知らずで、努力を厭わない人です。

自分の欲のためだけに生きれば、太く、短い傷だらけで、

他人からも恨まれなければならない、刹那的な生き方で

孤独な晩年が約束されている人生です

結婚でき御主人が変わっていないのなら感謝して下さい。

本来なら御主人と死に別れ生き別れの運勢です。

(私の母は死に別れました)

「自分を最優先させたい」のが

そうゆうかたの腹の底にあるものです。

それが、自分の思い通りにならなかった時、出てくる台詞が

最初の台詞です。

子供は素直で純粋です、すぐに母親の心の底にあるものを見抜きます

特に女子にはその傾向があり、複雑です。

もしこの台詞を吐いている自分がいるとしたら、今ある幸福に感謝し

自分の中にある理想像と現実を比べる事をストップして

無い物ねだりをやめることが、この愚痴から解放される一番の処方箋です

上ばかりを目指すのではなく

自分の人生を受け入れ、この人生に感謝することも

時々は必要なことなのかもしれませんね。







運を壊すもの

怒って何が悪い、傲慢で何が悪い。

執着は執着。欲しいのだから仕方ないじゃない。

そいつを見るだけで憎らしい。妬ましい。

こいつとは絶対一緒にいたくない。これって普通でしょ。

何やらこんなセリフが聞こえてきますね。

実に普通の心の会話です。私もそう思います。

でも、もう少しだけ先を見てみましょう。

怒りを日常にしている人は滅多にいないようですが、

子供の頃から、いじめにさらされている人、

最初は親次に同級生、同僚等、常に対人関係に

理不尽な問題の起きやすい人が少なからずいます。

「怒り」、そして「救い」を求め、いつの間にか

救いを求めることを諦めてしまい、ただ怒りだけが残る。

怒りが恒常的になると自然に他人に対する愛情が失われていく。

救いを求めても求められないものと刷り込まれ、求めることすら

諦め、ただ自分の目線より弱いものに、自分がされたことをし

憂さを晴らし心の平静を保っている。仁愛の感情を失ってしまう。

夫婦問題でも怒りが恒常的になった時点で愛は消えています。

ただ、一度甘美な愛情を味わったしまった人たちは、

別の「愛」に執着し始めます。


傲慢というのは自分の優位性におごった姿であり、

他を見下し、自分が優れていると誇る姿です。

歪(いびつ)な優越感とでもいいましょうか。

私の記憶に刻みつけられているのですが、

「日本の大震災をお祝いします」というメッセージを掲げた

サッカーのサポーターがお隣の国にいましたが、

この時ぞとばかりの姿に、ただ、ひでー国だと

憤りとともに、この国の底知れぬ闇の深さに震撼させられました。

他国への移住者の多いのにも納得されます。

傲慢さというのは、わかりにくい感情ですが

一時の優位性故に自分だけ良ければ(安全であれば)いいんだという

利己心人から他の人達への親近感が欠落してしまい、

他人の痛みをあざ笑うようなこともしでかします。

あいつ、また失敗したと、笑った経験をお持ちの方も

多いのではないのでしょうか。


次は執着ですが、何かに執着し始めると、

必ず起きることがあります。それは、

執着する対象以外を楽しめなくなることです。

恋愛小説風に言えば、彼のことを考えると

どんな美味しいものを食べても、味がしないの......。

昨日までの景色がセピア色に見える。

ただ彼だけが輝いて見えるの。

三文小説よりも酷い表現ですが、事象の証明には

なっていると思います。

この極端な例がストーカーですね。

時には自分の命までかけ執念深く追いかける。

その代償として日常の多くの「喜び」を失うことになります。


嫉妬も同じようなものです。

対象に嫉妬している間は、自分の中の劣等感から

絶対に逃れられない。

中学生の時の親友が、進路の選択から妬みの対象に見えてしまう。

就職、結婚、マンション、出世、あらゆる比較対象の中で

それが生まれています。関係が親しければ親しいほど

それが生じやすく、嫉妬の癖が身についてしまうと、

今度は自分が優越感を持てる相手が現れた時

本人の傲慢さに火がつきます。




これらのことは誰の心の中にも起きている日常の風景です。

ただ、運が良い人達は、それぞれの感情が生まれても

そこから降りることが割と素早くできる。

それに比べ「運の強い人」は、ドップリ、これにはまりやすく、

「運が弱い人」はさらに自己否定に陥りやすい。

なぜでしょうか?

名前鑑定

つい先ほど「名前の鑑定していますか?」と

連絡があったのですが、つい「やってません。」と

(もうちょっと丁寧に答えています)

答え電話を切ってしまったのですが、

今、思い出しました。即答できなくてすみません。

ホームページの相談項目に名前の無料鑑定サイトを紹介しています。

また、そちらに飛ぶのは

めんどくさいでしょうからこちらに貼っておきます。

姓名判断無料鑑定

こちらにある「山本式」を推薦いたします。


言霊のサキワウ良い名をつけてあげてください。

これから生まれてくる子供達が喜びと安心を享受できますように。

ただ祈るばかりです。

お経の話2

自我偈を長い間あげ続けて下さった方から便りがありました

お経とともに精神世界に目覚めご本人の努力により

見違えるようになった方です。もうだ丈夫だと思います。

その方へは自我偈と一緒に観音経を読む事をお勧めしました

作法についてお尋ねになられ、それに対しての私の答えです


特に作法はありません。

観音経には観音様の誓願が書かれていて、普通は第二十五偈を観音経としてお唱えするのですが、本文の観音経もネットにでているのでそちらも一読しておいて下さい。


大事な事は、もし、自分が観音様だったろどうだろう?と常に考える事です。

苦しんでいる人が自分の名を呼ぶまで、自分は待てるか?
名を呼ばれた時、誰に対しても差別なく自分はその人を救えるか?
どうやって自分はその人を救えるか?
その人にとって根本的な救いとは何か?

精神世界に足を踏み入れた人は自分の生き方として考えなければ ならない事が観音経には書かれています。それゆえに人を成長させる力があるお経になっています。
これらのことを深く考えてみて下さい。


今野喜心



救われる立場の人が、救われたら、今度は逆の立ち場に立たなければなりません

なぜなら、それをしなければ、

人としては当たり前の事ですが、

楽と欲を求めるようになるからです。

苦労が終わった!楽になった!じゃ、これから何をしよう?

苦しかった分、楽しい事でもイッパイさがすか!

これでは「必ず」もとの苦しみの世界に後戻りする事になります

ここからは合理的に考える必要があります

何があったから苦が生じたのか?

なぜ、自分は苦の中に落ちたのか?

どうしたら苦から逃れられたのか?

ここからが本当の修行で、般若経の「空」を学び縁起を考え

菩薩の行為である六波羅密の行いを日々の生活に取り入れ

生きていることに意義をもつことです。

だれかに与えられた生きる意味ではなく

自分で選んだ生きる意義をもつ事

これがこの世の中に生まれてきた本当の意味です

ここまで来たら、私は「先生」ではなく「友人」です。

毎日、泣きそうになりながらも頑張って

歩んでいる同じ一人の人間です。

一緒に頑張れると良いですね。

太極論と推命

四柱推命には興味があるが易には興味がないという人が

多いのですが、実は私の太極論は四柱推命から

想起された理論です。

人には人生という流れがあり、機と縁によっていくらでも

変わるという「変易」の本当の意味が理解できたつもりでいます。

「変えられぬ運命を知ってどうする。

変えられるから学ぶ価値があるんだ」と言う、

師匠の言葉が完全に腑に落ちました。

運勢の表面を浅く触れる程度の鑑定法では

絶対に行き着けない境地です。

もし、その境地を望むのであれば、総合的に

人を観る力を養うことが不可欠なのですが

それを身につけた先生から学ぶのが一番の近道です。

よい先生と出会ってください。

問題は、どうすればよい先生と出会えるのか?ですが、

私説太極論からいうと、どの先生を選ぶかは、

実は、すでに決まっています。本人がどのような動機で

運勢の勉強をしたいのか?それによって縁が生じてくる。

実に、自分の動機にふさわしい先生としか出会えない。

また、縁が生じても、条件が合わなければ縁はむすばれません。

難しいところですね。

本当にこの辺は面白くて、私のところにも、

だいぶ前の話になりますが、

ご近所に毎週来る用があるので、先生のところが条件にピッタリ

あったので来ました。というかたがいらっしゃいました。

また、

面接をした上、初回の講義の予約をしていったにもかかわらず

同門のもう少し便利で安い先生を見つけたので、そちらに

行きます。先生に言われたことは忘れません。

と断りのメールを入れてくれた方もいます。

私は、これはこれでいいのだと思います。

結局、これは私自身の「界」が生じた、できごとで、

なにがしかの修正が必要であることの証なのです。

人生は一瞬一瞬の積み重ねです。そして間違いなく

その結果が生じてしまう世界なのです。

そして、トラブルは気づきのためのチャンスです。

今のままが良いのであれば、今のままで良いと思います。

日々、大事に生きましょうね。

世の中

世の中は愛に満ちています

ほんと?

本当です。自己愛に満ちています

自分の欲望を満たす事。

この一語に尽きます

けれども欲望に、家の名誉とか

家族に恥をかけてはいけないとか

自分が所属するグループのため等と

あらかじめ自分の生き方に形を与え、

それを守る事を自己愛の一部にしたなら

とんでもない力を発揮する事ができます。

運勢を変える事さえできるのです

かつての武士の生き方がこれですね

人は自分個人を守る気持ちはあまり

強くはないのですが

誰か、身近な人、所属しているグループを守ろうとするとき

とても大きな力を出すものです

極端なことを言えば国のために人を殺し家族のために人を殺めます。

戦争がそうですね。皮肉な事ですが、

戦場は、最も愛に満ちあふれている者同志が殺し合っている場所です

誰もが最初は愛に溢れ、やがて自分や仲間が傷つけられるとともに

いつの間にか怒りと恐怖に満たされてしまう

戦争での愛の変化は誰もが理解出来る姿ですが

我々の日常でも同じような事が起きています。

自分を愛する故の歯止めの利かない恋愛

すべてが自己愛の様々のバリエーションで現実に起きていることです


「自由」教育は、根っから強い人間にはとても有効です。

アメリカのようなチャンスで生きる国には最適ですが

そんな特別な人間はあまりいません。

自分を大事にする生き方を親御さんは教えてあげて下さい

強く生きさせるためには自分の欲望をカット出来るくらいの

できるだけ大きなもののために生きる事を教える事です。

難しい事はありません。

新規募集

11月から新規の生徒さんの募集を予定しています。

推命に興味をお持ちの方は是非ご応募下さい。

でも、世の中いくらでも推命教室はあるし、

四柱推命って皆同じじゃないの?なぜわざわざ洗心庵の推命?

ごもっともな質問です。

一つには私が、かつて本で学んだ四柱推命術は

使えないものばかりでした。

典型的な例をあげれば、天干地支の一つの柱の組み合わせで、

性格を判断し断定する、◯命学に代表されるものです。

60通りもあるのですから、信者さんは、なんとなく

自分に当て嵌まるものがあると、素晴らしい!

となります。

また、天中殺に代表される他の占術からのすり替えです。

断易を研究し始め実践で、この空亡の的確さを自得したとき

推命に利用した人の気持ちがよく解りました。

同じ干支を使う占術だから当たるに違いないという

確信にみちた「過誤」です。たぶん、それを言い始めた

先達は星の力量でみる推命が出来なかった人だった

と思われます。そのような流派ほど神殺星を使い

この星があると吉、凶と星自体に吉凶をつけるものです

この術式は人の運命を固定し、最初から

悪い人、良い人と決めつける宿命論であり、

因果の法則を無視したものです。

たとえ悪い種があっても縁を与えなければ種は芽を出さぬし

良い種を植え、それが育つ縁を与えれば良き花が開き

実がなります。

性善説を説こうが性悪説を説こうが、

人は生きていかなければなりません。

より円満な人間関係をつくり、より楽な人生を

過ごすために必要な本来の意味での教育が目指すべき

方向性です。

(国をあげて他国に恨みを根付かせるような教育は

結局、民心は荒れ、一番身近な怒りに矛先を向けます。)






あらゆる意味で中国から生まれた哲学は

「易」を基盤としています。そして易には

易簡、変易、不易、の三義があり

単純明快でもわかり易く、あらゆるものは変化し、

そして、そこには不変の法則があると説きます。

推命で使うあらゆる星には長所と短所があり

それは星の状態、環境でかわります。そして

その変化する条件こそが星の「力量」なのです。

古来、それを格局という、似ていますが各流派独自の

方法論を持って決めて来ました。ここまでが

正統な伝統的な四柱推命のありかたです。

そして、日本で独自に発展して来た「正統な

泰山流」はこれを捨て、独自の各局法というべき

調候用神法を何代かに渡って磨き上げてきました。

その基礎を教授しているのが洗心庵の推命教室です。

教室では泰山流の初級講座といいながらも、

私自身が鑑定の実践の中から気付き、積み上げてきた

鑑定論と実践論があります。

それもまた教室の生徒さんには、当たり前ですが、

隠す事無くお伝えしています。

実際、2年間教えた現在

プロとして生活し始めている生徒さんが3人程います。

まだまだこれだけでは食べていけないようですが

お客さん達からは感謝されているという報告を受けています

2年程で他人の推命を使い鑑定をするなどとは、

普通では有り難い事です。ご本人達の努力に感謝するとともに

霊感のような危ういものとは違い、真摯に学ぶことにより

誰もが身につけられる方術の可能性に夢を見たいと思っています。

苦しい恋愛

苦しい恋愛と言うのがあります。特徴として女性側から見た場合

魔法にかけられたように相手が気になり、安心感がなく、

一緒にいる時はドキドキ感におそわれ、離れた時は不安感に苛まれ

心が、まったく安定しません。関係が密になると今度は

相手のことが気になり、一日に何度もメールをし、相手を確かめたり

相手の全てを知りたくなり、本人は気付きませんが、

相手を支配しようとします。

でも、こんなの普通よ!と言う人がいるかもしれませんが

会うまではドキドキするけど、一緒にいると、落ち着くし、

居心地がよく、別れた後も安心で、相手の事を考えると

力が湧いて来るというカップルも実際にいます。

面白いのは、前者のカップルはあんなにドキドキする熱い恋愛をしていても

結婚した途端から喧嘩が絶えません。

「結婚式を行う」という二人で行う最初の共同作業のプロジェクトで

現実処理能力がお互いに試され、頼りないだったり、無責任だったり

初めて相手の生活能力に気付き始め、迷い始める。

「熱い」恋愛中はほとんどが自分の描いた恋愛の夢の中で

現実の相手の姿はあまり見えていません。多少のことがあっても

「結婚したら責任感も生まれるし、きっと確りしてくれるに違いない」と

とても好意的に相手を誤解し続けます

ところが、結婚式前後からリアルな相手の姿と直面し催眠術から醒め始め

「こんなはずではなかった」と後悔が始まります


恋愛はある意味、その人が試される甘い罠です

甘くておいしい蜜の底には毒が塗られている場合が

とても多く、この毒の特徴は、甘い香りと味で誘い、毒しか見えなくさせることです。

この毒に対する血清は、先ず、冷静に相手と自分を知り、

刹那的な誘惑に乗らないことです。

けれども、もし、その人と自分の未来を冷静に考え

その彼を選ぶのならば毒が薬に変わってきます。

男がダラしなければ、自分が生活の中心となり

自立し、愛した人と最後まで生きる、

良い家庭をつくるんだと覚悟が出来れば

ダメな亭主でも側にいてくれるだけで、幸せ感が生まれ、

その心のエネルギーが亭主が変わるキッカケになったりする場合も多々あります

愛に殉じるには根性と忍耐が不可欠です。

そんなの嫌とそこから逃げ出す人も、もちろん多いのですが

大抵、同じような事を、今度は大丈夫と自分に言い聞かせながら

繰り返し、繰り返し、繰り返し、いつのまにか時だけが過ぎて行きます

恋愛が楽しいのは、保護者がいる内だけである事を忘れてはいけません

または、生活が安定し、ある程度自立し、生活に自由がある人達だけです

魔法にかけられたような恋愛を実現するには、根性と忍耐を身につけ

自立することが不可欠なようです


お金持ち 本当に幸せ?

お金は無いよりあった方が良いに決まっていますが

お金があれば、富貴かというと違うのではないでしょうか

たまに、最近の易や推命の専門書を中国本土からとりよせて

読んでいると、大富貴の命式とあるものを調べてみると、

ほとんどが、お金に汚く、けちで、外にお妾をもったり、

本人は優柔不断でどうにもならないけれど、

お金だけには恵まれる孤独な人の命式です。

これを富貴というのでしょうか?

日本的な解釈では富貴は心豊かなお金持ちのイメージですが

中国語のニュアンスは、富に恵まれるという文字通りの

もののようで、心の豊かさは関係ないようです

現代中国事情が垣間みれて面白いと言えば面白いのですが

こうゆう方の命式を分析すると色々特徴があり

先に書いたことの他に、物凄くお金に執着し、手段を選ばず

お金の臭いに敏感な仲間が自然に集まってきます。

(引き寄せると言った方が良いのかもしれません)

大金が集まる所には、やはり、それなりの理由があります

凡人がいくら大金を夢見ても彼等ほど強い意志でお金に

執着することは、かなりの努力が必要です

例えば、裸一貫から始め、睡眠時間を3時間くらいに削り

朝の3時から、3カ所くらい掛け持ちで仕事を20年間つづけ

元手をかせぎ、それを担保に大きな商売をし、大富貴になる

なんてことは普通の人には無理な話ですが、

こうゆう命式の人はこれを当たり前のようにやります。

ようは、自分の人生をどのように設計するかです。

いま、若い方は身の丈に合った生き方を模索している方が

とても増えています。それが良いのか悪いのかはわかりません

ただ、そうゆう生き方は、生きる環境が変わって来たとき

対応能力に欠ける場合が多いのが難点です。

自分自身をある程度環境に合わせて行くことも

大事な修行です





通変星論 抜粋

私の考える推命術の基本の基本の理論の抜粋を上げておきます。

私の思う四柱推命は完全に体系だったもので、

霊感や経験則というのは二の次であり、堅固な基礎があってこそ

初めて使えるものになると思っています。

使えない基礎を学んでしまったら、その上に色々なものを立てても

崩れてしまう。これは自明の理です。

これから四柱推命を学ぼうと思っている方達、

すでに学んでいるけれど、その使い方がわからない。

また、なんとか運を変えたいと思っている人達には

そのヒントとなればいいのですが.............。






.............................................................................................................

この繰り返しが人生では日常茶飯事に起きています。


これが相生関係から見た通変星の姿なのですが、この理解が足りないために心の癖が生まれてくるのです。

ご存知のように通変星には相克の関係があり、日干から見たとき我が剋すものが財にあたります。先にも書きましたが財は我から見て無条件に支配できる五行がそれにあたり、支配には必ず快楽が伴い、快楽は我欲を増し、その結果 知恵を削っていきます。
(通変星の関係性を見ればわかるのですが妻財は印綬を剋す関係性にあります。)
また、財が増せば自然に官鬼が増し、さらに、その受け皿となる印綬が壊れていれば、行き場を失った官鬼は直接我が身を攻めてきます。

そして、円環の流れは命ある限り止まることなく、その星に刻まれた心の傷が新たな食傷を生みさらに長い時間ををかけて積み上げられ魂に刻まれた暗号として次の生に受け継がれているのが星の力量に差がある理由だと最近理解するようになりました。

なんだか人生は決定されている。諦めろと言っているように聞こえるかもしれませんが、実はこのことをしっかりと理解することことこそ運勢を改善できる根拠になっているのです。

運勢改善のための方法論



それぞれの星の分量による起こる化学変化と五行五気の組み合わせにより現命式に現れた個人の情報を読み解き、さらに年運、大運の刺激による元命式の変化、起きうるであろう現象を予測し
正確な現状把握により用神をとり、処方箋を作ることが私が学んだ泰山流(緒方泰州派)の運勢を改善する方法です。医療で言えば、総合診療と治療を兼ね備えた方法で正しい鑑定力を身につけ、さらに用神をいかに使うかの高度な知識と経験が必要になります。



まず前述の通変星の円環の流れをしっかりと把握してください。そして考えてください。
日々、自分の心の中に生じているものは何か。世界の中心は自分んであることを認めさせたいのか?あらゆるものが許せないのか、誰かを支配したいのか?それとも、あらゆる責任から逃れたいのか?夢の世界に住みたいのか?それとも今起きている不幸を誰かの責任にしてしまいたいのか?
それを確りと認識することです。この心の囁(ささや)きが魂に刻まれた過去の自分から相続した遺産です。もちろん負の遺産ばかりではなく正の遺産もそこには刻印されています。

あらゆる人々の現在の環境は例外なくこのようにして生まれてきています。

繰り返しになりますが、たとえば自分の心の中が赤い色で染まったとすると、五行の円環は延々と流れているわけですから、すべての通変星が赤い色に染まっていることになります。このことが理解できれば、

「心の中に生起してくる色を自分が望む色に変えれてしまえば、自然にすべての通変星の色は自分の望む色に変わる」という法則が見えてきます。

これが第二の方法です。心の質を変えることにより自分が望む世界を掴むことです。従来この方法は宗教が担ってきましたが「信仰」の力が原動力故に、信仰のない人には無力ですが、その方法は生きていて既に「十善業」という形で、このホームページで公開しています。
宗教っぽくて胸糞悪いと思った人も多くいたと思いますが、決してお題目だけではなく効果が現れる方法なのです。実行して効果が出る根拠がないので、みなさん実行していないのでしょう。理由がわからなければやらないというのは現代人のとてもよい特性ですが逆に言えば根拠さえはっきりと示せば実行するということになります。



自分をいじめに来る星を官鬼といいます。何故官鬼はあなたを攻め立てるのか?理由は単純です。多くの人は財を得ることを人生の目標としています。それは自分が支配できるものが多ければ多いほど楽しいからです。そのために、もっともっと財を増やそうとします。当然のことです。その結果、財が旺じ、印綬変印が傷つき機能していないからです。つまり官鬼と自分との緩衝帯である印綬の知恵が機能しない。具体的に言えば、たとえば憧れの人とのお付き合いが始まって、楽しくて、楽しくて、知らぬ間に、相手が一番嫌がることを知っているのに、言ったり、やったりしてしまう等、冷静な時は対処できていたものが喜びの感情に流され、取り返しがつかなくなるなど、卑近な例はいくらでもあります。
人の心にはできるだけ簡単に労力を惜しんで目的を達成しようという遺伝子が刻まれていて、その通りに動いてしまうのです。仕方がないことです。しかし、もう二度と痛い目には会いたくないと誓ったならば、方法はあります。

それは「知恵をもう一度使うこと。」

いたって単純ですが、この単純な作業を回避したがための悲劇に身を苛(さいな)まれたことをもう一度思い出してください。そして、どのように知恵を使うのか?
それは官鬼と自分をしっかりと分析するところから始まります。つまり「官鬼」は「自分」のどこを、どのように攻撃してくるのか?これが「己を知り、敵を知れば百戦危うからず」の意味です。どこかで何度も書いてきたことですね。(この言葉の裏にどれだけの意味があったのかが少しは理解してもらえたでしょうか?)

残念ながら運勢を変える、運命を変えるにはこれらの方法しかありません。なぜなら宇宙は五行五気に依って成され、その五行五気はこの周流から離れることがないからです。

運勢を変えるには非常な努力が必要です、それは、流れには一定の方向があり流れを変えるには、そのための力が必要だからです。私はこの力は数学で言うベクトルとまったく同じだと思っています。仏典などではこの流れを煩悩と名づけ、これに逆らうことを「逆流(げきる)」と呼んでいます。しかし、たとえ少量の力でも、その流れに逆らう力が加われば、そこに別のベクトルが生まれることを我々は学んでいます。

「チリも積もれば山となる」

これが何度も言ってきた「努力」をすれば運勢は変わる、人は変われる理由です。

諦めないこと。努力を惜しまないこと。

国の運勢

これからの日本はどうなるのか? 

時々人から聞かれるので、このような形で自分の考えをまとめておきたいと思います。

国運とは?

その始まりをどこにするかが多くの鑑定家の考え方の差になると私などは思っているのですが、神武天皇のドウノコウノというのはまったく意味の無い事だと私は思っています。時代もまた生まれ、死に、生まれ、また死に、生まれ変わるものです。歴史とはそんなものです。ならば、現実的な政治体制の変位によりポイントを定めるのが現実に即したものなのではないのでしょうか。

それが正しいかどうかは実際を検証してみるしかありません。

例えば日本ですが、第二次世界大戦で一度死に、戦後初の民主主義選挙により再生としての産声をあげました。

以下でその姿を見て行きましょう。




現代日本の誕生を 戦後初の総選挙日を誕生日とした場合 (現代の基盤である民主主義選挙が初めて行われた日)

1946年4月10日

          甲 壬 丙
          寅 辰 戌

102 92 82 72 62 52 42 32 22 12  2
  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
  午  未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯  辰


1958年 12歳 庚寅運 日米安保(1960年) 日韓基本条約(1965年)
1968年 22歳 己丑運 小笠原諸島日本に復帰(1968年)
                     日本万博(1970年)
                     沖縄返還(1972年)
                     ロッキード事件(1976年)
1978年 32歳 戊子運 大平内閣(1978年)東北、上越新幹線(1982年)
1988年 42歳 丁亥運 昭和天皇崩御(1989年)湾岸戦争(1991年)
1993年 47歳 丁亥運 癸酉年 年庚申月 壬戌日 8月9日細川内閣発足 
1995年 49歳 丁亥運 甲戌年 丁丑月 戊申日 乙卯時 阪神大震災1月17日 
                              午前5時46分52秒
1998年 52歳 丙戌運 小渕内閣(1998年)
1999年 53歳 丙戌運 己卯年 癸酉月 乙酉日 9月30日東海村臨界事件
2001年 55歳 丙戌運 辛巳年 丁酉月 丁丑日 9、11アメリカ同時多発テロ
2008年 62歳 乙酉運 戊子年 辛酉月 戊午日 9月15日 リーマンショック 
2009年 63歳 乙酉運 己丑年 癸酉月 甲子日 9月16日 民主党政権発足
2011年 64歳 乙酉運 辛卯年 辛卯月 乙丑日 癸未時 3月11日 東北大震災
2018年 72歳 甲申運  

同門の方達や教室の生徒さんなら、ここに書かれた事がどれだけ現実に即しているかが理解出来ると思います。

戦後の日本人がどれほどのプライドを持ち、家庭に支えられ、そして一生懸命生きてきたかが如実に現れている姿です。どうか昭和の時代を味わってみて下さい。この命式を見ただけで、数年前から始まった危険信号に気付ければ、きっと、日本は、より良い国になれると思います。               

7

連休も終わり、今日から、いつもの日常です。

できるだけ楽に、楽しく暮らしたいものです。

普通の人なら悪い事をせず、出来る努力を最大限して

上手に良い人とおつきあい出来れば運は開きます。

でも、もし

自分は運が悪いと自覚があるとすれば

その人は自分の中に、自分でも嫌になる

こころの「癖」を、おぼろげにでも自覚しています。

そして、孤独に、自虐的に、攻撃的に

自分に自信を持てる生き方を最初から諦めている。

そうなると、その人に、一番大事なことは

そこから飛び出す「勇気」をもつ事になります。

毎日欠かさず眺める鏡に「勇気」と書いてみて下さい。

そして、良い事をすればいい。

良い事?

悪い事の反対のことです。

自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


そうそう、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これはしょうがないことです。

だって運が悪くなる事ばかりをしてきた結果なんですから

その上、

まさか自分が生まれた環境も、その結果だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

ただ、このこと(因果)を自覚し

それを受け入れる事。

受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなした業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じるからです。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は、豊かに、満たされ、巨大に充実して行く。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

まとめ

先日、紬(つむぎ)織りの着物についての番組がありました

もともと紬織りは絹織物の商品としては使えないクズ繭を

農作業や普段着の着物をつくるために利用した布地だそうです

最初はゴワゴワして少し着にくいそうですが

身体に馴れるとともに布地が柔らかくなり

ゆったりとその人の身体に合ったきて

着る者を包み込んでくれるそうです

その理由は紬の糸はクズ繭(手をかけなければ糸としては使えない)

を使うため糸にノリとして唾をつけ、物凄い手間をかけ

糸をよっているので、キツくよったその糸が時間と着る人の動きで

だんだんと緩んできて、柔らかく優しい風合いをだすのだそうです

人も同じなのかもしれません。

最初から一等の絹糸として世に生まれ表の道を歩み続ける

染めの着物もあれば、紬のような織りの着物もあり

おのずと格式がそこに生まれたとしても

時が過ぎれば同じ価値が両者には生まれます

クズ繭をクズだから使えないと言って捨ててしまっていたら

今の紬はあり得ません。

人生と同じです。

教室のご案内2

今日、どんな人を対象に教室を開くつもりですか?

