2013-10-20 12:36:14 0 Comments
たとえば、どうしようもなく生活力のない男性に
河口恭吾の「桜」の歌詞のように口説かれたら
どうでしょうか。
僕が側にいるよ
君を笑わせるから
さくら咲く季節数え君と歩いていこう。
涙の夜は月の光に震えていたよ二人で。
素敵な詩です。
自分の仕事がらか人生につまずき、苦しんできた、
同じような傷を持つ二人が、肩を寄せ合っている。
そんな姿が想像されるのですが、
身に沁みて共感出来る所がなんとも複雑な気分です。
いろいろなダメンズと言われる人達がいますが
「確かにそうだが、私の男を笑ってンじゃねー!」
と啖呵をきるくらいの覇気があるかたは、それで
大正解です。良い相性の素敵なカップルです。
なにも言う事はありません。
泣くのも笑うのも、自分の責任として
しっかり生きている人です。
問題は、そうでない女性にあります。
学生時代の恋愛と、自活しなければならなくなってからの
恋愛は別物と考えなければなりません。
よっぽど家庭や環境に余裕があったとしても
世の中の全ては移ろい、壊れていくものです
その備えをしなければ、やがて、
なにがしかの庇護は消えます
そうなってくると、当たり前のことですが
その時点で自立できていなければ
生活も愛をかたることもできなくなり、
ただ泣く事になります。
愛も幸せも、同じように不幸も、
移ろい姿が変わります。
好きな人と、さくら咲く、季節数え、
これからも歩いていくためには
支え合い自立し、将来に備えることが
やはり大事ですね。自分がそうなるか、
そのような自覚のあるパートナーを
選ぶことをおすすめします。
蛇足
でも、世の中には、恋愛だけでカップルになっていない人も多々います。
一つは打算と妥協によるもの。これはこれで納得ずくなのだから、良い人生です。
運勢が安定しているかぎり、それなりに満たされた生き方ができます。
もっとも大事なのは、ご本人が後悔の少ない人生を歩む事です。
他人からみると、どうしてこんな奴であったとしても、それが
良いのであれば、それでいい。
そう私は思います。