私も学んで良いのですか?とタイムリーな質問を

頂きました。その場でお答えしたことの補足をしておきます。

この教室で教える四柱推命は泰山流でも特別なもので

始めはプロの鑑定士の方、多流の師範のかたに限定して

教授されていたものです(初級教科書の四柱推命実践講座の

あとがきにこの辺りの経緯がかかれています。)

それが機会があって鑑定とは無縁な方に教える機会があり

かえって、プロの方達より大きな成果を出されたところから

一般に公開され始めました。そのくらい価値のある教えで

例をあげれば、一般的に吉星と言われている

官星 財星 印綬などたとえ命式についていても

決して吉星とは見ず、また離婚の原因とか破財と呼ばれている

比肩、劫財も十干の姿により凶の星とはならず

かえって吉の作用をするのです。傷官しかり。

たぶんこれは、四柱推命を統計学と言っている

鑑定士さん達にとっては寝耳に水、目から鱗

だと思います。そのくらい特殊でまた、実践に即しており

確実な鑑定法です。またもう一つの特徴として

確実に運を開くための用神を最初から最後まで一貫して

追求し、それを最重要な判断基準としており

一般におちいりがちな、○○殺があるから何をやっても

ダメなんだとか、この星があるから......。などと

悪い原因を全て星のせいにし動かす事のできない

宿命的なものの考え方に陥るような学びの副作用は

絶対に生じません。これが用神を追求し続ける所以です。

ただし、この教えを受けると、悪いのは星のせいではなく

用神を追求しない自分のせいということになり、

結果的に自分を見つめなおす大きなキッカケになりますが

それを知らぬ時は100パーセントの闇だったものが

自分の運勢を知る事で、その闇により何をやっても無駄だと諦めていた

自分の人生を、変えてもいいんだという確信にかえることができます。

そのくらい苦しみの原因と、苦しみから逃れるための

間違いのない根拠というのは

人に勇気を与え、一歩を踏み出させる力になるのです。

ですから、もちろんご自分の四柱推命に対して満足がいかない

プロの方もそうですし、初めて本格的な占いを学んでみたい方もそうです

人として納得いく人生を歩みたいと思っている方全てに対して門戸を開きます

また、人に対しても自分に対しても、いつでも暖かい心でいられるような余裕のある心を

作っていくことも教室では目指します。

人の運命を知る事は、このくらい人の心に変化を与え、世の中の

見方が変わって来るものです。

とても価値のある教えです。

文字通り奮ってご参加下さい。

心の中の仏

ブログに載せたものの再掲載です。


誰の心の中にも仏様がいます。

これは私が言っているのではなく

仏教の教えの中にあるもので、

如来蔵と言う思想に由来します

大乗仏教の二本柱のひとつで、もう一つが空の思想です

(お釈迦様は縁起の法則しか説いていない、それ以外は

嘘っぱちだと唱える学者先生がたも日本にはいますが

問題になりません)

それぞれを説明するのは専門書が何万冊とあるので

興味のある方はそちらに当たって下さい。

我々にとっての問題は、心の中に仏があるのに、

なんで自分は人にやさしくなれないんだ?

このへんでしょうか。

でも、その前に確認することがありますね。

「人にやさしくなれない」と言う時、その人は、どの人?誰?

これを確認しましょうね。

大抵の人は、特定な、ある人物に対して優しくなれないだけで

それ以外の普通の関係の人に対しては、常識的な態度だし、

特に自分の仲間に対しては素直だし、

友人のためには、自分を投げ出す事さえします。実は、

特定の人物を、その他の人と同じに見ることが

出来ないのが、このような言葉を言ってしまう原因です。

その人と、それ以外の人がミソクソ一緒になってしまっていて

必要の無い自己嫌悪の元になっている。

理想を持って生きている人達が時々落ちてしまう落とし穴です。

「特定の人物」これには色々あります。

自分を傷つける人、敵に見える人ですね

日常を平和に過ごすために、仏の心を持っていきたい。

これは、すばらしい理想です。

けれども、間違って欲しくないのは、

弱肉強食の世界で生きている人は

逃げて、自分の居場所が無くなるのであれば

戦う必要がある、守るものがあるのなら、

戦わなければなりません。

仏の世界と違うのがこの世界です

それならば、

そこから離れた時(一日の仕事を終えた時の意味です。誤解しないように)

自分の中の仏を磨くことです。

そして、この切り替えがとても難しい。

我々の心の中の「仏の心」の上を厚く自己防衛本能が覆い、

こんな奴には、やさしい言葉など意地でもかけてたまるか!と

身を堅くし、警戒する習い性になっているのが

われわれの日常の姿です。習い性になっているものだから、

相手かまわず、身構えてしまう。いつの間にか

何が原因なのかも忘れてしまい緊張が解かれるときがありません。

原因さえ解らないストレスの固まりです。

だから、先ず心の底を厚く覆ったこの日常と、

心の中にある本来の優しさを区別することが

最初にするべきことです。

今の、この瞬間は、緊張する必要はありません。

おだやかで、やさしい、本来の自分の姿を思い出して下さい。

仏教では誰に対しても(命あるもの全てに対し)

平等に見ることができる知慧を

「平等性智」といい仏の五智の一つに数えています。

仏道修行の一つの到達点です。

このくらい自他を平等に見ることは難しい。

ですから、仏様のような心で過ごす事を諦めることはないし

そう思うこと自体が仏の心の現れです。心の底でその心が

強く、顕現する事を願っている証です。

推命は平等性智慧を学ぶ切っ掛けにするには

とても良い学問だと私は思っています。

愛の形 1

愛には色々な形があります

人を傷つける愛もあります

この愛はギリシャ語でエロスと言われ苦しみを伴う愛

として認識されていました。ラテン語ではキューピッットとなり

ともに神格化され、行動にその本質的な性格が現れています

エロースは嘲笑された腹いせに、笑った神に金の矢を射り

目の前にいた女神に恋をさせました

そして、その女神には鉛の矢を射り彼からの恋慕を

嫌悪させるようにしました。酷い話ですね。

アポロンとダプネーの物語ですが

最後に彼女は父に頼み自分を月桂樹に変えてもらったそうです

木に身をおとしてもアポロンの愛を拒否したということでしょう

恋愛の神に翻弄された恋愛の一つの形です。

(恋愛の神を二人の運勢と言い換えたいところです。)

大事な法則

どんな人にでも良い面(長所)と悪い面(短所)があります。

それでは、運が良い人には短所がないのでしょうか?

無い訳がありませんね。

ただ、人より、自分の長所をアピールし続ける事ができ

短所を人前に出さないようにしているだけです。

起きている現象は単純なものですが

この事に費やす努力と時間の力積によって、

とんでもない格差世界が生まれています。

信用と実力の格差であり、人間関係であり、棲み分けです。

「引き寄せの法則」と言うのがありますが、考えてみれば、とても当たり前の法則です

フジテレビを見たいと強く願っても、NHKではフジテレビは見られません

NHKにフジテレビの番組を流してくれと抗議しても、意味のないことです。

なぜなら、本人だけがチャンネルのリモコンを持っているからです。

事故や先天的な苦労に代表される前世や先祖などの、

理由の分からないものが起因している事象意外のことは

自分の心を陶冶する事で必ず変える事が出来ます。

もし、今苦境にいるのに自分のチャンネルを変える気がないのなら、

変える事に意地を張っていませんか?根性焼きをし続けていませんか?

先ず、自分にあてた、タバコの火を身体から離すことです。

最初の一歩を踏み出して下さい。

そして、自分の良い所を見つけ、それを伸ばす事です

諦めなければ道は開けるようになっているのが

この世の大事な法則の一つです。
































官と財

官と財の関係について

ご存知の通り日干から見たとき

自身を「尅しにくる」星が官

自身が「尅しにいく」星を財といいます。

よく考えてほしいのですが自分を尅しにくるとは

どういうことでしょうか?

一番わかりやすいのは、官星は加害者 財星は被害者のことです



一般に官星は職業の星、主人の星と位置づけられ

命式にこの星があると出世しやすいとか

良い主人と巡り会えるとか言われています。

しかし、その実際は自分を使役しにくる星、酷使する星となります

これが「尅」の意味ですね。

その使役=命令に対し応える事ができればそれは

名誉の星、出世の星に変わる。

至極当たり前の事です。

しかし、その本質を無視して都合の良い面だけが

普及した事により大きな弊害が生まれています。

特に、見合いの相手の鑑定で「官星が無いから出世しない。

やめときなさい」などと鑑定している輩が多くいることも

事実です。



次に財星についてですが、(日干が尅す星のことですね。)

一般的には財星はお金の星、楽しみの星、

異性の星とされています。その本質は

日干(自分自身)が

「無条件」に使役する、使い回せる星となります。

自分が自由にできるハズのもというところでしょうか。


大部分の人が自由にしたいと望むものとして

お金、異性の星としての意味がこういうところから

生じています。



ここで、さらに考えて欲しいのですが、こんどは官星から

見た日干の通変星の姿は何でしょうか?

官星から見たとき日干は財の星になります。

そして、これがどれだけ危険な事なのかにお気づきでしょうか?

先に書いた

被害者と加害者の関係を思い出してください。

さらに、官星が命式に無くても、社会のなかの関係性としての

官、財の姿があることに気付かなければなりません。

代表的な姿を例示しておきます。

「官」          「財」

上司           部下
  
 親            子

 夫            妻



教室の内容をあまり公開しても仕方の無いことなので

後は想像にお任せいたします。

このように一般に普及しているものとは全く違う推命法

通変星の解釈を学ぶことができる教室です。

さらに緒方先生の泰山流の用神法を学ぶ事により、運勢の

安定と危険回避のノウハウを身につけていきます。




趣味の延長で学ぶには難く、また、ご自分の出世のためだけに

学ぶにも難があるようです。

内容が内容だけに、あまり一般に普及させては

いけないのかもしれません。

10月からの新期推命教室

推命教室には色々な流派があり、ピンからキリまで様々です 

結局は、どの先生につくかはその先生とのご縁になると

私は思います。

私も緒方先生と出会うのに20年かかり、

それから14年の月日が流れて、いまだに

教えを乞うています。

それでも、どんな出会いにも切っ掛けというものがあり

大抵の人は色々な本や、ネットでの評判、派手な宣伝や

テレビ出演。現実的な問題として

講義の値段などや教室の場所の利便性で

決めていますね。

ところが我が洗心庵は流派は正統ですが

(一般の人に正当性を説いてもあまり意味がありません)

有名でもなく本を書いている訳でもなく、

のらりくらりと生きて行ければイイヤ程度の

心がけなので、世の中から忘れられた状態です

ある意味とても心地がよく自由ですが、

教室を開き生徒さんを育ててみると

もうすこし、世の中に貢献出来るかも...

と思い始め一生懸命教え始めています

そこで、ここの教室で学べばどの程度の事が

解るようになるか私が研究用に集めた命式のいくつかを

たまに発表したいと思います。

鑑定法は用神法は泰山流でとりますが、それ以外は

先生の講義にかじりついて自然に身に付いたものや

私が研究の中から見つけ出した方法です それゆえ

間違いについては同門の責任ではなく

私自身の誤解から生まれたものです。

私の実力=流派のそれとはとらないよう

誤解がないようお願いします。


それでは、けっこう集めた私の命稿集から

公開しても大丈夫だと思われる実在の有名人の

人物解析をしていきます

本人解説はwikipediaからのコピー編集です

豊田商事事件 1985年6月18日

永野一男 

15歳のとき、島根県の叔父宅に預けられ、現地の中学校を卒業し、集団就職で日本電装(現・デンソー)に入社したが、2年で退職。その後は転職を繰り返し、商品取引業者の岡地に入社。岡地では高い営業成績を上げていたが、顧客の金を勝手に小豆市場につぎ込んで大穴を開けたことが発覚して解雇されている。豊田商事の現物まがい商法で数千億円もの金を集めるのに成功し、高級乗用車(ランボルギーニ・カウンタック等)を乗り回し、さらには自家用のクルーザーまで保有するなど派手好みではあったが、一方で「顔を知られると殺される」とマスコミを嫌い、社員ならびに役員にも顔をほとんど見せなかった。破産時、売り上げの半分は従業員への給与の支払い(支店長クラスで基本給90〜140万+役職手当90万これに支店の売り上げの0.5%が加算される)会社の運営資金として、残り半分は永野個人の先物取引での損失や会社としての事業の失敗により殆ど消えており、豊田商事には資産といえる資産は皆無だった。永野一男個人も、殺害されたときの所持金はわずか711円だった。

元命式の解釈 欲心の強い身旺 特徴は財星が天干に一つだけあり根がなく辰の蔵干の癸が頼りだが、常に未に焼かれ蒸発し消える予感を持って生まれてきている 財が無くなる事に対する不安がこの人の魂に刻まれた基本的な姿 
しかし皮肉な事にこの人が財を得ると地支の官星である木の官星が生じられ必ず本人を潰しに来る。とても神経質なところがあり、官星からのイジメを常に心の中で感じていた。ここで用神法等色々あるのですが端折って、月の柱の丁と日干は未に通根し未が潰れれば両方が潰れる関係 これが彼の急所になります。 ここまで元命式を読んで次に大運年運との絡みを読めば、彼の人生そのままの姿があらわれてきます。

年干支の壬は丁と干合しているので 金に対する執着、手段を選ばない欲心 辰の財庫が年の柱にあるので、これは他人が集めた金=最初から他人の金に興味がある人 22歳からの戌の運で冲開している 同時に土星大過、欲心が嵩じる 乙丑年 一番大事な未の根が丑に冲され、さらに年干壬に透干する さらに大運は辛亥運に変わり、亥卯未木局し財運が旺じ官星が局を結ぶ。財大過の現象と官の現象が起き、日干を粉々にし、流してしまう。流土。乙木でも己は剋せると教科書にある通りの現象。 
                    
1952年 8月1日  1976年 24歳  庚戌運 丙辰年 3月スリで逮捕 
            1978年 26歳  庚戌運 戊午年 豊田商事の前身
                                 の会社創業 
  己 丁 壬     1985年 33歳  辛亥運 乙丑年 壬午月 戊子日
  卯 未 辰                     6月18日刺殺される

52 42 32 22 12  2      
 壬  辛  庚  己  戊  丁
 子  亥  戌  酉  申  未

わりと単純で解りやすい命式です。教科書として使っている緒方泰州著「四柱推命 実践鑑定講座(基礎編)」を詳細に読んでもらえれば、一般のかたでも理解出来る命式です。

さらに、本人解説と一緒に読んでもらえれば、なぜマスコミに顔がバレる事を避けていたのか等々いろいろ見えてきます。彼の急所が運勢に直接叩かる形で死期まで予言出来る命式ですが、決して誤解しないで欲しい点があります。それは丑の冲は彼のそれまでの生き方が試される時期という意味合いで、必ず死ぬことが決定しているのではありません。もし良く人に尽くし、他人から恨まれるようなことをしていなければ絶対に殺されません。もし、用神を使って生きていれば、事業をしていたばあいでも最悪メインの取引先が倒産し、資金繰りに奔走しなければならなくなる程度です。それでも、まだ、力を貸してくれる人は現れていたと思います。用神法とは人を活かす方法で人の可能性を謳っています。私はとても貴い考え方だと思っています。どんなに今はダメダメでも進む方向を修正し、諦めなければ道は開く。私が学んだ用神の考え方の一つです。

断命する実力がないのではなく、人の可能性を信じるから推命としています。

生徒さんへ

亡くなった方を例題にするなど、とても不遜なことですが、手を合わせてこの方の人生を見せてもらい、星の姿と動きを研究してみて下さい。また、用神を取れる人はどうすればこの人が死に追いやられるような事がない生き方が出来たかを考えて下さい。あなたが彼から相談されたときどう答えるかということです。

よくある「オマエは死ぬ運命だ」と罵声して逃げる事はしないで、粘り強く考えてみて下さい。


教室に興味がある人へ

私の教える推命はご覧のように本人の流れる魂の血の色まで見分けるものです。何人かの生徒さんはこのことを「怖い」と表現していました。でもこれは医学生の解剖の授業と同じで、目的ではなく運命の基礎の理解です。この魂の構造を把握した上で、いかに魂のゆがみを直し、病を治すかが本題です。

四柱推命の古典の典雅さに触れ、古典を学びたい方には、こちらの実践鑑定法は美しい語句も並ばず、ただ、おどろおどろし過ぎて主義に合わないと思います。また、結婚の時期を知りたい、良い相手と結ばれたい、相手の気持ちが知りたいというお嬢さんには、相手の腹の底が見え過ぎて、多分、絶望するでしょう。また、自分の星の現状に悲鳴を上げるかもしれません。暗く落ち込むかもしれませんね。お金を払って落ち込むのは浪費でありマゾです。けれども、生きたいと強く願う意思があるのならば、今度は自由に空を飛べるようになるかもしれません。まったく違う人生を保証します。

恋や結婚が破れたとき

「どうして?」と誰もが問います。

(もちろん明確な理由がある場合は別な話ですが....。)

原因をあれやこれと考え理由を求め苦悩する。

けれども、合理的な理由を求めても

答えが出ない事を悟らなければなりません。

なぜなら、運勢の星に支配された出会いであり

その出会い自体が非合理的なものだからです。

先に書いたビビットの直感などというのは

最たるものです。

恋愛以外ではとても優秀な直感なのですが

こと、自分のことになると効かなくなるのが、

世の常で、霊感関係の占師さんも、よく、

そうおっしゃられています。それを回避するには

自分自身の運勢を知る事が必要なのですが

運勢などというものを意識して人生を過ごす人は、

まず、いません。

心に大きな傷を負い、初めて

自分って「なに?」

これって「なに?」

と問い始めたとき初めて運命とか運勢とかを意識し始め

いわゆる非科学的な占いの世界に理由を求めるのですが,

実は、この世界は非合理でも非科学的でもありません。

例えれば星どうしの化学反応で

それを判っている人と、判っていない人がいるだけです

判っていない人は統計学とうそぶき

教えられた通り、この星があるから

こうなる。お前はダメだと居丈高に紋切り型の答えをし

専門用語で煙にまき、そこに何が起きているのか判らない

運命の一言でかたずけます。

判っている人は普通の言葉で当たり前の話をし、

専門用語は使いませんが、そこに真実があるから

心に響きます。当たった、外れたの話ではなく、

今ある苦を解決するための方法と、

人生を改善するための智慧を提案します。

過去に合理的な答えを求めてもそこに答えは

ありません。けれども思うような未来を作るためには

必ず、合理的な理由が必要です。

運勢に流されるのではなく、たとえ何パーセントでも

自分の思うような人生を作る事が人として価値のある事です

実践鑑定

緒方泰州全書の13巻の(四柱推命学奥義伝)

第5章実践鑑定各論の138ページの5行目に

実践鑑定においての心得が書かれています。

「実践鑑定において心得なければならないことは

四柱推命はあくまで運勢を計る物差しであり、

運勢を開く者はあくまで、その本人の努力です。

実践鑑定を行う者の目的は、わずか針1本でも

他人の苦を抜くことに務めるべきであり、推命学を面白おかしく当てる

当てものに堕落させることは慎んで頂きたいと思います。」

このようなことを宣言している先生から私はこの推命を習いました。

鑑定免許を頂いて以来、鑑定する際は常に肝に命じて

鑑定してきたつもりです。

教室では他人の苦しみの針を1本抜くことが

自分の苦しみの針を1本抜くことだと教えられてきました。

その通りだと今は実感しています。

教室を受ける方は自分はプロになるつもりはないので

推命なんて学ぶ価値はないと思う方が多いかもしれません。

けれども自分自身の運命に関して何らかの不安や

疑念を持っているのではないでしょうか、また

どうにかしてこれだけは直したいと思っている心の癖が

あるのではないでしょうか?そのような人生の苦悩をもって

私の所を訪ねてこられる方も少なくありません

ただ、私の経験では、こちらが誠心誠意その方の運勢を説明し、

過去の心の動きを手にとるよう指摘し、すべてがその通りで、

驚愕し、私の目の前で震えていても、数日たつと

自分を変えることに抵抗し始める人がいます。その場では納得し、

こちらが用神の指導をしても、今ある問題に揺れ、

もとの自分に戻ってしまう。業が深いといえばそれまでなのですが、

多分、どんなに正確な、その時は胸を打つ情報であっても

他人に言われることは、本人が体験し気付きが生まれる程には

説得力がないのだと思います。

それならば、自分自身で自分の運勢の姿を学ぶことが

最高の気付きの場になるのではないでしょうか

自分の運を乗り切り、運を開く努力を裏付ける根拠としての

推命の価値は計り知れません。

私自身はそうやって自分の苦悩を解決してきました。

将来首相になるよとか、大金持ちになる、スターになれるとか

そんな鑑定法は教えませんが自分はどのように生まれているのか

どうすることが人として価値のある生き方なのかは確実に

理解できるようになります

緒方先生が完成させた特別な運勢鑑定法です。

ご自身の運勢を映す鏡として学んでください。

新年にあたって



「身はたとへ何処の野辺に朽ちぬとも留置まし科学者魂」脳科学者の澤口俊之先生のブログの2011/01/03「恋愛の本質は自己向上努力」がおもしろかったので紹介しておきます。公式サイトの左にあるブログの欄から入って下さい。 

澤口俊之の公式サイト

このブログには澤口先生の考える科学的データーに基づく恋愛の本質論が書かれています。

しかし現実は複雑です。

ここに書かれていることと照らし合わせて見ると

現実で行われている「恋愛」と呼ばれている行為は、

取引だったり、おねだりだったり、妥協だったり、

優柔不断の産物であったり、やるせない依存であったりと複雑です。

先生のブログにあるような本質的な、お互いを高めるという行為が伴えば

本物の恋愛になるのでしょうが、それに気がつくまで、

精神的にも物理的にも、

ただ、相手を貪り、自分を満たすためだけのパートナーのままで、

厭きれば別れることになります。

相手を自分の思い通りにしたいと、狂おしい日々を、

もし、送っているとするなら、少しだけ、自分の人生について

考える時間をもつことをしてみませんか?

自分の価値は若い、今しかないと思うのではなく

自分がおばさんになった時、

貴女はどんな人になっているのか?



若さと言うのは誰もがキャットウオークを

歩いているようなものです

欲しい物が手に入らないと嘆くのではなく

親が悪いと誰かのせいにするのではなく

もし、誰かのせいで自分はこんなに苦しいんだと思う相手がいるのなら

その憎しみに縛られているうちは、その憎い相手が

貴女の人生のキャステイングボードを握っていることになります

自分から手放すしか自由にはなれません


一番美しく力強い今、将来の基盤を作って下さい














結婚出来ない女性 ワースト20

昨日テレビで結婚出来ない女性ワースト20という番組を放送していました

20位 デートで相手におごってしまう人(自分の価値を捨てているのと同じ
                                事だそうです)

19位 結婚しなくてもいいから子供だけ欲しいという人 (9割型不倫をしているとのこと)

18位 バーのカウンター(居酒屋)で一人で飲める人 

17位 結婚相手に普通の年収を求める人  (ちなみに一般的な女性が相手に求める
                            年収は600万だそうです)

16位 なんでもメールで済ましてしまう人

15位 好みのタイプが架空のキャラクター(アニメや漫画のヒーロー)

14位 笑いにうるさい人

13位 困った時に占師に相談する人   (非科学的)

12位 メイク時間が11分以内の人   (なおざりなメーク)

11位 靴が個性的な人         (個性が強過ぎて嫌われる)

10位 将来に備えてマンションを購入する人 (負債が嫌われるそうです)

9位 恋愛より仕事を優先する人      

8位 毎日親に連絡する人

7位 一人暮らしでペットを飼っている人

6位 黒や暗い色を着る人 黒は男性を遠ざける色だそうです (ピンク オフホワイト
                                パープルが恋愛色)

5位 頻繁に女子会を開催している

4位 スケジュール帳が1ヶ月先まで埋まっている人(フラワワーアレンジメント 
                         ワインスクール 語学スクールは
                         男性が興味が無い趣味だそうです)

3位 自称つくす女と言うひと

2位 結婚相手に同じ価値観を求める人   (統計的に稀だそうです それよりも価値観
                      を埋める価値観が同じ人が良いそうです。)

1位 彼にお金を貸してしまう人      (お金にルーズで家庭を管理出来ないと
                                 思われるそうです)


このうち13個以上当て嵌まる芸能人の方の星を調べてみたのですが、その通りかもしれないなと妙に納得させられました。

一番の特徴はどんなに華やかに見える世界で生きていても、自分に自信が無く、相手ができれば、どこか最初から家庭を持つ事も結婚して正式な妻になる事も諦めてる。たぶん何回かはとても良い人から結婚を申し込まれているはずですが、自分から断っているようにも思えます。最終的には正式な妻になることに怖じ気づき、今のままでいいのよと相手に言って、男が去って行ったというのが星から見た生き方です。しかしこのような方は、誰かが側にいて本人が納得するような形で背中を押してあげれば結構よい結婚が出来、それほど深刻に考えなくてもよいものです。

肉食系のハンターと自称していた女優さんも出ていましたが、これは別物です。このような人はいつでもキープ君がいて、誰かにバカにされたり、見下されたとき、結婚して相手を見返すことをし、また、自由になるため離婚する。
先に書いたひととは別世界の生き物です。この方達に出す処方箋は基本的にはありません。唯我独尊ですから、他人がどうのこうの言う必要はありません。




このデーターは全国1万人29歳から49歳までの独身女性の行動を恋愛研究のプロが分析しランク付けしたものでこのプロの方達が正しいかどうかは別の話しですが、ある程度は参考になると思います。

その中で大学の先生が話していたのですが結婚はタイミングが大事で結婚バブル期というのがあり、これは恋愛に熱くなってお互いの悪い所が見えなくなって、とにかく結婚してしまえと思う時期だそうで、酷(ひど)いなーと思いながら見ていたのですが、この時期を逃すとお互いが冷静になり、なかなか先には進めないそうです。


結婚は難しいものですが、とにもかくにも一度は結ばれたご縁を大事にし、お互いが忍耐強く家庭を守って欲しいものですね

他人を変える事

よく自分の彼氏や、家族に「変わって欲しい」と言う人がいます

本人達も関係が悪くなる前は直接相手の欠点を

指摘したり批判したりし、努力をするのですが

結果的に関係を悪化させ、どうにもならなくなっている方が

とても多い。さらに、中には宗教やスピリチュアルなセミナーに参加し

なんとか相手を自分に好ましい状態に改善しようとする。

中にはそれを成功させた人もいるかもしれません。

しかし、そのほとんどは元の木阿弥なのではないでしょうか?

どうしてでしょう?

基本的に人は自分が楽な事しかしません

特に関係性に緊張感がなくなってしまえば、露骨に自分を出し始めます

相手に変わって欲しいと言う人も

良く話を聞けば、自分も変わった方が良いのは解っているが

相手が変わらなければ自分は変われないと言っている人が

ほとんどです。

より多くを望むのなら、自分が、先に変わるしかありません。

でも、本当は今のままで十分なのに、

それ以上の何かを、誰かと比べて求めているのかもしれません

その辺の考察は大事です。

次ぎに増上果です

漢字からのイメージだと、なにかがさらに増していくような

イメージですが、実は、その人の「環境」に結実した業の結果で

その人の生まれる器としての環境のことです。

たとえば、メチャクチャ厳しい家族のもとに生まれる等、

ラジオの周波数のように

積み重ねた業と同期する環境の中に生まれ、

そこで生きることを言います。

親を選んで生まれる事はできないと言いますが

「それは違うよ。あなたの積んだ業にふさわしい

親を選んで生まれてきているんだよ。」

これが仏様の説明です。

誰のせいでもない、自分のせい。

「ぜったい違う。自分は悪くない。そんなこと憶えていません!」

ならば、自分の心の癖を十不善に照らし合わせて冷静に

検討してみて下さい。



どうにも変える事が出来ない人生、苦しいままか!クソ死ね!

こんなアクタイをついてもしかたありません。

もう少し、冷静に仏さん達の話しを聞いて下さい。

業の種類とその結果としての姿について書いてきましたが。

大事な事をもう一度おさらいしたいと思います。

それは、業は行為の積み重ねで身体、言葉、精神おのおのの

活動に依ります。つまり。悪であろうが、善であろうが

行為には必ず結果が生じ、その果実は自分で刈り取ることになる。

だから、

一番最初に楽になる10の方法としてそれを書いたのです。

以下は、その善なる業の果の説明になります。


この十善業の等流果は殺生を断じれば長寿で病が少なく

偸盗(ちゅうとう)を断じれば財があり敵や盗難もなく

邪淫を断じれば伴侶が美しく、敵対するものが少なく

妄語(うそをつくこと)を断じれば、皆から軽んじられる事がなく

言う事に威儀が生じ、両舌を断じれば周りのものに敬われ

悪口を断じれば、悪い噂や身に覚えの無いゴシップは無くなり

綺語(おしゃべり)を断じれば言葉に威厳が生じ、

貪欲心を断じれば思いが叶い、害心を断じれば傷害が無くなり

邪見を断じれば仏様に近づく。

十善業の増上果は円満であらゆる事に満ち足りた環境となると

されています。

この国は環境的には十善業の増上果なのですが

個々人は苦しく辛い人がとても多い。

楽になる道を選ばず、苦しみが生じる種ばかりを

播いているからとしか言いようがありません。

なぜか?

それは、因果についての理解が足りないからなのではないでしょうか。

因果が解れば、いまこの瞬間から人は変われます。

どうやって?

10の自分を苦しめる行為を止めて、

楽になる10の行為を積極的にしていけば必ず変わります。

汚れたコップ(器)の水を飲めるようにするためには、

コップを変える事が出来ないのなら清らかな真新しい水を

注ぎ続けるしかありません。

(持って生まれた「人間」という我々の器は変えられません。)

まず、自分の心の癖を自覚する事から初めてください。

そして、焦らずに続ける事です。

吾唯足るを知る

先日、何年かぶりで吾足るを知れりの言葉を推命の教室で

先生から伺いました。ある種の元命式の方に対しての

対処法になるのですが、禅に興味があったときに

よく目にしていた言葉です。その頃は、情けない話しですが

努力しない言い訳として使っていたような思い出があります

京都の龍安寺のつくばいが有名で

真ん中に四角く水を受けるくぼみがあり(口)

四方をそれぞれの吾、唯、足、知の文字の一部が刻まれた

クイズによくある組み合わせ文字です

知足と言う言葉は老子でも仏教でも言われている

ちょっと深い言葉ですが

今の自分に満足することを教えるものですね

知足の反対は不足になるのでしょうが

どうも、私たちは自分に足りないものばかりが気になり

足りているものに関してはまったく無視しているようです

その価値は無くしてからしかわからないのかもしれません

これが普通の人の姿です

我々が流す涙の大半はこのことに原因がありますね

時間は戻らないのだから、なんともしようがありません

それならば、やはり現在の自分を見つめ直す事が

よけいな涙を流さないための最善策かもしれません

中高年へ

人は生まれたら死ぬもので、これは運が良かろうが悪かろうが共通して起きることです

その死に方は様々ですが、生き方により決まってきます。

問題は生きることです。

若さや運勢のせいで、挫折したり

普通の常識やルールを外れるレールに乗ってしまったとしても

人生は続きます。時には人から後ろ指をさされることもあるかもしれません

けれども、一度、充分に自分を責めたら、

今度はそうゆう自分を受け入れてくれてた人達への

恩返しのための新しい人生を歩んで下さい。これが一番の罪滅ぼしです。

(自分を罰することに逃げてはいけません。自分を罰し続け、落ちたままで、自分を汚し続けていると、それが日常になり、何のために自分が落ちているのかまで曖昧になりわからなくなってきます。人の心はそんな風に出来ています。壊れないために忘却の作用が起きます)

そして、堂々と運勢に立ち向かえば必ず、自分を許すことが出来るようになります。

もし、あなたが一人で、孤独なら

人の心の中にある仏性と呼ばれるものを信じて下さい。

仏教では如来蔵と言われるものですが、

人の痛みを自分の痛みとして感じる心、優しさ、憐れみの心

慈悲の心と呼ばれているものです。良心とも呼ばれるものです

ただ、これは自分にだけ向けると、残念ですが、悪になります

他に向けてこそ善になります。一日のうち

この心の状態を、出来るだけ長く続けるようにすれば心は充実してきます

孤独だと嘆く前にやって見て下さい。実際、こんな知識は抜きにして

ペットを飼ったり、植物を育てたり、自然に人はやっています

何か(誰かの)のやくに立っていることが、人の喜びの源泉です

自分の愛を与える対象を限定し、それにそぐわないものを排除しているというのが

真の孤独の原因です。自らを檻の中に入れ、重い鍵を自ら閉めている。

クリスマスキャロルという映画にもこれが描かれていました。

映画では主人公のスクルージを、共同経営者のマーレイの幽霊と

クリスマスの精霊が、奇跡に導いてくれましたが、

現実は厳しく、自らがそれに気がつき、自ら行動するしかありません。

この一歩を歩みだす勇気を持つこと。

これが中高年になった我々の課題です








善と偽善

なにか良い事をしようとする人を、よく偽善者と揶揄する人がいます

でも、本当の善なる者は世の中にいるのでしょうか?

私はいないと思います。

なぜか?

それは人は不完全なもので、欠陥があるが故に、

良い事をしてそれを補おうとするからです

そのようにできている。

良い事をしようとする人は、人間の弱さやダメさに気付いている人です

人は弱く、悲しい。だから、励まし合い、笑い合う事で、日々の苦しさを

軽くし、明日生きる力を養っている。

それぞれの年代にそれぞれの苦しみと悲しみがあり、

同じように生きています。それが人間です。

行動する事を偽善というのは、ただの、頭でっかちで利口ぶりたい、

本当は、ただの恥ずかしがりさん達です。自意識過剰やさんですね。

最初に戻りますが、良い事をして自責の念をチャラにしようとした、

世界的に有名な人がいます。それはノーベル賞のノーベルです

ノーベル本人は今で言えば大量破壊兵器の開発製造販売卸の死の商人です

ノーベル平和賞などと言うのは、本来なら

チャンチャラおかしい、偽善者の典型的な賞なのですが

時がたち、平和を意図している人にとっては、本人達には不要な名誉かもしれませんが

象徴として、とても影響力がある大事な賞になっています

この賞はノーベルの遺言によりなされていますが、

富と名声と悪名をはせても、結局最後は、良い人になりたかった。

私にはそう思えます。偽善者を一生続ければ、本物の善者です。

良い行いには偽も真もありません。ただ、行動するだけです。


六道

六道輪廻の話しを書いたので少し補足しておきます。

六道とは地獄 餓鬼 畜生 人間 修羅 天

この六種類の生活する境界があるという仏教的な考えかたです

いわゆる死んだ後どこに生まれ変わるかという話しなのですが

仏教をあまり勉強していない教祖様にかかると

今生きている我々の病気や、職業や苦しみかたで区別し

差別の基準にしています。

とても面白いです。例えば職業で、大学教授は天界

○○病は地獄界 等々です。2、3の新興宗教の教学部発行というものを

読んだことがあるのですが、ほぼ同じです。ネットにもでています。

「うちの信仰をすれば、地獄界の因縁が切れる」というやつですね。

有名な某教団を家族で信仰しているエース格のひとが、

ある病気にかかった途端、自慢げに話していた信者さん達の会話から

そのかたの話題が消失したという

都市伝説のような笑い話があるのですが。推して知るべきことです。

お釈迦さんは初期教典で、人の差別はその人の行為に依ると解かれています。

バラモンが人殺しをすれば、そのバラモンはただの人殺しだという意味です

スードラが人を助ければ、その人は尊敬されるべき菩薩です。

生まれながらに、その人間の貴賎が決まるのではなく

その人の行為に依って尊い人、卑しい人が決まるという意味ですね。

どれだけ、これらの新興宗教が恐るべき間違い犯しているか。

仏教の衣を被った鬼の集団です。だから彼等は脱退者に対して

村八分よりも酷いことをしています。

信者さんはウソをおそわり、その上、鬼にされるのですから。

怖い所です。


それでは六道をどう考えれば良いのかという問題です。

仏典を読むと、地獄界には炎熱地獄が8段階 

寒地獄が8段階 その他に孤地獄、副地獄の計18となっています

地獄に生まれる原因として「怒り」があげられ。主に強い怨恨や欲望から

殺したり、強奪したり、呪ったり、等々、

こりゃ、落ちても当然だと言う行為の

成れの果てとしてここに生まれるとされています。

次ぎに餓鬼界は貪欲により生じ、常に満たされる満足感が無い世界で

飢渇に苛まれる世界をいいます。どんな素晴らしいものを得られても

得た途端に苦しみの炎に変わり身を焼くことになるそうです。

(ブランドものを欲しくて欲しくてたまらなかったのに、手にした瞬間

どうでも良くなり、他のブランドに食指をのばす。一時が万事です。

異性に対しても同様なことが起きていたら、この境涯を疑ってみるべきですね)

畜生界は、ただ貪るために、知慧をすて、自立をすて、目先の

食べ物を貪った故に生まれて来る弱肉強食の世界とされています。

(叩かれても、蹴られても、ときどきおいしいエサを与えられれば
そこから逃げないし、逃げることすら放棄する。)

修羅界は、それなりに力があるのに

嫉妬と妬みに常に苛まれ、人と自分を比べ、闘争に明け暮れる

とされています。

天上界は力もあり、満足し、喜びや快楽にたゆたい、現状満足のまま

向上する気も起きないとされています。

人間界は他の全ての界に対して平等にチャンスが開かれている。

地獄に生まれるチャンスも、天界に生まれるチャンスも、

さらに、この六道を越えるチャンスまである(仏の道)

そう仏教では説いています。

人間にはチャンスがあるゆえに本来は六道の最上階なのですが

たぶん、教祖様が安逸を求めるが故に、天上界を最上と

決めたのでしょう。教祖様の心の声がこんな所から聞こえてきます。

欲しいのは仏教的な成功(輪廻を越えること)ではなく、

世俗での成功者の姿ということなのでしょうね。

(昔は密教の鬼才といわれた先生が、昔は即身成仏を解いていたのですが、最近は、良い境涯に生まれ変わりましょうなどという、完全に宗旨替えの本を出していました。奥様を亡くされてから、良い噂が無かったのですが、結局、彼の人生はなんだったのでしょうか。)



多くのフアンが沢山いる龍でさえ、仏教では畜生の類にあり

ガルーダに食われる苦しみや、熱砂を降らせる苦しみを

享受し、術者に使役される暗愚を指摘されています。

畜生なので、自分で選択することができないらしいとは

私もつい最近まで知りませんでした。


六道輪廻の考え方は、さらに深く先があり、入り口程度を

少しだけ書いておきましたが

世の中の実際に当て嵌めると、

ものすごく理解しやすい考え方です


そして、こんな感じで自分の姿が見えてきた時、

どうすれば、上にイケルのか?

こんどは、これが問題になってきます。

結婚した後、必ず不幸になる法則が有るのをご存知でしょうか

ほんの一部ですが書いておきます。

それは

1、今の主人を誰かと比べる事

2、相手に甘えすぎる事

3、悪いのを相手のせいにする事

4、自分の能力や収入を主人に誇示する事



誠実に謙虚に相手と接する事ができれば必要のない注意事項ですが

相手のこんなはずではなかった場面に何度か遭遇すると

必ず上記の事が首をもたげてきます。

1は特に元カレと比べ始めると、結婚自体を後悔し始め、笑顔が消えて行き、やがて会話が消えて行きます。

2は相手への期待です。もっと話を聞いてくれてもいいのに...。自分の事を肯定してくれていいのに、愛しているって言ったじゃない....。と男性から見れば理由のわからない理屈をこねられて責められ、これが続けばどんなに熱い恋愛をしたとしても愛は冷めて行きます。

3は自分のストレスを相手にぶつけている事に気付かず、さんざん耐えた夫が耐えかねて意見をすると、アナタの一言が私を傷つけたと一気に被害者に自分をしてしまうことです。

4は、この事に気付いている方は少ないのですが、本人にしてみれば普通の会話がご主人のプライドを自然に腐らせ(萎縮させ)て行きます。社会的にも地位が有り、能力の高い女性に見られる事なのですが、いつのまにか御主人が外に自分の癒しの相手を作ってしまいます。「自分じゃなければダメな相手」などに行く場合が多い。

多くの方は事が起きてからこの点に気付くのですが、できれば最初から回避した方が良いし、まだ初期ならばここに書いた事をを改善のヒントにして下さい。

1〜3までは男性にも言える事で、男性の場合ストレスの処理を家庭でする人がいますがこれはダメです。

矛盾

人はどこまで行っても「一人」では生きられない生き物なのかもしれません。

これは、他の人が側にいなければ安心して生きられないと言う意味ではなく

自分の心の中に、何か拠り所となるものがなければ不安で不安で生きられないと言う意味です

私なども学んだ占術と推命術がなければ、不安で不安で生きられない

家族や仕事を拠り所としている人と何ら変わりません

これが、複雑な人間関係の原因です

子孫を残すという根本的な命題を人は持って生まれています

それゆえ、パートナーには安心感と生活力を期待し

より良き父親像、母親像を求めます。

これが男女関係の基本です。

ところが、生活が豊かになり、欲望が満たされる可能性が高まると

より多くを相手に期待し、他人と自分を比べ始め、足りない!が始まります

それが人類の歴史であり人の業です。

生まれ持った星は、明確にこの「欲望」の種類を分類し、

大抵の人がその通りに生きているのですが、その星を意識し

欲をコントロールする事が出来れば、本来の安らかな安心感のある生き方が出来ます

ただし、欲とは本人が心の底から望むものなので、それが満たされないと、

「もの足らない」感覚にしばらくは苛まれます。

(この時期が一番大事な時期です。人によっては元に戻ってしまいます)

どうやって欲をコントロールすればいいのか?

それは、この欲を使いコントロールするのです

どんなものにも必ず表と裏陰陽があり、その一面しか普通の人は見ていません

たとえば、人を愛してやまない人は、その愛を特別な対象に限定せず

誰に対しても惜しみなく与えれば菩薩の愛に変える事が出来ます

問題は対象を限定し、それに拘泥する自我やプライドからの

苦しみです。固執することですね

しかし、これは自尊心と呼ばれるものの力で人として失ってはならないものです

言っている事が矛盾していますね。でもこの現実に折り合いをつけることが

本人が生まれ持った課題です。

もし、今、何か課題を持って悩んでいるのだとしたら、

もっともっと単純に問題を考えて見て下さい

仕事が見つからない人は仕事に選んでもらえるよう、頭を下げなければいけません

恋愛が出来ないと言う人は、先ず、相手に出合わなければいけません。

けれど、安易な出会いは、とても短絡的な惨い事故を呼び込みます。

信用できる出会いの場、紹介者を選ぶことです 

今、恋愛している人は相手の足りない所ばかりを見てはいけません

自分の欲ばかり言ってはいけません、相手の言いなりになってもいけません

お互いを尊重できないのならば妥協点を考える事です。

厳しい言い方ですね。でも本当です。世の中はそんなに理想通りにはいきません。

本当の安心を求めるのなら心のつながりに比重を置きそれ以外は

なんとなくアバウトにしておく事がとても重要です。




















掃除と料理 洗濯

家事が苦手と言う人がいますね、でも、こんな風に思う事により

やる気が出るかもしれません、

料理は明日の自分の生き方をより美しくするため、

掃除は過去の自分の嫌な出来事を掃除するため

洗濯は新鮮な自分に生まれ変わるため

家族のためなら、料理は皆と自分の健康のため

掃除は皆が外から持ち帰った悲しみや悔しさを浄化するため

洗濯は皆の心を浄化し、日々新鮮な家族関係にするため

そう意識する事で、人の心は清まります

家事に気合いを入れることで、自分を浄化し、家族を浄化できます

日常生活が、そのまま癒しにつながる方法です。

心に思う事。そうすれば変われます。試してみて下さい。













落語

ときどき古今亭志ん朝さんの張りのある、明るい声が懐かしくて

落語を聞くのですが、とても元気をもらえる気がします。

落語の登場人物の人間模様は様々で、武士も町人も

お金持ちも、時には死体や死神までが「話」になっています

「そんなのは、しんきっくさくていけねーや!」と暗い話も明るく笑い飛ばす

心意気と、貧乏で懐(ふところ)は寒々しているのに、心の中はあったけー人が多く

陰々滅々した話でも、まっ、しょうがないね。で終わらせてしまう潔さが

素敵なのかもしれません。

人生が豊かです。「無いものをねだらない。」「終わった事をつべこべ言わない。」

「そんなこと、いつまでも、つべこべ言ってたら、世間様に笑われるぜ」

「おてんとさまを見てみろい、昨日は泣いていたって、今日は笑ってるじゃねーか」

「おめーだっておんなじでい」「めそめそしてねーで、顔洗って出直してきな」

これで、人生相談は終わりです。

お金持ちは別にしても、平均寿命が30代とか40代とかの時代で

めそめそしていたら人生が本当に終わってしまう。

世間は不況と言われていますが、心まで不況にしてはいけません

江戸時代の世相も現代とあまり変わりません。

先人達がそんな時代をたのしく生き抜くための知恵を

たくさん残してくれています。

たまにはそんなものに触れるのも良いかもしれませんね。

心が曇ったとき

落語を聞いてみて下さい。古今亭志ん朝さんがお薦めです。








6  

運勢から見た愛の形の話をします

星に依る、文字通り愛情を愛情として感じられる姿です

ある星は、相手から支配されなければ真の愛情と

感じられません。束縛されればされる程、愛が深いと

感じます。それに伴う暴力も愛の表現手段になることがあります

ある星は相手に尽くす事でしか愛を感じられません。

身を削り尽くします

ある星は、自分が相手を支配する事が愛のバロメーターになります

会社の社長のように自分に対する忠誠心を真の愛情と思っています

ある星は、そこに彼がいるのではなく、自分のイメージの

王子様が王子様で居続ける事が自分に対する愛だと本気で思っています

ある星は相手の自分に対する誠実さの一点に命をかけます

等々あるのですが

これが、絶対譲れない愛のラインで、それぞれの星にとって

これが愛の絶対条件になります

恋愛の観点から見た運命の相手です

相手に、これに値するものが無ければ愛情はわきません

けれども実際の世の中は、社会通念として適齢期になれば

結婚するものであるとされているし、

恋愛と結婚は別という思いをなんとなくわかっています

そして妥協して、好きだと言ってくれてるし

別に嫌いじゃないからいいや、と思って結婚している人が

おおぜいいます。一緒に暮らし、同じ時間を過ごす事によって

絆が生まれ、恋愛を越えたパートナーシップが生まれ

良い家庭を作る。これが人の可能性であり、智慧であり

これが本当は一番よい人生の過ごし方です

自分の欲望(愛の形)に呑まれない生き方です




異性運に罠が仕掛けられている人は

時期がくれば、先に書いた運命の相手に出会います

若いときに合っていれば、一生それが尾を引くし

年齢がいってから逢えば、家庭が崩壊します

誰にでも起こる可能性のある問題です


運勢というのは気付かなければ、そのまま

支配される事がとても多いのですが

気付いてしまえば、運勢と押し問答をやっているうちに

違う選択ができるようになってきます

たいていは、痛い目を何度か経験し

もう、こんな人生は嫌だと、傷だらけになってから

人生を変えたいと思うのですが、やはり、早ければ早い程

楽な人生が歩めます。

できれば、もう一度、自分らしい生き方って何?

と自問してください

そしてそれが、ここの書かれているような

運勢に縛られている生き方なのではないのか

を検証する事が大切です。

こんな人生は嫌だで終わらない事が大切ですね。

諦めない事です。

運勢を変える事

何年かの時間をかけて、喧嘩ばかりしているご夫婦の

運勢の改善に取り組んだ事があります

結果としては喧嘩もなくなり、相手の言葉も

自然に受け入れられるようになり、

とても円満な家庭にかわりました。

しかし、クライアントさんは

「なんだか居心地が悪い」とおっしゃっていました

面白いですね。願いが叶って居心地が悪くなるのです。

これはご本人の星に関わる問題で

夫婦縁に障害が出る星を持つ人は

必ず、相手に尽くすことと、見えないライバルと競い、

主人を修正し、改善しようとします。

その結果が夫婦喧嘩なのですが、

この修羅場の状態がその人にとっての自然体です。

運勢にとって、一番居心地の良い、

慣れ親しんだ自然の状態という事です。

同様に、男性運が悪い女性は、悪い男性と

ご縁が出来る事が自然体で、良い男性と

ご縁ができても居心地が悪くなり、

なんやかんや理由を付け自分から別れる方向にもっていきます

これが星の力です。

人は誰でもこの星の影響力下にありその人独自の

フィルターを通し世間を見、知らず知らずのうちに

思考や嗜好を決められ、苦痛に落ちたり

快楽に溺れ、道が見えなくなったりします

そのくらい人は自分が見えないものです。

本当の自分ってなに?

ここから問いを始めれば、もう少し人生に可能性が

見えてくるのではないのでしょうか。

自分に対する問い。ここからですね。



(ちなみに最初のご夫婦ですが、今は円満な家庭になれ、居心地も良くなっているそうです。
実際、人のこころの順応性には限界がありません。)












今年の反省 12月20日

今年もいろいろありましたね。暗い話は気が滅入るのですが、

やはり白虎血神が暴れだし、

ここ、2、3年おとなしかった山の神さんも暴れた年でした。

なぜ、こんな風になったのか?運命だから仕方ない?

いいえ、どんな運命にもそれを動かす原因が必ずあるものです

やはり、ここ10年、人々の心の中に播かれた種により

生まれているように思えます。

人を物として扱い、派遣などの、一見労働者の自由を尊重したような制度を

社会の中心に据え、その実は、極端な弱肉強食の世界で、

体制(会社)に守られる者と守られない者との

棲み分け制度を作ってきました。その弾かれた者たちの怨嗟です。

ネット社会などを見ても、その憂さを晴らすために、

それこそ色々なネタを探し、毒ずき、中小誹謗で、

生きる苦しさを誤摩化しています。

自分の顔がない状態での憂さ晴らしで、

仲間や、家族や人に愛されたいのが本当の自分なのか、

人を誹謗中傷し傷つけるのが本当の自分なのか

自分が誰かがよく解らなくなっているのではないでしょうか?

学校でのネットに依るエンドレスのイジメなど典型的です。

双方、行き着く果ては「今この瞬間地球が無くなってしまえば楽なのに。」

希望をなくした者がたどり着く辛い結論です。

これが、陰なる原因でしょう。それでは陽なる原因は何でしょうか?

勝ち組と言われる人達が、

自分達だけのために生き始めた事ではないでしょうか。

露骨には言いませんが、負けた奴がバカなんだ、騙される奴が悪いんだと、

うぬぼれ、見下し、人として、お粗末になってしまっています。

政治家の先生と相場師に、このタイプが多く、

恥の文化、(畏れの文化とも言えると思うのですが)が消えつつあります。

歴史のある政党程この傾向は強く、選挙で負けたにも関わらず、

未だに改善されていないようです。

何もせずに棚からぼた餅が落ちるのを待つ、

卑しい政党になってしまったのかもしれません。

政党の話をしましたが、個人もまったく同じ事です。

そして、このテの人はよく目立ち、人から注目されます。

自分自身ができていない人は、毎日それを見ている訳だから、

自然にそれをお手本にしてしまう。

他人に優しくできる訳がありません。

妬む者と見下す者、これが人どうし、国どうしのレベルで行われ、

極に達すれば、血が流れます。格差社会が来る所まで来始めたのが原因でしょう。

ただ、こんな時代でも、今年は、自分の足下を固め、時間をかけて

自分の道を歩んでいる人達が、

何人も、ちゃんと結果を出したと報告してくれ、

シンガーソングライターさんからは彼女のオリジナル曲をいただいたり、

嬉しいことがいくつもありました。

まったく受け身で、申し訳ないなのですが、

そのかたの人生の影に、ゆったりと添うことができ、

それぞれの人生の流れの中に喜びを与えられた事に感謝します。

私自身も時代の激流に流されながら、オールをこぎ続け、

もがき続ける毎日ですが、皆様の影の力になれるよう、

来年も確りと生きようと思います。



まだ、クリスマス前ですが、急な仕事に「約束が違う」などと言って、ぶち切れ大事な時間を不快な時間にしないよう、熱いハートとクールな知性のバランスを上手にとり、「こんな時代、仕事が重なったら仕方ないね。少ない時間だけど。できるだけ楽しもう。」と言い合って下さい。その一言で、より、思いで深いクリスマスになると思います。言葉を上手に使って、心をコントロールして下さい。

7 最後に

真の愛は壊れません

なぜならば、自分が相手に与えているものだからです

それは自分の心の中にあり、誰からも、何事からも

影響される事は無いからです

他人の愛の姿を拠り所にしている愛は

すぐに壊れます

なぜならば、人の身体も、心も無常だからです

このへんの事情を昔の人は

たぶん、アガペーとか、仁とか、慈悲とか良心とか

いわゆる「愛」と区別するための単語を

あてはめたのでしょう。

ここまでくると結構楽な人生です

どんなに大事にし、育てた人に裏切られようが

助けたはずの人に背かれようが、見下されようが

あまり関係ありません。禅でいう不動心と変わりません

いつでも平常心でその相手と向き合う事ができてきます

そのためにも、先ず自分の愛の形を分析して下さい

ヒントは書いてあります

そして、愛は他人からもらうものなどと言う

さもしい考えを捨てる事です

自分の中に絶対愛を生み出して下さい

鏡におびえること

「運命」を決定してしまっている、変えられないものと思っている方が結構います。

そのような方を見ていると、多くは人並み以上に努力し自分の義務や責任を果たし、

ある程度の地位も財産もあり、その上で、自分はこんな風に生きるのが運命だったんだ、

いまさら運命に逆らってもしょうがない。こんな感じの方々です。

良い運の方々だと思います。人並みに苦労はあったでしょうが、人生を全うしてきた方々です。

ところが、困るのは、同じ「運命は変えられない」でも、

どうせ、運命通りなんだから何をしても無駄だと言う人達です。

運勢はその人の映し鏡と書いたことがありますが、

文字通りその鏡の前ですくんで、おびえている人達です。

そんな人達に言うのですが運勢が、たとえ決まっていたとしても、

それに抗(あらが)うのが人間たるものの矜持です。医学などはその最たるもので、

どれだけ、死ぬ運命だと諦められていた命を、医学の進歩で救って来たか。

多くの先輩達が、運命だなどと諦めずに頑張って来た結果ではないでしょうか。

誤解しないで欲しいのですが、何でもかんでも

努力して出世しろとか、偉くなれとか、努力しない奴はダメだと言っているのではなく、

なんでも運命のせいにして自分の責任を果たすことを放棄するのは違うよと言っているのです。

それは目の前にストーブを触りそうになっている子供に火傷するのが運命だ

などとバカな事をいっているのと同じことです、じゃ、どうすればいいのさ?

こう問うならば

自分の良心に正直になることです。

大切なのは自分の良心の声を確り聞いてあげることです。

自分はダメだと言うのは簡単ですが、

実はこれは自分の中の良心の声を封じ込める呪文のようなもので

絶対に「力」がでてきません。

この良心の声に従うことがどれだけ強い力を生むかは

阪神淡路の震災の時、どれだけ多くの日本人が心を奮い立たせ

ボランテイアのために神戸に向かったか。まだ新しい記憶です。

人は誰にでもこの沸き立つような力があり、それは良心を源泉としています。

ただ、良心は曇りやすく、傷つきやすく抵抗力が人によって様々です。

多分、運の良い人はこの抵抗力が強いのだと今の私には思えます。

けれども出力の個人差は、あまりありません。

繊細で傷つきやすい人が好きな人のために

身を犠牲にしている姿などを見ていると命がけの力が出ているのがよく解ります。

「その人が好き」この心が良心の傷を治し、力が湧き出ている。

(本当に人を好きになることは凄いことです。)

何も人生に挑戦せず、最初から諦めるのも運命

目標を定めて黙々と努力するのも運命

けれども運命を動かす原動力(良心)を傷つけることさえしなければ、

起きて来る全てを受け入れることが出来るのなら

どちらの運命でも、わりと楽しく暮らせることも事実です。

自分の中のある「良心」を大事にして下さい。







独占欲が強いと言うこと

強い女性に多いことなのですが、

(キッカケは相手からでも能動的な恋愛を望む女性についての話です)

一般的に言ってなのですが、とても独占欲が強く

ボーイフレンドができると最初は他の女性がライバルですが、

お相手が誠実で良い人の場合、彼の仕事が忙しくなると、

今度は相手の仕事がライバルになってきます。

そうゆう女性に限って、3日も連絡が無いと大騒ぎし

1週間連絡が無ければ、相手は自分に思いが無いと言い始めます

彼が仕事で疲れ果て家に戻った頃に電話をかけたりメールしたり

電話が繋がると、延々と電話の相手をさせ、

本人は愛されていると安心出来るのですが、

相手は疲れもとれず疲弊し、結局、

男の方から別れ話をされてしまう女性がとても多い。

若くて強い女性が男性から嫌われるパターンです。

彼と会えなくて「さみしい」気持ちが恋愛だし

連絡して何が悪いのよと怒られるかもしれませんが

それは学生さんの恋愛です。

社会人はそれぞれの生きる場所があり、その場所で

多くの人は命を燃やしています。好き嫌いは別にして

それで生活費を稼ぎ、生きています。

もし恋愛が、その生活のリズムを崩すようなら

もう会いたくないと言われても仕方が無いことです

なんで、こうなるのか?

相手への信頼感が無い。得たものを失うのが嫌だ

愛されている自信が無い。相手のペースで恋愛するのが耐えられない(こんな人もいます)

色々理由はあるでしょうが、

「相手が自分の思い通りにならない」というのが

ドライに見た時の正直な所ではないでしょうか

これは「何かのせい」にしているうちは決して見えてこない事実です

そして、これが理解できれば、いくらでも現状を変えることが出来ます

どうするか?

「相手が自分の思い通りには行かない」ことが解ったら、今度は

相手の生き方を尊重することです。子育てもまったく同じですね。

相手に、自分の既成概念や、期待や、常識をかぶせ、自分と同じように

感じ、寂しがり、喜んで欲しいと期待する。

当たり前にように見えますが、そこには目の前にいる人がいません。

自分の描いた自分の分身がいるだけです。

相手は、たまったものではありませんし、必ず期待はずれになります。


自分だけの世界から相手の世界を見つめ直すことです。

大きな大きな変化ですね。当たり前ですが、視点が変われば見える物も変わってきます

相手を尊重することは難しいことではありません。

相手もまた、自分と同じように幻想を世間に抱き、同じように自分だけを愛し

同じように相手に変わって欲しいと思っている

お互いの幻想がぶつかり合い、弾き合いしているのが、恋愛です

長く、その人と共にいたいと願うのなら、この事に気付き

理解したほうが、知恵を使うことです。知恵は良心から湧いてきます

良心は、一時的には自分は苦しいかもしれませが、誰も傷つけず、

喜びが生まれる選択をしようとします。

普段からこの良心を磨くことが本当に大切なことなのです。

恥ずかしがらずに小さな良い事をして下さい。

ちいさな喜びが必ず生まれてきます。

今度はそれが必ず大きな喜びの種になります。






















良心2

人間関係の「いさかい」を考えるとき

最初に考えなければいけないのは

「人は類を以て集まる」と言うことです

世の中は、似た者どうしが集まっているんだという

大前提をはずさないことが大事です。

(自分だけは特別かもしれない...。これはあり得ません。)

当然、同じ種類の人間でなければ集団からはハジカレます

当たり前のことですね。

たとば「売る」という意図に依って結ばれている集団に

コミュニケーションを楽しむために入ったのでは

人と会うことでは同じですが、意図ががまったく違います。

自分の心を入れ替えるか、仕事を変えるかしかありません

また、男女関係に多いのですが、やはり、心に傷を負ったことのある人は

同じように心に傷を負った人に惹かれやすく、一度傷を共有すると

離れられなくなります。このお相手を「運命の人」と言う人も多い。

けれども、残念なことなのですが、お互いの傷が判るからこそ

些細なことで、争いになると、オートマチックに過去の被害者としての経験を

加害者として、相手にぶつけてしまいます。

子供の頃から親にぶたれ続けた人はdvの連鎖が起きるし

孤独に苛まれて来た人は、「無視」と「孤立」を決め込み

慣れ親しんだ孤独に安住します

別れる前に起きる共通した心情です

そして、別れる時が来て,

「運命の人」との別れゆえに、長い間後悔する。

どうすれば良かったのでしょうか?


相手が自分と同じ傷を持つことが判ったとき、お互いがお互いに

もしかしたら、甘え始めていたのかもしれません。

判り合えたのだから、自分のことは、なんでも理解して許してもらえるんだ。

約束を守れないのは過去のせい、

お金にだらしないのは過去のせい、

求められれば誰にでも優しくしてしまうのも過去のせい

チョットしたことで手を挙げるのも親のせい

自分は何も悪くない。君も一緒じゃないか。

もし、こんな会話があったとしたら、どうでしょう?

よく考えて下さい。いったいアナタは誰を愛しているのですか?

自分だけしか愛していなかったのかもしれませんね。

これでは、パートナーは、可哀想な自分に尽くさせるためのメイドか、執事です。


こころの傷は心を支配し、オートマチックに同じ事を繰り返させます

傷を癒すには、良心を鍛えるしかありません。

良心を鍛えれば、自分の心の痛みで全てだった心が

相手のこころの痛みが判り、使う言葉も態度も

変わってきます。ちゃんと人を愛せるようになります

もし、アナタにも似たような所があるのなら

今からでも遅くはありません。

幸せを掴んで下さい。

親子のいさかい

成人しても、過去の、親との関係が気持ちの上で完了できず引きずり

自分自身の人生に暗い影を落としている人を時々見かけます

本人の人生と親の人生が重なって、融合してしまい、

自分と親との区別が出来なくなっているのが原因です

「自分は自分の人生を生きる」ではなく、何が起きても、特に悪いことが起きると

「恋愛がうまくいかないのも、病気になったのも、

家族が自分を理解してくれないのも、あの親のせいだ」こう言う会話を心の中でやり

その親が亡くなっても、同じ事を言い続ける。

これを改善するためには、自分は自分、親は親、過去は過去、今は今

と融合し、癒着してしまった自分の心を、親と切り離す作業をしなければなりません

そのためには信頼とその技術を持つ人を頼るのが一番早いのですが、

それでも時間はかかります。

主客はが変わりますが、

社会問題としてマスゴミでも取り上げられているニートや、

荒れる中高生など自分の子供に対し親が苦悩する姿もまた、

同じことが原因で起きている場合が多い。

子供には子供の運勢と人生があり、学校と言う社会の中で

親と同じようにモマレ、苦しんでいる。

運が弱かったり、悪かったら、周りから誤解されるし、

誰からも理解されない。

本人が耐えきれずに腐れば、類を以て集まる事を始め

理解者が異性であれば、溺れます

酒や競馬やパチンコに憩いを感じている大人と

選ぶストレス発散の方法が違うだけで、根はまったく同じです

それでは、自分の子供がそうなった場合どうすればいいのでしょうか?

原因が外にある場合は、一緒に戦うことも手ですが、

まだ、体格的に大人になっていないときなら、

出来るだけ一緒に遊んであげて下さい

子供に一人遊びをさせないことが大事です

その子がゲーム好きなら、ゲームを教えてもらうことから始めて下さい

親が理性を持って、接し、その子の弱さも強さも、

出来の悪い所も全部受け止めてあげることが大事です

本人に対する批評も、批判はいりません。ただ、人として、一緒にいてあげることです

もう少し大人になった中高校生については

「自分達は世の中のことは全て判っている」と思っている子が大半です。

運の悪い子ほど目先のものしか見えません

「お金と異性」=とりあえずの人生、欲しいものを手に入れるためのもの、

気持ちよくなるためのもの、寂しさをまぎらわす温もり

欲しいものが、これしかありません。

とても短絡的で、不器用です。そして、残念なことに

これを味わってしまうと親に出来ることは、あまりありません。

本人の人生のスイッチが入ってしまい、親がどうのこうの言っても無駄で

人生の痛みや、悲しみや絶望のなかで成長のための様々な試練が始まる。

年齢的には若くても、成人としての人生が開始されます。

やっていることは半人前でも、大人として認め、本人の独立を支援し

手放すことができれば、親の努めは終わりです。ここまでが親の責任です

上手に家から出て行ってもらうことを心がけて下さい

どんなに愛している子供でも、手放さなければ、子供も親も苦しくなります

そのためには子供の器の大きさを知り、器以上の期待をしないこと

自分を子に投影するなどと言う、子供にとっては一番迷惑なことをしないことです

親ならば、冷静でいなければいけません。母親は、身を削ってお腹の中で子を養い

死ぬ程の苦痛の中で子供を産み、睡眠と容色を犠牲にして子供を育て、

子供のできが悪ければ、母親が悪いと罵られ、リスクばかり背負わされます

けれども、おもしろいもので、それ以上の喜びが常に、そこにあります

子供を宿した時の女性としての誇り、優越感、

日々大きくなるお腹のあかちゃんへの、期待と夢

出産した時の達成感、産声を聞いた時の安心

子供を抱いた時の、言葉にならない喜び

初乳のときの一体感 赤ちゃんの香り

悪いことばかりではありません。

上手に育てれば

同性ならば、自分がもう一度幼稚園や、学校で

恋愛をした時のような自分の人生の追体験ができ、

平和な第二の人生を味わえます 親になったことで始めて

自分が大人になったと思う人もいるのではないでしょうか

子供も親もイーブンです。

子供が小さいうちは親の方が力があると言うだけの話です

お互いを上手に活かすためのにこそ、お互いを知ることが大事です

そして、相手に、無いものを求めないことです。

愛情のない親に愛情を求めないこと、勉強の嫌いな子に学歴をもとめないこと

ない袖は振れません、それでも「よこせ」と言うから憎しみが生じる。

当たり前のことです。





ps

ハイハイから始めて立った時の感動も忘れられないと

どなたかの心のつぶやきが聞こえて来ました。

長い人生です。今はハイハイのような生き方をしていても

必ず自分の足で立つ時が来ます。

自分の子供を信じてあげて下さい。

お手本は、その子の親しか見せてあげられません。

子供ばかりに、ガンバレ、成長しろでは説得力はゼロです。

子供と同じように、時間をかけて、ゆっくりと

自分もまた成長することです。



良心について1

ここ何回かで良心について書きましたが

一つやって見て欲しいことがあります

それは、自分の良心に対するケアーです

どれだけ、色々な場面で自分の良心をくだらない理由をつけて

ひん曲げて来たか。子供の頃は他人のイジメを見て見ぬ振りをし

親を比べ、自分を比べ、必要のない劣等感や優越感をおぼえ

大人になってからは、電車に乗れば、年配の方を見ないようにし

仕事でも、恋愛関係でも、責任を相手に押し付け

いつのまにか、厚顔無恥な政治家のようになっている。

なんでも誰かのせいにして、自分の姿を誤摩化してしまう

これが普通の、日常生活を送る普通の人がおかれている姿です。

恋愛にしても家庭にしても、これがベースである限り

なかなか幸せを感じることが出来ません

「自分に正直になれ」という人がいますが、

「じぶんの良心に対し正直になれ」と言うのが本当は正しいことだと

思います。それじゃあ、具体的にどうすれば良いのか?

オポノポノなどの方法論を参考にするのも良いのですが

できれば、一日一つなにか良い事をして下さい

たとえば、すれ違った子供に挨拶するとか、落ちているゴミをひろったり

電車に乗ったら席を譲るとか、他人との関係で何か一つ

ドキドキして嬉しくなるような、良いことをして見て下さい

許されているのなら、職場の机に花を飾ることも良いかもしれません

ほんの些細な行動や言葉が触媒になり

良心が奮い立ち、元気や、やる気が必ず出てきます。

この逆をしていると、やらない言い訳探しばかりで

ますます頭でっかちになり、心が冷え、残酷になっていきます。

頭でっかちではなく、行動することからしか、心は開きません。

頭で考えれば考える程良心にかぶせている蓋は重く、

厚くなることを知っておいて下さい。

誰もが悩んでいます。悩んでいるうちはどうにもなりません

悩むよりも、行動することです。

良心のケアーから始めて下さい
















無料鑑定

今月も沢山の人が無料鑑定を申し込んで下さっています

一介の、名も無い占師に大事な秘密を託して下さり、感謝にたえません。

それぞれの方の心に刺さった「刺(とげ)」を抜く方法や、運を開く方法を

現状に応じて一生懸命アドバイスしているつもりですが、

中には欲しくない答えが戻って来て

不快に思っている方もいるかもしれませんね。

その方には謝らなければいけません。

ただ、メール鑑定は、最初に読んだ時は、現状の自分の運勢にリンクした

部分しか眼に入らないと思います。なぜなら、鑑定はその方の姿を映す

鏡であり、感情も同時に写すからです。

泣いたり、絶望したり、落ち込んだりすることもある。

けれども、その感情が収まったとき、何度も何度も読み返して下さい

問題を解決するためのヒントが心に沁みてくるはずです。

そのようにできています。

それが、心にしみ入れば、自然に、自然に、その方に相応しい方向に

心も環境も移り変わって行きます。

私の鑑定はそのようにできています。


一期一会です。無料鑑定に手を抜く事はありません。

無料鑑定だからこそ、時間も料金も気にせずに、

自分を偽らず、ご相談下さい。

出来る限り期待に応えていく所存です。







お見合いで伴侶を決める方がいます

とても堅実で良い事だと思います

しかし気をつけて欲しい事があります

一つの実例をあげます参考にして下さい

だいぶ前の話ですが娘さんのお見合い相手を

鑑定して欲しいと、あるお母さんからの依頼を

受けました。お見合いに関しては本人、母親、父親と、

とりあえず同居している方達全員の運勢を調べ

お相手を選択していくのですが

この件に関しては母親と父親の関係に

少し問題がありました

本人もやはりそのような運勢で孤独性で

親からの一方的な愛情に辟易している所もあり

自分の結婚より親の離婚を心配し、そのような

身近な夫婦の姿を見続けているので、自分が、

果たして結婚して幸せになれるか自信が無く

また、異性に対して過度に期待する傾向がありました。

母親としては自分が苦労した分子供には

苦労させたくない。相性が良い人を

選んで欲しいというのが最初の依頼でした

もっともな話ですが、それぞれの候補を鑑定する内に

だんだん、出世する人を、お金に縁が在る人をと

少しずつあらぬ方向に変わり、50代に厳しい運気は

男としてダメなどと始まり、すったもんだの末

相性的にもとても合う、最も良い方を選びました

また、相手の方と娘さんとの運に差がありすぎ

最初から会えない可能性があるので、一時的な

縁結びをかけ(開運トリートメントの延長のようなものです)

幸いにも相手側から会うというお返事をいただきました。

お見合いも済み、お嬢さんはとても彼の事を気に入ったのですが

残念な事に相手の方からは良い返事が得られませんでした

理由は、彼女が自分のことしか視野にないというのが理由でした

後からお母さんにどんな会話をしたのか聞いてもらったのですが

ただただ、ご自分の事を彼女は話し

相手の方も楽しそうに話を聞いてくれていたそうです。

もしかしたら彼女はお見合いをデートと

勘違いしていたのかもしれません

また、相性が良いと聞いていたものだから

相手が文句なく自分の事を愛してくれると

大きな勘違いをしていたのかもしれません

相性は間違いなくあるのですが

その相性にスイッチが入らなければ

好き嫌いの感情は絶対に起きてきません

「相手の方は嫌な顔もせずに自分の話を聞いてくれた」

これで彼女のスイッチは入りました。けれども

自分が彼のスイッチを押し忘れた事に気付きませんでした。

真逆の相性を考えるとよく解ります。

破壊的な相性は目が合っただけで強く惹かれたり

少し肌が触れただけでビビットきます。

すぐにスイッチが入り即効性と短絡的なのが特徴で、

最初時がクライマックスになっている場合が多く

後は落ちて行くだけの場合が多いものです。

その上お互いに執着する相性の場合、

別れた後苦しみが長期化します。


逆に良い相性の場合はスイッチが重く

動くのに時間はかかりますが、心の深い部分から

安心感として顕われてきます。だんだん信頼感が沁みてきます。

それが起きるまでは忍耐と自分も相手に尽くそうとする努力が

必要です。

お見合いを自分に都合の良い相手との出会いの場としているうちは

結局、自分が支配権を握っているつもりになっても

自分自身の星に支配されている場合が多く

それを回避するにはしっかりと自分が家庭を持ったらどうしたいか

自分はどのような努力ができるのかを相手に伝える事です

家族を持つ事の喜びを共有できる相手を捜す事です

その上で、相手の方が誠実にそれを履行する力があるのか

自分はどうなのかを問い、お互いで決めて行くことが大切なことです

運勢というのは乗り越えるためにあるもので

なんの苦労も無く一生を終える人は千人のうち一人か二人です

他人を羨んでもその人にはその人の不幸があり、

自分は不幸だと思っている人も他人が見たら

文句のつけようもない程幸せに見えるかもしれません

幸せになりたければ自分を知り、自分の運勢に負けない事です

これこそが人が勝たなければならない唯一のことです

そして、相性が特別悪くなく、お互い誠実に生きようとするのならば

一緒にいてもドキドキ出来ないなどというオバカなことは言わず

相手を認め、大きな気持ちで生きる事が絆の基盤になって行きます

とても大事な事だと私は思います。

命稿集から

これはある、心中をした女性の命式です。

死亡時は41歳 丁卯大運 乙卯年 庚辰月 戊申日


     日 月 年
     庚 癸 癸     
     子 亥 酉           
                    

72 62 52 42 32 22 12  2
 康  己  戊  丁  丙  乙  甲  癸
 午  巳  辰  卯  寅  丑  子  亥

彼女の価値観は何か?どうして心中を選んだのか?考えて見て下さい。

男性の方へ

コラムを読んで、女性をテーマにかいていると思っている

かたが多いようですが、「恋愛」の相手を異性ではなく

会社の上司、会社自体、同僚と置き換えて読んで下さい

あらゆる人間関係に応用出来るものです。

言われた仕事しかやらない人は、やはり上司次第で楽も

苦も与えられます。こんなに一生懸命会社に尽くし

成績もあげているのに報われない。それは貴方が

一番近くの上司を見下しているからです。

他人のメンツを潰せば、反発され

潰しを受けるのは当たり前です

その辺の自分の姿をもう一度確認して下さい

コミュニケーションがいつの間にか無くなっていれば

会社との別れが秒読みに入っているということです

こじれる前に、取り返しがつくうちに対処して下さい

そうすれば、いくらキツい仕事でも、仲間が息抜きや

手助けをしてくれます。

人には人が一番の財産であるという事を思い出して下さい

初級教室

沢山の時間とお金をかけて人の運命を知ると

いう事には果たしてどんな意味があるので

しょうか?そのことは実力がついてくると解

るのですが自然に自分自身を見る目が変わって

きて、無理無く自分がやるべき行動がとれるよ

うになってきます。どんな啓発セミナーよりも

自然で無理がありません。

教室の中では沢山の人の命式を解析し実際に

起きた事と星との関係を検証をしています。

けれどもそれは、他の人々の運命を知ること

により「自分自身を知る事」そのものなのだ

と私は思っています。

他の人の人生を鏡にし、自分自身の星の姿と比較し

自分自身の可能性を見極めること、そのものです。

そのような意図で常に教室では講義をしています。

敵を知り、おのれ自身を知る事が出来れば、

敵はいなくなるよと孫子は言っていましたね。そして、

一番自分の近くにいる敵は自分自身なのかもしれません。

このホームページを訪ねた事を機会に自分自身を知る旅を

始めて見てはいかがでしょうか。




今野喜心 

推命を学ぶにあたって

すこし推命ができるようになると

不思議なもので、人に対する畏敬というものが

薄れて来る方がいます。相手の方の星に織り込まれている

乗り越えねばならない星や、八方塞がりの星を知ることにより

相手の価値を値踏し始め、人を物のように扱い影で笑っている。

これは愚の骨頂で卑しい人間達のする事です

推命を学んでも人の鑑定をしないと宣言している

流派があると聞いたこともあるのですが、

推命をこのような卑しいものと考えれば

まさにこのような弊害が生まれてきます



私たちの門には運勢の病を解く用神法があります

間違わないで欲しいのですが、鑑定はあくまでも

医者で言う所の診断です。

正しく運勢の病の診断ができて当たり前ですが

そこに止まっていては、鑑定自体が意味の無いものになります

診断の後には治療法があることを忘れないで下さい

それが調候用神十干鑑法の神髄です

治らない病気を指摘される程痛ましい事はありません

鑑定を志す皆様はよくこの事を自分の身に置き換えて

考えて下さい。

男女には基本的に相容れない価値観の相違があります

この部分に気付かず自分流の接し方を通すと

お互いの感情にヒビが入る事があります気をつけて下さい

男性にとって

一番大事にしたいものは社会的には仕事にたいする誇りです

仕事=自分=プライドとしている方がとても多く

逆に言えば、これがない男性はダメです。本当にダメです。

極端な例ですが

恋愛も相手の愛を貪ることしかしません

相手からのアプローチの場合は

相手がどれだけ自分を犠牲にして自分に尽くすかで計り

自分からアプローチする場合

相手に弱みがあればある程それにつけ込み、

相手を支配します。孤独、シングルマザー等

相手の傷に物凄く鼻が利きます

けれどもその実体は

言うまでもなく羊の皮を被った鬼です。


男性の中には家庭を持つ事は社会的な地位を得る事

と考える方が多く

ある会社の2代目さんは、僕は自分のことより

会社のためになる金持ちのお嬢さんとしか結婚しません

と本気で言っていました。色とか恋とかとは関係のない

お金だけの生き方をしている方でした。女性は

彼の人生の中では財産の一部と割り切られており

恋愛に命をかけることは愚の骨頂と映るようでした

自分の仕事、命をかけるものがあるとき

このような発想をする男性が多い事も事実です

「仕事には代わりがないが、嫁の代わりはいくらでもある。」

けれども体力もあり、仕事も順調な時はこれでいけているのですが

病気でどうにも身体が利かなくなり、命が惜しいと感じたとき

こんな男でも、命のいとおしさに気付き始めます。氷のような

冷静な男性が子供の出産に立ち会った時なども同じですね。

もちろん心を閉ざしたままの方もいます。

(自分の世話で手一杯の人の心は開きません。)

もしもそのような彼の仕事姿に惹かれて結婚を決めた人は

やはり、そのままの姿でいさせてあげるのがベストで

そんな彼にやさしい家庭的な男性像を求めても彼の

エネルギーを削るだけです。休みの日も仕事の

お付き合いで出て行くときに、嫌みの一つも

言えば、外に居心地のよい慰安所を作る算段を

始めるのは目に見えていることです。

相手の価値に合わせた生活を続ける事ができなければ

破れます。

自分はそんなつもりで結婚したわけではない、

もっとあたたかい家庭が欲しかっただけで

少しだけ、家族といる時間を考えて欲しかった

ただそれだけなのに,,,。というかたがいますが

それは、残念ですがその彼は貴女には相応しくなかった

というしかありません。選択ミスです。

愛の形 2

男のサガなのでしょうか物事を概念的に捉え

頭で理解し、割り切ろうとするのが男性的な思考だと

言われていますが、実はそうとも限りません

こんな話もあります。

プラトンの饗宴にあるのですが

その昔人間は、男と女と両性具有の3種類あり

その中でも両性具有は力強く傲慢で神々に反乱を企てる

手のつけられない存在で、それに手を焼いたゼウスが

滅ぼすのは簡単だが、貢ぎ物が少なくなると考え

両性具有の種族の身体を真っ二つにすることを

考えました。(両性具有の身体は、4本の手

4本の足、似通った2つの頭で気力充足し

怖れを知りませんでした。)

ゼウスによって身体を二つにされた人間はその後

自分の失われた半身を懐かしみ、探しもとめたことが、

恋愛の起源だとされています。

もともと男女は同じで、大した違いはないという事です。

男らしいとか、女らしいとかは社会秩序の都合で作られた

幻想です。


(いろいろめんどくさい事を言う人もいますが、ソウルメイトとかツインソウルとかというものの大本の出所は
この辺じゃないかと私は思っています。偶然の出会いで求めあったベターハーフが、生まれかわり、何度も出会い、その記憶が心の流れに相続され、なにげない出会いを運命的なものと感じさせてしまうのでしょう。でも、過去は過去としなければ、いつまでたっても過去の一時点の繰り返しです。過去から卒業することも、自分の成長の一つの道です。

こんな考えが大好きな人、ロマンチックだと言う人も多いと思うのですが、もし、これが事実だとしたら、われわれの周りにいる人達は、全て、前世からの繋がりがあり、苦しめるのも、苦しむのも必然ということになります。現在幸せな人は良いのですが、苦しい人には救いが無い事になります。)

少し、生まれ変わりの話をします

これは科学的には何も証明されていない話ですが

「前世の記憶を持つ子供達」等の本などを読むと

やはり、凄いなーと思わず唸るような事例が沢山

のっています。日本でも「日本霊異記」などには

これまた、数々のすさまじい前生譚が載っています

生まれ変わりは、人間に限らず、動物であったり、

魚であったり、生きとし生けるもの全ての命として

何度も生まれ変わるようです。

仏典などにもこのような話があります

赤ちゃんを抱いて庭で食事をしていたお母さんが

犬がよってきたので、石ころを投げて

追っ払ったとき、たまたま側を通りかかったお坊さんが

弟子達に、「見てごらん、彼女が食べている魚は

過去世における父 犬は過去世における母 

赤ちゃんは彼女が過去世で殺害した敵が殺生の因果応報で

子供として生まれ変わったものだよ」

「父の肉を食らい、母に石をぶつけ、殺した敵を膝に乗せ

妻が夫の骨を食らおうとする。」そう言って弟子達に

輪廻の理を説いたそうです。



これは実際に私が聞いた、ある男性の話です。

ちょうど、ハリーポッターの「賢者の石」

がブームになっていた頃のことで

「先生もハリーポッター好きなんですか。

あのボルデモートの話、よくできていますよね、

実は自分にも同じような記憶があるんです。」

何気ない話をしていた流れの中から、その話は始まりました。

その人の話では、彼の場合はネズミではなく、犬と鳥だったそうです

雨を降らせる国家呪術師のような仕事をしていたそうで

どうしても雨を降らせなければならない時は

王様に人質として家族をとられ、失敗したら家族が

生け贄に捧げられるようなシステムだったそうです

(実にリアルの語ってくれました)

あるとき、どうしても雨を降らせる事ができず、

祈祷の最後の期日に、家族を守り、雨を降らせるため、

自分の身を人身御供としてささげるために

祈祷場所の高い断崖絶壁から飛び降りたそうです。

気付いとき一つの心は鳥となって雲を追いかけ、

一つの心は犬となって妻と子供の元にかけつけようとしていたそうです

そのとき雨は降っていたそうです。

それを聞いたとき、感動して、しばらく動けませんでした。

家族と、仕事のためだけに生きていた人なのでしょう

死んでからも、自分の仕事に生き、家族と一緒にいたいと願ったとき

一つの心を二つの身体に別けたのかもしれません。

そのかたは、未だに、雨が降ると心が落ち着き、なごみ

今の家族を思うそうです。

もちろん事実かどうかはわかりません。けれども

それに感動していた自分がいたことは間違いの無い

事実で、その話を信じたいと強く思いました。

この世の中にあるものは全てが変化します

変化しないものはありません

永遠なるものがあるとしたら、それは

「物事は変化し続ける」という法則だけです

そして、それに抵抗し続ける事が「美」とされてきました

永遠のマドンナとか、永遠の愛とか、永遠のetc.etc等々ですね

それを見果てぬ夢と言う人もいます。

そして、これを美徳とし、忠誠や、制度で強制したのが

キリスト教に代表される宗教です。インドではつい最近まで

マハラジャが死ぬとその妻やお妾さん全てが火あぶりにされ

あの世までも連れて行かれました。サテイと呼ばれる殉死の制度です

もともとは腐った行者さんがお供物の女性達に執着し、

死後も自分の物にするため死を強要した事が始まりの制度です。

インドの行者も実はそんなものです。

一切は無常です

人の愛も移り変わり、本来なら、その人にとって

一番ふさわしい形に変わって行くものです

恋愛結婚したものが、時を経て、いつのまにか

ごく自然な、親友になっていったり

男と女ではなく、お父さんと、お母さんにかわっていったり

これが当たり前の変化です

そして、このとき、恋愛に「とらわれ」がある人は

「違う」と叫び始めるのです

エロースに金の矢を射られたアポロンのように愛を追いかけ始める

その先にあるものは苦悩しかありません。苦しい生き方です

5

どこから愛が憎しみに変化するのでしょうか?

生活力の無い、カッコいい、夢に生きる男性と

縁があり、同棲し、夢に向かって頑張ってねと

一生懸命尽くしているうちは、はたから見れば

男に利用されているようにも見えますが

本人は幸せです。

ところが、

相手に何かを求めているわけではないのだけれど

「報われない」と心の中でつぶやいてしまった

瞬間から愛が腐り始めます。

(結婚していても起きる事は同じですが

こんな時は結婚という枠組みだったり

子供が支えになります。)




よくある事ですが

二人の上に嵐が吹けば吹くとき程

絆は強く、関係が安定し、平和になればなるほど、

希薄な人間関係になる事があります

この場合、そこに起きている現象は

変化を好み平和に安住することを嫌い、

刺激的な日常にシフトしたい欲望に

突き動かされる運勢のクセによるもの

なのですが、

本人がこの運勢のからくりに気付かなければ

血の涙の代償を求められます

覆水は本に帰りません。

恋愛 結婚

結婚を望む人、恋愛をうまく進めたい人

そんな人は推命学を学んで下さい。

本屋さんの占いコーナーにあるものは

残念ですが、血液型占い程度のものです

よく当たりますが表面的であり、例外の判断が難しい

専門家の書いた推命の権威ある専門書でも

その人の姿は年干の通変性を見ると書いてあります

しかし、これはその人が他人に見せてもいいという姿で

本質的な姿とはまるで違います。

1、2年友達付き合いをした人が

すごい、その通りという程度のものです

本来の推命は心の底をさらうもので

ここまで鑑定出来る方法は世間には出ていません

一番大事な心の底の部分をわからずに他人と暮らすリスクを

結婚は常に背負わなければなりません。

また、結婚後の人間関係もしかりですね

相手を知る事。そして自分を知る事です。

星の中にはとても欲張りの星があり、なんでも

自分の思い通りにしなければ我慢出来ない星が

あります。それを持って生まれると、そのことが

当たり前になってしまう。誰もがそうですが

自分が普通と思ってしまう。この「普通」が

トラブルの原因になります。

「普通」=その人の感情が許す許容範囲です

それゆえにこれがぶつかり合うとメンドクサイ感情の

ぶつかり合いに発展して行き落としどころが無くなって来る。

本来の推命はそのあたりのことがとてもよくわかります。

相手を理解する最善の方法です。

ところで、運勢鑑定を誤解しないので欲しいのですが、これは

人の価値を評価し上下のランクをつけるものではなく、

それぞれの星をいかにして活かし、

よりよい人生を送るための学問です。

若い、これから人生を歩もうとする方も

人生の先輩として次の世代を見守る立ち場にいる方も

一生の宝になるものです。

私の教室ではそのような推命を教えています。

地方の方も何人かスカイプで参加しています。

ご希望の方はご遠慮なさらずメールでお尋ね下さい。

お待ちしております。

結婚について1

結婚が決まりましたとの報告を数件頂いているので

まとめてお返事する事に致します

成婚お目出度うございます

頑張ったかいがありましたね。

けれども、この結婚を続けるにはとても努力が必要である事を

覚悟しておいて下さい。甘いものではありません。

なぜかと言うと、

長い年月まったく違う環境で育ち、教育を受け

個としての生き方を確立したもの同士が

ほんの一瞬の何かの縁で

一つ屋根の下で暮らす事になったからです

箸の上げ下げから、食事の嗜好まで、差があるのは

当然です。もちろん、結婚を決める前にすべて

クリアーしてきたはずだと皆言うのですが、残念ですが

人は、「結婚」と言う欲望の前には盲目になりやすく

望みを遂げて初めて、冷静に相手を見つめる事が

できるようになるものです。少し、残念な事ですね。

落ち着けば落ち着く程、相手のあらが見えて来るし

本当に残念なのですが、相手のアラは見えるのに

自分のアラは、相手から見えていない、相手は間違いなく

自分の事を愛していると、客観的に見ればおかしな信念に

多くの人はかかっています。

そして、チョットした意見の行き違いから、「自分は愛されていない.....。」

とメンドクサイ疑念に自らを縛り、もだえる。

本当によくあることです。

原因のスイッチは相手のあら探しを始めた自分にあることを

ぜんぜん気付かない場合がとても多く

男性側も、それに対し、奥さんの心に気付いた時、「お互い様さ!

へへへへ、やっほー。人生を楽しもうぜ!。」

このくらい言えれば愚痴も笑って終わるのですが

残念ですが、男性はメンツで生きています。

このことを特に女性は判っていません。

家に自分の居場所が無ければ(追いつめれば)

収入のある人なら黙って外に自分の居場所を作り始めます。

本当に残念な事なのですが、ここまで

相手を追い込み、その結果を知った時

初めて自分自身の在り方に

気付き、救いを求めるかたが多い。

これが別れの一つのパターンです。

クリスマスイブに

大事な人を大事だと再認識し

自分の心にあるトゲをトゲとして

確認し、今自分の中にある良い心も悪い心も

ちゃんと認めた上で、移り変わる世の中を静かに

感じてみて下さい。

自身の中にあるあらゆる感情も同じように

移り変わるものであると知覚し何らかの体験が生じたとき、

少し、心が晴れて来ます。自分の感情は永遠で

終わる事の無い特別なものではなく、

世の中のあらゆるものとまったく同じように移り変わるもの。

移り変わるのであれば、自分が望む方向に一生懸命

進んでいけば良いだけです。

もちろん一から始めるわけなのだから、楽ではありません

でも、この苦労の中から生き甲斐は生まれてきます。

移り変わるからこそ夢も希望も生まれて来る

大事な大事なものを無くしたとしても、その時がくるまで

命は静かに何も無かったように燃え続けるものです。

後先があるだけで、同じように誰もが移りゆき消えていく

神々にさえも寿命があると仏教では説きます

哀しみの事実は消えませんが、悲しみの感情は

癒されるものです。悲しみもまた移り変わる。

これが普遍的な真実です。

言葉にできないような凄まじい1年でしたが

幸か不幸かまだ、私たちの命の炎は消える事無く

いま、胸の中で燃えています。

ひまわりが太陽をさして花を開くがごとく

希望をさして新しい年を生きなければ

先に行った人達にも後輩達にも

次の世代にも顔向けができません。

とまあ、気負い過ぎてもロクな事が無いので

いつものように、淡々と実力を練りながら

来年も頑張りましょう。

4

殺生についてはまだ色々あるのですが、特質すべきは

殺生を直接しなくても、それに同意したり、

共感するのもまた同じく不善の業を積むとあります。

たとえ敵や憎悪する相手であっても

人の死を喜ぶ事はいけない事だと説かれています


2 偸盗(ちゅうとう)

これは3つに分類され 強盗 泥棒 詐欺とされています 

他人のものを盗む事一般です

3、邪淫(じゃいん)

まあ、言葉から想像して下さい

以上が身体による活動としてダメだよーと言われている事ですが、

たぶん1と2に関しては小学生の低学年でもしっていることですね。

3は、黄昏れはじめる年代になるまで理解出来ないかもしれません。

つぎに言葉による活動として

1、妄語(もうご) これは嘘をつくことです。

2、両舌 これは誰かと誰かを仲違いをさせるため、

積極的に嘘をついたり、デマを飛ばしたりして

人の和を乱す事を言います

3、悪口 文字通り「わるぐち」のことです。相手の弱点を

あげつらうことですね。皮肉なもの言いや、相手を不愉快にする事も

含まれます。

4、綺語(きご) どうでもよい、おしゃべりのことですが、

その底にあるものは自分の怒りや、妬みや、嫉妬などの

欲心が動機になっていると説かれます。


次ぎに心における行為です。

1、貪欲心 これはなかなか、おもしろく

「自分が持っていない、素敵なもの(物、者)を自分のものだったら

どんなに素晴らしいだろう、手に入れるにはどうすればいいんだろう?」

と何度も何度も「もの」への欲を起こすこと全てとあります。

時を越えて、自己啓発系の願望成就法にダメを出しているように

私には思えるのですが......。

2、害心  

一つには他人に対して怒り、こころの中で

「こいつをボコボコにしてやる」「復讐してやる」「刺してやる」

等々相手を傷つける事

もう一つは、実によく、世間を見ていると感心させられるのですが

他人の幸せが憎くて仕方が無いこと、

他人の不幸を喜ぶことと説かれています。


3、邪見

これはほぼ仏教の見解に対する他の教えとの違いを

鮮明にしているもので、興味のある方はご自分で調べて下さい

以上が十不善業の簡単な解説です

次ぎに、この業がどのような形で我々の世界と現れるかを見て行きます

一番楽な生き方

「どうして自分ばかり、苦しいんだろう?」

若いときは、人生なんてこんなものさ、明日は晴れるさ!

そう言ってなんとか、時間がかかっても、

自分の心に踏ん切りをつけ、立ち直るものですが

40を過ぎるあたりから、最初の言葉をつぶやき始めます。

自分の「人生」に向き合う大きなチャンスであり、その後の

人生を決める大きな岐路になります。

自分自身を見て、見えたものに、見て見ぬ振りをするか、

見えたものを、なんとかしようとあがくことをしてみる。

どちらでも良いと思います。

どちらの生き方を選んでも「楽になる方法を」書いておこうと思います


普通の生き方をしていれば、だれでも、絶対に出来る方法です。

1、生き物を殺さないこと  

殺す行為は暴力の最終段階のことです。生き物を傷つけないことが主旨です。ゴキブリでも蚊でも殺せば心が荒みます。「殺す」行為を害虫だからと言って正当化してしまうと、特定の対象に「このゴキブリのような奴め.......」と、人の心はスイッチし、行為を正当化します。DVの男性がよく言う台詞の一つです。ここまで来ると止まりません。

2、他人のものを盗まないこと、 

物だけではなく人間も同じです。 泥棒が悪いのは誰でも知っていますが誰かの伴侶を泥棒することは罪にならないと思っている人が多いようです。逆の立ち場をイメージすれば、よく解ると思うのですが、うだつの上がらない、クソ亭主で、もう離婚しかないと思っていても、そんな亭主をよその女にとられたとなると、妻としての自尊心が砕かれます。「のしを付けてくれてやらー。」とタンカを切っても、その恨みは晴れません。

3、パートナーを大事にする事

夫婦円満の家庭は、トラブルが起きても、必ず解決方法が見つかるものです。3人よれば文殊の知恵というように、協力し合う相手が常に側にいることが、人生の支えあいの基本です。「人」の字の支え合いほ、このことなのでしょうね。しかしお互いを大事に出来なくなった時はどうすればいいのでしょうか?

その時は良い運命鑑定士さんに相談してみて下さい。

4、嘘を言わない事

当たり前のことですが、信用がなくなります

5、他人でも、身内でも悪口を言わない事

悪口は必ず相手の耳に入ります。人間関係がギスギスし、何事も円滑に進まなくなります

6、他人の欠点をあげつらわない事

5番と同じですね、これは恨まれます。

7、つまらないウワサ話しをしないこと

壁に耳あり障子にに目あり。必ずバレます。

8、強すぎる欲心は制御する事

他人のものでも、何でも、あれが欲しい、これが欲しい、
もしあれがあったらと想像したり空想が続くと、持っていない
自分にハラが立ってきたり、それを持っている誰かに
オマエより自分の方が似合うのに...。などと謂れのない嫉妬をし始め、物欲お化けに変わります
(異性の場合はなおさらです)

9、誰かを心の中で傷つける事

心の中でなんだから、ほっといてくれと言われるかもしれませんが
心は必ず表情にあらわれ、顔が険しくなります。それを続ければ
人相でいう険難の相があらわれ怪我、事故の前兆とされます。

こころは現象の種を播く畑であり、言葉が肥料、行動が結果となります。
恨みの種を心に植え、何度も何度も心の中で怨恨の言葉を繰り返し、
結果、行動すると、おまわりさんのお世話になる事になります。

10、因果なんてありゃしない、どうせ死んだら終わりさ、などと言って
   人生を諦めるような考えには惑わされない事

播いた種は必ず芽を出します。悪い種を播けば、悪い芽が、良い種を播けば良い芽がでます。良い芽とは普通の当たり前に食べて行ける、生活できるということで、3億円の宝くじが当たるようなことではありません。

当たり前すぎる事ばかり書いてきましたが、これは仏教で言われる十善業をもとに書いたものです。多くの教典に書かれていて、南伝仏教では十善戒ともいわれています。

なぜこんなことを書くのかは次を読んで頂ければ理解出来ると思います。

喜怒哀楽

喜怒哀楽 

人の感情を表したものです。この四つの文字を易的な観点から並べ替えると

       金         喜

    火  土  水   怒     哀

       木         楽

こんな感じになります。

これをどう解釈するかなのですが、五行の関係で言えば相反する性質が対中し、全体のバランスが生まれる。
その内の何かが欠けると、それを補うために動が生じます。具体的に言うと全体を100としたとき、木火金水各々は20で、例えば木が何らかの外因で傷つけられ17になったとき、木を生じる水はそれを助けようと欠けた3を木に与えようとし水は凹み、金がこんどは水を補うために凹み、次に、金を補うために土が、土を補うために火が欠け、その火を補うために今度は木が欠けと延々と補うための動き続ける。八卦図の中心の陰陽の図の意味です。これが陰陽の動の原理です。

この原理から人の心を見たらどうでしょう?

ものごころがついたころをスタートとし、不幸な事にそれが怒りなら怒りは哀しみを生み哀しみは哀しみを補うために楽を求めます。楽が得られたとき喜びが生じ、喜びが続く事を誰もが求めるけれども、それにしがみつけば、味に慣れたグルメのように味わったはずの喜びが醒めて行きます。そうすると、こんどは喪失感にさいなまれ、さらなる喜びを求め、得られなけれ怒り始める。同じ事の繰り返しですね。無くしたものは絶対に戻りません。なぜなら、今ある怒りの原因がその喜びだからです。これが世の姿です。若い方には毒になる考えかもしれませんが。年を経て色々なものを見てきた方には実感出来るのではないでしょうか。本当の事です。そのときに得た喜びの心をどれだけ大事にし、それに感謝し常にその心をリフレッシュ出来るかで喜びの寿命が決まります。

生命は喜びを求めるようにできていて所謂高等動物になるほど精神的な喜びを求めます。もし、この止む事の無い円環が断ち切れるとしたら、この精神的な喜びを高く昇華させ、移り変わらない喜びを持つ事が課題になるのではないでしょうか。移り変わらない喜びってなんでしょう?

風水について

風水と言うのはザックリ言うと「器」と「時間」の学問で、

住居、住居区とそれを取り巻く環境からのエネルギー的

影響を断じるものです。

もともとは御先祖さんの骨を環境の良い場所に埋葬し

子孫に良い影響を与えるに違いないとい発想から始まり

埋葬場所による子孫のできの違いを観察した実践経験から

生まれたものが陰宅風水で

それじゃあ、生きてる人間だって影響されているはず........。

と言う所から生まれたものが陽宅風水です。

その原理は易で

「類を以て類は集まる」

「清は上に濁は下に進む」

これに八卦の象意を絡め判断し

上手な風水師は土地を見ていつごろ何が起きたかまで言い当てています

実際、山の手、下町と呼ばれている土地では

この棲み分けが自然に行われており、風水の鑑定において

この点がわりと大きな場を見分けるポイントになっています。

これに人の流れ=人気のある場所と

人になんとなく好まれる場所(主に視覚的な所から光を大事にする)

そして障害物と道の勢いの有無等

これが家相について論じる前段階です

これらの条件が整い始めて家相の話が出るのですが

この住環境の影響が決定的になる場合が多いのも事実です

私の体験では、あるかたの実家にいる妹さんが子供の頃から

身体が弱く、30なん歳で亡くなった。母親も倒れた

自分はよその土地にいるのだが実家に帰ったほうがいいか?

易で見てみると家に対して道路と血の流れる建物の影響があり

易で出た方向に病院かなにか無いかと聞くと

近くに牛の屠殺場があるとのこと

占ったこちらが驚きました

家相そのものはお父さんが大工の棟梁だったので

問題なかったのですが家が収まっていた器に

問題があるケースでした

このような場合、家の中で一番運勢が弱いものから

影響が出、時間をかけて蝕まれていくものです

逆に、運が強いものは自ら家を出るか、

なんだかんだとその場にいられなくなるもので

そのようなことを体験した事のあるかたも多いのでは

ないでしょうか。

風水と言うのはこんなものです。

推命を学ぶと言う事

これから推命教室の授業が進んで行くと

様々な、その人が持って生まれた姿というのが見えてきます

たとえば、嫌いな奴がいて不倶戴天の敵としか思えなかった相手でも

怨嗟の対象となるまでに、人としての

苦しみと哀しみの営みが延々となされ、

自分との関係を抜きにすれば、そんなに悪い人で

ないのかもしれないと、自分の中に燃え盛る

怒りの炎を別な形に変換する余裕が生まれてきます

同様に厳しい環境で育てられてきた人などは

「親と子」というフィルターを通してしか

見えなかった関係性を推命と言うフィルターを通すことにより

「親」を一人の「人」として見る事ができるようになってきます

たいていの人は自分が、親の立場になり、同じ苦労を身に受けた時

初めて、親の苦しみを理解し、凍りついた関係の雪解けが始まります

でもこれに気付かされる頃は残念ながら遅きに帰する場合が多く

自分の身に受けた傷が化膿している場合が多いのも現実です

往々にして親の姿を、本質は変わらずに、

別のバリエーションで繰り返すのも

このような方の特徴です


教室の生徒さんは推命を学ぶ事により

自分自身の心のわだかまりを、まずはクリアーにすることを

目標にして下さい。自分自身を知るということですね。

次ぎに、自分を知る事ができるとそこで終わってしまう人がいます

けれども、そこで終わってはあまりにも宝の持ち腐れになります

人の役に立つ事ができる技術です。人のお役にたってください。


人の相談にのる時は

大音声に誰それ先生に習った推命だなどと

権威をひけらかすのではなく

相手の星が判っているのだとしたら、静かに

教室で習った言葉を自分の言葉に置き換えて

相手の方とお話をして下さい

おのずと智慧の光が輝き出し

その人に必要な言葉が出てきます

そのためにはやはり、そのかたの用神と日干の理想の姿を

自分の心の中で熟成させる必要があります

時間を味方に付けてしっかり学習を続けて下さい。

結婚の時期

生徒の皆さんが運命学を習っているのと

友人や知人の方にお話される時多分、若い女性の友人からは

一番最初に自分の結婚運を教えてと尋ねられると思います

そのときどう答えるのがベストでしょうか?

一般的な推命では女性の場合官星が旺じるときと

答える事になっています。

(男性に取って官星は仕事を表します)

実例の研究を続けていると、これは1、2割程度です

また、その後離婚しているケースが多いのも事実です

それでは、どう考えていけば良いのでしょうか?

時代の共通意識、常識を知ることから始めなければなりません

結婚が永久就職と言われた時代、○○家に嫁ぎ家事をし

主人と主人の縁戚に尽くし、家の跡継ぎを生む事が

女性に求められているもので

間違いなく、結婚は就職の一環でした

ところが現代は恋愛の延長としての結婚はもちろんですが

子供ができた事による責任婚であったり

男が女性をカネずるにするためのヒモ婚であったり

社会的立場上の仮装婚など様々です

純粋に恋愛に殉じるのであれば結婚など

しない方が良い場合さえあります

少し古い例ですがジョルジュサンドとショパン

サルトルとボーボワールなど、は良い例だと思います。

長々書いてきましたが、それなら何時なんでしょうか?

と言う事ですが、結婚には結婚するだけの条件があり

それは個々で違うと言う事です




もし、自分の結婚は何時ですかと問われた時

そのかたに結婚する準備はできているの?

と問う事が彼女が真剣に結婚を考えているのなら

そのかたの心に自分を見つめる機会を持っていただく

キッカケになります(これなら今の実力でも使えますね)

色々な条件については教室でお話する事にしたいと思います

先ずは基礎力を身につけて下さい。

運勢鑑定について

教室のご案内1です。

もういい年だし、これから、プロになるつもりはないし、お金も高いしと迷っている方へ


運勢鑑定や、占いや、中には心理療法士のカウンセリングを受けても、

なかなか自分の人生に納得出来ない方がいます。

なぜなら、人は持って生まれた星の力に支配されているからです。

その上、星は、その姿を本人には決して見せません。

その姿を把握しない限り同じ事を別の姿をとって何度も何度も

繰り返します。

所謂、心から喜びが湧いて来る恋というのは

実は、運勢がその人間を征服した喜びである事がとても多い

それを見極めるには、その喜びがどれだけ長く続くかで

決まってきます。激しい恋愛で結婚したはずなのに

あっという間に別れたと言う話を聞いた事がありませんか?

星は本人の感情を操作し星の思うままに、人を自由にします。

本人もそれが頭では違うと判っていても

感情に従ってしまう。だって、そうおもうんだもの、

ビビットきたんだもの.....。自分直感で決めた。等々

これが運勢に関する事で人が選ぶ選択のしかたです

(結婚や就職や、将来に関わるような重要な選択の時に限って

このような気分が出て来るのが運勢の厄介な所ですね。)

これに対処する方法は

強い理性を持つ事意外にありません。

理性と言うのは自分の心の底から納得し、これを

訓練しなければ、なかなか強くなれません

感情を越えるためには、それ以上に説得力のある

明らかな根拠が必要になってきます。

それがこの運勢鑑定の骨子となっています。

起きている現象は自分が生まれ持った種から生じたもので、

目の前にうごめくものは、その種を結実させるための助縁です。

もし、今苦しみの中にいる人は

今ある苦しみは自分を縛っている種を明かすための

縁だと思って下さい。本当の自分の姿を知るための

痛みの伴う声援です。

自分の人生の流れを自分で知る事です。

そうすれば納得のいく人生がそこに待っているはずです。

太極

私説太極論を書いたのですが、

まだ誤解している人が多い様なので、もう少し説明します。

極論を言えば、

我々自身は太極そのもので、心も身体も常にダイナミックに運動し、

万象(八卦)を生み出しているということです。

たとえば、「1分間、何も考えずにいてください。」と命令されても

それができる人はいません。そもそも何も考えない状態を我々は知りません。

瞑想の大家であっても、集中する対象があって初めてできる芸当です。

禅の坊主は息と丹田に、ヨガの先生はマントラやチャクラへ集中しています。

さらに言えば集中という慣れ親しんだ心の運動を利用し、

心が止まっているように見えるだけで

集中という「運動」から離れることはできていません。

そのくらいこころは動き続けている。

体はどうか?

「自分は1時間ぐらいなら微動だもせずに居られる」

そう言う人がいるかもしれませんが、あなたの心臓は途切れなく

動き続けていないでしょうか?

細胞一つ一つは新陳代謝という運動をしていないでしょうか?

このように人は自分の中で起きている「運動」に対して

とことん無視しているというのが本当のところです。

なぜかというと、自分という「個」にとって思い通りに

ならないものがあるのは都合が悪いからです。

そのくらい人の本質は傲慢で、リアルな自分自身と向き合うことを

嫌います。

太極をものの中心として捉えるだけであれば、どうにもなりません

個人で言えばその人の世界が生まれる場所で、それは

その人が何を考え、動くかによって自然に成立するのです。

そして、今ある環境自体が、その人の動きによって成立した

結果なのです。ある意味残酷なことですが、事実です。

そして、これを改善するためには、

「改善するための動き」をすることです。

私は円満な人間関係を第一の指針として「改善のための行動」を

提案しているのですが、これを素直に受け入れ、

真面目に行動している人たちは、

例外なく居心地が悪いと言います。

そのかわり、人間関係は飛躍的に良くなりその部分では

とても満足しているとおっしゃっています。

なぜ居心地が悪いのか?

環境が円満になっても、かつてのこころの記憶が

残っているからです。

人によっては凸凹でキザギザな自分が

当たり前の自分で、それ以外はありえないと言います。

しかし、本人が何と言おうが、そこには改善の可能性はあるのです。

それがこの<a href="http://www.c-panel.jp/sb/index.php" target="_blank" title="私説太極論">私説太極論</a>を書いた動機になっているのです。


「太極」とは特別な「何か」ではなく人の生きるその瞬間の姿であり、この刹那にも万象が生まれているのです。

そのことをしっかり理解してください。太極の運動は止まることがありません。

宗教

ブログでオウム事件について触れたので

宗教に関して少し書いておきます

宗教をすれば幸せになれるのか?

心の平和は得られると思うのですが

お金持ちになったり、事故を回避出来たり

健康になったりというのは無理だと思います

もちろん心が原因で生じた病気の場合は例え癌でも

心が調うことにより治ることも実際にあります

けれども、いわゆる運が良くなるとか因縁が切れることは

ありません。とても良い例があります。

キリストの最後もそうですし、

釈迦族の最後も悲惨なものです

釈迦族の最後

手塚治の漫画にあったような無かったような記憶ですが、とにかく

無抵抗のまま殲滅されています。

また10大弟子の筆頭である目連は外道の集団に叩き殺されました

これは彼が地獄に行った時、ある外道の導師が自分が説いた教えでは

地獄に堕ちるから現世の弟子達に仏道に入るよう頼まれ

それを外道の弟子達にしつこく言ったのが原因でぼろぼろにされ

亡くなりました

お釈迦様ご自身もキノコの毒に当たって亡くなっています

後の弟子達は諸行無常を覚らせるために自らが

その道理をあらわしたと述べられています

また、熱心な仏教徒ほど無抵抗に殺戮されています

アフガニスタンやインドではイスラム教徒に殲滅され

最近ではチベットが中共の民族浄化にあってしまい

人口の数割がこの世から消えました。

百万人単位の被害者ということですね。

(一部の暴動を切っ掛けに何度も何度も行なわれた結果です)

どうでしょう?宗教は運命を変えられているでしょうか?

そして、誰かが信じている宗教は仏教や

キリスト教より優れた教えでしょうか?

宗教は心の解放と癒しが眼目であり

現世利益はまやかしでしかありません。

空海さんなどは

四種法(息災 増益 調伏 敬愛の現世利益の修法)は

解脱の方便というのが表向きの言い訳ですが

当時の現世利益と厭世思想にうまくつけ込んで

中央政府に潜り込んだカルトです。

彼や彼の弟子達には法力があり

現世利益の実現力が実際あったので

護国の宗教とされてきたのだとは思うのですが

法力があったとしてもそれは仏教ではありません

(学生時代 友人に宮大工の息子がいて彼の話しではおじいさんが本当に空中浮遊を見たといっていました。大きなお寺の落慶法要のとき、内わだけの場で法力比べをやったときの話しだそうです。)

面白いもので、空海は自分の兄貴だと称していた

ある教祖様は来世に良い世界に皆で生まれようと

言う主旨の本を最近出版しました。これは百パーセント

仏教ではありません。六道輪廻からの解放を諦め、

ましてや、この輪廻世界に残ろうというのですから

さすがに困ったものです。

マトモな宗教も、まともでない宗教もこんなものです。

人は自立しなければ強いものの餌食にされる

宗教だろうと男女関係だろうと雇用関係だろうと

同じです。宗教が心の支えになっている方はもちろん

それを大事にして下さい。しかし、自分の支えが他人にとっても

支えになるかは別の問題です。もしかしたら、もし、教団から

布教をいわれてそうしているとしたら、それは間違いです

教団の営業マンになってはいけません。

どこかに所属して安心を得る星と

所属することが苦しみを生む星が

世の中にはあります。自分を基準に考えるのは

とてもとても間違いと誤解が生じやすい。

人は千差万別です。

同じ時代に共生するためにはこのことを認識することが

男女関係を問わず大切なことです。

まず、お互が違うのだという事を認め合うことです。

(自分だけを相手に認めようとさせるのは大間違いです

だれもがやりがちですね)

オウム事件のようなことが二度と起きないよう

言い過ぎの部分があるかとも思いますが

ちゃんと書いておきます。

今苦しむ人へ

今苦しむ人に

天気がよい時は関東地方なら

たいていの所から富士山を拝む事ができますね

とても美しい姿です。特に冬の富士は神々しく美しい

曇ったり、吹雪いたりして見えなくなると

残念でたまりません

けれども、雲や雪が無ければ

山の雪は太陽にさらされ溶け続け積もる事はありません。

人も同じです。

苦しみがあるから喜びを知り

失うからこそ、大事な物を認識し

その記憶が同じ過ちを繰り返さないための

智慧に変化する。何度でも何度でも

智慧を得るまで繰り返し学ばせてくれる

それが人生です

いいかげんこれでもかという位

悪い事は重なるもので

それまでに積んでこなかった自分達の

徳の至らなさを思い知らされるのですが

それでも生命は己に従順に従い

食欲やその他の欲「生きる喜び」を

求める、ときにはひん曲がって人に迷惑をかけ

時には、なんのはらいせか自分自身まで傷つける。

けれど、そんな自分の内にある命の鼓動を「可愛いと」

思えるようになれば、人にやさしくなれます

他人もまた、その愛おしい命の鼓動に生命力をもらい

自分と同じように、その命を「愛おしい」

と気付こうが気付くまいが持って生きている

洋の東西を問わず、民族を問わず、出自を問わずです

この命以外の部分ではいくらでも絶望して下さい。

なぜなら、それは大した事ではないからです

特別に欲をかかなければ、ちゃんと生きていけます

その「欲」とプライドとどっちが大事?などという

大バカな事を天秤にかけるから、苦しみが生じ、

欲した物が手に入らないと言っては絶望に落ちる。

でも人は温かい人情と、衣食住が足りていれば

わりと、楽しく生きていけます。

既に衣食住が足りているならば後は色恋の欲を出さず

暖かい人間関係を作れば幸せになれます


もし今、人間関係がメチャクチャで被害者の立ち場なら

その人と距離を置きシェルターとでもいうべき友達や

なんとか団体でも結構、世話をやいてくれそうな所へ

逃げて下さい。でも、もしあなたが加害者側なら、

もう一度その人との関係を考え直すことです

その人はあなたにとっての運命の人だったはずです

中には加害者であり被害者でもある人もいます

その人は時間をかけて静かに関係を清算する事です

急げば、互いの傷が深くなり再び出血する可能性がある


苦悩というのは冬の富士山の雪化粧のようなものです

そしてその下にあるものは、どのような人であっても

美しい命の鼓動である事を忘れてはいけません

今苦しい人は冬の富士山の5合目です。

そう自分に信じ込ませて下さい

下手な瞑想よりよほど効果がある

富士の山には木花咲耶姫が祀られています

女性のための神様です。祈って下さい、清々しく

清浄なる風が感じられれば神が感応なされた証拠です

そうしたら、

あなたを受け入れてくれた神様に失礼に当たりますから

必ず、意地でも、一度過去の手放せなかった欲を全て捨て

希望を持たなければなりません。

それができれば神様は常に側で見守ってくれるようになります

但し、過剰な期待をあなたがすれば、汚れと感じて

離れていくので注意して下さい。



神に対する過剰な期待は欲に変わり、

そこにいて下さるだけで救いになっていたものが

いつのまにか神様をお願いを叶えるための使いっ走りのように思い始め

本末転倒になる。

これもまた人の姿です。





注意

絶対に自分の苦悩をテーマにして瞑想しないで下さい

富士のお山を一日3分ひまを見つけて5セットくらいイメージすること

これで充分です。

最近つくづく感じるのですが

「業」という観点から人の運勢を見ていると

運勢学でいう官鬼の星のありかたが

実に、理にかなっているというか

溜め息がでるくらいリアルな星として

現れてきます。

官鬼の星はいわゆる正官、偏官のことなのですが

一般的には職業の星、特に正官は本職

偏官は副業などと、実際とは乖離している

解釈をされています。

女性にとっては夫の星ともされているのですが

現実的には、どれだけ社会から「いじめられる」かを

計る星として鑑定していきます。

この星が強ければほぼサンドバック状態に陥るのですが

なんども書いているように、縁を与えなければ

起動しません。

けれども、ほとんどの人が、この星が発動するスイッチを

子供の頃、ないしは20歳くらいまでに押してしまっている

星のありかたは被害者なのですが、実際は加害者としての

行為により後々の立ち場の兆を起こしています。

たとえば、ペットをいじめる、兄弟がいれば弟妹、

学校では後輩、同級生など自分より立ち場の悪い子を

やっつけてスイッチをいれてしまう。

恋愛がらみが原因になり露骨に異性の好意を拒否し

結構深く相手を傷つけてしまう。

また、親に対して起こしている人もいます。



未来から呼ばれて行う行為は、なかなか本人自身にも

理解出来ません。なぜ、あれほど自分は荒れたのか?

その秘密も推命の中には隠されている。



みなさんも是非このあたりのことを研究してみて下さい。

そしてもし自分の中に思い当たるふしがあるのならば

なんとかそれをほどく努力をしてみて下さい。

人生

所謂3角関係ですが、本人に選択権がある場合は

あまり問題ありませんが、本人に選択権がない場合は

考える事を勧めます。

本人に選択権があるとは運勢が強い人で(良いという意味ではありません)

選択権が無い人とは運勢が弱い人の事です(凶という意味ではありません)

運が弱い人の場合、大抵は相手に従い、被害者的なところから

抜け出すために相手を変えようとし、強い人は自分の気に入らない相手から

気に入る相手にシフトしようとします

職場の去就もこの範疇に入ります。

面白いものではありませんが、これも人に刻まれている運勢の仕業です。

男性の場合仕事にこの浮気癖が現れ

女性の場合は男性が変わりやすくなります

現実的な問題から、潜在的な欲求で終わっている人も多く

誰の心の底にもあり、その基本的な姿は変わりません

現実的な問題とは、自分の次の受け入れ先がないという話しですが

ここが難しい所です。

たとえば、30代40代になって相性の良い職業といっても

最初からその道で、よそ見をせずにやってきた人とは比べ物にはならないし

人間関係も一から始めなければならない。

もし、先の会社等で人間関係が嫌で辞めたというのなら

同じ事を繰り返します。最初からコミュニケーションに問題があるからですね

当たり前の事ですが、この当たり前の事しか人間世界には起きません

「奇跡は自分で起こすもの」そう覚悟する事が大事です

良い結果がでれば、それこそが自分の起こした奇跡です

この「自分」、「我」が在って初めて「自信」が生まれてきます

とても、とても、大事な事です。

小学生の頃、親に書いてもらった作文や夏休みの宿題が優勝賞をもらって

気まずい思いをした人はいないでしょうか?

私にも苦い思い出があります。親がものを書くのが好きな人で

小学校のとき県の作文コンクールで優秀賞を

2度ほどもらってしまいました

小学校の1年生の時の思い出です。

家庭訪問のときの親の晴れ晴れしい顔が

自分の心に暗く沈み込む、なんとも言えない感情を

今も憶えています。作文が書けないと泣いて投げ出した

自分がいた訳ですが、それもまた苦しく、二重の苦が

親が死んだ今でも自分の心の中には記憶としてあります

(暗い感情は幸いにも今はありません)

自信というのは自分でしか身につけられません

他人が褒めてくれても、

そうではない事を自分が一番良く知っているからです

これから人生を謳歌しよういう年代の方は

よくこの事を知っておいて下さい

また、人生をリセットしようとしている方もまた

軽々にリセットするなどと夢みたいな事を言わない事です

人生は厳しく、楽ではない。そしてゲームとも違う。

人生はわりと単純です

好きと嫌いで選択され

好きな事には努力出来るし

嫌いなものには努力出来ない。


そして何かを得ようとすれば

代償を払わなければならないというルールの

世界がこの世です

自身の選択に価値を置き、支払った代償を後悔しない事

そして揺れても、元に戻る努力を怠らない事です

けれども、

全て承知でそれでも先に進む気概があるのなら

2度と自分の選択に愚痴を言わず

勇気をもって前に進み、後ろを振り返らない事です。

それもまた良い人生です。

教室の例題解析から

先日教室の例題で事故で亡くなったレーサーの解説をしました。

解説は容易なのですが人が生きる事の難しさを再認識

させられました。

本人を救っていた星が大運と年運により一時的に隠れ

財が官を生じる形に最終的になり、その通りの死が訪れた形です

この場合の財はその人の喜びであり、その喜びの世界に

生きようとする欲です。欲を出し、努力し求めれば求める程

財は官を生じます。官とは名誉や地位、レーサーならば勝利

です。しかし本人に官の力量に耐え、それに応える事が出来なければ

自分をいじめに来る星に変身しイジメ 事故 病気 死神にかわります。

このかたの場合財が強く日干の力量が弱性で官の重みに耐えられるような

姿をしていませんでした。最初から勝負師には向いていません

報道では最初はレースのゲームにはまり

そこからこの世界に入ったそうです

本人の夢が自分の命を奪うなら本望でしょうし

それはそれで後悔のない良い人生だと私などは思います




財が官を生む形のトラブルは、とてもとても世の中に多く

楽を求めれば求める程災難に見舞われる。

この事は何度も何度も言ってきました。また、

人は空白を埋めようとする生き物でもあり

自分の中に空白の部分があれば、何かでそれを補おうとします

そのように人の心はできています。

問題は「何で」埋め合わせをするか?ということです

この選択を間違えない事がとても大事です

一般的に、異性が空白の原因のときは異性で

その埋め合わせをしようとするし、家族の場合は家族

仕事が原因のときは仕事でそれをしようとします。

けれどもどうでしょう、それで埋め合わせはできるでしょうか?

私は出来ないと思います

なぜなら、鑑定士の目で見ると異性運が悪い人は

普通の状態なら悪い異性にしか興味を示しません

仕事にしても結果的に同じ轍を踏みます

なぜでしょうか?

理由は「自分自身の欲」の形がよくわかっていないからです

欲の形は様々で、もちろん個々で違います。

じゃあ、どうすればいいの?ということになりますね

先に書いたように「欲」は「楽しみ」であり「喜び」です

「好み」でありその人の「夢」とも言えます。だから難しいし、

意思が強い人、自分は正しいと思っている人には

このような事を言われることは耐え難い苦痛になり

聞く耳を持ちません。これが普通の人です。

よほど苦しくなり耐えられないようになったとき初めて

聞く耳ができる。皮肉な話しです。

でもこれが人の姿です

我々のような仕事をしていると

時には自分の好みの後押しをして欲しいために

やって来る人もいます。

商売的には、そうですね良いですよと言ってあげれば

本人も納得するし、次ぎに繋がるのですが、私の場合

残念ですがウソは言えない性分で、やんわりと意見をして

嫌われます。

最後は愚痴になってしまいましたが、私を含めて

人は愚かです。愚かであると自覚した所からしか

進みません。愚の轍(わだち)を越えるため

日々人生修行です。

がんばらなければ....ですね。

占師

生徒さんからも時々聞くのですが

どこかの占いでこう言われたので、変な暗示をかけられて

困っている。貴方もそう思うか?



どうなのでしょうか?その人にはそれだけのことを言う

根拠があってそう言っているのであれば、

その根拠を相手に問うのが筋です。

四柱推命もそうですが、

占いの世界は同じ名前の占術でも

天国と地獄以上の差があります。

なぜなら、術者が天国の住人なら

天国に昇るための鑑定をするし、

地獄の住人なら地獄に引き込む鑑定をします。

けれども、「類は縁を呼ぶ」だけのことで

相談者と鑑定者の間には、

同じ「質」のものが縁となりそのような方と

ご縁が出来ただけです。

世の中では、このこと以上のことは

あまり起きていません。そんな事言うなら

人の「質」は変わらないのか!

それでは一生そうなのか?と言うと

そうではなく、この理に気付き、変える努力をすれば

この枠を越える事は可能だと思います。

問題は、そうゆう自分に気付く切っ掛けは何か

と言うことですが、これは難しい。

大抵の人は、与えられ奪われた時、

強い苦しみの中でこのことに気付き始めます。

様々な人間関係のなかで、甘えが拒否された時

信用が裏切られた時、自己主張が入れられなかった時等

様々ですが、ほんの些細な事の中で

加害者だったり被害者として自分が現れ、

なんで私ばかりが.........。このように不幸なのか。

こんな会話が心の中で起きたときが、自分に気付く

チャンスになります。人生が揺れる時です。

私には、この現象がとても興味深く思えます。

うがった見方をすれば「幸せ」が続く人には

自分を見つめるチャンスは無いということだからです

前に六道輪廻の話しを書いた事がありますが

天上界の生き物は享楽に耽り輪廻を脱する

道に入ろうとする動機が生じないと言われています

極端な言い方ですが、我々の娑婆世界にも天上界の

ような人々がちゃんと棲み分けているのかもしれません

こんな風に世の中を見ていくと、やはり六道の世界は

あるんだと思いたくなりますね。



運勢鑑定はもちろん仏道ではありません。

善悪の縛りは、なにもありません。

宗教とは、程遠い世界です。たとえば、

悪事をやっている人でも吉運であれば悪事でも

成功します。同様に凶運になった時、

悪事をしていれば司直の手にかかります。

運とはそう言うものです。

だからこそ、それを鑑定し解説する人の

人間性が問われるものなのです。

肚黒い人間がそれを使えば肚黒い業を相談者に与えるし

逆の場合は生きる喜びや希望を持ち帰ってもらえます。

相手の家庭を壊してまでも自分のものにしたい。

こんな依頼者の願いに、マトモな占師なら、

やめときなさいと答えますが、

そうでない先生は、こんな呪いをすれば

かなう、この方位に行ってお水取りをすれば叶う

このパワーストーンが幸運を呼ぶ等々

霊感商法まがいのことをしています

そう言う指導をします。みな同じ穴のムジナです。

開く事の無いループ。姿は人間ですが

野原に鉄の鎖で繋がれた飢えた動物の姿です

つながれた杭の周りを延々と

それぞれの求めるものを求めて巡り続ける。




運勢には善悪はありません。

ただ、その人が何を思い、どう生きるか。

その生まれ持った傾向が、

星の姿として書かれているだけです。

どうしてそのような傾向があるのかと

問う方がいるのですが、私にはわかりません。

ただ、インド哲学などは輪廻という概念から

前世があると言うし、

前世を記憶する子供達からの聞き取り調査や

退行催眠を使いそれを前世療法として治療に使用している

精神科の先生もいるようです。(このての話しには

様々な本がでているのでそちらを読んでみて下さい。)




仏教的な話しをすると前世の行為が因となり

その果として今の世に持ち越したものを

「等流果」といいます。

前世に作った原因と等しい流れの結果と言う意味ですね

前世で生き物を殺すことを日常にしていた人は

この世に生まれてきた時、子供の頃から生き物の

命を奪ったり、なぶりものにすることを好む。

そのようなことが、「因果」の教えの中に

けっこう詳しく解説されています。

(私自身、初めてこれを知った時、自分の子供の頃に照らし合わせたときのショックは計り知れず、自分の、人となりの成り立ちを自覚しました。だから、この因果についての考え方には確信をもっています。)

そして、そのような目で運勢の星の姿を見つめていくと、

おぼろげながらでも、人の業の姿が見えてきます

同時に、そこから逃れる道筋も見えてきます

恋愛成就や不安解消の占いとは、かなり

違う次元の話しのように聞こえるかも知れませんが、

この部分がわからなければ

本当の意味での人の幸せは見えてきません。

運勢の外科手術のようなものです。

人によっては怖い怖い話かもしれませんね。

初級教室

初級教室の最初の講義の一部を載せておきます。教室の雰囲気が少しは伝わるかもしれません。

..........................。

あらゆる人がこの10種類の中のそれぞれ一つの星を中心とし、その周りにはこの中心となる星を攻めたり、守ったり、盗んだり、叩いたり、誘惑したり弾いたりする星と共にこの世に誕生しています。一般的にはこの周りの星にばかり注意が行き、物事の本質である中心の星の働きが疎かにされ、残念ですが人の持って生まれた徳というものが解っていません。この中心の星をいかに活かすかが四柱推命学会の用神法です。(公開ができないものがあり簡略化して書いてあります)

実に様々な方の命式を拝見し研究しておりますが、もし、この時期にこのようなアドバイスをされ、本人もそれに素直に従ったら、世の中からいなくなるような事は無かったのにと残念でならないことが多々あります。ブログやコラムに何度も書いてきたように、持って生まれた周りの星のままに嗜好し(指向)星に仕掛けられた罠に落ちている人がとても多く、もちろん良い運を持って生まれたかたは、それで良いのですが、そうでない方にとって人生で自分の徳分さえ味わう事が出来ない方がいる。(持って生まれたものより悪くなっているという事ですね。)

推命を志す方は是非この点を自覚し、自分の徳分を知り、人にはそれを覚らせ、皆が価値を持って生まれてきていることを知ってもらい、有意義な人生を送れるように鑑定して上げて下さい。そのような鑑定士を目指して下さい。鑑定士になるつもりはない、趣味程度で結構という方は、それはそれで良いと思います。自分の人生に大いに活かして下さい。それだけの価値はあると思います。ただ、生兵法は大怪我の元です。中途半端な言葉で、真実の一部がそこに含まれている場合、大きなダメージを相手に与えるものです。この点は自覚して下さい。これは他流派を学ぶ方にも言える事です。

それぞれの星の解説をしていきたいと思います。

...............。

比肩と劫財

比肩、劫財について、30年くらい前の

推命書には財を潰す星なので凶の星と

分類されていたと思うのですが、

現在はどうなのでしょうか?

今もそのように信じている人がいるとしたら

この比肩と劫材が用神になり運勢を開く

要(かなめ)の星になると言ったら

さぞや驚かれると思います。


さて、教室の中では当たり前の事として

比劫を用神として取用するときの使い方を

教えているのですが、ときどき大きな誤解を

している人がいます。

比劫の象徴する意味の一つとして友人同僚等の

意味があるのですが、この「友人」に対する

理解ができていません。

「運命を開く鍵」としての「友人」を指示しているのですが

その「重み」が理解できていない。

例えば、会社を経営していて、今月中に500万円

都合つけなければ不渡りを出してしまう。

でもこのご時世では金融機関の審査に通る見込みが無い。

親類縁者、友人知人に頼るしかない。

こんな場面でも

大運または命中に比劫があり本人の用神になっている

場合、必ずこの中に救いがあります。

しかし、よく考えてほしいのですが、

日頃から不義理をし、時間や約束を守らず、

やると言っては、やめを繰り返していたのでは、

誰がお金を貸すでしょうか?

信用に足るものが全くありません。

この不義理をするという事が、自らの

用神を傷つけ、生まれ持った徳分を傷つけることに

なるのです。一事が万事です。

たいてい、本人に勢いがあるときは、

他人の世話ごとを嫌い、趣味や享楽など

自分の事だけに興じ、運を開く鍵となるはずの

友人達との絆を深める事を疎かにしてしまう。

さらに、

比劫が用神の場合、他人から世話を焼かれて

当たり前だと勘違いをしている人がいる。

これは困った者です。

友人知人から運が開くはずの人が

本人にとっては友人でも、相手からは世話の焼ける

知人の一人と思われていたら、友人知人は

いない事になります。

理解できますね。



用神というのは、なによりも大切に育む事が

肝要で命式についているからといって、

自ら育てる事を放棄したり傷つければ

運勢が、ただ、衰えていきます。



この因果の道理からだけは誰も逃れられません。

しっかりと生きた星の運用を身につけて下さい。

推命学

やはり推命学に対する自分の考えを述べておかなければ

ならないと思い、一応書いておきます

四柱推命ですが、この学問に関しては色々な人が

沢山の本を書いています。特に専門書になると

理数系のとても頭の良い人が本を書き、中には

どこかの大学の先生が亜流の体系を事細かく

起源をたどって書いているのですが

どうしてこうも役に立たないものをしたり顔で

書いているのかと呆れるときがある

試しに、本に書いてある通り自分の姿を量ってみれば

一目瞭然。ただし、そうあって欲しい自分ではなく

リアルな、一番嫌いな自分が鑑定されているかどうかで判断して下さい。



プロの占師さんの中にも正官の運に10年これから入るので

とても良い運ですよなどと無料サイトの鑑定で

書いているのを見ると、呆れてものが言えなくなるときがある

現在、巡行なら財運で、逆行なら印星で苦しめられている事になるのだが

今どん詰まりの状況だと言っている依頼者に、さらに官星が廻れば

どちらにしても命の危機が起きるのは実践での常識なのに、本当に、

どうにもならない。

腹が立って腹が立って仕方が無いので

見ない事にしているのだが、専門が四柱推命などと標榜しているので

ついつい見てしまう。

しかし、冷静になって考えてみると正官 正財 印綬を

一般的には三貴の星といい吉としているものだから

本に書いてある通り鑑定しているのだから

とても素直な鑑定士だと言えば言えるし

鑑定料が安い事で売っている人が多く

依頼者もその程度と思っているのであろう

また、同時にいくつか洋の東西を問わない他の占術も標榜しているので

当たらない自覚があるのかもしれない

しかし、それにしても現在の運が悪いのをどう解釈しているのか?

現在も三貴の運のはずなのだが。

最初から自分(鑑定士)に都合の悪い事を見ない事にしていると

しか言いようが無い

いつでも教えを乞えば教えてあげるのにと思う

プライドよりも依頼者の安全だと思うのだが。

同学の士のために一つ参考にして頂きたいのだが

通変星主体で見ている方がとてもとても多いのだが

通変星はあくまでも星と星との関係性を表した現象で

星自体の性情を勘案し、力量を見極めなければ

大きな間違いを犯す、また、星は固定化したものではなく

常に内部で変化をしていることを忘れては絶対にならない

それゆえに大運 歳運で本人が何を味わったかで

星全体の判断が変わって来る

具体的に言うならば、その一点で

毒を食らえば毒婦となり、愛を食せば

良妻賢母となる

縁に依って人の姿は変化することを是非知って下さい

プロの方でも初級からの学習をお勧めします。

星を活かす事

皆が幸せを願っているのになぜこれほど不幸が世界に満ちているのか

どうしてでしょうね?

聖者の認定を受けたカトリックのシスターと

最近裁判でマスコミが騒いでいる殺人の罪で

起訴された女性の元命式がよく似ているので

いろいろ考えさせられています

大運が違うという事を考えても差が大きすぎる

なぜでしょうか?

片方はシスターと言う欲望が限定されている

世界に生きた人間

もう片方は、一人で好き勝手に生きられる環境と

甘い汁を一度味わってしまった経験を持つ人間です

色々考えると、本人が「何」を望み味わうかで

その人の人生に莫大な量の差が生まれる

その人が何を味わい、それを「おいしい」と感じるかで、

その後の選択肢が決まる

そう言う意味では運命は何も決まっていないとも

言えるのではないのでしょうか。

それなら、何が運命を決めるかと言うと

生まれてからの教育であり、道徳であり

その人が身に付けた倫理観かもしれません。

先に出した例では一方の彼女はキリスト教的な倫理観の

世界で教育され、その上に自分の判断による

キリスト教以上の倫理観を身に付け、他宗教の信者さんからも

信頼され、世界的な尊敬を勝ち取りました。

もう一方は同じように彼女独特のユニークな判断により

生き、その結果、罪を犯したとして裁判にかけられています

星から見れば発想の源は同じでなのですが、

ただ、その行いに雲泥の差があるだけです

我々は皆、これと同じような状況にいます。

スターウオーズではありませんが

誰もが、いつでもダークサイドに落ちる可能性がある



私は鑑定の時「星の通りの生き方をしてきましたね。」

と言うときがあります。それは鑑定をし、相手の方が

鑑定の内容をほぼ100パーセントあっていると認めた場合

の私の答えかたです。そうであれば、今後も予想した通りになる

その上で、改善方法を伝えるのですが、それを実行出来るかは

本人次第であり、私は常に祈る気持ちでいます。

それが通じるかどうかは解りません。

それもまた相手の方の選択です。

その通りに出来ないのは私に人間的な力が無いのだと

私は思っています。

私の所を訪ねて下さった方は目にしていると思うのですが

玄関には観音様の絵がかけてあり

鑑定室にはお釈迦様の曼荼羅があり

人の業を浄化出来ると信じられている

金剛さったの肖像が飾られています

ご本人の業が浄化され少しでも楽になれるようにとの

願いもあるし、自分自身の業も解けることを

願ってのものでもあります。私自身弱い人間であり

常に仏達の加持の力を求めているし、自分が弱い事を

自覚しています。たぶん、皆さんと同じです。

その上で、自分が何をすれば良いのかを

運命学から学んだ一人です。

ご自分が持って生まれた星の

その才能を良い方に使って欲しい

そのためにも自分自身を知る事が大事になります

そして自分の運命を決めているのは自分自身である事を

あらためて知って欲しいと切に思います

運を壊すもの3

ここ数回のコラムを読んだ方はお気づきと思いますが、

人の心は、怒り、恨み、妬み、執着の毒が生じる温床です。

誰もが自覚していながら直面したくないところですね。

そして誰もが運を良くしたい。もっとお金が欲しい、

幸せになりたいと思っている。

世の中には開運法と称して、この欲を増長する手法が

山ほどあります。その意図するところは、

運を強くするためにパワーを上げる。

これに尽きると思います。

私も若い頃からその類の人たちの姿を見ているのですが、

多くの人たちは結局、心に巣食うこの毒を残したまま、

パワーを上げてしまい、結局、一時の色と金に人生を食われ、

消えて行きました。

「なんだかなあ〜」ですね。

どのような開運法を実践するにも、やはり

この毒を洗い流すところから始めるのが一番安全です。

その方法はまず自分自身を知ることから始めるのが

最善だと私は思っています。

その上で他人を知ることができれば、

毒が増殖する機会を与える、あらゆる人間関係を

俯瞰で見ることができるようになります。

そうすると、なすべきことと、なすべからざることの

判断がつくようになってきます。

そして、よろしくないのは解っていても、

そっちに行きたいのであれば

覚悟を持って行けば良い。それもまた人生の面白みですね。

いい子ちゃんばかりでは世の中は停滞し、衰退していく。

これもまた事実だと私は思っています。

新春にあたり、洗心庵では入門クラスに力を入れていきたいと

思っています。

今年の豆まきは多くの方とご縁ができることを祈念しての豆まきです。

鬼よ去れ、福よ来たれ。

(まずは自分の心の鬼を捨てること。そいつがいる限りはシンクロして、すぐに戻ってきてしまう。どうすればできるのか?簡単です。誰かの幸福を祈ること。その瞬間は福が心を満たしています。その原理は同じです。シンンクロですね。)

通変星

通変星について

通変星には善悪はありません 

このことは肝に命じておいて下さい

その人の元命式の姿によって善にも悪にも作用します

善に作用する時、悪に作用するときの見極めは

ほとんどが日干の力量と用神の有無によります

この元命式の力量バランスが理解出来なければ

本来鑑定は出来ないのですが

簡便な方法として

各通変星を吉凶に区別し、とても単純明快な

通変星占いとして世の中に出回っているのが

一般的な四柱推命です 血液型占い程度で差し障りの

ないレベルなのでわいわい言って楽しむのには向いていて

マスコミ受けするものですが、これを真に受けて引きずると

大変な誤回答をすることになるので気をつけてください

私たちが学んでいるものは、これとは似て非なるものです


すでに教室で実例例題を何題か見ていますが

そこには人の人生が如実に描かれ、その人の

心が星の流れとともに移り行く姿が描かれています

これは、わいわい言って楽しむものではなく

厳粛で冷徹なその人の持って生まれた運命の姿です

そして、そこから逃がすというのが我々の鑑定法です

鑑定

アメリカの有名な女性歌手について

あちこちで鑑定しているサイトがあるものですから

ついつい見てしまって、愕然としている所です。

同じ東洋占星術系のものやナントカ殺系のものも

ついでに見たのですが、ヒドイものです

どこまで行っても通変星から離れられず

偏財があるからショウビジネスに向くとか

ナントカ星が人気の理由だなどなどですね。

現状だけを見ればその通りで、ウエッブでご自分の

鑑定を公開する自信の程が伺えるのですが

あまりにも、あまりにも薄っぺらです。

それなら、

彼女をドラッグに溺れさせ、大学を中退させ

家出をし、身体を売るようなまねをして生活しながらも

戦い続けさせたものは一体なんだったのでしょうか。

その原因が、鑑定の要点となる、物事が起きる原因、

その人の心の起こりがまったく無視されている。

薄っぺら過ぎて、箸にも棒にもかからない鑑定です。



彼女の星を見ると、元々は甘えんぼさんで

好き嫌いがハッキリしていて、YESかNOしかない人です

わりと生きる事に執着が無く、

楽しい事だけをして生きたいというのが本音のかたです。

ところが、親や先祖に最初から大きな重圧を受けて生まれてきています

最初は籠の中の鳥のように育てられ、

「家」であったり、レディーのたしなみや世間的な常識だったりと

目に見えないものに対する束縛が星に現れています

それは彼女の目線で言うと、自分の光を失わせるものであり

理屈を越えた嫌悪感がそこに生じています。

最大の苦痛のポイントがここにあります。

彼女の在り方は、この「常識」からの「解放」

これを只ひたすらに追求してきたものです。

元命式はこのようになっています。

そのような生活の中で彼女が自分を表現するために

選んだものが音楽でした。音楽はウソをつかないから

そして、美しく楽しいからがその理由でしょう。

彼女の「本音」が選ばせたものです。

それでも、17歳くらいまではそれなりに、ルールの中で

頑張れる運勢なのですがこれを過ぎると、なし崩しになる。

キツかったはずです。ちょうど年運と呼応し

家出となり、自分の足で生き始めたのですが

夢を諦めなかった結果として生まれ持った大運が

22歳前後から動き、財の倉が開き

世界的なセールスを記録し今に至る。

もし22歳までの5年間の中で、もし、

歌を諦めていたら、この星の動きは

この間に親が生前の財産分与を彼女にするか

莫大な資金を持つどこかの会社のオーナーの情婦

になっていた、結果はお金が入るという意味で

同じです。それが星の流れというものです。

けれども彼女の生活は荒れていたでしょう。

お金があっても自分を解放するという戦いに

負けた訳ですから幸せにはなれません

結婚で幸せになれる人でもなく

最初は良いのですが、一緒にいると

だんだん、男がうざく感じられ、

一人の人と長くつきあうには努力が必要なかたです

子供を望むのならば、早いうちに考える必要があります

将来的な事を言うと、最悪な自体を前提として

心が壊れなければいいなと思って見ています

ここまでが私の診断です。

(たぶん彼女が書く詩は鑑定した通りの心の姿が表現されている内容だと思います。)

そして

これをもとに運勢の処方箋を書いて行きます

私の鑑定はこのようなものです。

人の心の底の底から原因をさらい、現在を観察し

次を察知し対処する。やはり、このことが鑑定には

一番求められるのではないのでしょうか?

そんな深い事は怖くて知りたくないし、

占いに、夢の後押しを求めている方には

無駄な鑑定力ですが

時には命を救い、地獄の底でのたうち回る人を救う事ができる

鑑定力でもあります。この力を望まれる方には

いつでも学習の場が用意されています。

教室でもこのような鑑定の方法を

隠す事無く講義しています。

4月からも開講するクラスがあります

ご興味のある方はご参加下さい。

3

十善業といいますが正確には十不善業の解説です。

十種類に分類される苦しみの元になる行為

「業」という言葉の見解にはいろいろあり、一般的には

その人の持って生まれた思考形態、ものごとを考える傾向そのもの、

言葉、心、行動に反映される精神活動全てという意味で良いと思います。

もっと単純に言えば、理由はどうであれ「自分が動いた結果」

「動いた報い」ということでしょう。

そうさせたのが何であれ、最終的には自分が選択したもの

(ここまで言うと救いが無くなってしまうのですが、「誰かのせいで....」

を言っているうちは、自分の業と向き合う事はできません)

そしてこの業は死んだら終わりではなく、延々と「心相続」と言う形で

我々の肉体に宿り、この現象が輪廻と名付けられています。

その、持って生まれた業を固定したものと見るか、業もまた因果律により

浄化すれば善化すると見るかが、仏教と、いわゆる外道との差になり

仏家は因果の法則を「縁起の法」といいます。

そんな、メンドクサイ、抹香臭い

仏教なんてどうでもいいから業を浄化する方法を教えて下さい!

えっ、それもう話したよ。一番楽な生き方で最初に書いたじゃん。

え、ええー。となるので、改めて言うと

それが十善業です。平たく言えば、悪い事はしなさんな、積極的に

良い事をしなさい、それが十不善の業を浄化する事だよ

とお釈迦さんや偉い坊さん達は言っていました。

白隠さんも最澄さんも本の中で書いているし

「七佛通戒偈」を読んだ事のある人なら

誰でも知っています。私も推命の師匠から

「他人様のこころに刺さった刺(とげ)を抜いてあげる事が

自分自身に刺さっている刺(とげ)を抜く事になるから

それができるように、確り学んで良い鑑定士になるんだよ」

と言われ、現在にいたっています。

私は、縁のある人には、鑑定の中でもお伝えしているのですが

私の実力不足で、なかなか相手には伝わりません。

しょうがないので、この言葉の裏側にある膨大な背景を

見せなければ、「風景のような言葉」になってしまうので

できるだけ具体的に、普通の人にもイメージ出来る姿で

解説していきます。業と因果についての解説になります

先ず、

1、殺生

十不善業の中でも最も悪いとされています

前回、動機の問題に触れましたが、

怒りの故に殺す意思を持って殺す事、いわゆる殺人事件

貪りの故に殺す事、角、毛皮、食肉としての屠殺

無知故に殺す事、害虫、害獣など必要だ、良かれと思って殺す事

「無知」とは難しいものです。裁判なら責任能力が無く無罪とされるものでも

その結果はやってくるよというのが業の考え方です

でも、食に関しては難しいですね。

偉いお坊さんは命に感謝して食べることが大事ですと答えますね。

食の学習について世界的にも、チョット前にベルギー映画で

邦題で「いのちの食べ方」原題は「Our Daily Bred」で

屠殺場のベルトコンベアーを流される動物等々なかなかショッキングで

したが、翌日には普段の食欲おう盛な自分に戻り、

今日のご飯は何かな?と考えている自分がいました。

これも「無知」の働きです。見たくない、聞きたくないものは

すぐに抜けて行く。

食欲など身に備わっている欲(業)

のために人は合理的に馬鹿になるものです

物欲、性欲、名誉欲も同じです。

(大義名分があっても同じです。戦争など良い例ですが

ほとんどが大なり小なりPTSDにかかっている)

そして、あとから泣く事になる。

できるだけ殺さない事、食に関してはお坊さんが言うように

感謝して食べる事、たまにはベジタリアンの一日を過ごす事など

命に感謝し、食に敬意をはらい、お線香の一本でもあげて

供養することも、あまのじゃくさんには独りよがりの偽善者で

意味の無い事に聞こえますが、効果はあると仏典には書かれています

対治法の一つとして、「放生」をして善の行為を積むとあるのですが、

これは売るために捕まえた魚や鳥を買ってきて

自然に放すことをいうのですが、特定個体の保存など

タマゾン川(多摩川に熱帯魚が繁殖している)問題など

現実性に欠けます。今すぐ実行出来る一番よい対治法は

殺される側に、もし、自分がいたらとイメージし、じゃ、

どうする?となるのですが、できることで良いと思います。

ちなみに私はお線香タイプです。

祝詞

日本における十干十二支の教えの根本は実は太古の昔よりあるという事の証明かも知れません。どうでもよいことですが日本という国の成り立ちにまで遡ることも、もしかしたら出来るのかもしれません。石上神宮の十種の神宝の大祓の文です。




とくさのおおはらえ

高天原に神留り坐す 皇神等の鋳顕し給ふ 十種瑞宝を以て 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命に授け給ふ事誨へて曰く 汝此瑞宝を以ちて 中津国に天降り 蒼生を鎮納めよ  蒼生及万物の病疾の事あらば 神宝を以て 御倉板に鎮置て 魂魄鎮祭を為て 瑞宝を布留部 其の神祝の詞に曰く 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 一二三四五六七八九十瓊音 布瑠部由良由良 如此祈所為ば 死共更に蘇生なんと誨へ給ふ 天神の御祖御詔を稟給て 天磐船に乗りて 河内国の河上の哮峯に天降座して 大和国排尾の山の麓 白庭の高庭に遷座て 鎮斎奉り給ふ 号て石上大神と申し奉り 代代神宝を以て 万物の為に布留部の神辞を以て司と為し給ふ 故に布留御魂神と尊敬奉り 皇子 大連 大臣 其神武を以て 斎に仕へ奉り給ふ 物部の神社 天下万物聚類化出む大元の神宝は 所謂 瀛都鏡 辺都鏡 八握剣 生玉 死反玉 足玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼 更に十種神 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 一二三四五六七八九十瓊音 布留部由良と由良加之奉る事の由縁を以て 平けく聞食せと 命長遠子孫繁栄と 常磐に堅磐に護り給ひ幸ひ給ひ 加持奉る
神通神妙神力加持

怒り

持って生まれた運を最も傷つける行為として

「怒り」があります。

基本、人間関係が壊れるところから、様々な影響が生じ

時には後悔から、怒った自分を自分で傷つけることもある。

皮肉なことですが、運が最初からこの傾向にある人もいる。

人はどんな状況で怒りが湧いてくるのか?

もし、皆さんが怒りの渦中にあるのであれば、

また、自分の中にこの傾向があることを

自覚しているのであれば、一緒にこの「怒り」を

分析してみてください。

1、自分の思い通りにならない時

2、自分が傷つけられ、いじめられた時

3、理不尽な要求をされた時

4、バカにされたと感じた時

5、自分の愛情(善意)が受け入れられなかった時

6、起きたことの事情が理解できず、錯乱、混乱した時

7、期待を裏切られた時

8、自分の存在を脅かすものに対して

9、思いもかけない要求をされた時

10、騙された時

11、プライドが傷つけられた時

12、執着がさらに深くなった時

13、嫉妬がさらに深くなった時

14、傲慢さがさらに深くなった時


これを大別すると、

「自分が相手を支配できない時」

「誰かが自分を支配しに来た時」

「自己愛が極大した時」(12、13、14)

また、その底には普通の状態(本人の中の平和)が乱される

「恐怖感」が存在します。

面白いもので信頼関係のある人の言葉は

結構きついものでも意味あるものとして心は処理しますが

そうでない人の言葉は文字通り受け止めてしまう。

ご夫婦の間で怒りごとが多くなっている方たちは、

この辺りの修復を考えないといけません。

大抵、お相手への期待のしすぎから信頼度が落ちています。

「怒りの分析」などしたことがなかった方たち、特に怒りっぽいと

自覚している方たちは、是非このお怒りの分析を習慣にしてみてください。

生まれながらの短気であっても、必ず、落ち着いてきます。

「今の怒りの出どころはなんだ?」と自分の心に問い続けることです。

そして諦めないこと。

自分自身に絶望しないこと。

自己愛ゆえの絶望です。

自分はもともと、こんなもんだと思っている人は

絶対に絶望しません。

自分はこんなもんだ、だから、ぼちぼちいこうや。

それで、必ず前に進める。

「自分が嫌いだ」は実は正確には「こんな自分は嫌いだ」ですね。

その「こんな」は自分に対する期待の高さを表している。

そこから「降りる」ことです。

今年のキーワードはこれですね。

プライドから降りる。

そして心の安静、安穏、安らぎを手に入れてください。

権力と自由

ブログに書いた権力の続きとして、

もう少し書いておきたいと思います

教育勅語と国家神道の強制力からの反省として

信教の自由が生まれたのですが、宗教と教育と

権力が結びついたとき、すさまじいことが起きる。

そして、そのひな形はいつでも我々の身近にある

思想団体、宗教団体が典型的な存在ですね。

(政党なども同じものです)

信教は自由ですが、「団体」は自由ではありません

ここが怖い所です。団体に個を呑まれ、

個を無くして何が救われるのか?

自由に生きることの辛さに喘いでいるかたが

多い今の世の中です。ある意味共産主義者のように

権利ばかりを振り回し国に、揺りかごから墓場まで

面倒を見てもらいたいと望む人が増えいるのも事実でしょう。

しかし、人には、どんな人にも生まれながらに

星の徳というものが備わっています。

その活かし方を知らず種まきの時期に、それを腐らせたり、

時期を間違ったり、また、触ってはいけない星に触れ、

よけいなものを育ててしまうから

人は不幸になるのです。

星は生き物で、育て方でどのようにでも

変える事が出来る物なのです。

誰の心の中にも明るく輝くことを待ち望んでいる

希望の光がある事を知っておいて下さい。

これは自由な世界つまり「自らが望む事」でしか

輝く事はできません。


楽になることを望ねば、苦しみが伴い

幸せになる事を望めば、楽にはなりませんが

苦しみは無くなります。

くるしみ123

苦しみ1

人生苦しいものです。

苦しみに苛(さいな)まれたとき、

どうすればその苦しみから逃れられるか?

本屋さんでも精神世界の棚にいくと

そのテーマのほとんどがこれですね。

求めるものが手に入らない代償としての

現実逃避の精神世界案内



「欲しいものが手に入らない」のは辛いものです。

この「欲しいもの」が人によって異なるだけです。

異性、お金、地位、人間関係、愛情、

漠然とした幸福、漠然とした安心感

漠然とした生き甲斐 等々

まあ共通して書いてある内容は単純で、求めるものの

イメージをできるだけハッキリと持つこと。

そして、夢の中でもイメージを持ち続けるぐらいになれば

夢は叶う。

私はそれで成功しました

と書かれているのですが、

その成功がどのくらい続いたのかは

書かれていません。

皮肉なことですがプレジデント等の経済誌で

表紙になった何人もの人達が破産し、

潰れていっています。

水泡のごとき成功とでもいえましょうか。

恋愛などはもっと極端で、はやければ10分20分で

夢は叶い、消えていきます。

そして自問します。「これでいいの?」と

占師さんでも恋愛や復縁の相談でこれをやる人が

いるのですが、これでいいのでしょうか?

お客さんのニーズに答えたことにはなりますが

なにも変わっていない。

いろいろ問題はあると思うのですが、

一番の問題は楽をして願いを叶えようとすることと

なぜ、縁が切れたり、縁が生じないかを見ようとしない。

縁があっても、この人じゃない!と、

無い物ねだりをしている贅沢な人もいます。



しかし本当に「縁は異なもの」です。

沢山の既婚者の星を見ていますが、ほとんどが

大変失礼ですが、我々のような者からみると

逆縁です。

だからこそ、相手に対する理解と

それを受け入れるための自分自身の心の幅を広げる

努力が不可欠になります。それが絆(きずな)が生まれる

始まりですね。

「恋人時代では我慢できていたけど、夫婦になったら

我慢できなくなった。」

「結婚したら、責任感も生まれて

きっと変わってくれるだろうと

思っていたけど...........そうではなかった。」

世間ではよくある話です。



苦しみ2


だれでもそうなのですが、トラブルが起きると

心の中がトラブルで満たされてしまいます。

当たり前のことですね。

でも、このあたり前のことに、なかなか気付けない。

その上、大抵の人は、繰り返し苦痛を呼び戻し

さらに心の奥深く闇を浸透させていく。

いつまでたっても苦しい。

これは普通の人です。

ところが、中には同じようなトラブル、同じような苦しい

状況になっても、苦しみを最小限でクリアーしている人達が

いるのです。例えば、長年つきあった男と別れた。

何もしないでいると彼のことばかり考えてしまうので

興味があった外国語の勉強を始めた。

センテンスを暗記する時だけは彼のことを

考えなくて済むことを発見し、夢中になって

暗記に取り組んでいるうちに、語学は上達する

彼のことは忘れられる、一石二鳥で溌剌と

仕事にも恋愛にも向き合えるようになった。

どうでしょう?

苦しい苦しいと言って、過去とダンスしつづけるのも

いいのですが、真剣に何かに取り組む時間を

過ごすことで、過去を浄化させてしまうことも

できるようですよ。

一切は無常です。

あらゆる絆は時とともに薄くなる。

苦もまた同じです。

絆を強める努力をし続ける必要があることも

このことから理解できるのではないのでしょうか?


苦しみ3


なぜ人は苦しむのでしょうか?

それは、その人が持って生まれた「調和」が

乱れるのが原因かもしれません。

めちゃくちゃ「わがまま」に生まれた人は

自分のわがままが通るときが「円満な調和の時」

になります。

「幸せな時」と言い換えてもいいですね。

これが「人の幸せの姿」です。

このまま人生が通ればまったく言うことが無い。

そのわがままが通らなくなった時、

「苦」の始まる時になります。

結構すぐに来るのが世の中で。ほぼ、幸せと背中合わせ?

と私などは思うのですが、いかがでしょうか。


一事が万事で「わがままを通したい」「もてたい」

「お金が欲しい」「名誉が欲しい」「勝ちたい」

(命式には露骨にこのことが書かれています。)

それが叶えば「幸せ」、叶わなければ「苦しみ」

「成功」する「願いを叶える」等々

ほとんどの啓発セミナーでかかげる項目ですが、

もしかしたら、「苦しみ増長セミナー」に

なっていないでしょうか。

欲を否定するのは馬鹿げています。要はバランスです。

偏(かたよ)ると苦が始まる。


世の中はそうなっているようです。

仏典ではさらに、これらの業が結実した時

異熟果 等流果 増上果、士果の四つの形であらわれるとします。

まず、異熟果は、十不善のどれでも

動機が怒りによる場合は地獄に落ち

貪欲の場合は、餓鬼に生まれ、暗愚、無知の場合は畜生に

生まれるとされています。

「地獄に堕ちるわよ!」少し前にテレビでよく聞いた言葉ですが

一概に否定出来ません。

(寒熱16地獄については結構解説にキツいものがあり、機会があれば解説したいと思います。ちなみに地獄は地獄スポットがある訳ではなく、我々の日常の中にあるもので、どこかにいかなければ知られないようなものではありません。)

次ぎに等流果です

行為の等流と体験の等流があると解説され

行為の等流とは前生で積んだ業をそのまま今も

心の癖として持って生まれることを言います

たとえば、殺生を積んできた人は、この世でも殺す事を楽しむ癖を

もっている。

私事ですが、子供の頃の自分の残酷さについて、かなり

悩んだ時期があります。子供の残酷さとよく言いますが、実は

等流果の姿そのものなのかもしません。同様に欲心の等流果としての

強欲さ、害心、妄語(嘘)など、自我に目覚め

世間に対して損得勘定から自分を隠し始める以前の、

子供の姿を見ていると、個々の業の一部が行為の等流として見えてきます。

前世の自分の姿は「今どのような姿なのかが理解出来れば

前世で自分が何をしていたかが解る。今自分が何をしているかを冷静に

理解出来れば来世、自分はどこに生まれるか知る事が出来る」

お釈迦さんが言った有名な言葉です。

前世療法等で前世の自分の名前を思い出す人がいますが

自分の苦しみの本質(なぜ、苦しみが生じたのか?)

を思い出す人はあまりいません。

人は誰もが身分制度の天と地の中でもがき、

さらに地獄に入ったり出たりの六道輪廻の中で

今、人として生まれてきています。この幸運を

真剣に考えることはとても大事な事だと思います。


(どうして人に生まれる事が幸運なのでしょうか?

考えてみて下さい。)


(とりあえず悪い事ばかり書きますが、人を喜ばす事、助ける事に無類の喜びを感じる子供がいることも忘れてはいけません。業は平等で、良い業は良い果として熟します。)

夫婦

あるご夫婦の命式です。

1940年 10月9日 男性

          1968年 28歳 戊子運 戊申年 丁巳月5月より同棲を始める

          1969年 28歳 戊子運 己酉年 丁卯月3月挙式

          1980年 40歳 庚寅運 庚申年 戊子月 乙卯日 
                        銃弾に倒れる12月8日死亡 

   日 月 年
   乙 丙 康
   酉 戌 辰

70 60 50 40 30 20 10
 壬  辛  康  己  戊  丁  丙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌

1933年 2月18日 女性

          1968年 35歳 戊午運 戊申年 丁巳月 5月より同棲を始める

          1969年 36歳 戊午運 戊申年 丁卯月 3月挙式

          1980年 47歳 己未運 庚申年 戊子月 乙卯日 夫を亡くす。

    日 月 年
    乙 甲 癸
    卯 寅 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 辛  康  己  戊  丁  丙  乙  甲
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅


ある夫婦と書きましたが、ジョンレノンとオノヨーコ夫妻の命式です。

教室の生徒さんに質問された夫婦の相性、運についての典型的な実例になります。研究してみて下さい。

夫婦

あるご夫婦の命式です。

1940年 10月9日 男性

          1968年 28歳 戊子運 戊申年 丁巳月5月より同棲を始める

          1969年 28歳 戊子運 己酉年 丁卯月3月挙式

          1980年 40歳 庚寅運 庚申年 戊子月 乙卯日 
                        銃弾に倒れる12月8日死亡 

   日 月 年
   乙 丙 康
   酉 戌 辰

70 60 50 40 30 20 10
 壬  辛  康  己  戊  丁  丙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌

1933年 2月18日 女性

          1968年 35歳 戊午運 戊申年 丁巳月 5月より同棲を始める

          1969年 36歳 戊午運 戊申年 丁卯月 3月挙式

          1980年 47歳 己未運 庚申年 戊子月 乙卯日 夫を亡くす。

    日 月 年
    乙 甲 癸
    卯 寅 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 辛  康  己  戊  丁  丙  乙  甲
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅


ある夫婦と書きましたが、ジョンレノンとオノヨーコ夫妻の命式です。

教室の生徒さんに質問された夫婦の相性、運についての典型的な実例になります。研究してみて下さい。

占いと運勢鑑定

「占い」と「運勢鑑定」について書いておこうと思います。

同じ四柱推命を名乗っていても、

「貴方は何人兄弟の何番目で、何年何月に結婚し、

子供は3人で、夫と死に別れている。」

「来年新しい男と結婚する事になっている。」

「先生その通りです。どんな人と出合うのでしょうか?」

「○○の関係の既に知り合っている人だ。」

「先生有り難うございます。」

評判の良い、よく当たる占師さんの一例です。

実際、実に見事に、本人しか知らない事を言い当てます。

(霊感占師さんでも腕の良い人になると、こんな感じです。)

では、私が学んだ運勢鑑定としての四柱推命と、

どう違うのでしょうか?

先ず、我々は、その人の元命式を見せて頂き、

最初に何を見るかというと、

その人の持って生まれた徳を見ます。

どのような環境に、その人があり、

その徳を潰しに来る敵が多いのか?味方が多いのか?

どんな人生の罠をこの人は持って生まれているのか?

そして、その徳を活かすためにはどのような努力が必要か

その上で、いつ、人生の攻めに出る時期か

守りに入る時期なのかを判断していきます。

言い換えれば、心の中にある、あらゆる未来を生み出す

「原動力の姿」を把握していきます。

その上で、相談者に

「どうしましたか?」と問い、会話が進められ、普通の会話が

すべて鑑定につながっていきます。

私の鑑定を受けた方は皆体験していることです。

どうでしょうか?

同じ四柱推命を名乗っていても、その「ありかた」に

これほどの開きがあります。

自分に合った学びをするのが一番ですが、

その違いを確りと知っておかなければ

あとあと悲惨なことになるものです。

良い鑑定士を目指す方にはいつでも門戸は開かれております

教室を選ぶ参考にして頂ければと思います。

運勢

人は、特別な環境を得ない場合

持って生まれた星に、その選択行動を

8割がた支配されています。

わかりやすく言うと、浮気の星(星の組み合わせ)

をもっていればほぼ8割浮気に走る。

(ここで言うのは所謂、世間で言うような、

神殺星がついているからという意味ではなく、

星の組み合わせです。)

しかし、その組み合わせが理解出来れば、その解き方が

わかってきます。
ここが本当に大事な所なのですが

残念ながら、一般には「運命」「因縁」だから.......。

で諦め、それでも苦しくて、もがき、傷が深くなり過ぎて

治しようがない場合が多々ある。

本当の鑑定は病気の治療と同じです。

病の原因を解明し、悪さをしている原因を

取り除き、傷んだ病巣を癒し、健康な姿に戻す。

ここが一番難しいのですが、これを依頼者本人が

自分でやらなければ意味が無く、他人を頼っているかぎり

救いがありません。

これも例をあげると

ある女性が寂しさが原因で苦しんでいました

それを相談されたある占師が、寂しいの?そう、じゃ

私についておいでといって、男を拾いにいっしょにでかけ

その女性にあてがいました。

(かなりボカしてありますが驚くべき事に、実例です。)

また、精神科の医者と患者でよく起きる「転移」「逆転移」

と呼ばれる恋愛関係を占師と呼ばれる人達が時々やっています。

敢えて言いますが、これは「げすの極み」です。

自助努力、または自力更生以外に運勢の罠から逃れる術はありません

それを意識し、自らの足で立ち上がる、始めの一歩を踏み出せれば

意味の無い苦悩の半分は消えます。

あとは努力の苦しみだけです。

そして、中途で挫折したとしても

記憶の中に、己を知り、前を向こうという遺伝子が残っていれば

運が廻って来た時、必ず、もう一度立ち上がろうという勇気が

湧いて来ます。運とはそう言うものです。

「教室はじめの一歩」に書いたように

運は巡るもので、誰にとっても

1年間はその1年の運が平等に周ってきます。

同様に月の運も日の運も巡って来る

そして自分自身を知る事さえ出来れば

必ず、ふっと身体が軽くなる時に気付きます。

そのときが立つ時です。

この世の中は、あらゆるものが、生まれ、流れ、姿を変え、消えて行く。

当たり前の事ですが、播かない種は実らないし、

まかれた種は縁を与えなければ花を咲かせません

どんな花を咲かせるかは自由ですが

10なる善業を積めば良き実がなるよと

仏さん達は、おっしゃっています。

(よく考えて下さい。悪い種も同様に、縁を与えなければ

花は咲かない。悪の花が咲くような縁ばかりを心の中で積めば

おのずと花は開く。数学の公式のようなものです。)

ある夫婦2

相性について世間で言われている相性と実際の相性との格段の違いを見るには良い例です



主人 
       辛 壬 丁
       酉 寅 亥

77 67 57 47 37 27 17  7
 乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
 未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅

妻 
        丁 戊 癸
        巳 午 未 

73 63 53 43 33 23 13  3
 乙  甲  癸  壬  辛  康  己  戊
 丑  子  亥  戌  酉  申  未  午


ある国のトップになったご夫婦の命式です。妻とは掠奪婚の関係で、世話になったかたから奪った形での結婚でした。

一番楽な生き方 2

寝覚めの悪い方がいるようなので

十善業を解説します。

行為について   殺生 偸盗(ちゅうとう)邪淫

言葉について   妄語(もうご) 両舌(りょうぜつ) 悪口(あっく) 綺語(きご)

こころについて  貪欲 害心 邪見(じゃけん)

この10の行為を言うのですが、実は、驚くなかれ、

これが業のもとになっていると仏教では言うのです

つまり、この行為により地獄のような世界生まれたり、

餓鬼のような世界に生まれたりすると仏家はいいます。

まさか、こんなことで?

本当に「こんなこと」程度なのか検証しましょうね。

実は、この10の行為自体も問題なのですが、

この行為におよぶ動機がまた問題で、怒りによる動機、

欲望から来る動機、なんも意識せずに、

ただ、してしまったという動機(これを無知と言います)

それぞれにより、死んだあとの行き先が違うというのです。

怒りは地獄に、欲望は餓鬼の世界に、無知は動物の世界に流れる。

またそれぞれの動機が激しい場合は地獄に、中くらいの場合は餓鬼に

軽い場合は畜生に生まれるそうです。その動機が軽いか重いかは

死んでみればわかるということです。

なんとも皮肉な言いようですが、そうとしか言えないようです。



これから、それぞれの行為とそれがどのような結果をもたらすのかを

もう少し詳しく解説して行きます。

道案内

先人達の推命研究に命稿集というのがあります

実際に生きた方達の生年月日の解説です

特に名の知れた歴史上の人物、作家や研究者

宗教家や政治家などを実例としてあげているものです

私も何冊か持っているのですが、

推命に関する解説についてのコメントはさておき

どうしても気になるのが、作者が対象の人物の

偉い所探しに終止し、通変星や各局などを

その方向からしか見ていない先入観からの鑑定で、

こんなんでいいのかな?と

心底、冷え冷えとしてまいまいます。

元命式は人の魂に刻印された過去からの

メッセージそのものだと私は思っているのですが

残念ながら人の魂はほとんどが

パンドラの箱そのもので、その中で

もがき、苦しみ、人生の目標を定ることができ

努力を積み上げ、その結果時代に添ったものは

時代の寵児となり、我が道を行ったものは

時を経て評価されるというのが、実際の

世の中ではないのでしょうか。

もがき苦しみ、それでも前を向き歩き続けた人々を

くだらない運命至上(絶対)主義で人の努力を

ないがしろにするような解説にはほとほと

嫌気がさします。星を見て人を見ていない。

パンドラの箱の中に我々は誰でもいる。

だからこそ闇に慣れ親しんでしまった人にとって

光は無くてもかまわないものになりやすく

自分の姿がぼんやりとしか見えない。だから、

餓鬼のように、満たされることがありません

そして、時が過ぎ、当たり前のものとして

得られたものが得られなくなった時

始めてその当たり前が、実は特別だったことに

気付きます。でも、そのときは遅い。

人の運勢とは困ったもので、

それまでの生き方の果として

最初から運勢に刻まれた未来に待っている

凶の運が強い場合いまなすべき

一番大事なアドバイスが耳から落ちていく。


人を活かすのも倒すのも推命の多様性の一つです

教室の生徒さんは是が非でも希望の光を見つけるための

道案内人になって下さい。

両義

(話はすべて太極論が基盤と成っています。)

相性について、いろいろと悩んでいる方が多いのですが、

どこかで占ってもらうよりも確実に正確な相性判断方法があります。

お付き合いを始め、より親密な関係になったとき、

そこにはお互いが両義となり、太極が生じます。

するとその太極から万象が生じてきます。

万象って?

万象というのは、良いことも、悪いことも、そうでないことも

生じるという意味です。お付き合いを始めてからの

お互いの環境の変化をよく観察してみてください。

観察して何が見えてきたでしょうか?

とりあえず順調に動いていれば、それは順のご縁です。

問題が生じてきたとしたら、それは逆のご縁です。

たとえば、本当の意味での友人や、子供の頃から親身になって

話を聞いてくれた叔母さんなどが反対し始めたり、

(これは解りやすいので、いいのですが)

親の仕事がうまくいかなくなったり、家庭内がもめ始めたら

その原因の一端はあなたにあるということです。

バタフライ効果と、呼ぶ人達もいますが、

新しい両義が結ばれれば、太極が生じ

さまざまな影響を既にある世界に及ぼし始めます。

考えてみれば当たり前のことですね。

そう考えると、あらゆる人は日々、刻々、

何かと縁を結び、強い結びつきであれば

そこに、自分対人、思想、もの、風景等々あらゆる情報との

両義が生じ、太極が生まれる。

そして幾重にもその層は重なっている。

(年齢とともに、好奇心とともに日々、生じつづけ、消え続けています)

それが、その人の人生を形作っていくのです。

さらに、その太極は恒常ではなく、両義の縁が

弱くなったり、強くなったりすることによって

ほどかれたり、結ばれたりを繰り返し世界が変化していきます。

卑近な例に例えると、付き合う男によって、化粧が変わったり

出入りの飲み屋が変わったり、他人の目線が変わるということです。

すなわち、自分が悪いことをすれば、自分と悪が両義を結び

太極がうまれ、悪事が生じる、それは悪事だけにとどまらず、

本人の親にも、子供にも、大事な人たちにも、その影響が

必ず生じてくるということです。

因果応報などというものではなく、生きる世界そのものに

変化を及ぼしてしまう。

これが私の易の行き着いたところです。


両義、太極 四象 万象というシステムは不変であるー不易

両義の結びつきは常に変化し、重層にも重なり、

人は、あらゆるものと太極を結ぶこができ

ほどくことも、結ぶこともできる         ー変易

太極を良いものにすれば、良い世界が生じる

太極を悪いものにすれば悪い世界が生じる、

このように単純明快な世界です。         ー簡易


私は易の三義をこのように解釈することにしました。


生きるということは、この太極というシステム

そのものです。

じゃあ、どうすれば、しあわせになれるのよ?

答えは、単純に考えることです。

不幸の原因と太極を結ばなければ、不幸は生じません。

理屈でいうとこうなります。間違ってはいません。

けれども、ほとんどの人が、それなりの事象とご縁を結んで

この世に生まれてきている。

(私自身が推命術を研究して得られた結果です)

良いご縁であれば、それを順運として伸ばせばいいのですが

生まれながらに何かで苦しまなければならないような逆縁と

両義をむすぶ命式もあります。

十人十色です。

しかし、もし、あなたが成人であるなら、

幸せになりたければ、まずは不幸の原因と手を切ることです。

短気が原因であれば、短気を、

押しに弱ければ、抵抗するだけの胆力を

仕事ができなければ、仕事のスキルをあげる努力です

また、仕事というのは向き不向きがあります。

たとえば本人の気が優しければ、それに見合った

仕事を探せば円満な両義が生じ、太極となり

円満な世界が生じます。本人も満足出来る人生になる。

競争心が強い人であれば、営業成績がものをいう世界に

入れば、やる気も結果もでるでしょう。それなりに

満たされた世界です。

持って生まれた気質がプライドの高い人であれば

そのプライドに見合う、技術なり資格なりを

身につけ、他から頼られれば満足でしょう。

etc、etc

この太極、両義の考え方は、こらんのように

あらゆる場面に当てはまるものです。

信仰や思想信条なども同じです

縁は似た者としか結ばれません。

強欲な人は強欲な信仰と結ばれ

支配欲の強い人は絶対権力を目指す思想信条を選び

自分の世界を生み出していく。

わかってしまえば単純明快なことです。

人が生き物であるように、運勢もまた有機的にできているのです。

天地人

天地人

十干、天にありて対すれば合し円満を望む、

地に落ちては対し相背き、天の倉となり

図らずも天徳を汚す。

天地の間に人生まれ、その徳に従い天地の徳を得。

個の徳、系譜の徳と同期し、その家に生まれ、試練を受ける。

その目的は何ぞや?答える術無し。

ただ人生あるのみ。

四柱推命

中級へすすむ生徒さんが出てきたので

久しぶりに緒方先生のホームページを

拝見していたら、ブログが更新されていました。

泰州の雑感

十干の解説について書かれているのですが

しっかりと読み込む事ができれば各局法は

いかに誤った解釈の元にできあがっているのかが

見えてきます。

伝統を重んじる方達にとっては忸怩たるものが

あると思います。

運命学の最高峰とあがめられても

実践で役立たなければ歴史的価値しかありません

それゆえに、「あんなもの」とか「こんなもの」の

理論を借り、それらしく名付けた神殺を思う存分

増やし、これみよがしに数学の知識を振り回して

月率分野を計算してみたりと、本質とは随分違った

形になってしまっていたのが、しばらく前までの

四柱推命の世界です。

それじゃ、本物の四柱推命てなによ?

そう思われるかたは緒方先生のブログを読んでください。



私自身はこの術は「魂」に刻まれている心の動きを

読み解く術と考えています。

ここで言う「魂」とは当人を操っている

有無を言わせぬ力のことで、それを知る事で

初めて自分の魂と向き合い、対話する事が

できるようになります。ここまでくれば

次は自分の魂と和解する算段として

用神を使い人生を変えていくことが

できるようになります。

もちろん、そんな簡単なことではりませんが

しっかりとした指導者がいれば、それは可能です。


暑くもなく寒くもなく食欲の秋、勉強の秋です

10月より新規の個人授業の希望者をつのります。

ご連絡はホームページのメール鑑定フォームをご利用ください。

ちなみに「断易」を習いたい人はいますか?

希望者が多ければ教室を開いてもいいかなと思っています。

全く始めての人のコース(初級) 

基本をもう一度やり直したい人(中級)

とりあえず基礎知識はあるので卦の読み方を知りたい人(鑑定研究コース)

希望するかたはメールいただければ少々先になると思いますが

詳細が決まった時点でご連絡さし上げます。

空亡 天中殺

空亡について

マスコミの影響力は恐ろしいなと思うのですが

いまだに天中殺=空亡について暗い暗示にかかっている人を

見受けます。推命では関係ないんですよと聞かされても

恐怖心につけこまれ、「刷り込まれ」「洗脳」されている人にとっては

ここから離脱するのは難題です。


まず、しっかりと、その本当の姿を見ることが

その洗脳を解くことにつながります。

それをしましょうね。

暦は天干「甲」、地支「子」を最初期として

甲子から始まり60回目にまた甲子にもどるように

できています。ただし

天干は10の干、地支は12の支からできていて

この二つの組み合わせでは必ず地支が二つあまり

それを空亡と言います。


甲子の干支が起点の場合  

  甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
  子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

この場合戌以が空亡にあたります。

順繰りにいくと次が

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
戌亥子丑寅卯辰巳午未申酉

こんどは申酉が空亡にあたります

次は

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
申酉戌亥子丑寅卯辰巳午未

午未が空亡です

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
午未申酉戌亥子丑寅卯辰巳

辰巳が空亡です

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
辰巳午未申酉戌亥子丑寅卯

寅卯が空亡です

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑

子丑が空亡です

そして最初の
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

戌亥空亡にもどります

(このように60回目にもとの干支にもどることが

いわゆる還暦のお祝いの由縁です)


この理論は多くの占術に使われているのですが

その意味合いは

甲から亥までを一つの時間の流れとして(一旬)

あまった2つの支はその流れにのっていないもの

なので、形はあっても中身は空っぽの意味として

活動力はなく、実を結ばないもの、何をしても

成果が出ない、努力のしがいが無いと考えます。

特に断易では重要な鑑定因子として重用しています。

これは断易が占うその一瞬に起きていることを

映す鏡のような占術ゆえに、干支のずれである空亡の

理論がそのまま当てはまると私は考えています。

ここからは、あまり突飛なことを

言って師匠に迷惑がかからないよう、あくまでも

私自身が考える私説だとおことわりしておきます。


四柱推命における十干十二支の組み合わせについては

断易と同じく暦を使うものなのですが、

易の瞬間性に比べると、その本質は

時間軸が遥かに長く、さらに人の意思が介在する余地が

多く残っていることにその特性があると私は考えています

気付かずに運勢に乗ったままならば、その通りの現象が

起きてしまうが、気付けば必ず回避の方法がある。

であるがゆえに、鑑定が当たることは実は流れてきただけと

言っていいのかもしれません。

話を戻します。

十干に対しての十二支なのですが

この十二支についてはよく考えなければなりません

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥


これを季節で分けると

亥子丑が冬 寅卯辰が春 巳午未が夏 申酉戌が秋

暦を見てほしいのですが、亥子丑は11月12月1月

            寅卯辰は 2月3月4月

            巳午未は 5月6月7月

            申酉戌は 8月9月10月

に固定されています。

さらに五行で分けると(蔵干の中心となるもの)

            寅卯は木の五行
            巳午は火の五行
            申酉は金の五行
            子丑は水の五行

            丑辰は土の五行(水を含む土)
            未戌は土の五行(火を含む土)

これを陰陽にわけ十干と対応させると

           寅は甲
           卯は乙
           巳は丁
           午は丙
           申は庚
           酉は辛
           亥は癸
           子は壬
ここからがポイントです

           丑辰は己 (原典では湿土と明記されている)
           未戌は戊 ( 乾土 燥土と明記されている)
           

どうでしょう地支は12支に見えますがその本質は10支に集約できるのではないのでしょうか?

どうしてそうなるの?

それを解く鍵は土の十二支はすべて

季節の変わり目としての役割をなし一旦季節が地に戻り

新しい季節へと衣替えする役目を担っているからだと考えるのが

妥当だと私は考えます。

つまり、次に移るインターバルがあるということです

けっして自然は、決まりきったがんじがらめにはできていない

ということです。

同時にこれは運勢にも当てはまるのだと私は思っています。

1旬のはみ出しものとしての空亡は、その瞬間を切り取る

占術にはとても有効ですが、それをそのまま推命術に応用してもあまり

効果はないというのが結論になります。

いままで見てきたように、そもそも十干と12支は役割が違うだけで

本質は同じものであり、さらに時間軸を変えてみると、そこには、

生き物としての星の動きが現れてきます。

それは「前を向いて生きよう」とすれば必ず前を向くことができるし

「もういいや」と思えばそのまま動かない。因果の法則そのものです。

苦しみを放棄した生き方は同時に喜びを放棄することになります。

喜びを求める生き方は同時にそれを得るための努力と、それを失う恐怖を

持つことになります。

でも呼吸をし、食事をしていれば、人生は運に乗って前に進んでいきます。

考えすぎても辛いだけです。

だから、空亡だ天中殺だ、五黄殺だ暗剣殺だを気にするよりも、

今日のご飯のおかずを考える方が

よっぽど建設的な生き方ですよ。





         

政治

占い好きの方達の多くは(占い師さん達も)

政治や社会に対し、興味のある人が

わりあい少ないのではないでしょうか?

自分の事で精一杯というのが本音でしょう。

でもね、我々は時代の空気を呼吸し

人生の血肉にしています。

バブル盛んなおり、なんでも、かんでも金次第で

「恥」を金で売り買いすることまでしていた。

今思えば下司の極みですが

それになれてしまうと、流れに流される事に

何の抵抗も感じなくなってしまう。

実は、このことが本当は怖い事なのです。

悪いのは「時代」で自分は流されてきただけ

だから自分には責任は無い!

苦しい言い訳です。

じゃあ、その行為をなしたのは誰?

僕だけど、僕じゃない!

?????????

保証しますが、これでは人生は変わりません。

少なくとも、もうすこしマシな人生を

望むのであれば、自分自身に直面する事が必要です。

さらに自分の魂にまでぶち当たる事ができれば、

それを再構築することができるようになります。

私の理想とする運勢学はそのようなものです

そのためには、より広くその人が生きた時代を

知り、その時代の本質を見抜く事です

(それには政治はとてもいい情報を提示してくれます。)


占い師さんは別として運勢鑑定をする者は

常に中立でなければなりません。

(中立でなければ鏡が曇るからです)

もし鑑定士さんが世の中の流れに飲み込ま

れていたとしたら、時代にゆがめられた

鏡しかもっていない安っぽい正義を振りかざす

普通の説教師に成り下がってしまいます。

鑑定法に執着するだけではなく

しっかりと時代を見る目も養ってください。

イントロダクション

人生を修行ととらえるか?、楽しむためのものと捉えるか?

人それぞれですが、苦しい時は

誰かに助けを求めたくなるものです

ある作家さんが主人公の座右の銘に

「ねだるな、勝ち取れ、さらば与えられん」

という言葉を与えていました

マタイの福音書の「求めよさらば与えられん」が種もと

でしょう。

でも、この二つには雲泥の差がありますね。

神にねだるとき、神が許せば許されてしまうのですが、

人生では、どんなに「ねだって」も「力」がなければ

与えられません。

それを「人間力」と言う人もいれば、「運」と言う人もいます

この「力」を養う事がとても大事な事なのですが、同時に

自分の「運」を見極める事もときには必要かもしれません。

心境の変化

最近心境の変化がいろいろあり、人生そんなに

肩肘はって生きていても仕方ないと思うようになりました。

頑張っても自分の器量の範囲で暴れるているだけと

言いましょうか、孫悟空がお釈迦さんと勝負して

意気揚々と勝ち誇っても、結局お釈迦さんの手の平の上で

もて遊ばれていたというのが西遊記にあります。

ご存知の方も多いでしょうが、五本の指は五行をあらわします。

(中野美代子先生の本にその辺りの事は詳しく出ております)

事実この五行五気で編まれている元命式の示す運勢を

超える事はなかなか難しい。

こちらを信頼し、素直に、多少の苦痛に忍耐できる人達だけに

その門は開かれているようです。






人の可能性について私はいままで限度は無いと思っていたので

すが、個体差はあるんだと最近思い切りました。

そうすると、肩の力が抜け「断易」など見せたくないものも

見せてもかまわんと思えるようになったのです。

風水についても同じです。









悩みのある方は悩んで下さい。

けれども、そんな自分を嫌わないで下さい。

自分を罰っしても過去は消えません


あなたが何であれ、命はあなたの中で輝いてます

もし誰かを傷つけてしまったことに悩んでいるのなら

ただ一つ、相手の中にも同じ命の輝きがあり、

あなたと同じように喜びや幸せを望んでいることを

見て見ぬ振りをせずに、しっかりと見つめて下さい。

こたえは自然に出てきます。

そして自分を、何度でも励まし、勇気を振り絞り

行動する事です。それが正しい答えだと私は思います。








また私にすがりたい方はそれでも結構です

ただ、私はすがってくる相手は大嫌いです

なぜなら、自分の中にある加害者としての自分を

見ぬ事にしているからです。たいては思いが叶わない事に

ノイローゼを起こしている。

自分を曲げずに相手に曲がれと言っているかたがほとんどです。

(ちなみに、これを私は隠れ頑固と習いました。)

そして相手の悪口を繰り返し、相手の風向きが変わると

ひょいともとの鞘に納まる。

さらに、お金がない。できれば無料にしてくれとねだってきます。

一事が万事です。(これが鑑定料を値上げした理由です)

ここにこそ苦しみの原因があることに

本人は気付いていません。是非気付いて下さい。

自分の足でたつ事しか、このての苦しみからは逃れらません。

わかりますね。







このホームページには実は運を開くためのヒントがあちこちに

書かれています。読みにくい、しつこい、難解な文章の

その底にヒントが隠れている。

高い鑑定料を取る、お高くとまっている鑑定士の

評価でもかまわないのですが、

鑑定料を払いきれない(払いたくない)人たちにも

講義料は払いたくないけれども推命には興味があるかた

たちにも常に扉を開けていることをご了承ください。

気功教室開講

本日より気功教室を開講いたしました。

記念に長年温めていたのものを、ご縁のある方には

知っていただきたいと思います。

祝詞

多くの場合十干は省かれて紹介されているのですが、これが本来の姿だと

私は思っています。

怒りの次に来るもの

怒りを野放しにしておくと、どうなるでしょう?

幾つかの現象が生じてきます。

1、

怒る自分と、そうでない他人を比べ始める。

(他人というのは自分以外の人達の意味です。)

「あなたは幸せそうでいいわよね。」

どこかで聞いた言葉ですね。

怒りが「嫉妬」「妬み」に変化していく。

2、

怒った相手が、萎縮し、怯える姿を見て

怒りながらも、支配欲と、自尊心がくすぐられ、

傲慢、慢心が生じ、他人を見下す心が生まれてきます。

同時に怒りの「うまみ」に気付き始める。

(モンスター)クレイマーが降臨してしまう。

3、

怒りの原因が、何かを得られなかった場合

得られなかったものに対する強い執着が生じてきます。

4、

多くの場合最終的には孤立し、怒り散らした自分自身に

その怒りの矛先を向けることになります。



「大義名分」のたつ正当な怒りは絶対に必要ですが、その「大義名分」は、これらの大きなリスクを伴う「怒り」に本当に相当するものなのかは検討する必要があるのではないのでしょうか

たいていは「私ルール違反」が大義名分になってい方が多いように私には思えます。

通変星大論1

通変星大論1

「五行五気の周流と通変星から見た運の原理とその改造についての考察」


推命術を学び実践する中で、個々が繰り返す不幸の連鎖を見続け、そこからの解放を意図し続けるうち、ある法則がそこに働いていることに気づきました。それは数学の方程式のようなもので、そこに気づき、行動すればあらゆる人間関係に「解」が得られます。
それまで絶対視していた「用神」にしても、この法則の外にあるものではないと思っています。

先ず東洋哲学の基盤である五行の相生 生剋の説明から始めましょう

木が火を生じ 火は土を生じ 土は金を生じ 金は水を生じ 水は金を生じる

木は土を剋し 土は水を剋し 水は火を剋し 火は金を剋し 金は水を剋す

どなたでも知っている五行の相生相克の理論ですが、ここで言う五行とはいかなるものでしょうか? それは宇宙の万象を映し出す象徴だと思ってもらえれば分かりやすいと思います。
そして、この相生相克の理論こそが一切の運動を理解する原理になっています。

推命術ではこの五行を陰陽にわけ十干十二支に分類し、それぞれの関係生を通変星として区別しています。

  干     支

木 甲乙    寅卯

火 丙丁    巳午

土 戊己    丑辰未戌

金 庚辛    申酉

水 壬癸    亥子


基準点の自分自身を我身日干とし、

日干と同じ五行の星を比肩、刧財

日干が生じる星を食神、傷官

日干が剋す星を正財 偏財

日干が剋される星を正官 偏官

日干を生じる星を印綬 偏印

と呼んでいます。




相生

我身日干は食傷を生じ 食傷は財を生じ 妻財は官を生じ 官は印綬偏印を生じ 印綬変印は我を生じるとなります。

比刧は自分とおなじ星になります。


相克

我は妻財を剋し 官鬼に剋され 妻財は印星を剋し比刧に剋され 官鬼は食傷に剋され我を剋す
           
                  
ここで大事なことは相生にしても相克にしても、それぞれの五行は常に「動いている」ことに気づかなければなりません。

この五行五気の動きは「気」の動きであると同時に「心の動き」そのものであり、私はこれを魂に刻まれた気質、持って生まれた星の特性と理解しています

また、このような解釈が推命術を成り立たせ実際の鑑定の場で実証されてきました。 

それでは、その通変星について考察したいと思います。


漏気の星

まず我が生じるものを食神傷官と名付けられています。これは我れが生じる星ゆえに
漏気の星となります。陰陽の違いにより食神、傷官と名称が違うだけで起きる現象に強弱の差はありますが一般的に言われるほどの差はまったくありません。

自分から見て最も近くにあり、直接的に本人のエネルギーが漏れることをこの星は意味しています。現象としては本人の心に怒りが生じれば、怒りを、悲しければ悲しみをまったく遠慮なくダイレクトに表現することになります。欲しければ欲しいを我慢しません。常に心の風景(本人の意図する世界)と世間の風景を一つにしたい思いが強く、それゆえに理想家で潔癖、嘘を隠すことができず、秘密を守ることが苦手です。




妻財

正財偏在と言われている星になるのですが、日干から見ると我身が剋すことのできる星がこの星にあたります。それでは剋すとはどういうことでしょうか?剋すとは自分が相手を無条件に支配するという意味になります。それゆえ、財に対しては無防備に近づきます。

また支配したとき善悪を問わず自分の意のままになるもの、一方的に自分が楽しめるもの、もてあそべるものとなります。


官鬼

自分から見て官鬼は自分を剋す星になります。官鬼から見れば自分が支配できる星の意味になり妻財と真逆の立場になる。そして妻財と官鬼のベクトルは財が官鬼を直接生じる流れになっています。
               
印綬偏印

自分自身である日干を生じる星で、無条件に自分を生じています。自分に価値を与えるものの意味になります。もともとの印綬の由来は官位を得たものがその身分の証として与えられた印とそれを下げる組紐との説があるのですが、一般的には自分を助ける資格、技術、知恵、引き立ててくれる上司、世話を焼いてくれる親、先生、知恵などを指します。




比肩刧財

本人と同じ五行の星をあらわし、血縁、友人、同窓、同郷、同期とその人の立場により、その意味は変わり、外国にいれば、同じ日本人を比肩として見ることもあります。

これが通変星の姿ですが、それぞれの星はどのように流れ、動き、人生を形成していくのでしょうか?

一言でそれを言うと

「それぞれの星の力量」 がそれを決めています。

そしてこの「力量」は「通変星を超えた実質的な関係」を生み出します。


そんなことあるものかと驚くかたもいると思いますが

「反剋」という表現で昔から知られている現象です。

男女間でよく起きる現象ですが結婚前は芯は強いけれど、とてもおしとやかで優しい彼女が結婚した途端、亭主を顎で使い始め、家ではあぐらをかいている等々。これは極端な例ですが、自分は「主人」だなどと、といい気になっていても奥さんの力量が自分よりも強ければ、もし万が一、奥さんを怒らせてしまった場合、絶対に勝てないということです。通変星の解説をもう一度見て欲しいのですが、財(奥さん)は無条件で主人(我身日干)に従うという原則があてはまらなくなります。実際は財に反剋されたことにより財が官鬼に姿を変えたということです。このように星は生き物で条件によりその姿を変えていきます。


          
                     
           


また、このことからもわかるのですが、たとえば、命式に官星がない場合「縁遠い」と一般には言われていますが、五行は姿を変え周流しているので、財星があれば官星は生じられます。また、財星がなくとも食傷があれば財は生じ、食傷は日干があればおのずと生じます。つまり、あらゆる星は日干の変化形なのです。このように通変星は我れが生み出す星の総称であり、同時に人は通変星を自ら生み出せる存在だと言って良いのだと思います。ただ、その分量の違いにより現命式の中に星としてはっきりと現れるもの、小さすぎて現れないものがあるということになります。
(本来人は五臓六腑と言われるように五行五気が完備していると黄帝内経にあります。)

それでは何故その分量(力量)に違いがでるのか?

一言で言えば「五行が周流しているから」

となるのですがもう少し分かりやすく言うと通変星の周流から見た場合先ず自分から生み出されるものが食傷の星です

私が理解している食傷の意味は自分の心の中に起きる感情、欲望が漏れる「特別な装置」が最初から備わっているということなのですが、よく考えてください、これは人であれば誰もが日々行っている事であり生活そのものなのではないでしょうか。赤ちゃんがお乳が欲しくて泣くのも、楽しくて笑うのも、悲しくて泣くのも食傷の事象です。
それが星として現命式に現れる時、その人の嗜好、思考が自己表現に走りやすい傾向を持つと解釈していきます。つまり、「我慢すること」と「怒りをぶちまける」二つの選択肢があるとき後者を選ぶのがこの人の傾向となるのです。それが一事が万事となり、他の現命式の星の影響と重なり、その人の個性(能力)として周りの者から認識されるのです。

その流れの結果として妻財の星が生まれてきます。正確にはその人物の能力が周りから評価され、人物としての価値が決まるということになり、その結果としての給金となります。このように通変星は食傷が個人の目線であるのに対し、その人物が所属する社会側からの目線により財としての価値が決められています。同じことが次の官星にも言えます。

職の事象を代表する官鬼ですが、結局、職業というのは「社会」と同義語となり能力以上の職を与えられることはありません。それ以上の職を望むのなら能力を上げ、社会からそれを評価してもらうことにより可能となります。

次に、職を得ることにより、職を遂行する中で、さまざまな体験を重ね学び職能としての知識と知恵を自分自身に還元(円環は初めの我を生じ)することにより、新たな食傷が生まれ、知恵を得たぶん円環の中にある通変星の質が変わっていきます。(さらに言えば、まったく逆の現象が起きていることも事実です。職責により潰れる現象のことですね。)

この繰り返しが人生では日常茶飯事に起きています。


これが相生関係から見た通変星の姿なのですが、この理解が足りないために心の癖が生まれてくるのです。

ご存知のように通変星には相克の関係があり、日干から見たとき我が剋すものが財にあたります。先にも書きましたが財は我から見て無条件に支配できる五行がそれにあたり、支配には必ず快楽が伴い、快楽は我欲を増し、その結果 知恵を削っていきます。
(通変星の関係性を見ればわかるのですが妻財は印綬を剋す関係性にあります。)
また、財が増せば自然に官鬼が増し、さらに、その受け皿となる印綬が壊れていれば、行き場を失った官鬼は直接我が身を攻めてきます。

そして、円環の流れは命ある限り止まることなく、その星に刻まれた心の傷が新たな食傷を生みさらに長い時間ををかけて積み上げられ魂に刻まれた暗号として次の生に受け継がれているのが星の力量に差がある理由だと最近理解するようになりました。

なんだか人生は決定されている。諦めろと言っているように聞こえるかもしれませんが、実はこのことをしっかりと理解することことこそ運勢を改善できる根拠になっているのです。

運勢改善のための方法論



それぞれの星の分量により起こる化学変化と五行五気の組み合わせにより現命式に現れた個人の情報を読み解き、さらに年運、大運の刺激による元命式の変化、起きうるであろう現象を予測し
正確な現状把握により用神をとり、処方箋を作ることが私が学んだ泰山流(緒方泰州派)の運勢を改善する方法です。医療で言えば、総合診療と治療を兼ね備えた方法で正しい鑑定力を身につけ、さらに用神をいかに使うかの高度な知識と経験が必要になります。



まず前述の通変星の円環の流れをしっかりと把握してください。そして考えてください。
日々、自分の心の中に生じているものは何か。世界の中心は自分んであることを認めさせたいのか?あらゆるものが許せないのか、誰かを支配したいのか?それとも、あらゆる責任から逃れたいのか?夢の世界に住みたいのか?それとも今起きている不幸を誰かの責任にしてしまいたいのか?
それを確りと認識することです。この心の囁(ささや)きが魂に刻まれた過去の自分から相続した遺産です。もちろん負の遺産ばかりではなく正の遺産もそこには刻印されています。

あらゆる人々の現在の環境は例外なくこのようにして生まれてきています。

繰り返しになりますが、たとえば自分の心の中が赤い色で染まったとすると、五行の円環は延々と流れているわけですから、すべての通変星が赤い色に染まっていることになります。このことが理解できれば、

「心の中に生起してくる色を自分が望む色に変えれてしまえば、自然にすべての通変星の色は自分の望む色に変わる」という法則が見えてきます。

これが第二の方法です。心の質を変えることにより自分が望む世界を掴むことです。従来この方法は宗教が担ってきましたが「信仰」の力が原動力故に、信仰のない人には無力ですが、その方法は生きていて既に「十善業」という形で、このホームページで公開しています。
宗教っぽくて胸糞悪いと思った人も多くいたと思いますが、決してお題目だけではなく効果が現れる方法なのです。実行して効果が出る根拠がないので、みなさん実行していないのでしょう。理由がわからなければやらないというのは現代人のとてもよい特性ですが逆に言えば根拠さえはっきりと示せば実行するということになります。



自分をいじめに来る星を官鬼といいます。何故官鬼はあなたを攻め立てるのか?理由は単純です。多くの人は財を得ることを人生の目標としています。それは自分が支配できるものが多ければ多いほど楽しいからです。そのために、もっともっと財を増やそうとします。当然のことです。その結果、財が旺じ、印綬変印が傷つき機能していないからです。つまり官鬼と自分との緩衝帯である印綬の知恵が機能しない。具体的に言えば、たとえば憧れの人とのお付き合いが始まって、楽しくて、楽しくて、知らぬ間に、相手が一番嫌がることを知っているのに、言ったり、やったりしてしまう等、冷静な時は対処できていたものが喜びの感情に流され、取り返しがつかなくなる等々、卑近な例はいくらでもあります。
人の心にはできるだけ簡単に労力を惜しんで目的を達成しようという遺伝子が刻まれていて、その通りに動いてしまうのです。仕方がないことです。しかし、もう二度と痛い目には会いたくないと誓ったならば、方法はあります。

それは「正しい知恵を使うこと。」


いたって単純ですが、この単純な作業を回避したがための悲劇に身を苛(さいな)まれたことをもう一度思い出してください。そして、どのように知恵を使うのか?
それは官鬼と自分をしっかりと分析するところから始まります。つまり「官鬼」は「自分」のどこを、どのように攻撃してくるのか?これが「己を知り、敵を知れば百戦危うからず」の意味です。どこかで何度も書いてきたことですね。(この言葉の裏にどれだけの意味があったのかが少しは理解してもらえたでしょうか?)

残念ながら運勢を変える、運命を変えるにはこれらの方法しかありません。なぜなら宇宙は五行五気に依って成され、その五行五気はこの周流から離れることがないからです。

運勢を変えるには非常な努力が必要です、それは、流れには一定の方向があり流れを変えるには、そのための力が必要だからです。私はこの力は数学で言うベクトルとまったく同じだと思っています。仏典などではこの流れを煩悩と名ずけ、これに逆らうことを「逆流(げきる)」と呼んでいます。しかし、たとえ少量の力でも、その流れに逆らう力が加われば、そこに別のベクトルが生まれることを我々は学んでいます。

「チリも積もれば山となる」

これが何度も言ってきた「努力」をすれば運勢は変わる、人は変われる理由です。

諦めないこと。努力を惜しまないこと。

単純で、そして難しいことです。







「正しい知恵とは何か?」同時に人の成長とは何か?を次回は考察していきます。

青春 3

なぜ恋愛をするのか?

そんなことを考えたことはありますか?

答えは見つからないでしょう。

まあ、若者であれば、子孫を残すための動物としての本能、

種の保存のためだと、とってつけた答えを出すでしょう。

でもね、

誰かに「好きだよ、愛しているよ」と言われ時

それは自分を支える言葉に変わるんです。

「自分は自分でいいんだ」と初めて他人から認められる

そんな瞬間でもあるんです。

だから、傷のある子が大人になって、

それを言われると、その人が、かけがいのない

とても大事な人に思えてしまう。

親からも認められなかった自分を初めて認めてくれた最初の人。

なんてことになったら、そいつが、

どんなにダメなやつかとわかっていても、

心は、そいつの元に転がり落ちます。

そして、それを悪用する奴が後を絶たない。


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